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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(7、ウマシアシカビヒコヂは暗殺された?) 追記


>可美は普通に読めばカミになるのに、って思った。

カビ」とも読めるね。
そうすると
ウマシアシカビヒコヂの中に「カビ」があるでしょ。
これはどういうこと?

ウマシマジ(宇摩志麻遅命、宇摩志麻治命)の言葉もウタヒ8首にある。
え~?

ニギハヤヒの息子の可美真手命=宇摩志麻遅命、宇摩志麻治命なら、
ウマシアシカビヒコヂってもしかして可美真手命?

それはないか。。。

| カタカムナ | 15:37 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(7、ウマシアシカビヒコヂは暗殺された?)


久しぶりの暗号解読です。
記事が多くてなかなかアップできずにいたらハマッってしまって。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200912/23/62/b0086362_22331590.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


カタカムナ ウタヒ 8首 
■ウマシ タカ カム アシカビヒコ トコロ チマタ ノ トキ オカシ

?馬、鹿、鷹、海驢(アシカ)、狒狒(ヒヒ)、熊(コム)、朱鷺(トキ)、オノコロシマ 型 土地

?午しか(能登) アシカビ(能登) 多可(兵庫) 神島(三重) オノコロ(淡路島) 武庫(鳥取) 日田(大分) 栃(愛知)・橡(山形)・トチ(宗像と若宮の間) 土岐(岐阜)

神島(三重県)
『古くは、歌島(かじま)、亀島、甕島などと呼ばれ、神島の名の通りに神の支配する島と信じられていた。後に八代龍王を祭神として八代神社が設けられた。神社には、古墳時代から室町時代にわたる総数百余点の神宝が秘蔵されている。』

?高島が生む マの血 アシカビヒコ  小戸 タキ(多気・多伎・多岐) 賢所

?マの血 高神 ウマシアシカビヒコ 小戸 タキ(多気・多伎・多岐) 賢所

?アシカビヒコチ 高天神所 タキ(多気・多伎・多岐) 神島(三重) 小戸(博多湾) 丑(能登半島) 

多気(三重)、多伎(出雲)、多岐(岐阜)

?神が生ましたアシカビヒコ マの血 賢所 小戸 多気

小戸(福岡)
『古事記や日本書紀によると、伊邪那岐(イザナギ)の神の「みそぎ祓」をしたところが小戸大神宮。そして、天照大神、志賀三神、住吉三神、警固三神が誕生された聖地となっております。また、神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安全祈願に霊験があると云われています。周辺には鎧掛け松、海中のお膳立てなど神功皇后伝説を裏付ける歴史的旧跡も残っています。』

?は物騒な内容になったので単語は並べません。
◎マの血である高神のウマシアシカビヒコチが殺された、と読めました。

驚いてウマシアシカビヒコヂを検索すると
ウマシアシカビヒコヂは、日本神話に登場する神で
”『古事記』では、造化三神が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神”とある。更に”独神で、すぐに身を隠した”とある。

これを読んでやはり、殺されたのではないかと思った。

天地が混沌としている時というのは
国づくりがまだ始まったばかりの混沌としている時期と考えた。
その混沌としている時期に勢いの良いウマシアシカビヒコヂが登場し、
それを良く思わない何者かによって殺された、暗殺された。
”身を隠す”ということは”殺された”と受け取りました。


それから少し前に忍者さんが、ニギハヤヒの息子「可美真手命」の銅像を教えてくれて
記事にしたけれど、今日別のことで「可美真手命」を検索したら、
『可美真手命(ウマシマデのミコト。古事記に宇摩志麻遅命、先代旧事本紀に宇摩志麻治命)は、櫛玉饒速日命の子で、物部氏の祖です。』とあった。

なんで、可美をウマシと呼ぶのだろう?
可美は普通に読めば「カミ」になるのに、って思った。
可美真手命と宇摩志麻遅命、宇摩志麻治命は同じ人?
宇摩志麻遅命、宇摩志麻治命はウマシマジと呼ぶでしょ。
ウタヒにもなんとウマシがあるよ!

ということは

ウマシとつく名は物部氏の祖で
(じゃ、馬も物部氏の祖?)
あえて”可美”を使ったのは、この人物は神なる存在ですよという暗号じゃないかな。

ということは

ウマシアシカビヒコヂは物部氏の祖で
「マ」は物部氏の大祖先ということになる。

「マ」は神ということになる。

そう?

「ウマシマデ」も「ウマシマジ」もウマシの後にも「マ」がある。
やっぱりそうだよ!


http://pds.exblog.jp/pds/1/200912/23/62/b0086362_22453217.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


その他、こういった地名などにもなります。

千田(広島)、驫木(青森)、神所(岐阜県本巣市根尾)、小戸(福岡)、神島(三重)、打田(和歌山県紀ノ川市)、明石(兵庫)、古井(美濃加茂市)、古賀(福岡)、高島(滋賀)、土岐(岐阜)、牟婁(三重県南牟婁郡、和歌山県西牟婁郡。もと紀伊国の郡名。)、室(岐阜)、ムロ(能登)、日野(滋賀)、オキノシマ(石川)、沖ノ島(四日市と玄界灘)、タド(三重県桑名市の多度)、タドキ(岡山県加賀郡)、カシマ(能登)

アカヒコ(赤日子)アカヒコは諏訪、高向(古代氏族)



資料として3年前に直感で解読したもの。

カタカムナ ウタヒ 8首 
■ウマシ タカ カム アシカビヒコ トコロ チマタ ノ トキ オカシ

カミが産ませた
アシカビヒコを
時間と場所に関係なく置いた

カミが産ませた
アシカビヒコを
良き時間と場所に置いた

| mayu | 2006/05/15 3:32 PM |



| カタカムナ | 22:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(6、三神の母と…)


http://pds.exblog.jp/pds/1/200909/11/62/b0086362_15413631.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



カタカムナ ウタヒ 7首
■マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ

①勾玉の 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 スマルのミタマ(御魂、三珠)
②マガの玉 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 スマルのミタマ(御魂、三珠)
③マの玉が 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 スマルのミタマ(御魂、三珠)
④真間の方 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 スマルのミタマ(御魂、三珠)


まず一般的に
①勾玉の 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 天王の御魂
②マガの玉 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 天王の御魂
③maの玉が 天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 天王の御魂

maは最初の解読でこう書きました。
『maはトップの人間を意味し、高句麗、馬に関するもので、更に大きなものの予感がある。』

要は、この三神はmaの血統の王子さまということです。
三兄弟になるのかな。

maは何処の国だろう?


しかし、これだけじゃ面白くないのでぶっ飛びの④を考察します。

真間という地名があった。
千葉県市川市(下総国勝鹿(葛飾))
またあの安房国だ。

古くは真間の入り江といって低地部分まで海が入りこみ
弥生時代の環濠集落の跡も発見されている古い地。
想像すると海から多くの人がこの地にやってきて真間とつけたのでしょう。

地図でみると近くに須和田、切、国府台の地名。
神社は市川幡神社、胡録神社、所神社、新田春日神社など。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200909/11/62/b0086362_1601170.jpg',250,166,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
また矢。
「矢切の渡し」の写真拝借しました。
「矢切の渡し」っていい言葉。
矢が届かないほどの川だったのかな。

運河があるみたいで、昨日の記事の少年の飛び込みと近い?
国府ということは重要な場所?
須はスサノオ?
六所神社だ。六と八。
胡録神社って五六とも読めるね。
マヨさんが探している新田もある。

今日は神社の気分がしない。

ふと目に留まったのが、「手児奈霊神堂(てこなれいしんどう)」
真間の伝説上の女性手児奈を祀る霊堂とある。

なんかピンと来たぞ。

真間の方とはこの「手児奈」?


三神を生んだのはこの「手児奈」?


実はね、解読してるときに最初、
お母さんの意味の「ママ」に思えて仕方なかったの。


「手児奈霊神堂」Wikiより
『手児奈霊神堂(てこなれいしんどう)は、千葉県市川市真間に所在する伝説上の女性手児奈を祀る霊堂である。手児奈霊堂とも称される。
身なりはそまつだったが、とても美しい手児奈。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。という伝説から手児奈霊神堂が作られた。』



かぐや姫の原型かな?


「手児奈」
『手児奈(てこな)とは、下総国勝鹿(葛飾)の真間(現在の千葉県市川市)に奈良時代以前に住んでいたとされる女性の名前。「手古奈」、「手児名」などとも表記する。
手児奈は舒明天皇の時代の国造の娘で、近隣の国へ嫁いだが、勝鹿の国府と嫁ぎ先の国との間に争いが起こった為に逆恨みされ、苦難の末、再び真間へ戻った。しかし、嫁ぎ先より帰った運命を恥じて実家に戻れぬままとなり、我が子を育ててつつ静かに暮らした。だが、男達は手児奈を巡り再び争いを起こし、これを厭って真間の入り江(現在の真間川付近に広がっていた)に入水したと伝えられている。古くから語られていた伝説が、この地に国府がおかれた後、都にも伝播し、詩人たちの想像力をかきたてた。万葉集には高橋虫麻呂や山部赤人らによって詠われたこの伝説に関する歌が複数見られる。737年に行基がその故事を聞き、手児奈の霊を慰めるために弘法寺を開いた。現在は手児奈霊神堂に祀られている。また、亀井院には手児奈が水汲みをしていたとされる井戸が現存している。上田秋成による『雨月物語』の一編「浅茅が宿」は同じく下総葛飾の真間を舞台とし、手児奈の伝説をベースとしている。』



ほら、国造の娘ってあるでしょ!
でもなんかそれっぽくない?
これっぽいな。

真間の方=「手児奈」=三神の母
だとしたら
本当に日本の母、私たちのママになるんじゃない。

もっと驚くことみつけたよ。

手児奈が水汲みをしていた井戸は、「真間の井(ままのい)」というんだって!


わっ、ビックリ!


ほら、元伊勢「籠神社」にある「真名井神社」の真名井だよ。


「真名井」は「真間の井」のことだよ!
きっと、「真間の井」が元だよ。




凄い発見!
ちょっと興奮しちゃいます。
ぶっ飛びすぎ?
じゃ普通に考えてみましょうか。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200909/11/62/b0086362_1542546.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


真間の方が手児奈じゃなければ
三神=真間の方=スマルのミタマ(御魂、三珠)
(真間の方というのは真間の人という意味。)


カタカムナは暗号が何重にもなっていると思う。


次に「スマル」
これがよくわからない。
天王・天皇の意味にも考えられるけれど、
遡れば、出身国か出身国の王の名前かもしれない。
スバル(昴)で緯度経度検索するとまた中国だ。


緯度 28度49分57.95秒
経度 119度44分30.88秒

上海のすぐ南西。
まさか!この前の穴村の近くだよ。え~?!
中山王国(イザナギ、イザナミ)の南だ!
じゃ、maは昴の出身?

なあに、一体これは?

中山で検索すると
もっと南、香港あたりが出てくる。
上海でも香港でも日本には行きやすいよね。
う~ん。。。
半島から来たとばかり思っていたけれど、中国のほうが主力?


次に「ミタマ」
御霊・御魂もいいけれど、
せっかく三神なんだから三珠にしたい。
勾玉で考えれば三つの玉、三珠になる。

まず山梨県の三珠町がみつかった。
2005年に隣接する市川大門町と六郷町と対等合併して市川三郷町となった。
あっ、ここにも市川がある。

真間と三珠がつながった。


三珠で緯度経度検索するとまた中国。
え!チベット自治区?
なあにこれ?

三珠
緯度 29度26分42.45秒
経度 87度41分36.04秒

maはまさかここの出身?
三珠から昴に移動して日本に来た?
まさかねえ。。。

あっ、そうだ、チベットには有名な石「天珠」があったね。
この「天珠」で勾玉を作ったんじゃない?

ということはやっぱりここが元?
でもなんでチベットなの?
なんでよりによって密教なの?

http://pds.exblog.jp/pds/1/200909/11/62/b0086362_1520787.jpg',250,81,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
「天珠」を検索すると(写真拝借しました。)
馬の字が入った「瑪瑙瑪瑙」が出てくる。
「天珠」には水晶の100倍のエネルギーがあるといわれ、
魔を断ち、罪障や厄難を取り除き、生命、健康を守り、財運を呼ぶと言われているそう。

「天珠」とは天の眼の数珠という意味で、知恵を開き、
過去、未来が透き通って見えるとされる第三の眼に例えられている、とある。

じゃ、昨日のピラミッドの大きな目じゃない。
松果体とも書いたでしょ。


「天珠」Wikiより
『チベット西蔵から各地に伝わったことから、日本では「チベット天珠」または「西蔵天珠」と呼ばれている。メノウ、玉髄、カーネリアンなどを円筒形に加工し、表面に吉祥文様が焼き付けて、紐に通して身につける。特殊な染料を浸透させて高温で焼き付けされている紋様は、円の形を眼と表現している。「一眼天珠」から「二十一眼天珠」を基本として眼珠と呼んでいる。四十八眼天珠や百八眼天珠も出土されている。また、円と四角の形を組み合わせ、円が天で四角が地を表現して「天地天珠」と呼ぶものや、樹木や蓮華とか観音菩薩を模写した紋様など多彩な紋様がある。』


西蔵といえば孫悟空。
猿、申、神だ。
チベットも鉱脈が多いので有名。

「金屋子神」の説明に、「吾は西方を主る神」とあったでしょ、
中国、チベットは日本からみたら西になるから、
「金屋子神」はチベット、中国の神?
それとも古代イスラエルからチベット、中国を経由してやって来たの?
飛びすぎ?


またまた凄いことになってきた。
私の一人相撲?(笑



追記
真間は急な崖という意味のアイヌ語「ママ」に由来している、とWikiにありました。


・・・・・・・・・


資料として3年前に直感で解読したもの。

カタカムナ ウタヒ 7首
■マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ

(完全な魂 天の主 タカミ結び カムミ結び 約束の魂・鎮魂の魂)

完全な魂である
天の主「アマノミナカヌシ」は
「タカミムスヒ」と「カムミムスヒ」
の2神と約束した

真の魂である
天の神「アマノミナカヌシ」は
タカミムスヒとカムミムスヒを
蘇らせた

真の魂である
天の神「アマノミナカヌシ」は
タカミムスヒとカムミムスヒを
結んだ


⑦番は⑥番までのようにイメージが出来ません。
知ってる言葉があり邪魔しているせいかも知れない。



| カタカムナ | 15:46 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(5、酒、皇位争い) 追記


日本を入れたものの書き忘れがありました。

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ニ モ ロ ケ セ 
ユ エ ヌ オ ヲ 
ホ ン 



大瀬に、蝦夷、村、田んぼ、苗、室、墓、塚、稲、癒、穢、濡
大瀬に、蝦夷、村、本家、沼田、苗、稲、室、墓、塚、癒
日本、大瀬、蝦夷、村、沼田、苗、稲、室、墓、塚、穢、癒


大きな瀬(川)を中心にした
蝦夷の地の人々の日々の営みを描いているように思います。


それ以外にも単語だけを抜き出すと
(先ほどの蘇羅、茂呂・毛呂・諸を外して)
王、宗、鵺、由良、逢瀬、蘇、祖先(蘇先)、
羅、紋、門、湯江、江良、弓削、エタ、オモニなどがあって面白い。

舌でも書いていますが、
祖先という言葉の本当の意味は
ルーツが「蘇」なのかなと考えて蘇先にしました。


ユエ 
湯江、諫早市の地名

エラ 
江良、江良岳
恵良(大分県玖珠郡九重町)

ユゲ 
弓削 物部氏の一族の弓削氏

ソ 


ソセン 
祖先
祖先とはもしかして蘇先のこと?
私たちの祖先は蘇?
蘇民将来もこの蘇?

ヌエ 
鵺、(ぬえ)

このサイトでは、鵺=川勝になっています。

こちらのサイトでは
鵺は犬神、蛇神、猿神の大本とあります。

猿神は昨日の記事の、美作国の中山神社の猿神と同じかも知れない。
前に皆さんと盛り上がった神の「申」だと思えば、当然といえば当然かな。

ユラ
由良
由良比女命
由良比女神社(島根県西ノ島町)
「はちまんさん」と呼ばれる淡路島の由良湊神社
由良神社(宇和島)

由良山(ゆらやま)
(1)お火揚げ(おひあげ)神事
由良山のふもとにある清水神社は,神櫛王(かんぐしおう)をまつってある由緒ある神社です。
(5)伝説「由良山を巻く大竜」
昔から,由良山のご神体は竜であると言い伝えられています。由良山も竜がすむ山として頂上には竜王社をまつっています。
3由良石
由良石はねつに強く,加工しやすい。・・・・・皇居のしき石も由良石である。
由良山近くのぼ地にはこの時代のはか石が多く見られるが,年号入りのせい品で,由良石として一番古いのは,由良し水神社とれんしょう寺にある「手あらい石」で,どちらも元文2年(1737)としるされてある。
http://www.edu-tens.net/syoHP/kawasimaHP/meisyomeguri/yurayama/yurayama.home/yurayama.HTM

「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(3 、大嘗祭の原型)
の「クシ」、櫛の王が出てきた、
石も出てきて一連の記事にもやっぱりつながる。


| カタカムナ | 22:13 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(5、酒、皇位争い)


http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/12/62/b0086362_16145025.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


■カタカムナ ウタヒ 6首 
ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ

①蘇羅にモロ消せ 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か

蘇羅=新羅。
モロ=茂呂・毛呂・諸にして書き換えると

◎新羅に茂呂・毛呂・諸消せ 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か

②偽、蘇羅、諸家・茂呂家・毛呂家 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か

ソラを「サラ」に変えて
③更に茂呂・毛呂・諸消せ 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か


■ソ、ソラ
蘇羅の検索で古代史のページ「下照姫、和歌の元祖」がヒット。
この古代史のページによると、蘇羅=新羅=空になる。

ピラミッドで有名な広島県葦嶽山に蘇羅比古神社がある。
蘇といえば、蘇我氏。

香木の佐曾羅(さそら)もあった。

■ラ、ラソ
羅といえばすぐ中国、朝鮮半島をイメージする、新羅の羅、愛新覚羅の羅など。
中国の明代の新興宗教に羅教(無為教)の開祖の名が「羅祖」。
迦楼羅王(かるらおう)とかもみつかった。

■モロ、モロケ
茂呂家、毛呂家がある、地名もある。茂呂遺跡、茂呂橋もあった。

茂呂で検索すると
茂侶神社(もろじんじゃ)がヒット、また千葉、房総だよ。
ということは、モロも麻に関係あるかも知れないね。

Wikipediaによると
『茂侶神社は下総国葛飾郡にあった神社(式内社)で、
「茂呂」は大和三輪山の旧名「御諸山(みもろやま)」の「モロ」。
千葉県内の3つの神社が論社となっていて船橋市の茂侶神社の祭神は木花咲耶姫命』とある。

コノハナサクヤヒメが出てきたね。
サク、サケでまた酒につながりそうな気配。

こちらのサイトには
『現在の社名は茂侶神社だが以前は三輪神社と称していた。
茂呂神社の「茂呂」は、御諸(みもろ)の「もろ」という説や、
神の坐します「モリ」の転訛とする説がある。
大和三輪の大神神社を勧請したもの。』と書かれてある。

検索で、三輪神社は酒造りの神だということがわかった。
ということは、やっぱり茂侶神社もお酒だね。
お酒の諸味(モロミ)のモロだ。
お酒作りの室(ムロ)も近いね。

麻とお酒(お神酒)は神社にはかかせないもの。
モロ、ムロ、サク、サケ…


茂呂の人々によって祭られた稲荷神社。
稲荷神社もお酒だったかな。

更に検索すると御諸(みもろ)がヒット。
【みもろ 【御諸】
〔「もろ」は「もり」と同じく神の降下してくる場所の意〕神をまつる樹木。鏡や木綿(ゆう)をかけて神をまつる神座。】

御諸分王 (みもろわけのおう)がヒット。
でも一件だけしかヒットしなくて御諸別王ではたくさんヒットする。
崇神天皇の第1皇子の豊城入彦命の孫が彦狭島命でその子供が御諸別王。
御諸別王は陸奥での蝦夷の騒動を治め善政をした人らしくとても評判がいい。
皇位争に敗れ流された皇子?

「神話の森 >歌語り風土記」にはこう書かれてある。
『景行天皇の御代に、豊城入彦(とよきいりひこ)命の曽孫の御諸別(みもろわけ)王が、東山道の十五か国を拝領したとき、陸奥で蝦夷の騒動があった。王は即座にこれを平定し、以来東国に浪風は無い。 当時の武蔵国入間郡は、国民も少く田畑も荒廃し、これを歎いた御諸別王は、天皇に奏上して、大和、山城、河内、伊賀、伊勢の五国の多里人・八百九十七人を武蔵国入間郡に移住させ、多里郡(大里郡)を置いた。御諸別王は、郡の鎮守として新宮を造って天照大御神をまつり、その末子を神官とした。御神体は、天照大御神が高天原で機を織るのに使ってゐた御筬を、天穂日命が賜り、子の建比奈鳥命へ伝へ、これを東国守護の形見として、豊城入彦命、彦挟島(ひこさしま)王、御諸別王と受け継ぎ、ここにまつられたものである。(大里郡神社誌)』

別のサイトには
御諸別王は穴咋村を拠点にしたとある。またもや「穴」。そして「サク」。
火矢を放って敵を倒したので穴咋村から“火矢利”に改称したともあった。

「流され王伝説」には
『この御諸別王の名前、先祖の豊城入彦が御諸山に上って皇位争に敗れた、その屈辱を負う名にちがいないのです。』とある。

モロは、この御諸別王っぽいかな。
茂呂家、毛呂家は御諸別王の流れかもしれない。


御諸(みもろ)神社
【伏見にある徳川御三家の産土神・御香宮神社、元の名は御諸(みもろ)神社と言う。貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香りこの水を服用すれば病気がたちどころに治るといわれれ御香宮に変えた。あるいは福岡市香椎町の香椎宮)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説がある】

御諸神社から御香宮神社に名前を変えて徳川御三家の産土神になったんだね。
権力抗争の結果?
この”水が芳しく四方に香り”ってお酒じゃない?
伏見といえばお酒、だから最初は御諸神社だったんだ。


噂の葛城山にも「御諸」が。
「国つ神」葛城の神の没落▼大和最高の霊地・葛城 というタイトルで
『葛城氏の故地は奈良盆地南西部(現御所市周辺)である。大王家の御諸・三輪山麓とは、盆地を介して東西ににらみ合うような位置にある。もう一つの「御諸」葛城山とは北嶺(現葛城山)と南嶺(現金剛山)から成るが、この山麓には『延喜式・神名帳』が定める最高の社格を持つ神社が五社ある。これと同格の神社は、「大和」全域でたった七社、うち大神(おおみわ)神社など四社が三輪山麓にあり、その他の地にあとの三社がある。この数は葛城の地の威容を示すものである。』とある。

御諸山の上に坐す神には
『岩波文庫の注釈には、御諸山は、奈良県の三輪山のことで、大神神社の祭神だと書いてあります。著者の倉野憲司氏は、倭は、大神神社の西にあると考えておられることになります。しかも、三輪山に大物主の神が、住んでいたことにしておられます。』とある。

御諸の山の神には
『海から来た神様が祭られた、御諸(みもろ)の山は奈良盆地の東側にある三輪山です。この山をご神体として祭っている神社が大神神社で、本殿を持たないで山を拝むという原始信仰を留めている神社です。』とある。


呼び方は違うけれど山形には義経が平泉に向う途中に立寄ったと言う
御諸皇子神社 (ごしょのおうじじんじゃ)があった。


■セニ
大祓い祝詞に出てくる瀬爾(セニ)
柿本人麿二の歌にも出てくる。

瀬爾を検索すると、大津市の佐久奈度神社がヒット。
昔から伊勢の神宮にお参りするにはまずこの佐久奈度で禊ぎをするのが慣わしだったとか。
大祓い祝詞の「佐久那太理」はこの佐久奈度を意味するそう。

偶然、「ワニ」が見つかった。
天足彦国忍人命の三世孫、彦国葺命の後の和邇部(わにべ)。

丸部氏:和爾の一族
和爾下神社(天理市)

また偶然に「ヒタ」もみつかった。
巨勢ヒ田朝臣(こせのひたのあそみ


・・・・・・・・・


資料として3年前に直感で解読したもの。

■ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ

(空にたくさんの星 ゆえに王 たくさんの稲 カタカムナ)


カタカムナは
空にたくさんの星
地上にたくさんの食糧
をこしらえた
ゆえに王
カタカムナ

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日向はやっぱり暗号?


昨日、「カタカムナ ウタヒ」暗号?(4 、王の術、統べ、そして日向)」
日向のことを書いたばかり、相変わらず連動する。
やっぱり私の暗号解読が当たっているんじゃないかな。
日向は32度か。。。


発生時刻 2009年8月5日 12時51分ごろ
震源地 日向灘
緯度 北緯32.5度
経度 東経132.1度
深さ 30km
規模 マグニチュード 5.0
震度4 大分県 大分県南部 佐伯市 佐伯市蒲江

その他、愛媛、熊本、宮崎、高知、岡山、広島、山口、福岡、長崎、鹿児島で揺れた
岡山、広島、山口、九州といえば、やっぱり
「閉じ込められた神が動きだした?」シリーズが連動してるね。


昨日の朝、噂の淡路島でも発振
4日 5時56分ごろ 淡路島付近 深さ 10km M2.5

8月に入ってまだ5日なのに、震度3以上が5回、そのうち震度4が2回。

| カタカムナ | 16:05 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(4 、王の術、統べ、そして日向)


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■カタカムナ ウタヒ 5首
ヒフミヨイ    マワリテメクル  ムナヤコト   アウノスヘシレ     カタチサキ

良い秘文    回りて巡る      宗夜毎     王の術(統べ)知れ   容咲き
一二三四位   回りて巡る     宗八事     王の術(統べ)知れ   容咲き
一二三射よ   久留米で回り   宗矢事     王の術(統べ)知れ   容咲き
伊予の秘文   マ割りてめくる   宗夜毎    王の末知れ       象潟地

以上。


要は宗像の王(マ)が王となる術、統べのことかと思います。
ヤは矢であり八つの事であり夜毎であり、王を象徴、神事を思わせます。
一つには決めれなかったので全部載せましたが、内容を入れ替えもいいと思います。

割り手は割く意味で使いましたが、割手なら手形割引になるようです。
象潟は秋田県象潟「九十九島」のこと。
チサキで万葉集に出てくる「ちさの木」もあります。


カタカムナ ウタヒを更に暗号風に縦読みしてみたら
何だか凄い展開になってきた。更にぶっ飛びです。

フ ミ ヨ イ
ワ リ テ メ ク ル
ナ ヤ コ ト
ウ ノ ス ヘ シ レ
タ チ サ キ

と縦にするとこうなります。
ヒムカアマ フワナウタ ミリヤノチ ヨテコサス イメトヘキ クシ ルレ

日向天
舟歌は、罠歌う、不和な歌、不破な歌、双縄(う)、
血のり止み、地の利闇、矢地の美里、ミリヤの地(?)
須佐横手
壱岐へ泊め
暮れ知る、呉知る

以上。

これで解読すると
天の日向で争いが起き、ようやく終わり
日向の人々が舟で壱岐を通り
出雲の須佐、あるいは東北へ向かう悲しげな姿がみえます。


*象潟と同じく矢地も山形、秋田の地方にあるようです。
山形県には谷地八幡宮(やじはちまんぐう)もありました。

呉知るだと、三国の呉か?

クシは変換で多くの漢字が出ます。
クシ=九氏にするとこういうものがヒット
呂鴛九氏死去 北朝鮮祖国統一民主主義戦線議長
馬英九氏、中国国民党主席に当選 - 中国国際放送局

・・・・・

参考資料

3年前に直感で解読したもの。
■カタカムナ ウタヒ 5首
ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ

(1 2 3 4 5 周り、巡りて 6 7 8 9 10 廻り会いて カタチ咲き)

(火、風、水の始まり 周り巡りて コトが成就する 廻り会いて カタチ咲き)

火、風、水の始まり
正しき自然の循環
正しきヒトの循環
ヒトとヒトが廻り会いて 
そこにカタチの花が咲く

| カタカムナ | 15:14 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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宗像、ムナ、ムネ


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ウタヒの言葉は半島の言葉とリンクするものが多い。
ホツマツタエも似ているからどちらも大陸のものでしょうか。
神代文字といわれるものはみなそうなんじゃないかな。

ウタヒ5首を今みていて、ムナはムネ、宗像と同じ意味だろう、
と思って、高句麗語とムナで検索したら見つかった。
(このサイト、地名のことで前に一度チラッとみたサイトだ。)
しかも辿れば匈奴・フン族だって。
マヨ博士がよく言ってる匈奴・フン族の登場だ。
じゃ、マニ教とは関係ないの?
しかも宗像王は素戔嗚尊で諏訪(通化)王だって、本当?
また考察してみよう。
なんか偉いことになってきて大変そう、嫌だな。
しんどくなったら止めるかも。(ペコリ)

コメントで話題のDNAのことも出てきた。
朝鮮半島の人たちの中にも縄文人と同じDNA配列を持つ人がかなりいるそうですよ。
先ほどの「豊」も出てくるので内容を一部転載しますので、個々で判断してくださいね。


■宗像神のムナはmuneが語原
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/hun/0610.html
豊はブンの地、フン族の略だ
「豊」は漢音では「フン」、韓語では「ブン」という。その「フン・ブン」は古代ユーラシアで「古代を終焉させた」と言われるフン族のHUNEからきたものだ。・・・・・とくに宗像神社の「宗(むね)」もフネ・ブネの変わり身であることはすでに知っている。そのHUNEの列島での正体がなぜ、地名学的に明らかに出来なかったかといえば、それは日本が海に囲まれているからである。海岸線に根を下ろしたHUNE(フン族)が、たやすく「船」という字を隠れ蓑にしてひそかに身を隠すことができたからだ。

■地名原理はBC4世紀、支配地差別の烙印として生まれた
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/identity/toppage.html

素戔嗚尊は宗像王で諏訪(通化)王
・・・宗像(むなかた)にフン族の「mune」が含まれていることは前にも言った。おそらく間違いないだろう。では諏訪は、これも旁の音・訓が「すかた」と読める。いっぽう、諏訪(スハ)は通化の韓語読みであることは前述したとおりだ。つまり、上の図で九州に「稲荷」を置いたのはそのためだ。
 
その「宗像」を韓語の音訓で読むと「スジャン」となる。その王となると「スジャン王」だ。続けて読むとまさに「須佐(スジャ)の王(ンノオー)」となるのである。驚きの展開だが、億ウソは神話に出てくる素戔嗚尊もここからきていると思っている。つまり高句麗の王都・スハ(通化)王と読めるのである。それが宗像(muna-kata)に変わるのはhune(フン族)の作為である。
 
稲荷(トウカ)は豊受(とうか)ともいい「食糧・穀物の神」と定義されているが、これも4・5世紀、高句麗の南下で怒涛のように渡ってきて「食糧増産」「新国土開拓」を担った大プロジェクトの記憶が投影しているものと見ている。・・・

文末の「HUNE」とは宗像のムナであり、新羅の旨(ムネ)、武寧王のムネでもある匈奴・フン族のことだ。

以上。


ついでにこのブログの管理人が各国の言葉に詳しいみたい。
半島の安羅とアラビアのアラが似てるね。
■shukran@world: アラビア語・各国語
http://shukran.cocolog-nifty.com/blog/cat20026802/index.html


それからムナは聖書で「神のお金」の意味でイエスがその場面に登場。
上の諏訪(通化)王の通化を通貨にしたらお金になるね。


カタカムナの神は宗像の神、これは間違いないと思う。
ただ宗像の神が今後何につながっていくかだけど、今日は天照だった。
これだとスサノオとは違うような。





| カタカムナ | 16:53 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(3 、大嘗祭の原型)


http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/01/62/b0086362_13455956.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


■カタカムナ ウタヒ 4首
イハトハニ カミナリテ カタカムナ ヨソヤコト ホグシウタ


すこし並べ替えて
イハトハ  カミニナリテ  ムナカタカ    ヨソヤコト    ホグシタウ
岩戸は   神に成りて   宗像が     四十八夜事    ほぐしたう

またすこし並べ替えて
イハトハ  カミニナリテ  ムナカタカ   ヨソヤトコ    ホグタウシ
岩戸は   神に成りて   宗像が    四十八夜床    北東死


この二つをまとめると
宗像は岩戸で四十八夜、北東枕で死ぬ(眠る)事で、ほぐす行事で神になる

まるで大嘗祭のよう。

これを古代史的に考察すると、
亡くなった王は岩戸(石棺、磐と、岩室、古墳)で四十八夜経過すると神になる。
これを模したのが大嘗祭。


どう?
ね、どう?
面白いでしょ。
まだ着いてこれない?


ほぐすは肉体をほぐす、解体、生まれ変わりの意味でしょう。
ほぐして新たに生まれ変わる。

”ほぐ”で”はぐ”(剥ぐ、接ぐ)を連想。
剥いでつなぎ合わせる。これでも大嘗祭っぽい。
ほぐとはぐは近似してるね。
英語のハグも面白いよ。
絹の布団にくるまれて王が神になる映像を連想してみて。


ヨソヤを検索すると
四十八神(アワの神)がヒット。また「アワ」だ。

「ホツマツタエ 天の巻 14アヤ」の「天上のヨソヤ(四十八)神」がヒット。
やっぱり、四十八夜で神になるんだね。

「孝霊天皇の崩年について」の
「ミコのモハ ヨソヤにぬぎて 皇太子の喪服 四十八日に脱ぎて」もヒット。

韓国名のヨソヤもあったよ。


次にコヤソで検索。
「デウィ・ナガ・ブラン・ゲネトリ・コヤソ」がヒット。
(月の女神 愛と性を司る龍神  地球上の霊すべてを司る女神
ウィディアソ、シヴァ、ウィスヌブラフマ、クリスナ、バルーナ、黄金龍と夫婦関係 
太陽系を愛で結んでいる)とか書いてあった、


次に
「ヨソヤコト ホグシウタ」で気になったのがトヨとクシとホ。
トヨは豊のついた神、豊受比売、豊雲野神、豊玉姫神、豊日別大神かな。
クシ、ホはニギハヤヒの正式名。
昨日の玉もニギハヤヒの正式名にある。

これだけで充分、天照という名前に関係するのは間違いない。
ここに岩戸が加われば、もう天照から逃げようがない。


クシを検索すると
神櫛王(かむくしのみこ・かみくしのみこ、生没年不詳)がヒット。
更に櫛明玉神は羽明玉(はかるたま)、豊玉(とよたま)、天明玉(あめのあかるたま)、
玉屋命(たまのやのみこと)、櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)
親は伊奘諾尊(いざなきのみこと) 、子孫は 玉作部(たますりべ) というのもヒット。


こんなものもみつけた。

クシとトヨ -門神-
門神の信仰は、中国から来たもので、道教の影響だろう。
http://www.genbu.net/zatu/zatu007.htm
クシとトヨ -神霊-
「櫛」と「豊」という字は神名に良く使用される美称らしい。
http://www.genbu.net/zatu/zatu008.htm


更にクシは酒の意味らしい。ここでも酒つながり。

32. 酒(さけ) - 語源由来辞典
また、酒は古く「クシ」とも呼ばれ、酒の神様を「久志能加美、久斯榊(クシの神)」と言う。
http://search.gogen-allguide.com/search.cgi?start=30&q=%90_&num=10&sort=1

酒の古名は大別して4つあった。「サケ」、「ミキ」、「クシ」、「ミワ」である。
http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/ikeq/setumei/no06/page03.htm   
次に「クシ」であるが、これは薬と関係があった。江戸期の国学者・平田篤胤(ひらたあつたね)は「志度乃石室」に「久斯(くし)ノ神スナワチ薬ノ神デゴザル」と記し、同じく国学者の伴信友も「方術源論」の中で「久志(くし)薬の神と云ふべき」と記述している。つまり、「クシ」は「クスシ」(昔は「クスシ」といった)の約言であった。



参考資料

3年前に直感で解読したもの。
■カタカムナ ウタヒ 4首
イハトハニ カミナリテ カタカムナ ヨソヤコト ホグシウタ

(永久に カミ成りて カタカムナ 日毎 ウタヒを解せよ)
永遠にカタカムナのカミは成る。日毎、カタカムナのウタヒを解しなさい。

(岩戸に 雷(カミ、鳴り成りて) カタカムナ 日毎 ウタヒを解せよ)
モーゼが石版を受けた十戒のシーンを思い出しました。じゃあ、石版はウタヒ?

①番のウタヒでは、そのまま飲み込みなさい、と言ってるように思えるのに、
④番では解しなさいと言ってるのが面白い。もちろん、わたし独自の解釈ですが。


| カタカムナ | 14:09 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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「カタカムナ ウタヒ」は暗号?(2、マニ教)


トンでもないぶっ飛びで誰も着いて来れないでしょうから、
スピードを落として今日はもっと分かりやすく書いてみます。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200907/31/62/b0086362_11391854.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


■カタカムナ ウタヒ 3首
フトタマノ ミ ミコト フトマニ ニ

ストレートに訳して
フトタマノ ミミコト フトマニニ
①太玉の御命(神子、皇子)、太マニ(摩尼)に

フトタマで検索したら神名で「天太玉命」が出てきた。
天太玉命はタカキネの第三子でナガスネヒコ・ミカシヤ姫・アメトミの祖父。
テルヒコの左の臣で共にアスカに下るとある。
面白いのはこの神社の名前。
千葉県館山市大神宮、安房(アワ)神社。
「アワ」だよ!
ほらね、だんだん怪しくなってきたでしょ?

安房神社のHPでは神社の創始は今から2660年以上前、
神武天皇が初代天皇として即位した皇紀元年(西暦紀元前660年)とある。
安房国の「一之宮」、国内の全ての産業の総祖神で、
明治の社格制度で最高位の社格「官幣大社」になり、
太平洋戦争終結まで国家の管理下に置かれることになったともある。

「天太玉命」は何となくアマテラスに関係してそうなので、
千葉県館山市大神宮で検索すると緯度34度。
マヨ博士のいう太陽の道だ。
やっぱり、アマテラス関係だね。
でも、昨日の宗像に関する場所はは33度。
33から34へ移動?34から33へ移動?
ここがどうつながってくるか。

安房(アワ)神社
緯度 34度55分23.46秒(34.923183)
経度 139度50分14.42秒(139.837339)

この経度に見覚えがある。。。
確か浅草寺?

浅草寺
緯度 35度42分53.01秒(35.714724)
経度 139度47分48.26秒(139.796739)

やっぱり、近い!
「ア」つながり、カタカムナつながりの神社と寺はほぼ真っ直ぐ。

やっぱり「閉じ込められた神が動きだした?」 シリーズにつながりそうでしょ。

「天太玉命」を採用すると
①天太玉命は太マニ(摩尼)になる


次に
フトタマノミ ミコト フトマニニ
③太玉飲み命(神子、皇子)は太マニ(摩尼)に

次にカタカナを入れ替えて
タマノ ミミコト フトマニニトフ
②玉の御命(神子、皇子)は太マニ(摩尼)に問う

③太玉飲んだ命(神子、皇子)は太マニ(摩尼)に

追記
④フトタマノ ミミコト フトマニニ
太玉の 耳事(耳言)、フトマニに
太玉(天太玉命)が耳で聞いた事、言葉をフトマニにした



さて「マニ」を何にしようか。。。

ホツマツタエのフトマニ図もある。

ウィキより
フトマニ
『フトマニ』は、ホツマツタヱと同様の文字で書かれた古文書である。『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』が「歴史書」であるのに対し、『フトマニ』は占術と関係の深い歌集である。『フトマニ』によれば編集者はアマテルカミ(天照大神)である。『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』と同様に、確実に遡ることができるのは江戸時代までである。「太占」と漢字表記することもあるが、「太占」は亀の甲羅をつかった占いであり、ヲシテで書かれた『フトマニ』とは別のものである。

マニ教
マニ教(-きょう、 摩尼教、英:Manichaeism)は、サーサーン朝ペルシャのマニ(210年 - 275年ごろ)を開祖とする宗教。ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを汲む。 かつてはスペイン・北アフリカから中国にかけてのユーラシア大陸で広く信仰された世界宗教だったが、現在では消滅したとされる。マニ教は、過去に興隆したが現在では滅亡した(信者が消滅した)宗教のうちで、代表的なものである。

マニ (預言者)
マニ(Mani, ペルシア語:, シリア語:)はサーサーン朝ペルシア時代の予言者で、グノーシス主義の影響を受けた宗教、マニ教の開祖。210年生~276年没。

マニの両親はユダヤ教新興教団に属しており、マニも幼少の頃からユダヤ教の影響を受けた。その後、ゾロアスター教やキリスト教・グノーシス主義の影響を受けて、ユダヤ教から独立した宗教を樹立した。24歳の時に啓示をうけ、マニ教を開教したとされる。ペルシャ・バビロニア・インド・中央アジア地方で伝道の旅を続けたものの、当初は信者を獲得するに至らなかった。マニがサーサーン朝のシャープール1世に重用されると、ペルシャを中心に信者を増やしたが、その後サーサーン朝がゾロアスター教を国教と定めるとともに迫害された。マニ自身は、ゾロアスター教のマギカルティールに陥れられて殉教した(一説によると獄死した)。世界宗教の教祖としては珍しく、マニ自身は自ら経典を書き残したが、マニ著筆の経典は散佚している。



以上。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200907/31/62/b0086362_12212721.jpg',300,162,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
このマニ教の図はウイキより拝借。


私は勘で、マニ教を採用したい。
宗像、宗像神はペルシャから東南アジア、あるいは中国を経由してやって来た人たち?
でも追記の④番も面白い。
それでもマニはマニ教からきてるんじゃないかな。



参考資料

3年前に直感で解読したもの。
■カタカムナ ウタヒ 3首
フトタマノ ミ ミコト フトマニ ニ

(大きな意志、命 は 大きな真のこころに)

カミの意志、宝もの、身 は 真のこころを持っている人間に宿る
(その後考えたら、一瞬に宿るもありかなと。)


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