http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/12/62/b0086362_16145025.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>■カタカムナ ウタヒ 6首
ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ
①蘇羅にモロ消せ 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か
蘇羅=新羅。
モロ=茂呂・毛呂・諸にして書き換えると
◎新羅に茂呂・毛呂・諸消せ 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か
②偽、蘇羅、諸家・茂呂家・毛呂家 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か
ソラを「サラ」に変えて
③更に茂呂・毛呂・諸消せ 云えぬ王(故に王) 本音云えずは 宗像か
■ソ、ソラ
蘇羅の検索で
古代史のページ「下照姫、和歌の元祖」がヒット。
この古代史のページによると、蘇羅=新羅=空になる。
ピラミッドで有名な広島県葦嶽山に蘇羅比古神社がある。
蘇といえば、蘇我氏。
香木の佐曾羅(さそら)もあった。
■ラ、ラソ
羅といえばすぐ中国、朝鮮半島をイメージする、新羅の羅、愛新覚羅の羅など。
中国の明代の新興宗教に羅教(無為教)の開祖の名が「羅祖」。
迦楼羅王(かるらおう)とかもみつかった。
■モロ、モロケ
茂呂家、毛呂家がある、地名もある。茂呂遺跡、茂呂橋もあった。
茂呂で検索すると
茂侶神社(もろじんじゃ)がヒット、
また千葉、房総だよ。
ということは、モロも麻に関係あるかも知れないね。
Wikipediaによると
『茂侶神社は下総国葛飾郡にあった神社(式内社)で、
「茂呂」は大和三輪山の旧名「御諸山(みもろやま)」の「モロ」。
千葉県内の3つの神社が論社となっていて船橋市の茂侶神社の祭神は木花咲耶姫命』とある。
コノハナサクヤヒメが出てきたね。
サク、サケでまた酒につながりそうな気配。
こちらの
サイトには
『現在の社名は茂侶神社だが以前は三輪神社と称していた。
茂呂神社の「茂呂」は、御諸(みもろ)の「もろ」という説や、
神の坐します「モリ」の転訛とする説がある。
大和三輪の大神神社を勧請したもの。』と書かれてある。
検索で、三輪神社は酒造りの神だということがわかった。
ということは、やっぱり茂侶神社もお酒だね。
お酒の諸味(モロミ)のモロだ。
お酒作りの室(ムロ)も近いね。
麻とお酒(お神酒)は神社にはかかせないもの。
モロ、ムロ、サク、サケ…茂呂の人々によって祭られた稲荷神社。稲荷神社もお酒だったかな。
更に検索すると御諸(みもろ)がヒット。
【みもろ 【御諸】
〔「もろ」は「もり」と同じく神の降下してくる場所の意〕神をまつる樹木。鏡や木綿(ゆう)をかけて神をまつる神座。】
御諸分王 (みもろわけのおう)がヒット。
でも一件だけしかヒットしなくて御諸別王ではたくさんヒットする。
崇神天皇の第1皇子の豊城入彦命の孫が彦狭島命でその子供が御諸別王。
御諸別王は陸奥での蝦夷の騒動を治め善政をした人らしくとても評判がいい。
皇位争に敗れ流された皇子?
「神話の森 >歌語り風土記」にはこう書かれてある。
『景行天皇の御代に、豊城入彦(とよきいりひこ)命の曽孫の御諸別(みもろわけ)王が、東山道の十五か国を拝領したとき、陸奥で蝦夷の騒動があった。王は即座にこれを平定し、以来東国に浪風は無い。 当時の武蔵国入間郡は、国民も少く田畑も荒廃し、これを歎いた御諸別王は、天皇に奏上して、大和、山城、河内、伊賀、伊勢の五国の多里人・八百九十七人を武蔵国入間郡に移住させ、多里郡(大里郡)を置いた。御諸別王は、郡の鎮守として新宮を造って天照大御神をまつり、その末子を神官とした。御神体は、天照大御神が高天原で機を織るのに使ってゐた御筬を、天穂日命が賜り、子の建比奈鳥命へ伝へ、これを東国守護の形見として、豊城入彦命、彦挟島(ひこさしま)王、御諸別王と受け継ぎ、ここにまつられたものである。(大里郡神社誌)』
別のサイトには
御諸別王は
穴咋村を拠点にしたとある。またもや「穴」。そして「サク」。
火矢を放って敵を倒したので穴咋村から“火矢利”に改称したともあった。
「流され王伝説」には
『この御諸別王の名前、先祖の豊城入彦が御諸山に上って皇位争に敗れた、その屈辱を負う名にちがいないのです。』とある。
モロは、この御諸別王っぽいかな。茂呂家、毛呂家は御諸別王の流れかもしれない。
御諸(みもろ)神社
【伏見にある徳川御三家の産土神・御香宮神社、元の名は御諸(みもろ)神社と言う。貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香りこの水を服用すれば病気がたちどころに治るといわれれ御香宮に変えた。あるいは福岡市香椎町の香椎宮)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説がある】
御諸神社から御香宮神社に名前を変えて徳川御三家の産土神になったんだね。
権力抗争の結果?
この”水が芳しく四方に香り”ってお酒じゃない?
伏見といえばお酒、だから最初は御諸神社だったんだ。
噂の
葛城山にも「御諸」が。
「国つ神」葛城の神の没落▼大和最高の霊地・葛城 というタイトルで
『葛城氏の故地は奈良盆地南西部(現御所市周辺)である。大王家の御諸・三輪山麓とは、盆地を介して東西ににらみ合うような位置にある。もう一つの「御諸」葛城山とは北嶺(現葛城山)と南嶺(現金剛山)から成るが、この山麓には『延喜式・神名帳』が定める最高の社格を持つ神社が五社ある。これと同格の神社は、「大和」全域でたった七社、うち大神(おおみわ)神社など四社が三輪山麓にあり、その他の地にあとの三社がある。この数は葛城の地の威容を示すものである。』とある。
御諸山の上に坐す神には
『岩波文庫の注釈には、御諸山は、奈良県の三輪山のことで、大神神社の祭神だと書いてあります。著者の倉野憲司氏は、倭は、大神神社の西にあると考えておられることになります。しかも、三輪山に大物主の神が、住んでいたことにしておられます。』とある。
御諸の山の神には
『海から来た神様が祭られた、御諸(みもろ)の山は奈良盆地の東側にある三輪山です。この山をご神体として祭っている神社が大神神社で、本殿を持たないで山を拝むという原始信仰を留めている神社です。』とある。
呼び方は違うけれど山形には義経が平泉に向う途中に立寄ったと言う
御諸皇子神社 (ごしょのおうじじんじゃ)があった。
■セニ
大祓い祝詞に出てくる瀬爾(セニ)
柿本人麿二の歌にも出てくる。
瀬爾を検索すると、
大津市の佐久奈度神社がヒット。
昔から伊勢の神宮にお参りするにはまずこの佐久奈度で禊ぎをするのが慣わしだったとか。
大祓い祝詞の「佐久那太理」はこの佐久奈度を意味するそう。
偶然、「ワニ」が見つかった。
天足彦国忍人命の三世孫、彦国葺命の後の和邇部(わにべ)。
丸部氏:和爾の一族和爾下神社(天理市)また偶然に「ヒタ」もみつかった。
巨勢ヒ田朝臣(こせのひたのあそみ)
・・・・・・・・・
資料として3年前に直感で解読したもの。
■ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ
(空にたくさんの星 ゆえに王 たくさんの稲 カタカムナ)
カタカムナは
空にたくさんの星
地上にたくさんの食糧
をこしらえた
ゆえに王
カタカムナ