2008年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年05月

| PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

宇宙関連


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_231563.jpg',400,301,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

早い時期の宇宙ではよく見られた大きな銀河の衝突
まるで弾丸のように小さな銀河が大きな銀河に向かっていき
衝突し破壊される様子のビデオです。(見ごたえがあります)

Hubble captures colliding galaxies
http://jp.youtube.com/watch?v=lXy3B2K47Qg



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_235429.jpg',400,304,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

Stars Flare Into Life Around A Massive Black Hole
Omega Centauri is one of the biggest star clusters orbiting our own galaxy, with the light of millions of stars blazing from it ― including some visible with the naked eye. But those stars aren't all the same age, as this new image from the Spitzer Space Telescope shows. Combining visible and infrared images, this new composite shows a mixture of ancient stars (which are red) and younger stars, like our own sun (which are blue). And click through for new evidence that all those stars may be circling a massive black hole at Omega Centauri's core.



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_236233.jpg',400,293,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

A Galaxy Unwinds, 140,000 Light Years From Its Core
Baby stars spring to life at the supposedly desolate fringes of the Southern Pinwheel Galaxy, also known as M83, in this new image from NASA's Galaxy Evolution Explorer. Up to 140,000 light years from the galaxy's center, the outer arms of its "pinwheel" shape seem to flap away from the center like "giant red streamers," and these extended galaxy arms are giving birth to a surprising number of new stars. Want to see another image of the pinwheel galaxy extending itself?



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_233172.jpg',250,196,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

Monster black hole found escaping home galaxy
A mammoth black hole has been discovered fleeing its host galaxy at high speed, according to a controversial new study. The galactic eviction may be the result of a violent merger between two black holes.



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_2335832.jpg',290,212,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

Mirrors on the Moon could catch alien eyes
Mounting mirrors on the Moon and using them to signal across space could let ET know we Earthlings are here.
Ever since radio broadcasts began we've been trumpeting our presence to nearby parts of the galaxy, so far without reply. To improve the chances of being found, Shawn Domagal-Goldman and Jacob Haqq-Misra of Pennsylvania State University in State College reckon we should cover half of the Moon with mirrors.



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_2343023.jpg',290,164,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

Is there a hidden order to the Northern Lights?
The shifting, shimmering Northern Lights might be more ordered than anyone realised. New observations suggest that, contrary to expectations, some of the colourful light shows appear to be polarised, with their electromagnetic waves lined up in a common orientation.



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_235452.jpg',290,218,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

Cosmic time warp revealed in slow-motion supernovae
Once upon a time, time was different. Supernova explosions in the early universe appear to age more slowly than today's supernovae, as if time itself was running slower back then, according to a recent series of astronomical observations. This cosmic time warp is exactly what should be produced by the expansion of the universe, confirming conventional big bang theory.

| 未分類 | 23:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『ダライ・ラマの陰』


ayさんにまたまた貴重な情報をいただきました。
ありがとうございます。

ご紹介のサイトの中に『ダライ・ラマの陰』というページがあります。
「ダライ・ラマの本当の顔」とは比較にならない情報量。
とにかくものすごい情報量ですが興味ある方はごらんになってください。
麻原とダライ・ラマの関係も非常に詳しく出ています。
地下鉄サリンのあとにも二人は合っているし、二人は親友だとあります。

どうしてこういった情報が国内では手に入らないか不思議です。

機械翻訳でも内容が結構わかると思います。
私も昨夜から機械翻訳で読み始めていますがとにかく凄いです。
まだ読み始めたばかりで結果を出すのは早いですが
”タントラ儀式”を使用した”操作”
世界支配がラマ教の核心のような雰囲気で
どうやら、ダライは世界の王に君臨したいようです。

ダライたちがやっていること、やろうとしていること
とんでもなくオカルティズムです。

タントラのことはどこかで名前を聞いていたくらいでこれで初めて知った。
昨日、ヒオキさんから「ヤントラというのもあるよ」と聞いて
マントラ、タントラ、ヤントラ、
この一字違いの言葉が怪しいと思った。

映画にもなった
若いダライ・ラマの家庭教師だったハインリヒ・ハラーは
ナチ党員のSSメンバーだったんですね。

西欧の合理主義はオカルティズムから出ているそう。

このページの最後の部分『17. CONCLUSION(結論)』だけでも
訳してみたいけれど、翻訳疲れでまだその気になれません。
英語得意な方が翻訳してくれると助かります。

しばらくこのサイトで探検してみます。

Dalai Lama, Tibet, Lamaismus
THE SHADOW OF THE DALAI LAMA
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_22432664.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
カリフォルニア 29日にM5.2、地震の前に『ソニックブーム』のような音が先行
非常に大きな雑音でかなり怖かったとの報告、地震は10秒ほど揺れた

メキシコ、カリフォルニア、リノ、バンクーバーでも発振

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_2244251.jpg',96,100,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
バングラデシュ サイクロン
フィリピン 酷い洪水で収穫に大きな損害
スリランカ Ratnapura、Kalutara、ガレなどで豪雨、洪水、地すべり、6人死亡

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_22443821.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
オーストラリア 20センチの雪
同じくオーストラリアのNSWは洪水で酪農に大きな損害

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_22445748.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
米 ヴァージニアで三つのトルネード
テキサスは季節はずれの寒波
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_23295910.jpg',100,66,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
カリフォルニアは火事で1,000人避難

タイ
世界的に食料価格が急騰しているがタイ(世界最大の米輸出者)は米不足を
被っていず穀物を輸出し続けます。タイはここまで少しの輸出規制もしていない。
しかし、輸出が1100万~1200万トンになるなら規制するかも知れない。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/30/62/b0086362_22452937.gif',360,173,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
太陽黒点がないのに
26日に何故かフレアが発生し科学者は困惑

| 未分類 | 12:28 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

中国について、そして、人間について



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/29/62/b0086362_22211580.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


中国については
世間で言われるような特別な感情は抱いていないし
逆に、一連の中国バッシングは陰謀じゃないかと書いたくらいで
中国映画に関すること以外何も書いたことはない。

昨夜、少し書いたように
欧米から発信される世界中で発生する
中国バッシングは黄色人種差別だと私もそう思う。
白人の国だとここまで叩かれないと思う。
最近は国内の異常な中国嫌いの暴言とも言える
発言をネットで見かけて恐ろしさえ感じる。
このまま行けば恐ろしいことが起きる予感がする。

日本が戦争を始める前はこんな風だったんじゃないかと、
日本もこうやっていじめられたんじゃないだろうか、
その日本が同じ事を同じ有色人種にしているように
私にはそうみえます。

一連の中国に関することは
多くの人を中国嫌いにさせて
特に日本人に悪印象を持たせて
中国と日本を戦争させたいとの情報もあるので
冷静になって欲しいと願います。

もちろん、
中国を擁護するつもりもないし問題も多々あるでしょうが
それを言えばどこの国も同じです。

日本だって戦時中に海外でどれだけ残酷なことをしてきたか、
ダライらがやってきた似たようなこともしてます。
生きた人間の皮膚を剥いだり、
泣き叫ぶ子供の前で父親を火に投げ入れたり
また食べるものがなくなって
白人を白豚、黒人を黒豚と称して殺して食べたり
あげくの果ては同僚まで殺して食べたりしてます。
ここでは書けない酷いことをたくさんしてます。

今の中国のように、
日本だって生めよ、増やせの時代には公害が凄かったじゃないですか。
どれだけ多くの人が亡くなったか
しかも無念な思いのままの人ばかりです。
後遺症で辛い日々を送っている方もまだまだたくさんいます。

日本、日本というなら、日本人ならではの解決法があるはずです。
阪神大震災時に世界に向けて発信される映像で
市民が冷静にお互いを助け合うあの風景は海外で評判を呼んだそうです。

これは有色人種削減だ!あれは有色人種削減だ!
と声を大にして陰謀を訴える人たちも皆、何故か中国バッシング。
この絵、おかしくないですか?
自分で自分を潰そうとしてませんか。

誰かの策略に乗せられて、どこかの国をわざわざ怒らせて
悲惨な方向へと向かわせないように心がけることが大切じゃないでしょうか。
今大切な時期じゃないでしょうか。

誰が一番の犯人でしょうか?
もしかしたら一番の犯人は人々のこころの闇かも知れません。

最近は陰謀に関するものがコンビにでも売られている状況。
ネットでも、この人がと思う人までもが陰謀を語る。
ここまでブームになってくると
天邪鬼の私としては、ちょっと距離を置こうと思う。
そして更に別の方角から眺めてみよう。

追伸
一番酷いことをあの手この手で
長年してきている欧米の国々は
どうしてほとんど問題視されないのでしょう。

最近(16日)もオーストラリアの一般人による
政府公認(赤ちゃんの殺し方の指導があります)の
残酷なカンガルー殺しのビデオを紹介しましたが
あんなに残酷なものもあまりないと思うのに
どうして問題視されないのでしょうか。

戦争中でもないのに
しかもなに不自由ないごく普通の一般人が楽しそうに
多くの親子カンガルーを殺している姿はとても残酷です。

あのビデオについてコメントもありませんでしたが
どう思われたのでしょうか?
そのオーストラリア人が日本の捕鯨を残酷だといって
人種差別のCMを流しています。(これもビデオ紹介済み)

何か、本当におかしくないでしょうか。

そして国内を見渡したとき
白人にあこがれる人が多いのに
同じ有色人種の人たちを差別する人が多いのは何故でしょう。
白人を優秀だと思っている人が結構多いからではないでしょうか。

そういえば
チャネリング詩の「人間とはなんですか」で
「人間とは野蛮なものよ」とありましたね。

| 未分類 | 22:37 | comments:15 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

今朝の夢


両側に水路が縦に伸びた細長い場所に立っていた
立っていた場所は草っ原になっている

地元のある男性を中心にしてある場所を紹介する
テレビ番組のスタッフと共に私も訪れた

「ここは東京ですか」と言ったら
「ここが東京に見えますか?」と笑みを浮かべながらその男性
「東京でも似たような場所をみたような気がしたので…」

場所を移動してからまたその男性が
「あの家の板塀がみえますか?」と
幅の広い新しい板塀が古い板に混じってあった
なかなか良い家の風景
ここは何処なんだろう?

ふと左側をみると馬がいた
子馬が母親の尻尾のところからぬうっと出てきたような?
でもそれとは違う
一瞬するとそれは人間の少年だった
(この場面は言葉では説明できない不思議な映像)

ここは何処なんだろう?
遠くを見渡すと北アルプス全体がみえた
裏側からみた北アルプス
ということは、ここは・・・と考えながら
スタッフのところへ歩いていった

こんな夢だった。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/29/62/b0086362_17315573.jpg',400,86,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
写真は『ウィキペディア(Wikipedia)』より拝借。

北アルプスを裏側からみた写真がみつからなかったので
表側からの写真を載せますが大体、これを裏返しにみた感じです。
北アルプスで検索すると、飛騨山脈が一番に出てきた。

今朝の夢は龍さんと関係ありそうかな。

-----------

昨日の記事に
「earthly residence」って何だろう?って書いたら

ayさんから
『earthはheavenの対になる意味合いをもつのでearthyは世俗的という風な
ニュアンスにも取れるかもしれません、earth lifeがこの世と意味するように。』

とコメントいただいて
この世として考えれば、彼らはあの世からやってきた人になる。
地球の住まいとして考えれば、違う星からやってきた人になる。

---------------

最近知ったことだけど
どこのテレビでも見かける字幕(テロップ)
あれはアメリカで実験されたやり方で
テロップつきの画面を見続けると思考能力が急速に減退するそう。

私はテレビはほとんどみないけれど納得できる。
このことを頭に入れてテレビみるとよくわかりますよ。
話している人の言葉を理解しようとしないで
テロップのほうを重要視してそちらばかりをみてる。
そしてテロップに気を取られ他の大切な場面を見逃す。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/29/62/b0086362_17332389.jpg',170,133,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
自己再生するようなロボットのビデオ
http://uk.youtube.com/watch?v=uIn-sMq8-Ls



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/29/62/b0086362_17335425.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ネバダ 
科学者は北ネバダの最大都市(リノ)の住民に大きな地震に備えるよう訴える
金曜日のM4.7で店の壁が壊れ山腹で地滑りが発生しただけだが
その後100以上の余震が発生、最近の活動が非常に珍しいものであると。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/29/62/b0086362_17344219.jpg',220,209,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ペルー - Ubinas地区の居住者は火山噴火の灰、煙、毒ガスによる
片頭痛、呼吸器疾患で苦しむ

パプアニューギニア 9kmの巨大地すべりで非常事態宣言発令
燃料と食物のひどい不足、2000人に影響

カリフォルニア モントクレアで協会のイベント中に塵旋風、14人が怪我
アイオワ 豪雨で東部アイオワの全域ですべてが浸水

オーストラリア シドニー 今月は77年で最も多い雨量

スペイン La Gomeraで山火事、数百人避難
カリフォルニアも山火事、1000人避難

インド 熱波の後、水パニック
シーズンオフの雨は多くの象の発情期間を速め
象が荒れ人間を襲う

東部中国の都市、安徽行政区の富陽で
エンテロウイルス71、EV71(手足口病のトリガー)と
呼ばれる腸ウイルスの病気が広がり19人の子供が死亡、
789人が発病、数百人はまだ治らず、居住者の間でパニックが広がる

同じく東部中国の山東で電車事故、少なくとも70人が死亡、400人以上が怪我

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/29/62/b0086362_17371664.jpg',192,128,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
英国 主な製油所でのストライキのため
石油とガスの40%を供給する北海パイプラインの停止で
ガソリン買いだめで走る人々でパニック
毎日700,000バレル以上、1200人の労働者が働くグレーンジマス精練所の
2日間のストライキの始まりがきっかけ。
ストライキの後再び完全稼働可能になるために数週間もかかるため
価格が世界の原油価格を打っている。

このストライキ、なんか怪しいね。

■穀物供給は、世界規模の異常天候で去年の収穫が激減したのに影響されている。
オーストラリアとカナダは、1世紀間以上の最悪の干ばつを受け、アメリカの集中豪雨
は植えることを遅らせた。バングラデッシュとインドネシアの洪水で世界備蓄が低下し
た。そして最近のいくつかの輸出禁止と国内備蓄で更に食物インフレに中央アジア
のパンかごのカザフスタンは、ウクライナとアルゼンチンに続き小麦輸出停止を決め
た。ベトナムとインドも備蓄のために米輸出を制限する。これによって穀物の世界備
蓄は25年で最低レベルになった。の米国の麦の備畜品は28年で最低レベルにある。
アナリストは農産物で起きているこれらの相場がまだその幼時期であると考えている。

■国内の研究で、経血が細胞が損傷を受けた心臓の組織を
修復するのに有効かもしれないことがわかった。

| 未分類 | 18:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

予告

今回翻訳をしてみて
一番気になったのが、やっぱり苦手な「輪廻転生、前世」。
体力があれば、明日にでもこれにについて書きます。

それから翻訳の大元の記事にもありましたが
中国バッシングは黄色人種差別だとありました。
白人の国だとここまで叩かれないと。

中国嫌いにさせて
中国と日本を戦争させたいとの情報もありますので
片隅に入れて置いてください。

| 未分類 | 21:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

一休み


今日、久しぶりに市役所へ出かけた。

名前を呼ばれるのを待っていたら
そばにあった体脂肪測定器をみつけた男性が
チャレンジしようとしたけどやり方がわからなくて
近くにいたガードマンに声をかけたけれど反応がない。
体脂肪測定器に乗った男性はなにやらブツブツ。

体脂肪測定器の使用説明があるのはいいけれど
太ももあたりに貼ってあるので一々下を覗かないといけない。
これじゃ一人では無理。
どうして眼の前に貼らないんだろう?
これを設定した人って頭悪いんじゃないの?

性格的に放って置けなくて声をかけた。
「私が説明書を読み上げますから
それにしたがって打ち込んでくださいね」と言って二人で始めた。
何度か目でようやく終了。

このままでは他の人も使用できないと思って
暇そうにしていた市役所の男性に声をかけたら
横柄な感じでやってきた。
「説明書の場所を移動してください。
ここに貼ると見えなくて一人では出来ないですよ。
仕方ないから私が読み上げてそれでやったんですよ」と言ったら
ようやく市役所の男性から「すみません」の言葉が出て
「後で担当のものにやらせます」と言った。

どうしてこういうことがわからないのかな???

体脂肪測定器に乗ったお父さん、
予想に反して体脂肪が多かったようで
この機械オカシイと、私にもやらないかと言ってきたので断った。

| 未分類 | 20:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

チベットからまたナチスにマントラにTMに瞑想にヒッピーにニューエイジに


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/62/b0086362_19303318.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


とりあえず
翻訳した「ダライラマの本当の顔」
これを証明するようなビデオを紹介します。
フイルムが残っていたとは知らなかった。
世界中でこれだけ騒がれているチベットなのに
フリーチベット以外のビデオはほとんど誰も見てないようで驚き。

YouTubeにチベットに関するものはたくさんアップされていますが
ここではほとんど知られていない内容だけ紹介します。

もちろん中国がやっていることも問題だけど
世界に向かって、「チベットに自由を!」
と呼びかける張本人は一体何をしてきたのか。
ダライはチベットではなく青海省(中国)生まれだそう。

①Holly place under Dalai's rule(例のナチスも出てきます)
http://jp.youtube.com/watch?v=daSOxIvXoSY

②Tibet: The Truth (A Political History)
http://jp.youtube.com/watch?v=Xsoc4-QnplY

③Tibetan slaves under Dalai Lama's rule yelling for FREEDOM !
http://jp.youtube.com/watch?v=PFt7exWSJwQ&NR=1

こちらのビデオは③の写真と同じものですが
このマントラのような不気味な音は何だろう?
敏感な人は聴かないほうがいいでしょう。
④My freely life in Tibet!
http://jp.youtube.com/watch?v=9-FPSTf9iEg&NR=1


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/62/b0086362_19553035.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


ayさんご紹介のサイトを訳してみました。
『Human Rights of Tibet』
http://factandtruth.wordpress.com/human-rights-of-tibet/

---------------------------------------
『Human Rights of Tibet』
チベットの人権


このポストで私は歴史について話したい、1935-1959にダライ・ラマに支配された時、Dalaiは、どのようにして中国政府の敵、そしてチベットの人権になりましたか。

実際、ダライ・ラマは、チベット仏教(追放中の多くのチベット人が聖下としてダライと呼びます)の特権の宗教のタイトルです。前のダライ・ラマが死んだ後、仏教僧は後継者として小さな少年を選ばなければなりません。新しいダライ・ラマは中央の中国政府によってを得なければなりません。今日、有名なダライ・ラマは14番目のダライ・ラマです。この人はチベットではなく青海省(中国)で生まれました。中国本土がKuoMinTang(国民党?)によって支配されていた時、指名は1935年に中央政府によって承認されました。

1949年に、共産党は内戦でKuoMinTangを破り、共産主義の軍隊は1950年にチベットに入りました。共産党が、最初はとりあえずチベットの奴隷制度を廃止する計画はないと約束したので、ダライは中国共産党(CCP)を支援しました。その時に、チベットは奴隷制度が法律の一部である最後のエリアでした。

ダライは、CCPが遅かれ早かれ必ず奴隷制度を廃止すると考えました。したがって、1959年に彼は軍事クーデターを行使した、結果、ダライの軍隊は多数の軍隊(PLA)に敗北し、そして彼の支持者と共にダライはインドへ逃げました。

中国のチベット政府は、チベットの奴隷所有主が強く反対する中、奴隷制度を廃止することを決定しました。中国政府が「民主改革」と呼んだ後、奴隷制度は廃止されました。しかし、多くの奴隷所有主がインドへ逃げて、中国政府の敵になりました。それらの奴隷所有主と家族は、亡命中のチベットグループを作りました。また、それらのうちのほとんどは難民としてインド、ネパールおよび多くの西方の国々で暮らしています。

これらの写真はダライ政府下の普通のチベットの人々の実生活を反映します。

最初の写真は二人の奴隷のチベット人
逃亡の際に手と足が一緒に奴隷所有主によってロックされる

あなたはこれらが何か知っていますか。これらはチベットの人々の皮膚です!ダライ・ラマは、ある仏教儀式を実行するために人間の皮膚を使用しました。奴隷所有主は彼らの奴隷を殺し、皮膚の皮を剥がしました。明らかに、左と右は子どもの皮膚です。また、中央は成人の奴隷のものです。彼らはチベット仏教の教えに従って、ダライに賛美されると信じているので、奴隷所有主は喜んでダライに人間の皮膚を提供します。

3番目の絵は腕が切断された奴隷です。ダライがチベットを支配したとき、人骨は宗教器具にされました。 最も残酷なことは、奴隷所有者が生きているチベット人の奴隷から腕と脚を切り取ることです。

この小さな少女は餓死しました。奴隷所有者は十分な食糧を食べます。そしてsarcrificeとして、彼女の心臓、肝臓、他の器官を使いたいので、故意に奴隷を餓死させます。さらに、少女の頭は飲み物の容器にされます。

この写真が撮られたとき、女の奴隷(Jinyang)が何歳だったか知っていますか。誰もが、彼女は60才を越えていたと思うでしょう。写真が撮られた時は35歳でした。奴隷制度生活がこの若い女性をこのような恐ろしい状態にさせたのです。

私がこのエントリーを編集していたとき、私はダライの政府下でのチベットの人々の悲劇を本当に悲しいと感じました。私はまだ多くの恐ろしい写真を持っています、そしてまたあとでそれらをリリースします。あなたは、チベット人をもう一度、ダライの政府下にいるようにさせたいですか?

---------------------------------------------

以上です。
このサイトのコメントがなかなか迫力あって日本では想像できないレベル
このサイトに限らないけれど海外のサイトのコメントは違う。
どうして私が欲しいなと思う情報は、いつも海外ばかりなんだろう。

ブロンテ・バクスター(Bronte Baxter)という人からの厳しい質問に加えて
ダライとナチスのコメントがあった。

ブロンテ・バクスター氏によると
個人的に付き合いのあるドイツの女性(研究領域が第三帝国である博士)が
第二次世界大戦中にヒットラーの使者が雪の多い山道を
ダライ・ラマへのためにラジオを運ぶのに数日費やした、
そして
前世紀後半にはチベットの秘密の教えがラマ層の要求によって
ヘレナ・ブラヴァツキーによって西へ伝達された、
そして更に
ブラヴァツキーは彼女の隠されたマスターと秘密のチーフが
ヒマラヤ地域にearthly residence(地球の住まい?)を持っていたと。

「earthly residence」って何だろう?
シャンバラ?


ナチ運動が十分な資金を持つとすぐに
彼らはチベットへ多くの遠征を組織し始め、
1943年まで中断なしで互いに成功、
チベットへのナチの関心の最も具体的な表現のうちの1つが
最も深く最も神秘的なものの採用、まんじ(鉤十字)だった、とある。

ダライ・ラマはナチとの関係を持っていただけではなく、
日本のオウムの麻原と5回出会い、
1995年に東京地下鉄サリンの後にもあったそう。
日本人に真実を尋ねてくださいと、ブロンテ・バクスター氏は言ってる。

Bronte Baxter
http://www.brontebaxter.wordpress.com


ブロンテ・バクスター(Bronte Baxter)氏のサイトを覗いたら
最近ブログでずっと書いていた言葉

『ヒッピー族、ヒッピー、マハリシマヘーシュヨーギー、マントラ、
瞑想、TM、超越瞑想、ダライラマ、ナチス、チベット、
ニューエイジ、デービッドアイク…』

が連なって出てきて思わずびっくり!

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/62/b0086362_191857100.jpg',140,140,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
翻訳した「ダライ・ラマの本当の顔」に出てくる
封建制や奴隷の資料はこの本からのようです。
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1563247143/qid=938740540/sr=1-1/002-2209991-8042249

他にもこんなことが書いてあった。
「1922年にGyantseを訪れた英国人の女性は公共の鞭打ちを目撃し
犠牲者はその後、凍りつく寒さの山道で縛り付けられたまま夜を過ごした話や
20年間チベットに住んだ別の英国人は、
数え切れないほどの目のえぐりだしと切断をみた話や
また別の人は1940年代の終わりにチベットの至る所で
窃盗のために腕と脚を奪われた人々を出会った話などが紹介されていた。
1950年にラサの真中で起きた鞭打ち(200-250回)をライフ誌で見ることができると。

貧しい家庭からは子供が盗まれラサで奴隷として売られた話もあった。

ラサの刑務所では、囚人が施し物を受けるために
年に一度か二度外出することを許されるだけで
あとは深い地下穴に閉じ込められていたと。
そしてチベットで支持された別の罰は、拷問と切断。

やたらとこの切断が出てくるんだけど何かあるのかな?

チベット仏教徒の信念は生命を選ぶことを排除することだと。

これは翻訳にもあったけれど
当時のチベット当局が‘神の行為'として
人々を死の縁に人を鞭打ち不具者にして
他の場所で死ぬように釈放したり
袋に縫いつけて川に投げたりして
死を正当化したこと。

こんなに酷くはないけれど
これってオウムのポアに似てると思った。
このやり方を真似したのかもね。

| 未分類 | 13:33 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「不都合な真実」の嘘

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/62/b0086362_1585629.jpg',76,110,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
「不都合な真実」に嘘がみつかった

ABCニュースは、映画「不都合な真実」の中の
最も有名なショットの1つの南極棚氷が「偽物である」と報告する

私は最初からずっと二酸化炭素温暖化説を信じてないと言って来たから
驚きはしないけれど、どうして今頃発表なんだろう?
ノーベル平和賞もオスカーも受賞したあとに。

もちろん私は観てないからどの部分かはわからないけれど
また詳しい内容が見つかり次第載せます。

| 未分類 | 02:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダライ・ラマの本当の顔 最終回


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/27/62/b0086362_23195510.jpg',475,316,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


浄化を「粛清(粛清)」に訂正しました。

今日でようやく最後です。
今日もyasuさんに手伝ってもらいました。
ありがとう。

まったくもって下手な翻訳ですが
お付き合いくださった皆さん、ありがとうございます。(ペコリ)
一時期、勉強が結構好きなときがありましたが、
でも英語だけは苦手でした。
そんな私が翻訳すること自体間違ってるかも知れませんが
乗りかかった船なので無謀なチャレンジしちゃいました。

こちらが大元の記事のようです。写真もこちらから拝借しました。
『The true face of the Dalai Lama』(英語)
http://www.bestcyrano.org/cyrano/?p=507

同じサイトにまたダライ・ラマが出ていました。
『Bad Faith』(英語)
http://www.bestcyrano.org/cyrano/?p=506

ayさんご紹介の、ダライ・ラマの関連する他の記事です。
あわせて読まれるといいでしょう。
写真だけでも過去の封建制が伝わってくると思います。
『Human Rights of Tibet』(英語)
http://factandtruth.wordpress.com/human-rights-of-tibet/

のろさんご紹介のサイトを再掲載します。
『新しいチベットを行く』(日本語)
http://maoist.web.fc2.com/utopia/tib000.htm

ayさんご紹介のサイトに出ていた写真の一部は
「新しいチベットを行く」からのもの?のようです。
http://maoist.web.fc2.com/tib/nod000.htm

各自の判断でお読みください。

-----------------------------------------------
The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔


チベットの毛沢東主義革命家の追放

革命の中国で「空は変わった」?時、新しい修正主義の定規は規則の強化に焦点を合わせました。チベットで2つの即時のニーズがありました。まず、マオの下で訓練され組織される巨大な革命的力を倒し解体すること、次に、彼らのリーダーシップの下で利用できる反革命勢力をすべて開放すること。

毛沢東主義革命家への広範囲にわたる「粛清(粛清)」が党と政府からありました。多くの人々が投獄され死にました。歴史家A・トムグルンフェルドはそれを文書化します。チベットの共産主義者の数は、プロレタリア文化大革命(GPCR)中に劇的に上昇し、1976年以降に激減しました。GPCR間の1973年に中国のプレスは中国共産党と中国共産主義青年団に1万1000人の新しいチベット人のメンバー補充を報告しました。クーデターの後の年に、CCPは4,000人のチベット人の党員しかいないと報告しました。10年後に共産党は、チベット人か移住した漢民族であるかを述べることなくチベットで40,000人のメンバーを持っていると報告していました。これは、すべての若いチベットの革命家の世代が圧倒的に貧しい階層から権力によって移動されたことを示唆します。1979年までに、新しい党のリーダーシップは、革命期間中に疑いを持たれた多くの修正主義者の人物を含んで強化されました。

修正主義者は、強固な封建制ラマ教階層の残りを含む革命家を撃退するのを手伝うことができたチベット人の勢力に手を伸ばしました。1977年には、修正主義者により、革命家たちが行ってきた圧政者や階級敵対者に対する全ての非難と強制収容は「不当」なものであるとされ、 これまでの流れを一掃して、封建制慣習と力の「権利」の回復が宣言されました。そして彼らは、共有財産を分配することによってすばらしい繁栄を築き上げることを約束しました。

1977年4月、クーデター大成功の直後に、Ngawang Jigme Ngaboは、「インドへ逃れたダライ・ラマと彼の支持者の帰りを歓迎します。」と新しい修正主義政府の見解を述べました。Nagaboは文化大革命中にチベットから逃げて、その後また戻ったチベットの封建制の貴族です。この公的な呼びかけは、旧封建支配階級の重要なセクションの可能な復帰について議論するために、?小平とダライ・ラマの兄、GyaloThondup(ダライ・ラマ自身を含む)との秘密交渉に先行して行われました。

1978年2月25日に、パンチェン・ラマ(旧チベットの最も大きな搾取者および「ブッダの生まれ変わり」のうちの一人)は刑務所から釈放され、突出した政府職を与えられました。CIAに支援された1959年の反乱での著名な34人のチベット人が刑務所から釈放されました。1977年から、米国高官は領域への定期的な旅行をし始めました。

新しく古い搾取者の社会復帰は、チベットの生命のすべての面で、広範囲な反革命のお膳立てをしました。

チベット地方のいわゆる改革

チベットの広大な地方の全域に点在する無数の村と遊牧民の解決は放置されたままです。ここの闘いと革命はラマ教徒の亡命と西洋のメディアで無視されました、ここはチベットの中心です、そこで大部分の人々は生ていきます。一旦修正主義者が全体的な国家権力を強化したならば、チベットの地方の革命を素早く逆にすることができたでしょう。

段階に沿って、新しい修正主義の定義は社会主義農業を廃止しました。まず最初1980年に人民公社を撤廃して、((20~30の家族を含んだ)より小さい地方の現地生産チーム、どんな集中化されたガイダンスも廃止しました。すぐに彼らはすべての現地生産チームを廃止しました。

人々は資本主義市場の力に直面し、勇気づけられた階層との闘いにおいて、再び無力な状態にされました。連帯感は過去のものであると宣言されました、そして、野心的な家族は再びより貧しい隣人を搾取することによって豊かになるでしょう。

反動的な力は、チベットの集合農業の廃止がポピュラーであったと仮定します。しかし、これらの主張は入手可能な情報により否定されます。

例えば修正主義者が反革命的「改革」を行ったと同時に、10年間にわたってチベットの田舎で税を廃止したことを明らかにしています。彼らは「減税」という名の贈収賄により、農民全体の中でも自覚的な人々が中立的になることを期待していたのです。

一部の農民たちはこの共有財産の分割を歓迎しました―各家族の中で男性の持つ即効的な権力や、階級的敵対者がかつての富谷特権を回復するという見込みを見てとったために。同時に文化大革命は階級的な問題意識を持つ農奴活動家を地方に生み出し、この回復に対して彼らが戦いを挑むことは確かと言えました。

パーラのヤク・テントからの観察

2 人の著名なチベットの専門家(メルビンC.ゴールドスタイン教授とシンシアM.ビール)は、チベットに関する1990年の彼らの本で、西チベットの遊牧民族の現在の人生について貴重な現地調査を提供しました。ゴールドシュタインとビールはパーラ(300人のチベットのヤク飼いの非常に遠隔のテント野営地)で生活することに1986年~f0 1988年の16か月を費やしました。この研究は毛沢東主義革命が最も深く根をおろしたチベットについては何もふれていませんが、作者たちは古いチベットの封建制度に深く同情的です。ゴールドシュタインとビールが、革命への反感にも関わらず、チベット奥深くの田舎での圧政の復活や階級闘争の継続の証拠を記録しており、これは有用な研究といえます。

ゴールドスタインとビールは、遠いパーラにおいてさえも遊牧民はチベットの階級闘争に参加した経歴があったと報告します。遊牧民がラサから組織された反革命的な反乱に加わりたくなかったので、1959年に牧夫は武装闘いをBo Argon(ダライ・ラマの地元の支持者)に対して行いました。ゴールドスタインとビールは、パーラの遊牧民の圧倒的大多数がどうGyenlo(プロレタリア文化大革命間のチベットの2つの主な紅衛兵グループの1つ)に加わったかを記録します。文化革命は遠く離れた辺境の牧夫の間にさえ複雑な戦いを起こさせました。

次に、ゴールドスティーンとBeallは1976年のクーデターが原理的な「様相の変化」をどうチベットに表したかを記録しています: 「1976年の本土中国での文化革命の終わりと'四人組'の破滅 により、その政策いかんではパーラの遊牧民の運命を変えることになる、中国共産党リーダーたちの新しいグループが頭角をあらわすことになりました。 彼らはマオと四人組からは完全に異なった経済 的、文化的な哲学をもち、'プロレタリア文化大革命'をカタストロフィーであるとみなし、また人民公社とは一線を画す'責任'システムと呼ばれる、より市場指向をもつ地方の経済システムを取り入れました。 これで生産への責 任は人民公社から家族に移行しました。」

クーデターは、Lagyab Lhojang(かつてすべての人々と動物を所有した古い封建的な地所の名をとって名づけられる)に修正主義の政府を設置しました。「これらの変化の大きな衝撃は1981年にパーラに届きました。すべてのコミューンの動物は等しくメンバーに分けられました。それぞれの世帯で彼ら自身の計画と決定によって、それらを管理して家畜に関する完全な責任を回復しました。同時に同じホームベース野営地に生きる3~6つの世帯の小集団に牧草地を割り付けられました。」

富、貧困、賃金労働と栄養失調は、戻ります

しかし富の分割は、チベットの地方において富める者と貧しい者のシステムを復活させることへの第一歩だけでした。ゴールドシュタインとビールは大草原からの例を挙げます。「ポスト-1981年、改革政策の別の著しい結果は、経済・社会的分化がパーラの中に急速に広範囲に再現したことです。古い社会のパーラのすべての遊牧民はパンチェン・ラマの主題でしたが、凄まじい階級格差は主題の中に存在しました。裕福な一家は、群れがない労働者、貧しい遊牧民、使用人、乞食の層と対照的に、巨大な群れを持ちぜいたくに暮らしていました。1970年のコミューンの実施は、すべての私有が現時点で終わっていたのでこれらの不均衡を取除きました。パーラのすべての遊牧民が等しい数の家畜を受けたので、1981年のコミューンの解体ではおおよその平等を維持しました。しかし続く7年間で、他のものが劇的に減退する間、いくつかの群れは増加していました。非常に裕福なものと同時に非常に貧しい遊牧民が、再びいます。1つの家族には家畜が全くいません。

「家々には、1981年には1人あたり37匹以上の動物がいたのに、1988年には38パーセントが30匹未満にすぎなかったのです。一方1人あたり50匹以上の動物を連れているパーラの世帯の割合は1988年に1981年の12パーセントから25パーセントまで増加しました。世帯の10パーセントは1人あたり90匹以上の動物を持っていましたが、1981年には誰1人いませんでした。経済分化のこの過程の結果、1988年には、人口のうち貧しい33パーセントの人たちが動物の17パーセントを所有していただけの一方で、豊かな16パーセントが動物の33パーセントを所有していました。過去7年間の家族ベースの'責任'システムは、新たに生み出された少数の裕福な世帯の手の中に、ますます動物を集中させ、わずかな動物または何ももたない貧しい家庭層の出現をもう一度もたらしました。「これらの新しい貧民たちは、金持ちの遊牧民のために働くことによって存在していて、古い時代で言えば長きにわたり続いた牧夫や搾乳、および使用人として雇われているようなものです。

社会主義者期間、チベットの地方の社会的な余剰は、人々のために役立ち、革命をサポートするために向かいました。公共事業、学校、文化的な組織、武装した革命への出資。 ボブ・アバキアンは彼の本、『偽物の共産主義は死に、本物の共産主義は長い間生きる』で説明します。これは、大衆に共有される「共通の豊かさ」を目標としました。

しかし現在その余剰は、再び大衆が栄養失調に耐える間、高級品購入の爆発を引き起こし、にわか成金搾取者の職員と一握りによって消費されます。

ゴールドシュタインとビールはそれを文書化します。「新しい裕福な」ものは、実際、旧社会で彼らを搾取した同じ「階層敵対者」にあります。これは偶然でありませんでした。修正主義者の「改革」は、地方に資源開発の搾取的な階級制度を復活させて、かつ新政府を支えるために旧「階層敵対者」を解放することを目指しました。多額の金銭が、前特権を元に戻すのを援助するために新しい修正主義政府によって旧「階層敵対者」に与えられました。ゴールドスタインとビールは、パーラの年とった搾取者のうちの1人が中国の数千ドル(ラサの大学教官の年俸がおよそ 2,500~3,000であるチベットの大金)を受けたと実証します。

この反革命は古い封建制の復活ではありません。年取った貴族と僧院は、この新しい階級構造の最上位に復活されていません。特性は農業者の裕福な層にますます集中される一方、利益はしばしば、地方と地区政府内の中で作動しながら州資本家によって集められます。全体としてのチベットでの生産は、現在中国全体を支配するより大きい官僚的資本家階級のニーズに役立つよう形成されています。

この復活の結果は都市で見られました。裕福な巡礼者はラサに戻りました、そして、飢えている乞食はまた再び現れました。ジャーナリストのLudmilla Ttingは、チベット人の農民が彼らの子供を売るためにラサに旅行しているのを見ると報告しています。貧しい者が飢える間、55,000トンのヤクの肉が現在毎年チベットから香港まで輸出されていると付け加えます。

圧制的な関税は中産階級の独裁政治の下で戻ります

ゴールドスタインとビールは、今日の階級闘争の問題のいくらかを証明する物語を語ります。

文化大革命の間の活動家であった「貧しい階層」遊牧民はまったく甘い汁を吸うこともなく、1980年代後期に羊を売りました。これは、ミルクいっぱいの羊を売ると呪いが全体のキャンプの群れにもたらされると言う、古い封建的な迷信を破りました。旧社会の裕福な「階層敵対者」遊牧民は、古い迷信に従うようにと革命の遊牧民を攻撃しました。彼らはマオの下にいたので、革命で言われた非科学的迷信は拒絶されなければなりません。彼は、この「階層敵対者」が貧しい遊牧民に、そして革命の考えについて反動的な独裁を行おうとしていると言いました。戦いがありました。

その後、新しい地方自治体の役人は、過去の革命的な標準を支持することが間違っていると裁決しました。役人らは、両人に戦いのために罰金を科し、旧「階層敵対者」の迷信の権利を支持しました。

ゴールドスタインとビールは彼ら自身修復を支持するけれども、反対の徴候を文書化します。それらは地元の役人に対する広範囲の憎悪を報告します。そして彼らは、マオ・ツートンの写真を外すことを拒否する1つの遊牧のキャンプから写真を持ち帰りました。

パーラからの物語は疑う余地なく、チベットの草原地方の全域で、そして残りの多くの中国に散らばる無数の共同体で繰り返されました。数億人の人々が反革命による網の目のような抑圧を強いられました。

儀式を元に戻すこと

1977年中頃には、修正主義の党議長華国鋒は、チベットの封建的な習慣の復活を要求しました。封建的な儀式は、ラサの主なLingkhorとBarkhor神殿ですぐに復活しました。80年代後半までに、中国政府は200以上の僧院と45,000人の僧が機能していると言いました。80年代の終わりに李鵬(天安門広場大虐殺を命じた肉屋)は、公式に後援された最初の「生まれ変わりの仏陀」の捜索を組織化していました。

漢移民のニューウェーブ

1983年に、修正主義者はチベット文化の存続と人々の権利に本当の挑戦を表す方針を開始させた。それらはチベット自治区に漢の移住の波を始めた。(また、「'マオの下の大量殺戮'の冤罪」を見てください。)

チベットの民族運動のスポークスマンでさえ、マオのもとではチベット自治区への漢民族定住努力がなされなかったと認めています。 ジャムヤン・ノルブの著書「In the collection Anguish in Tibet」にこうあります。「しかし、マオの死と'四人組'の衰退で、中国の新しい指導者たちは、中国人の移民でチベットを単に満たすのではなく、チベットに支払いを負わせる方へと徐々に計画をまとめていったようです。」 親ラマ 教徒作家のジョン・アベドンはこう書いています: 「通貨政策は1983年1月に始まりました。9月には、北京Reviewが、チベットへの広範囲の移住の呼びかけをレポートしています; 「年齢と家を離れることを奨励するかわ りに、20年に渡って全ての移住者へのボーナスを保証された(?)。」 (1989年3月/4月Utne Reader) 修正主義者トップの?小平は、200万の人口が資源を開発するために不十分であるため、チベットには漢民族の移住が必要であると主張しました。いくつかの東中国の都市の掲示板には「チベットへ移住しよう」と書かれました。

この移住は、チベット高原の地方には影響しませんでした。しかし、都市部のチベット人の特徴を変えました。チベットの神秘的魅力と共にチベット人の素朴でシャイな特徴は、今、西側の観光客のために修正主義者によって構築されました。

チベットの都市への漢の流入、役人と商人の裕福な層の多くの漢民族の出現は、チベット人に多くの怒りを生じさせ、1987年以降、一連の正当化された暴動を起こしました。

「右派が中国で反共産主義のクーデターを上演する場合、それらは平和を知らないので支配は恐らく最も短命にななると確信します。なぜならばそれが人口の90パーセント以上を占める人々の利益を表わす革命家によって許容されないからです。」マオ・ツートン

ビールとゴールドスタインは、チベットの遠い大草原で革命の抵抗に関するもう一つの話を語ります。ある夜、遊牧民は彼らのテントに来ました。彼は、文化革命の間の主要な毛沢東主義者の活動家でした。そして彼は、これらの外国の訪問客が彼はラサの首都の中にまだ存在するかもしれないと考える革命センターに彼のメッセージを運ぶことを望みました。

革命家はささやきました。「あなたは、何がここでなにがおこっているかを、ラサに伝えなければなりません。」ゴールドスティーンが彼が何を言いたかを尋ねたとき、彼は「あなたは、何がここで何がおこっているかを伝えなければなりません。」と繰り返し言いました何度も尋ねた後についに彼は言いました。「あなたは知ってるだろう、階層敵対者のことを!彼らが再び立ちあがっているのを。」

こうした資本家の回復への反抗がたいへんに頑強なものなので、パーラの多くの人々は革命が再び現れると信じているのです。

| 未分類 | 23:20 | comments:26 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダライ・ラマの本当の顔 その5


出来るだけ全部やろうとは思っていますが
一部省いたところがありますのでご了解ください。
今日もyasuさんに手伝ってもらいました。
ありがとう。
あと一回で終わるかな。。。
しかし、長い文章。
内容は各自で判断してお読みください。

-----------------------------------------------
The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔


人民公社の創設

ガンが編隊飛行するとき、彼らは最も高い山脈の上を飛ぶことができます。私たちが互いに団結し支援すれば、貧しい人々はどんな困難も克服することができます。。」Tsering Lamo(前農奴に社会主義の道について説明する郡区の女性協会の共産主義リーダー)

チベットの人々の解放は、土地所有と生産の革命化で手一杯でした(そして今もそうである)。1960年代初期の農地改革の後、小さな個々が所有する農場に基づく新しい取り決めは、新しい抑圧の種を含みました。繁栄している農民がより貧しい隣人を雇って買い取ったので、富める者と貧しい者は再び現れ始めました。農奴は家族の生き残りに集中して多くの場合あまりにも未組織だったので、回復の一定の封建制の試みに直面することができませんでした。

1969年のマオ路線の勝利で、People's Communes (人民公社?)と呼ばれる実験的な新しい農場は、チベットの広大な田園地方中で組織化され始めました。チベットの新しい道を敷設した方法は地方の生命を変えるのに用いられました。各々の地方自治体では、土地は何百人もの農民によって集団で耕されました。収穫は「仕事点」に基づいて分けられました。各々のした仕事の量の基準。1970年までに地域の34パーセントのほぼ666のコミューンで動き、コミューンは至る所にありました。

そのような変化をもたらすために、忍耐強い政治的な仕事と激しい階級闘争をとりました。一部の農民は彼ら自身の土地を望み、より大きなものを望みませんでした。しばしば、より貧しい農民(元女性奴隷のような)は最初に新しい方法を試みました。封建制度下の農奴所有者と最高のラマ僧にも労働をさせました。好きかどうかに関係なく働かなければなりませんでした。反革命分子は見つけられて追跡されました。

何世紀もの間、人々の強制労働者は怠惰な貴族に奉仕し、迷信を尊敬するように、大きい寺院を建てました。集合的な作業はチベットの農地の80パーセントに潅漑と飲料水をもたらしました。各家族の生存がもうまさしくそれら自身の土地の区画に依存しなかったので、農民は何十もの新しい野菜、果実、作物を実験することが可能になりました。

いくらかの実験は作動し、いくつかはしませんでした。階級闘争そのものは、いくらかの収穫を中断させました。しかし、土地生産性の大きい飛躍は達成され、チベットでの食糧生産は2倍になりました。

人民公社は、またチベットの歴史上最初の地方の学校、大衆教育、地方の劇場部隊を組織することを可能にしました。 たとえ彼ら自身の子供を全然持っていなくても、高齢の人々は今や世話されました。女性は新しいパワーを持っていました。「もちろん、私たち(女性)が労働を果たしたので私たちにとって親交は良かったです。」と1人の若いチベットの女性が言いました。見合い結婚と一夫多妻は止まりました。

有名な毛沢東主義者のBarefoot医師のマニュアルはチベット語で発行されて、以前はよく農奴間で何千人もの新しい医師を訓練していました。チベットの病院ベッドの80パーセントは農村地域にありました。そして医療関係者は東中国の都市の病院から到着しました。半分以上の6,400人の医療補助員は女性(仏教教義で医業を営むのが禁じられたことがありました)でした。

人民公社は農夫の政治権力を大幅に高めました。メンバーはPLAによって武装し訓練されました。コミューンはそれぞれ、圧制者と戦うためにyulmag市民軍旅団を生産しました。彼らは、ダライ・ラマのCIAに訓練された反集団を探し回りすべての封建制度のギャングを解体しました。これらの民兵組織は、チベットの庶民の間の革命変化のサポートの証拠です。

いったん修正主義路線を倒すと、チベットの新しい社会主義の産業基盤を開発する際に巨大な進歩を取りました。1964年に67の工場が単にあるだけでした。1975年には地方のニーズと農業を満たす250の企業だけだけでした。小さい水力発電は電気を人々にもたらしました。大衆が製造加工品は初めて利用できるようになりました。サングラスは高齢者の白内障-盲目を減らしました。圧力釜は旧式チベットの料理が原因で多くの子供が死ぬ病気をなくしました。新しい農機具は、生産力を増やして暮らしにゆとりを持たせました。

人々の思考革命

「共産革命は伝統的な資産の関係との間に最も急進的な決裂をもたらす。その展開が、伝統的な考え方との間に最も急進的な決裂をもたらすとしても何ら驚くにはあたらない。」カール・マルクス フレデリック・エンゲルス 1848

「解放された私たち農奴は、農奴所有者を飾り立てていたすべての古い邪悪な歌や踊りやドラマを、そして神と超自然的な存在の迷信を、今日Tsangpu川の底深くに投げ捨ててしまいました。この急激な変化の波にそれらを運び去らせて、二度と戻ってこないでほしい。」50才の元農奴、1966年

「私が議長マオから学ぶ前に、私が気遣ったすべては私に付属するものでした。」 私は、家にヤク糞の燃料がどれくらいあるか正確に知っていました。いくつ乾いているか、いくつ濡れているかを見ずにあなたに言うことさえできました。しかし、私は集合体として気にかけませんでした。しかしマオ議長の教えは私の世界を広げました。現在人生における私の目的は明確です。 「今日、私は集合体だけではなく全世界と世界革命に関係があります」。チベット人の牧夫、1967

「我々は現在、モーターを動かせたものが神(あるいは悪魔)でなかったということを知っています。我々はそれらを扱いました、そしてラマ僧が我々に言ったように、それらを動かしたのはを子供たちの血液でないのを見ました。」新しいチベット機械工

文化大革命では、毛沢東主義者は、「四つのolds」にねらいをつけました。古い考え、古い関税、古い文化、古い習慣。また、チベットには挑戦するための多くの「olds」がありました。重い宗教的な迷信は人々の努力を抑圧しました。それは古い封建制度の中心的な道具であり、新しい修正論者によって使われました。

文化大革命以前、農奴たちは宗教指導者たちに決められたことについて話をすることは全くありませんでした。鉄を鍛えたり、皮をなめしたり、ミルクを缶につめたり、羊の毛を刈ったりすることや、針治療、外科治療、抗生物質、金属加工など、これらすべてがラマ僧の教義においてはタブーだったのです。女性は無数のタブーにより押えつけられていました。多くの動物たちは神聖であるから食べてはならないと考えられていました。1950年代には、チベットの最初の医学生たちは、夜になるとその日に犯した自分たちの罪を許してくれるように祈ったものです。

新しい方法は、人々が迷信の呪縛から彼ら自身を解放するのを助けることを発見しました。大胆な農奴女性は、タブーを破るために神聖な動物および「"iron brigades"」の狩をするためにチームを組織しました。1966年に100,000人の農民が、ネズミ(穀物を食べるげっ歯動物)を根絶する2か月の大規模キャンペーンを行いました。過去には僧はそれらがブッダの身体からのシラミの神聖な生まれ変わりだったと言って、これらのネズミを保護しました。

特にマオの著著が、この心の革命での鍵となる重要な役割を果たしました。修正主義当局のトップは、チベット語のマオのレッドブックの出版に反対しました。しかしすぐに、何万もの二ヵ国語の赤い本は伝統的なチベットスタイル赤い財布の中に配布されました。多くの貧しい人々が読むことができなかったので、重要な引用と革命歌の記憶は特に人気がありました。

山腹で、祈りが刻まれた場所に毛主席の巨大な革命の引用が代わりに現れました。山道の新しい赤旗は人々が力を持つことを示しました。

チベット草原のHerdspeopleはPLAマオチームが冬の災害をいかに助けたか記述する。以前は自分達の「運命」を受け入れ多くの人々が死にました。今、彼らは生命と大衆を救うための総合的なプランを開発しました。「マオ・ツートンと共に私たちはあえて神とさえ戦います!」と1人の年取った牧夫が言いました。

ラマ僧の封建的な要塞を解体すること

「偶像を作ったのは農夫です。また時がやって来る時、彼ら自身の手で偶像を捨てるでしょう。」マオ・ツートン、1927年

最も大きな迷信的な畏怖を吹き込んだのは何千もの僧院でした。文化大革命のめくるめく時期にこれらの封建制の拠点はターゲットとされました。巨大な大衆運動でチベットの多くの僧院が空になり物理的に解体されました。

チベットの封建制度の支持者は、しばしばこの解体が「心無い破壊」および「文化的大量虐殺」だったと言います。しかしこの見解は本当の僧院の階級の性質を無視しています。これらの僧院は何世紀もの間、農夫の生命にのしかかってきた武装された要塞とでもいうべきものでした、修正主義路線下では、多くの僧院が政府の補助金によってその命脈を保つことができました。この要塞、次々に起きる陰謀がこの僧院の壁のむこうで計画されていて、古い時代のやり方に戻るのではないかというように正当化された恐怖をおおいに刺激するものでした。はこれらの僧院の解体が「心無い」などと言うのはとんでもないことです。これらは人々を解放する意識的な政治的な行為と言えるものだったのです。

解体は革命の活動家によって導かれ、チベットの農奴自らによって行われました。元農奴の大規模な集会は門で集まり、そしてあえて初めて神聖な場所に入ることをしました。何世紀にわたって彼らから盗まれた富はすべて明らかにされました。いくつかの特に貴重な歴史的な人工物は後世のために保存されました。

価値ある建材は要塞から取り去られ、彼らの家と道路を建てるために人々に分配されました。ある亡命者が、神聖な木製のブロックがどのようにして農奴によって奪取され、燃料のために使われ、新しい農具のハンドルに切りわけられたかを記述します。後方への要素は、参加しなかったことで非難されたと主張します。多くの場合、偶像、テキスト、祈願フラグ、地蔵車と他のシンボルは、世紀前の迷信を粉砕する強力な方法として公的に破壊されました。

その後、文化大革命ではいくつかのラマ教僧院が復興されました、国家的遺物の宗教的な聖地と博物館として機能できるように。 しかしプロレタリア文化大革命の議決では、これらの僧院は大衆の苦しみに生きている封建的な要塞として二度と存在するべきでないということでした。

4つのオールズと4つのニュースについての難しい闘い

すべての革命同様、チベットの文化大革命は、複雑な議論と闘いの道を進みました。「4つの古いもの」が批判され、そして革命は「4つの新しいもの」?新しい考え、新しい関税、新しい習慣、新しい文化?をもたらそうとしたのです。重要な問題は再三取り上げられて討議が繰り返されました。どの慣習が反動的な封建制の文化なのか?どの慣習がチベットの文化なのか?革命が中国の東漢地域で展開されたのは、ほんとうに革命的だったのか、それとも漢狂信的愛国者による新しい文化形式を促進するためのものだったのか?それとも、農奴制の編まれたヘアスタイルは封建的だったのか、チベット的だったのか?そしてあなたが人々に会った時に彼らをたたえるのは反動的なことなのか??そしてどう反動的だったというのだろうか?

漢狂信的愛国心(大部分の漢民族の反チベット偏見)は問題のままで残っていました。漢のHan Suyin は1977年に書かれた彼女の本の中で、チベット言語が化学のような現代の課題についての考えを表すことができなかったので、チベットの高等教育が漢言語で行われるべきであるという党の何人かの意見を支持することがみれます。

同時に他のものは、少数派国籍のマオ路線を守るために闘いました。その路線がリードしたとき、チベット文化の新しい開花がありました。最初のチベットのタイプライターは、チベット語でより簡単なコミュニケーションと記録を考慮に入れて開発されました。さまざまの地域からの人々が情報交換できるように、チベット言語は促進されました。映画はチベット語に吹き替えられ、何百万冊もの本がチベット語で発行され、チベットの短編と劇は発表されました。そして多くのチベットのフェスティバルは人々の新しい勝利を祝うために変わりました。コミューンと豊かな新しい収穫。

伝統的なチベットの薬はよく研究され、そして、そのハーブの発見は初めて下層階級が利用できるようになりました。

新任の革命のリーダーはチベット人の間で育ちました。1975年までに、トップリーダーの半分は在来のチベット人でした。これらの半分は農奴と奴隷背景からの30代前半の新任幹部でした。女性はすべての階層のリーダーになりました。1つの郡では、革命委員会はすべて女性でした。27,000人のチベットの幹部のうち12,000人は女性でした。1人のチベット人女性(Phanthog)は1975年にエベレストを登りました。

文化大革命中に、ジェダイという名の奴隷牧夫の若い革命的な息子は言いました、「マオ議長の革命がここにきていなかったら私たちはチベットはいまどこにいるでしょう?」

最後の大きな戦い

「我々は我々の先祖が決して試みなかった、彼らが決してとらなかった道、その過程にあります」ベテランのチベット共産主義者(1975)

1人のオブザーバーがチベットで文化大革命に関しての基礎を成す真理を得ました。 「今あなたは、解放されたぼろ切れを着けた農奴が、暖かい衣類、トルコ石の指輪、金の腕輪を着けた貴族のゴミを運ぶのを見ません。」ラマ教封建制度の古くて憎悪に満ちたシステムは人々自身によって砕かれました。国民生活は向上しました。病気は減りました。人口は増加しました。古いチベットの無感覚な孤立は壊されました。読み書き能力と基本科学知識は人々で広まりました。毛沢東主義の敵さえ、大きな貧富の格差が消え失せたことを認めます。

同時に文化大革命は、封建制度の歴史的な失敗よりずっと多くを説明しました。修正主義者が資本主義中国でチベットの人々を賃金奴隷に変える彼らの計画の実行を防ぎました。

しかし、毛沢東主義と修正主義の生死に関わる争いは終わっていませんでした!

1971年の修正主義者による高水準軍事クーデターは、北京で失敗しました。強力で一般的な林彪は露出し倒されました。彼の親しい支持者の何人かはチベットの革命委員会の著名なリーダーでした、そして、彼らは力を失いました。「2月の不利な流れ」のリーダー、Ren Rong(任蓉?)は、突然、チベットの新任リーダーとして出現しました。冷たい右派の冷気はチベットに忍び寄りました。

チベットでは、キャンペーンはいわゆる「4つの基礎的な自由」(労働者と使用人を雇うために、お金を貸すために、取り引きするために、宗教のために)を支持して始められました。「4つの自由」、このスローガンは1959年の農奴所有者の暴動前から支持されていませんでした。上位階級チベット人は高いポストの中で再び現れました。突出した指導者としてダライ・ラマを戻すために交渉はDalai Lama seekingと開始されました。

革命軍隊は再編成して反撃しました。1972年の末に、新しいキャンペーンは、「ブルジョワ的浪費、資本主義的利潤動機と経済浪費を批判しました。」、1973年に、ダライラマと一緒の陰謀が急に停止しました。また1974年には、全国キャンペーンが資本家回復に対して始められました。それは「林彪と孔子キャンペーンを批評する」と呼ばれました。チベットでは、それは人々の反宗教的な意識を深めて、ダライ・ラマのような貴族僧が「僧の衣類中のオオカミ」だったという革命的な評決を再確認するために用いられました。中国中のキャンペーンの主要なメッセージは、「走資派がまだ資本家道にあった」。これはまさしくそのとおりでした。

マオの軍隊と修正主義の争いは中国中で激しくなりました。そして結局、修正主義者は毛沢東主義革命軍隊に対する決定的な打撃を開始することに成功しました。1976年10月、マオの死の直後に、修正主義勢力は北京の安物のクーデターを上演しました。彼らはマオの最も親しい支持者を逮捕して、革命家の全国的な浄化を始めました。彼らは、マオと文化大革命が拒絶したすべての方針について説明しました。マオの敵の?小平は権力を握りました。

2本の線は、チベットで衝突します

毛沢東主義革命家は、走資派政策を中国(チベットを含む)に課すことを望んだ共産党内で強力な力と戦いました。パート3で、我々はリーダー?小平を含むこれらの「走資派」のプログラムを解説しました。彼らは彼ら自身を「共産主義者」と呼んで、「強大な現代の社会主義国家」を造ることについて話しました、しかし彼らは、封建主義を廃止した後に本当に革命を止めたかったです。マオ・ツートンは、革命の憎い敵である彼らを「修正主義者」「走資派」「偽の共産主義者」と呼びました。マオは、「効率的な」資本主義的方法のイミテーションが中国に階層極性化と資本主義的搾取をもたらすのを見ました。結果は、中国がもう一度外国人投資家と搾取者に進入され、支配されるだろうということです。

マオの革命的共産主義路線と修正主義者の資本主義的路線との対比は、チベットに関連したすべての問題について非常にはっきりします。

マオの方針は、継続的革命的のプロセスにおいてチベットの人々の庶民の団結を求めました。多数の庶民が彼ら自身を解放することに参加することができる前に、全国少数領域で印象的な変化を拒絶しました。

マオは、繰り返し、チベットの人々を「後方で」「野蛮」であると考えた「漢狂信的愛国主義者」の偏見を批判しました。マオは過去の憎むべき迷信を根こそぎにして、解放された新しいチベット文化の開花をもたらす思想革命を心に描きました。彼は、大衆が彼ら自身を解放するためにマルクス主義-レーニン主義-毛沢東主義の新しい革命のイデオロギーを必要とすると主張しました。

大群衆が本当に解放されるならば、マオは人民公社を含めて革命が反封建的制度の農地改革を越えて、社会主義に動かなければならないと主張しました。マオは、人々のニーズを満たすために、チベット高地の自己依存型社会主義者産業用基盤に賛成しました。

修正主義者は、チベットについての完全に異なる計画を持っていました。彼らが構想を描く「現代」中国に迅速に貢献するできる、チベットの富を利用するための「効率的な」システムを望みました。彼らは、チベットの人々が効率的な穀物製作者にすぎないと考え、東部中国からたくさんの労働者と技術者を引き入れたかったです。

修正主義者は、毛沢東信奉者革命の「社会主義の新しいもの」が、旧封建主義の要素を備えた彼らの「統一戦線」を解体すると、文句を言いました。修正主義者はチベットの古くからの統治者たちに権力の永続的な権力の一部を与えることを提案しました。修正主義者の新しいやり方を安定させるための道具として、封建的組織とイデオロギーを使うための方策として。

要するに、チベットにおける修正主義路線とは、修正主義者が年取った圧制者と提携して、チベットの人々を搾取する新しい弾圧的な軍国化された命令の計画でした。彼らが1976年にマオの近い支持者を倒して、マオの死後に全体的な権力をつかんだあと、修正主義者が従ったプログラムです。

苦々しい分岐点:1976年の修正主義のクーデター

文化大革命の複雑な階級闘争は、1966から1976年まで減退し流れました。大規模な闘いの高い流れの間、革新は地域に広まりました。革命家がやむを得ず節減を強いられたとき、修正主義勢力は革命の変化を打倒するために押しました。

1976年10月に、革命勢力は決定的な後退を喫しました。マオ・ツートンの死の2週間後に、修正主義者に忠誠な軍隊は、北京で主要な毛沢東主義者のリーダー(Chiang ChingとChang Chun-chiaoを含む)を逮捕します。大成功のクーデターでした。推移の数年にわたって資本主義はますます中国の人々に課されました。大修正主義者の?小平は新しい資本家支配階級の国家リーダーとして現れました。

歴史的な敗北は、チベットでひどく感じられました。チベットの反革命の多くの詳細はまだ知られていません。しかし、これは非常に明白です。走資派(彼らはチベットで多くの要職を持っていた)は、彼らのプログラムを完全に実行に移します。

今日、チベットの農民の多くは、州の役人と密接に連合した成金階層によって抑圧され利用されます。修正主義者は、中部チベット(特にその都市)を漢移民であふれさせる漢狂信的愛国主義者方針を実行しています。政府軍と警察はデモ隊を銃殺しました。チベットの資源は、利益の資本主義的神の役に立ち、軽率に利用されています。

これらの方針は、毛沢東主義とは無関係です。これらの方針は、米国の帝国主義者から全面的支援を受ける中国資本主義の回復とおおいに関係しているのです。

つづく。

| 未分類 | 21:02 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

また地震の予知夢


今朝また地震の予知夢をみた
24日の朝の夢に続きまたすぐ見るなんて

今朝は剣岳(富山)がみえた
周囲の山はなく剣岳が富士山のように単独でみえた
荘厳な美しさの剣岳だった
かなり美しかったので地震の規模は大きいはず

剣岳だったけれど
過去の統計通りだと国内ではなく
一週間以内に海外でM7以上の地震が起きるはず
24日のも地震だとすれば二回起きるのかな?
今朝の夢のほうが美しかったので二度起きるとしたら
二度目のほうが大きいと思います。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/26/62/b0086362_12242563.jpg',226,170,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
■米
世界最大の小売り業者およびウォルマートは、
チェーンのうちの1つで米の販売を制限しています。
主食の世界的な不足の最新の兆候。
サムのクラブ(ウォルマートの現金払い持ち帰り部門)は、
顧客が一回の買い物で最高4つのバッグしか買えないと言います。
制限は、ジャスミン、バスマティ米と長い白米にあてはまります。
米の国際的な価格は今年68%上昇しました。
ウォルマートは、制限が「最近の需給動向」によると言います。
ウォルマートは、顧客が「このとき」購入できる小麦粉か
油の量を制限していなかったと言いました。
大豆、とうもろこし、小麦価格は、さらに値を上げており、
現在、空前のピーク近くにあります。

世界的な不足が実際にあるかどうか、
備蓄があるのかどうかの
矛盾するレポートがあります。


供給者と商品取引業者の価格と利益を増加させます。
とにかく、必要なのはPERCEPTIONだけです。
人々が備蓄に勤しみ、より大きな不足を作り、更に価格を上げます。
いずれにせよ我々自身が小さな庭を始めることは賢いかもしれません。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/26/62/b0086362_12253513.jpg',226,170,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
■衣服
安い衣服は終わりに近い。
食料品価格は収穫価格の急騰に応じて急上昇しました。
米国とヨーロッパの消費者が出費を切り詰めています。
EUの消費がが11%下がると予想される中、
米国の綿消費は昨年から6.5%落ちる用意が整っています。

同時に工場は高価な原料と原油価格の急上昇で打撃を受けます。
インドの織物産業が危機にあります。
中国では織物セクターが絞られています。
一方、アメリカでそれらの問題の根本的原因を見つけることができます。
米国では、ますます多くの綿花業者が相場が上昇している作物
(大豆、とうもろこし、および小麦)に切り替えています。
農業者によるシフトの結果、
1年先で「米国の綿の収穫面積が15%減退すると予測されます」。

ICACは、今年世界の綿価格が8%以上上昇すると予測します。
金融市場の専門家は上昇がさらに急であるかもしれないと考える。
「私たちが1995年以来市場をこれほどワイルドにしているとは思えません、
そして、その環境と共に私たちがいるかもしれないところにいます。」

高価な綿は衣服メーカーを打つ1つの要素にすぎません。
「エネルギーが落ちます。」
「今、世界のパワーが基本的に不足しています。」
したがって、単に大地が食物か綿のために使用されるべきか
どうかに関する問題であるだけではありません。
そしてどのくらいのエネルギーが工場で衣服を生産するのに
使用されるべきであるかに関する問題です。

また、原料コストに加えて、肥料コストは暴騰しています、
そして、薄利の衣服メーカーが、利益をより上げにくいのがわかっているとき、
貸し渋りは圧搾の一助となっています。
結局、彼らは衣服の価格を上げなければならないか、
またはつぶれなければならないでしょう
どれが次に供給を抑えるでしょうか。
ヨーロッパと米国の消費者にとって結果は確かです。
より多くこの先何年も衣服を買うお金を用意してください。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/26/62/b0086362_12255883.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
中央大西洋のヘリでM6.5

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/26/62/b0086362_12261792.jpg',100,67,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ハワイ キラウエア火山、二酸化硫黄の濃度が再び高くなり2,000人避難
ペルー 火山噴火で多くが病気に
エクアドル Tungurahua火山は一旦減少し再び活発今年は特に活発
Sangay火山とReventador火山も地震活動が増える

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/26/62/b0086362_12263937.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ハイチ 首都で洪水

英国の蝶 昨年の洪水で8つの種が低下

ワシントン州 記録的な低温、4月1日からの異常な降雪量
21日の朝、グレートフォールズ(モンタナ)の温度はマイナス8度


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/26/62/b0086362_12271256.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
カンザス 猛烈な嵐、トルネード
ダラス 猛烈な嵐で複数の家が破壊
ブリッジポート(ネブラスカ) トルネード

ロシア 24時間に3つの地域で500以上の野火
ARCTIC海 氷がかなり速く溶解し警告が出される

| 未分類 | 12:29 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダライ・ラマの本当の顔 その4


今日で4回目。
翻訳が面倒なところで一部省いたところがありますがご了解ください。
間違いがあれば遠慮なくご指摘ください。
イメージを取り除いて各自で判断して読まれることをお勧めします。

だんだん難しくなってきて今日は何箇所かyasuさんに手伝ってもらった。
ありがとう。

Liu Shaoqi=劉少奇
Deng Xiaoping=?小平
-----------------------------------------------
The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔


パート3:革命の中の革命

チベットの階級闘争の嵐は中国共産党内のいくつかの強力な勢力を不快にさせました。修正主義者と呼ばれるこれらの力はマオの革命路線に反対しました。これらの勢力は党首Liu Shao-chiとLin PiaoとDeng Xiaoping(今日中国を統治する。?小平)。彼らは何がチベットでなされなければならないか、完全に異なる(非常な資本主義者)見方を持っていました。

修正主義者は、封建的な地主を倒すために多数を動員する理由がわかりませんでした。彼らは、迷信深いと思っているチベット人を見下した「漢狂信的愛国主義団体」でした。彼らは国立少数研究所のチベット人学生が革命のオーガナイザーではなく、管理者として養成されなければならないと思いました。彼らは、地域を抑える軍事的手段に依存している間にチベットは教養ある上流階級によって統治されなければならないと思いました。

これら修正主義者にとって、毛沢東主義者の階級闘争はまさしくチベットを利用するための彼らのプランの「分裂」でした。彼らは、防御のための境界、鉱物資源、そして中国を食べさせるのを助けるための潜在的「パンかご」としてだけチベットを見ました。独立した産業、多様な農業開発は、「非効率」で時間の浪費であると思いました。修正主義者は、両方に利益をもたらすラマ教支配階級との長期の取り決めに達することができると想像しました。

しかしその時、これらの走資派には総合的な力がありませんでした。マオはすべての道における群衆革命を導くと決心していました。彼は、チベットと他の少数派領域で革命のアプローチを実行するために戦いました。

1953年という早い時期に、マオはエッセイ(漢朝の優越主義を批評する)を書きました。「一部で、国籍の関係は、まったく正常でありません。共産党員にとってこれは耐えられない状況です。我々は根に戻って、多くの党のメンバーと幹部に存在する漢狂信的愛国主義者の考えを批判しなければなりません、すなわち、地主階層と bourgeoisiewhichの反動思想は国籍の関係で明らかにされます。言いかえれば、ブルジョア的考えはマルクス主義者教育を持っていない同僚と中央委員会の国籍政策を理解していない人々の心を支配します。」

1956年に再び「10の主要な関係」という彼の有名なスピーチによる問題提起をしました。「私たちは漢優越主義への反対に重点を置きます。また、地方の国籍優越主義も反対されなければならないが、それは私たちが強調するところではありません。時代(反動的な定規)を通じての統治者は、主として漢国籍から、私たちの様々な国籍間の仲たがいの感情をまき、少数民族をいじめました。労働者の間でさえ、短い期間にその結果生じる影響を取り除くことは簡単ではありません。空気、森林、地下の富は社会主義の建物のための重要な要因ですが、物質的な要因は人為的要因なしでは開発、利用することができません。私たちは、漢国籍と少数国籍のよい関係を育て、偉大な社会主義母国を構築する共通の努力で、すべての国籍の単一性を強化しなければなりません。」

1959年以降のチベット革命の嵐は、マオ路線の大きな前進でした。農奴が彼らの土地のために闘う運動がどれほど広がるべきか、共産党員先鋒内で激しくなりました。チベットの多くの場所では、土地が配布された後でさえ、富める者と貧しい者がまだいました。すべての種類の封建制度の関税と慣行はまだ強かったです。新しい革命組織はスタートしているところでした。革命には、まだ長い道のりがありました。

修正主義者勢力は、チベットに闘いの冷却を意味する「5年間の統合」を求めました。チベットの社会主義の実験は(初期の地方自治体と多くの新しい工場のような)解散されました。

修正主義者は、チベットの人々を抑制するために「5年の統合」を得ませんでした。1965年に、急激な路線闘いは共産党自体の中央委員会内で頂点に達しました。マオ(毛主席)は、プロレタリア文化大革命と呼ばれる先例のない「革命の中の革命」を放ちました。

マオの文化革命のためのチベットの肥沃な土

1966年8月の太陽がさんさんと降り注ぐ日、マオ・ツートンは北京に殺到した100万の若い紅衛兵の前に立っていました。マオ・ツートンは、歴史上他の国家元首がやっていなかったことをしました。彼は、自分が率いた政府と与党に対して立ち上がるように大群衆に求めました。「本部を砲撃してください!」と彼は言いました。彼が放った強烈で歴史的な苦闘は1976年までの次の10年間、中国中で猛威をふるうことでした。プロレタリア文化大革命は進行中でした。

その大きな集会の二、三日以内に、一部の紅衛兵は変化を熱望するラサへ飛びました。チベットの新しい高校は1964年に最初の上級クラスを等級づけしました。そのとき農奴と奴隷のバックグラウンドを持つ中心的グループは読むことが出来きるようになっていて、革命に関する基本的な毛沢東主義者原則を学びました。

直ちに、ラサ高校と近くのチベット教師職業訓練所の学生は、彼ら自身の紅衛兵組織を結成しました。彼らは注文を待つ気分ではなく、革命を推進する方法について討議しました。そしてすぐに行動を起こしました。

このシリーズのパート3では、我々はチベットで続いた10年間の戦いに関して何を知っているかを示します。真実の覆いを取るのは簡単ではありません。これらは大きく分離された領域の野生的で複雑な出来事でした。

一方では、毛沢東主義の革命の目標であったそれらのクラス力は、狂信と破壊の無意味な悪夢として文化大革命を描きます。インドに本拠を持つダライ・ラマのオフィスは、主に超保守的な上流チベット亡命者による「目撃者証言」を提供します。今日中国を統治する人は「四人組」の「無駄な10年」について話します。(「四人組」はマオ・ツートンの最も近い支持者に与える名前です。)そのような反革命的な記述は非常に信頼性が低い。

他方、チベットの革命的活動家は自分たちの物語を聞かせる方法がありません。彼らの多くは獄中かすでに死んでいます。

本稿を書くために、我々は文化大革命中にチベットの紅衛兵によって書かれたリーフレットを調べました。私たちは異なる観察者および進歩的な学者の著述を読み、批判的な毛沢東思想の敵の主張さえも調査しました。物語には主要なギャップがあります。しかし、チベットの革命家が共に激しい10年間に達成しようとしていたことに関する基本的な絵をつなぎ合わせることは可能です。

本当の共産主義者対チベットの偽の共産主義者

マオは、人々に大きな危険をみたのでプロレタリア文化大革命を放ちました。1949年に権力を握った中国革命は行き詰りました。

中国政府と共産党の強力な勢力は、規則正しい生産に集中することによって「現代の」中国を建設することを求めました。彼らは彼ら自身を「共産主義者」と呼びましたが、実際、本当に封建制度を廃止し、強大な民族国家建設より先に行く意志がありませんでした。彼らは、革命の変化に停止を望みました。

マオは、彼らの「効率的な」資本主義的方法のイミテーションが大群衆を無力なままにするのを見ました。それらの道は、フルシチョフのソ連で権力を握ったものと同様の、魂の抜けた、非政治化された資本主義システムを作成するでしょう。マオはそのような力に、「修正主義者」と「偽の共産主義者」のラベルを貼りました。マオは、彼らが「ブルジョア民主主義者から出た走資派」であると言いました。'60年代中頃の主なリーダーは、劉少奇と?小平でした。

チベットでは、修正主義路線とマオ路線の対立は人々の間で広く知られていませんでした、しかし、それは非常に鋭かったです。

マオの方針は、継続的な革命の過程ー基本的にはチベット人民自身により組織化された独自の過程ーを求め、次々と新たな段階を導き出すものでした。

マオは、1950年代の間に、チベットで根気よく革命組織を築くことを勧めました。1960年代初めまでには、チベットの農奴と中国人民解放軍(PLA)の大きな同盟は、古い圧制的な社会の核心を粉砕しました。農奴制と奴隷制度から多くを解放し、支配階級から土地を押収し、圧制的な慣習を禁止すること、それはマオ路線の大きな進歩と適用でした。

もし人々が、本当に解放されることになっていたならば、マオは革命が反封建制度の農地改革を越えて進む必要があると信じました。農民の多数が、彼らの資源を共同出資することができるように、彼は田園地方で新しい集合的なな組織の体系的発展を心に描きました。「潅漑を掘り、道を作り、武装した農民民兵と学校をつくってください」。貧しい農民は社会主義の集産化がなければ、結局金持ちの農民と新しい搾取者によって圧迫されると、マオは信じていました。これはちょうど、残りの中国のようにチベットに適用されました。マオはそこで、人々の需要を満たすためにチベット高地の自己依存の社会主義産業基盤について賛成しました。 そしてマオは、過去の憎むべき迷信を根こそぎにして、新しい解放チベットの文化の開花を引き起こす思想革命を思い描きました。

しかし、強力な修正主義者勢力は非常に異なる目でチベットを見ました。彼らはチベットの人々の革命の可能性に興味を持っていませんでした。彼らは、チベットの富を利用するために「効率的な」システムを開発したかった。

修正主義者は、チベットの農夫を効率的な穀物製作者に変えるつもりでした。彼らは、2、3の鉱物に基づく産業を開発するために、労働者と技術者を他の中国地方から入れる予定でした。

修正主義者は、チベットの封建制度のもつ増産を妨げている面を取り除きたがっていました。しかし彼らが意図したのは、新しい秩序を確かなものにするための道具として、封建制度とそのイデオロギーを利用することであり、そのために古くからの封建制領主たちに対しては永続的権力の分け前を提供するというものでした。

ラマ教徒貴族がすべての種類の反革命的な共謀に関わっていたのは誰もが知っていました。しかし、修正主義者たちはこの共謀には次のような話も含まれうると信じていました: まず最初に、古い社会の大衆によるちがった局面から守るという申し出によって、そして次にPLAの圧倒的な武力に頼るため。

この路線は、チベットの人々の大多数に明らかに敵対的でした。それは彼らの圧制者との同盟に基づくため、絶望的に過去であるように見えました。彼らは絶えず「チベットの特別な状況」について話すことによって弁明したが、実際には極端な「漢狂信的愛国主義者」アプローチを持っており、漢国籍にチベット人を吸収することを期待しています。修正主義者は革命に立ち上がる人々を許容しようとしていませんでした。

特に、修正主義者はチベットで新しい革命の波のどんな計画にも敵対的でした。彼らは、集合的な土地所有と自治産業基盤を含む社会主義に反対でした。彼らはこれらの社会主義が時期尚早で、破壊的で、非効率で、封建主義者との「統一戦線」を永久に壊すと言いました。

要するに、チベットのための修正主義路線は、基本的に修正主義者(年をとった圧制者との同盟)がチベットを開拓する軍事的手段を当てにする新しい圧制的な命令の計画でした。この「資本主義的路線」はあらゆる点でマオ路線に鋭く反対でした。

彼らが1976年に毛沢東信奉者を破って以来、この路線がチベットで?小平の政府と軍によって行われる圧倒的な資本主義的な方針であるので、修正主義者のプログラムはよく知られています。マオは、まさに今日中国(チベットを含む)の人々を圧迫する勢力を打倒するために文化大革命を開始しました。

革命は、稲妻のような打撃をラサに与えます

「プロレタリアート革命の後継者は、常に大きな嵐で育てられます。」マオ・ツートン

1966年、チベットの修正主義者は全く尊大でした。それらは軍隊をコントロールし、劉少奇と?小平を含む北京と強力なつながりを持っていました。チベットのトップの修正主義者はPLA将軍Zhang Guohuaで、1950年に到着し、チベットを彼の個人的な「王国」とみなしました。

チャンの勢力は、マオの新しいキャンペーンを乗り切ろうとして、「赤旗に反対するために赤旗を振る」という戦術をとりました。プロレタリア文化大革命が発表された時、彼ら自身の公式の「文化大革命グループ」を組織しました。彼らは「ここチベットには2つの異なる主義はない」とチベットラサ当局が発表したと述べ、主な反動勢力はCIAによって支持された封建制主張者の集団で、したがってPLAによる武装闘争もいまだ必要とされている革命を目指すための主立った活動とみなしていました。要するに、修正主義者はチベットのプロレタリア文化大革命を、規則的な生産や、落ち着いた研究、および軍隊動きの範疇にに閉じ込めておきたかったのです。彼らは、次第に盛んになる紅衛兵運動が彼らのコントロールを外れないようにするために、分隊をあらゆる工場と学校に送りました。 周恩来首相(政府当局の最高のうちの1人)を含む北京の強力な軍隊は、紅衛兵にチベットから離れているよう命令することによって支援しようとしました。彼らは紅衛兵に餞別のための晩餐会を与えさえしましたが、紅衛兵は去ることを拒絶しました。あらゆる家が赤旗を掲げ毛沢東の写真を飾るべきだという主張から。スピーカは革命歌を流し、通りには新しい名前がつけられ、このように革命の熱意が示されたのです。

チベットの文化革命は草原の火のように出発した! 赤の監視はどこでも形作り、会場をどよめかせた。ある赤い監視組織はすぐ継続的だった封建的な圧迫および迷信を容認したLhasa.declaring 戦争のJokhang神殿を接収した。ショックを受けた当局はこれが不法で「反革命的である」と宣言しました。建物の接収は広まりました。

紅衛兵は、なぜ上院議員たちが農奴所有者としていることができ、またなぜ、ダライラマ、パンチェン・ラマ、やNgawang Jigme Ngaboのような上層のラマ僧が「チベットの人々のリーダー」としていることができるのかを知りたいと要求しました。 紅衛兵は、?小平がチベットの上側の層のラマ僧を共産党のメンバーとして募集するのを提案しさえしたのを明らかにしました。 階級分析と社会的な習慣は、このような権力がまさに抑圧そのものであると示しているのではないでしょうか?

1つの早いリーフレットでは、チベットの特殊事情がチベットが「階級闘争のための真空のゾーン」であると意味しなかったと書かれていました。紅衛兵は、当局が毛沢東主義者の原則に違反していたと言いました。

まず権力の奪取、その後の権力の行使

「ブルジョア的反動策を拒否する文化大革命の新しい嵐の中、LhasaRevolutionary Rebel General Headquarters(ラサ革命反逆総本部)が生まれる! 私たちは、風や嵐や、吹きすさぶ砂や岩すら恐れない。 私たちは、何百人もの権力を資本主義権力者が我らに対抗し我らを恐れようと気にかけることはない。 またブルジョア王族たちが私たちを糾弾し、呪おうが気にかけることはない。 私たちは、断固として革命断行し、反逆するのだ。 プロレタリアートの赤い新世界を築き上げるために、徹底的に最後まで反逆し続ける。」 チベット「革命の反逆者」紅衛兵、1966年12月の設立

何百もの紅衛兵グループが、革命的反乱軍を形成するために結合しました。彼らは大衆に基づきました。チベット人の活動家、学生、漢トラック運転手、普通の兵士、下級幹部、および他の中国からの紅衛兵の新しい世代。

一部の人々は、文化大革命が共産党当局による中国からの紅衛兵によってチベットの人々に強要されなかったこを知り驚きます。ダライ・ラマの支持者さえ、多くの若いチベット人が最初から革命に加わり、多くの年上のチベット幹部が熱狂的に闘いに参加したと認めます。

チベット人はこの革命の両面に巻き込まれました。修正主義者によって募集され訓練された或るものは、新エリート集団になることを望んでいました。毛沢東主義者は彼らを「ブルジョワの王党員」と呼びました。特に元奴隷と元農奴の若者は革命を社会主義の前面に押し進めることを切望していました。来たる嵐の間、共産主義チベット人の活動家の真新しい世代は調節されていました、そして、毛沢東主義者の流れはチベットの庶民の中に深く定着しました。

1967年1月に、毛沢東主義の組織が上海で権力をつかんだ時、チベットの革命的反逆者は彼らもチャン「チベットの大君主」からの権力を奪うだろうと宣言しました。2月に、Linchih Woolen Textile複合体の労働者反逆者は彼らの工場を買収しました、チベットの文化大革命の最初の力の差し押えでした。革命的反逆者は、チベットの首都のDaily新聞と地域をとらえました。ある反逆者戦士が次のように言いました。「様々な種類の戦いは最初に行動し「反動的な線」によって「不法である」と宣言され、その後マオ議長の承認を獲得しました。」これらは勇敢で危険な動きでした。

逮捕を恐れて、チャンは反撃を企んで、それからラサから逃げました。忠実な警察隊は保守的な「紅衛兵」グループを始めました。「Great Alliance(素晴らしい同盟)」と呼ばれていました。それは、政党の上部階級とチベットの貴族幹部に基礎をおきました。週内に、陸軍部隊は「Great Alliance」を支援に革命家反乱軍を抑圧しました。この不意な一撃でマオは軍隊に「庶民をサポートしてください。」と命じたとき、この大成功と呼ばれるクーデター(「2月の不利な流れと呼ばれる」中国に広がる反マオ運動の一部)はこれを避けました。

私たちは次の2年間にチベットに広まった複雑で時々武装した戦いの多くの詳細を知りません。しかしこれだけは知られています。1968年9月に新政府(チベット革命委員会)は最終的に設立されました。それはマオ路線の周りで多様な力を結合させました。ひとたびこの新しい革命的パワーが固まってくると、文化大革命は新しい段階と試みに入っていったのです。

つづく

| 未分類 | 17:55 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダライ・ラマの本当の顔 その3


今日で3回目です。
翻訳が面倒なところで一部省いたところがありますがご了解ください。
間違いがあれば遠慮なくご指摘ください。
記事の内容は各自で判断して読んで下さい。
一旦イメージを取り除いて読まれることをお勧めします。

マオという人物は毛沢東のことです。

------------------------------------------------
The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔


チベットに革命を持ってくること

1949年までに、マオ人民解放軍は中国中部で主な反動的軍隊をすべて破りました。貧困層と抑圧されたのその日は到来しました。しかし、世界の大国はこの革命をつぶそうと早速動きだしていました。フランスの軍隊はベトナム(中国国境の南)に侵攻し、1950年までに大規模な米国軍は中国を脅かす計画で朝鮮に到着します。

中国国境地帯の西部山脈と草原には、多数の漢民族と何十もの異なるグループが居住しています。それらの地方のうちの1つチベットは、大きなラマ教僧院の僧院長によって率いられた農奴所有者が統治する「防水」王国でした。中国の内戦中に、チベットの支配階級は、本当に英国の植民地主義下にある偽の「独立した」州を設立することを企みました。

毛沢東信奉者革命家は、中国の境界地方を侵入から守り、何百万もの抑圧されたチベットの農奴を解放するために、チベットに革命を持ってくる決心でした。

しかし、革命は問題に直面しました。チベットの巨大で人口密度が低い地域は、中国の革命戦争から完全に分離されました。1949年にはチベットに実際の解放を行なう力はありませんでした。チベットの農奴の間で地下運動はまだありませんでした。チベット語を話すチベットの共産主義者または漢共産主義者さえほとんどいませんでした。チベットの大多数の農奴は、大きな革命が彼らの国に広まったとは聞いていませんでした。彼らの現在の惨めさと貧困は、初期の生命で彼ら自身の罪深さに起因して、正当化されると教えられました。

Mao Tsetungは、本当の革命が抑圧された人々の必要性、願望、行動に関する多数に頼らなければならないのを教えました。毛沢東主義は、この原則をミサ線(大量ライン?)と呼びます。マオは言います。「しばしば客観的に、多数が特定の変化を必要とすることは起こります、しかし、彼らは必要(まだ変化をもたらす気持ちがないか固く決心していない)をまだ意識していません。そのような場合、我々は根気よく待たなければなりません。我々の仕事を通して、大部分が必要を意識し自発的になるまで我々は変更をしてはいけません。さもなければ、我々は多数から孤立します。彼らが自発的でない限り、彼らの参加を必要とするどんな仕事でも単なる形式であると判明し失敗します。」

1950年10月に、中国人民解放軍(PLA)は、南西中国の草原と山脈へ進みました。Chamdoではチベットの支配階級から送られた軍隊を容易に破りました。それから彼らは立ち止まりました。彼らは、チベットの首都(ラサ)にメッセージを送りました。

中国の新しい革命政府はチベットの統治者に取り引きを申し出ました。チベットは中国共和国へ再び所属させられるでしょう。しかし、当分の間、チベットの農奴所有者(Kashagと呼んだ)の体制は、中央政府のリーダーシップの下で地方自治体として支配し続けることができました。人々が変化を支持するまで毛沢東主義者は封建制の慣習を廃止しようとしないか、ラマ教宗教に挑戦しません。人民解放軍は帝国主義者介入からの国境を保護します。また、外国人エージェントはラサから追放されます。チベットの人口のおよそ半分は、Kashag支配下になかった青海およびChamdoの地方に住んでいました。これらの地方は提案によってカバーされませんでした。

チベットの農奴所有者はこの特別の「17ポイント協定」に署名しました。また、1951年10月26日に、人民解放軍は平穏にラサへ進みました。

両側は、結局闘いが始まるということを知っていました。

最も強力な農奴所有者の家族が武装蜂起を計画し始めました。ダライ・ラマの兄弟は武器を得て、かつ政治的な認識を要求するために、CIAとのつながりを固めるために、外国へ旅行しました。僧院は秘密会議を組織し、大衆の間に奇怪な風説(漢革命家は盗んだチベットの子どもたちの血液をトラックの燃料にしていると)を広めました。米国兵器を乗せた長い列のラバのキャラバンは、インドからチベットの主要な僧院へと進み始めました。CIAは、キャンプ・ヘール(コロラド)でチベット人のための戦闘訓練所を設けました。CIAの飛行機はチベットの東部Kham地域に武器を落としました。

マオのミサライン(大量ライン)をチベットの特殊事情に適用すること

その間にマオは、来たる革命のために初期の分極化を引き起こすことなく大衆の支持を得、首尾よく味方に引き入れるために命令しました。マオは書きました。「遅れは私たちにあまり害をもたらさないでしょう。これに反してそれは私たちの利点になるかもしれません。それらをさせてください。我々が大衆を説き伏せるために良い行為、生産、取引、道路建設、医療と統一戦線作業(大多数と忍耐強い教育との調和)に集中する間に、彼らラマ教支配者階級は人々に対して彼らの無意味な残虐を続けます。

「我々はふるまう方法に関して非常に詳細な指示をされました。」と、1人の赤い兵士が後に言いました。

チベット人の大衆はあまりにも貧しくて革命軍のためにどんな穀物でも分け与えるにはあまりにも少なかった。それで自分たちの収穫の準備ができるまでPLA軍人はしばしば飢えました。彼らはチベットの文化(チベットを支配した生命の迷信的な恐れ)を尊重することを教えられました、

それらの最初の年に、PLAは中国中部とチベットを結む最初の道を建造する大きな構築力として働きました。一連の長い夏期作業合宿は無限の山脈と峡谷を通って何千マイルも伸ばしました。これらのキャンプの側に、漢兵士は新しい集合的な方法で自分たちの食物を収穫しました。周辺地域からの農奴には道路仕事で賃金を払われました。

古いチベットの支配者は、農奴を動物のように扱い無限の無給労働を強制しました。 したがって、チベット人の大衆にとってはこれらPLA軍の振舞いはショッキングでした。「ハンスは私たちと共に並んで働いていました。」と1人の農奴が言いました。彼らは私たちをむち打ちませんでした。 「初めて私は人間として扱われました。」 「私はそれを信じることができませんでした。」と別の農奴はPLA軍人が水を軍人自身のカップから彼に与えた日に説明しました。農奴がトラックを修理するよう訓練されたとき、それらはチベットの歴史における最初の無産階級者になりました。一人の逃亡者が言いました。「私たちは、それは神の意志ではなく、自分達のような人間の残虐性であると思いました。残虐さは我々を奴隷のままにしておきました。」と。

PLA道路キャンプは、脱走した奴隷、農奴、僧を惹きつけました。キャンプで働く若い農奴は、人々を解放するのを支援するために学校へ行きたいかどうか尋ねられました。彼らは中国の東部都市の研究所で最初のチベット学生になって、農業革命を説明するために学習しました。

このようにして革命は、すぐに人々をリードする活動家を募集し始めました。チベット中部の最初の共産党員は1950年代中頃に募集されました。1957年10月までに、パーティーは中国共産主義青年団の追加の2,000と1,000人のチベットのメンバーを報告しました。(「革命への若い反逆者を募集する」を参照)

チベットの東部田園地帯およびラサのまわりの谷中を人民解放軍は行動しました。

変化に関するどんなヒントでも防水王国を揺るがした

一旦最初の白い砂の道路が完成されると、PLAトラックの長いキャラバンは紅茶とマッチのような主要商品を積んで到着しました。拡張された取り引きと特に安価な紅茶は普通のチベット人の食事を改良しました。50年代中頃までには、最初の電話、電報、ラジオ局と近代印刷は組織されました。最初の新聞、本とパンフレットには漢とチベット語が表示されました。1955年以後、チベットの最初の学校が設立されました。1957年7月までには、6,000人の学生と79の小学校がありました。貧しい人々の人生を改善し始めて上流階級を激怒させました。(上流階級はいつもすべての貿易、学問、世界との接触を独占していました。)

革命医療チームが人々を治療し始めた時、僧および上流階級さえ初期のクリニックに現れ始めました。最初の炭鉱は1958年、1959年の最初の溶鉱炉に開きました。これは革新を非難し、病気が罪深い振舞いで引き起こされたと説教した迷信をひそかに害しました。

1956年から封建制の地主によって組織されたますます激しい武装反乱は、漢~チベット国境地帯で始まりました。これらの領域は17ポイントでカバーされていませんでした。そして、そこの農奴は小作料を僧院と地所に支払うのを止めるよう、革命家によって励まされていました。1958年に青海の共産主義のリーダーが書きました。「牧歌的なエリアの大きな社会主義革命は、生と死の非常に猛烈な階級闘争でした。」

共産党内には妥協を促したものもありました。彼らは、農地改革を減速させ「ラマ僧主義」によって反対された学校と診療所を閉鎖するのを示唆しました。教師と医療班は撤退されました。 しかしそれは、「ラマ僧主義」の共謀を止めませんでした。

50年代後半に、チベットの支配階級は全面的な反乱を押し進めました。彼らは中央中国の激しい戦いがPLAを排出するために彼らにチャンスを与えるかもしれないと信じていました。CIAのサポートは増加していました、そして訓練されたエージェントは適所にいました。

農奴所有者の反乱は革命の引き金となる

「歴史的に、絶滅寸前のすべての反動的勢力は、革命的な力に対して常に最後の必死の闘いを実行します。」マオ・ツートン

1959年3月に、武装した僧とチベット兵士は、ラサで革命駐屯軍を攻撃して、チベット-インド境界に沿って反乱を開始しました。1人の僧は後に言いました、「我々全員は、我々が漢民族を殺すならば、我々が活仏になり我々の名前の礼拝堂を持つと伝えられました」、大衆のサポートなしでラマ教徒はいくつかの聖地ですぐに塹壕を掘りました。主要な反乱は、2、3日以内に終わっていました。

戦いの間に、ダライ・ラマは逃げました。これは、ラマ教徒によって英雄的、聖なるイベントとして描写されます。しかし、ダライ・ラマがCIA秘密工作によって連れ去られたことは、現在文書で十分に裏付けられています。ダライ・ラマ自身の自叙伝は、その旅行上の彼のコックと通信士がCIAのエージェントだったことを認めます。CIAは、毛沢東信奉者革命に反対する戦いのシンボルとしてチベットの外側に彼を欲しいと思っていました。

反乱に失敗して、上流聖職者と貴族階級の大部分も逃げました。多くの奴隷使用人、武装衛兵、ラバが引く荷車の列でインドに入りました。全部で13,000人が亡命しました。最も中核を成す封建制勢力とそれらの支持者。金持ちのラマ僧、高位の政府職員、世俗的な貴族の三つは過ぎ去りました。

革命軍隊は、封建主義者共謀を根こそぎにするために動員されました。そして1000人のチベット学生が、国立少数研究所からチベット革命の最初の大きな波を組織するのを支援しました。

ダライ・ラマのKashag政府は分解しました。新しい機関は「嫌悪を抑制するオフィス」と呼ばれ、あらゆる地域で作られました。新しい地方行政は「チベット自治区への準備委員会」(PCART)と呼ばれました。新しいチベットの幹部とベテランの漢幹部はともに働きました。

革命の初期は「アンチ3そして2の縮小」と呼ばれました。それはラマ教徒の共謀、強制労働、奴隷制度に反対しました。過去の農奴では、主人に彼らの収穫の四分の三が支払われていましたが、革命は「小作料」を20パーセントまで減少させるために戦いました。他の縮小は、農奴が主人に「借りていた」大きい負債を除きました。

このキャンペーンは、チベットの封建制の核心を攻撃しました。強制的なulag(無限の無給)労働が廃止されました。貴族と僧院のnangzen奴隷が解放されました。奴隷僧の多数は突然僧院から出ることができました。武器貯蔵所は主な僧院から片付けられました。また、重要な共謀者が逮捕されました。

一部の人々は「チベットの宗教の自由のための闘い」について話すことが好きです。しかし、チベットの歴史を通して「宗教の自由」のための主な闘いは残酷な僧と彼らの無限の迷信に従うのではなく、信じない自由のためでした。結婚し、熱心に手作業を行う何千もの若い僧の姿は迷信的な畏怖に対する強力な打撃でした。

当時、衝撃を与えた女性解放運動は実現しました、スローガンは「すべての男女は等しい」。一夫多妻制から女性を助け、そして土地の再分配により、人口を制限するために複数の兄弟と結婚させられた強制の下にももういませんでした。

小作料がなくなり巨大で寄生的な僧院はすっかり干上がり始めました。僧の半分が去り、僧院の半分が閉鎖されました。

大衆集会では、農奴は利益のための農夫協会および闘争を組織するように激励されました。重要な圧制者は呼ばれ非難され罰せられました。農奴所有者の負債記録は大きな焚き火で燃やされました。女性は特に活発な役割を果たしました。会をリードし、圧制者を非難する日の写真で見られます。すぐに農奴は土地と家畜を得ました。元農奴、元乞食、元奴隷は各々数エーカーを受けました。

農奴は以下のように述べました。「Kashagの太陽は三つのマスターと彼らの手先だけを照らしていましたがしかし、共産党と毛主席の太陽は我々の上で貧しい人々を輝かせます。」

急激な階級闘争

これらの革命の動きは激しくてしばしば血なまぐさい階級闘争をしました。複雑さ、英雄的行動、現実の革命の誤り、進歩および後退のすべてがありました。

農奴支配者は、革命のチベット人を外国の協力者と神聖の破壊者であったとして訴えることで対抗しました。時々、革命軍隊は優勢でした、そして巨大な変化は人々の人生で起こりました。他の場所では封建的な力が勝利しました、そしてどんな挑戦も破壊しようとしました。長年の激戦、襲撃が両側にありました。マオ・ツートンが教えるように「革命はディナーパーティーではありません。革命は暴動、1つのクラスが別のものを倒す暴力行為です。」大きな武力行使することなく、農夫は何千年も続いている主人の根深い権力を倒すことは恐らく出来ません。

革命軍は盛り上がりを支持する強力な力でした、そして多くの切望している農奴が人民解放軍に加わるのを買って出ました。 しかし、チベットは孤立した谷の巨大な地です。広く点在する和解のオーガナイザーは主に一人でいました。彼らは人々のためにあらゆる危険を冒して、しばしば封建的なギャングに殺されました。まさしく米国内戦の後に開放された奴隷を3K団支部が殺したように。

貴族的なバックグラウンドからの何人かのチベット人の学生が、新エリート集団になるつもりでしたが農地改革が彼らの農奴を所有する家族に影響したので或るものは憤慨しました。彼らのベッドを整えて彼らの部屋を掃除する使用人を持つことを要求すること、また彼らは、奴隷と農奴のバックグランドの学生とつきあうことを拒絶しました。同様の問題はラサの新しい学校を分割しました。貴族学生は、奴隷学生が「主人」の本を運ぶことを要求しました。「教育を監督し」、かつ勉強会の前後に祈祷させるためにラマ僧は送られました。このような問題がチベットの社会中至る所で外へ広がりました。

ほとんどの土地が個々のプロットに分割された時、先見の明のある実験は地方の社会主義集合的形式を試みました。マオは、地方での解放への道が人々間の新しい協力の形を必要とすることを教えました。チベットでは、新しい「相互扶助チーム」は農具と動物を共有し、共にフィールドを扱い、運河を掘り、流れをせき止め、肥料を集め、新しい道を敷設するために、彼らの労働を共同提供しました。

闘いの大きな嵐によって、毛沢東主義革命はチベットの新しく解放された農奴の間に独力で広い基礎を作りました。

…続く

| 未分類 | 18:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

また大きめの地震かな


今朝、地震の予知夢をみた。
統計通りなら1週間以内に海外でM7以上。

でも今朝の夢はいつもとはちょっと違った。
美しくて神秘的な自然の風景じゃなくある街を高い場所からみていた。
白いスポットライトを上空から当てられているような不思議な光だった。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/24/62/b0086362_1239657.gif',87,110,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
インディアナ州で4日間に少なくとも23の地震
地震の影響か水道管の本管が壊れ1400人に影響

この地震には信じがたいほどの奇妙な雑音があり
まるで家を通り抜ける貨物列車のような音だとか。

ニューマドリッド断層の関係だろうね

カリフォルニアも揺れが続く

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/24/62/b0086362_1241824.gif',100,67,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
巨大な海底火山がアイスランド沖で見つかった

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/24/62/b0086362_12414170.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ロシア Shiveluch火山 高さ10キロの灰
エクアドルの火山も活発

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/24/62/b0086362_12423988.jpg',100,64,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
インドネシア スンダ海峡とMollucasで2つの火山の警報レベルがあがる

■寒波
アフガニスタン 
多くの人が亡くなった異常な冬の天気で
何百万ものケシの実の発芽が止まりアヘン収穫が壊滅状態
一部の農民は、最高50パーセントの損失
専門家は少なくとも7年の供給があると見積もる

気象変動でこういう良いことも起きるんだね
タリバン政権のときは禁止されていたけど
米国主導政権になってからケシ栽培が一気に増えた
たぶん過去最高じゃないかな?

ドラッグが減るのはいいことと思ったら
これが英国の通りのヘロイン供給に影響を及ぼしそうにないと書いてある
そうか、アヘンからヘロイン作るんだね
アヘン戦争も確か英国
そういえば英国のニュースにヘロインがよく出てくる
有名人がよく使われてるそうな
あれ、コカインだったかな?
ドラッグはなかなか覚えられない
すぐ忘れてしまう
ま、いいか。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/24/62/b0086362_12514217.jpg',100,67,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
中国 
厳しい一時寒波襲来で砂嵐500万人に影響
473,733ヘクタールと411,466ヘクタールの果樹被害
103,500匹の家畜が死に325万匹が負傷するか迷子
18人の漁師は行方不明のまま
50億元(7億1400万ドル)の経済損失

オーストリア 人気スキーリゾートで大きな雪崩

カリフォルニア(サクラメントバレー) 
氷点下の気温で寒さで芽を出し始めていた桃を滅ぼした。

南アフリカ も寒波で2人の男性が死亡

■豪雨
オーストラリア 11日間降り続く記録的な雨

■熱波・干ばつ
インド オリッサの熱波 少なくとも22人が死亡

ノースダコタ州 最も干ばつで損害を受けている地域
過去6ヵ月はノースダコタの記録更新
埃のため牛に肺炎の問題、
干し草を買うか、牛を動かすか、水を引っ張ってくるか、
最大の干ばつに遭っている他の地域は、
西ネブラスカ、南西部テキサスとアラバマ、ジョージア、
サウスカロライナとノースカロライナ
テキサス南西部は連邦干ばつマップ上で特別な扱い


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/24/62/b0086362_1252493.jpg',265,199,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
■世界食糧計画によると、少なくとも8億5000万人はひどく空腹です。
いくつかの貧困国で暴動が起き現実は人々がすでに死んでいるということ。

「飢餓の津波が世界を襲う」食糧危機で国連機関が警鐘(CNNニュース)
アフガニスタンでは昨年、小麦粉が平均60%値上がりした
国連世界食糧計画(WFP)のジョセット・シーラン事務局長は22日、ロンド
ンで開かれた「食糧サミット」で世界の食糧危機について演説し、飢餓とい
う「沈黙の津波」が世界の最貧国に押し寄せていると警鐘を鳴らした。

WFPによると、第二次世界大戦以来と言われる食糧危機は、既に貧困国
の子供2000万人を脅かしている。過去5週間で米の価格は2倍強に値上
がりし、世界銀行の推計では食糧価格は過去3年で83%高騰した。

食糧価格の高騰は、原油高や予想のつかない天候、インドと中国の需要
増大で拍車がかかっている。カリブ海沿岸やアフリカ、アジア諸国ではデ
モや暴動が発生。カメルーンやハイチでは死者を出し、ハイチのアレクシ
首相が解任される事態になっている。

シーラン事務局長は5億ドルの緊急援助を呼びかけており、ブッシュ米大
統領は2億ドルの拠出を表明、英国は22日、5970万ドルの拠出を約束し
た。しかし事務局長によれば、目標通りの金額が集まったとしても、今年の
食糧援助計画は打撃を受ける見通しだ。

国際NGOのワールド・ビジョンは同日、同団体が昨年食糧援助を行った
750万人のうち、150万人の食糧援助ができなくなっているとして、国際
社会に寄付を呼びかけた。

影響は援助対象国100カ国のうち35カ国に及び、東ティモールやスリラ
ンカといった国では既に援助活動の停止を余儀なくされているという。

食糧危機の解決策としては配給制、遺伝子組み換え作物生産、西側諸
国の浪費削減などを求める声が上がっているが、いずれも複雑で異論も
多く、需要の高まりの中で解決にさえならない可能性もある。

元英環境相顧問のアレックス・エバンズ氏は「長期的解決策を考えるべき
時に来ている」と指摘。食糧生産を増やし、バイオ燃料推進の姿勢を見直
し、かつてタブー視されていた遺伝子を操作した作物の生産も検討すべ
きだと訴える。

英野党保守党のデビッド・キャメロン党首などは、西側諸国が肉の消費量
を減らし、全般的な食品の消費や浪費を控えるべきだと主張。スーパー
マーケットなどで安い食品を大量に販売するのはやめるべきだとの声も上
がっている。

■ダルフール紛争の死者30万人に 国連調整官報告
国連緊急援助調整官のジョン・ホームズ氏は22日、安全保障理事会でス
ーダン西部のダルフール紛争について報告し、紛争の犠牲者は当初の推
計よりはるかに多く、過去5年で30万人に達するとの見方を明らかにした。

国連などが3月に発表した統計では、ダルフール紛争で20万人が死亡し、
250万人が家を追われたとされていた。

| 未分類 | 13:01 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダライ・ラマの本当の顔 その2


前回の続きです。
翻訳が面倒なところで一部省いたところがありますがご了解ください。
間違いがあれば遠慮なくご指摘ください。
記事の内容は各自で判断して読んで下さい。

ダライ・ラマとチベットに関しては
3月25日の「ブータンに何が起きたのか?」からずっと書いています。
ダライ・ラマとチベットのチャネリングもしてみました。
ダライ・ラマ14世のチャネリング詩は公開しています。
最近来られた方は過去記事をご覧ください。

翻訳で忙しいためあまり返事は書けないと思いますのでごめんなさい。
翻訳が終わってからこの記事の感想を書きます。


-----------------------------------------------
The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔


チベットの僧院はニューエイジが空想するような神聖で憐れみ深いシャングリラではありませんでした。これらの僧院は封建的な暗い要塞でした。軍事の倉庫、私設軍隊、完全装備武装した僧の村でした。巡礼者は、より良い人生を祈願するためにいくつかの神殿に来ました。僧院の主な活動は周囲の農夫から奪うことでした。巨大で怠惰な聖職者はほとんど食物を栽培しませんでした、そしてそれらを食べさせることは人々の大きな負担でした。

最大の僧院は、何千人もの修道士を収容しました。各々の「親のような」僧院は山谷に点在する小さな要塞の多数(数百)をつくりました。たとえば、巨大なレボン寺は7,000人の僧を収容し、300の牧草地を備えた185の異なる地に40,000人を所有していました。

また、僧院は人々から略奪するために、散髪、窓、戸口の上り段、生まれたばかりの子供たち、また子牛にと無数の宗教税金を作りました。僧院は、さらに子どもに僧を務めさせるために農奴に多くの少年を渡すことを要求しました。

チベットのクラス関係は僧院内で再生されました。大多数の僧は上部の僧院長の奴隷および使用人で、召使の労働、祈りの詠唱、および型通りのむち打ちの半分飢えた生活を送りました。上部の僧は貧しい僧に、彼らの宗教の試験を受けさせるかあるいは性のサービスを強いることができました。(最も強力なチベットの分派では、そのような同性愛の性は女性からの神聖な距離の表れと考えられました。)聖職者のわずかは尼僧でした。

僧院生活が憐れみに関する教えならば…解放の後、アンナ・ルィーズ・ストロングは若い僧に尋ねました。若いラマ僧は僧院ホールで憐れみに関しての多くの話を聞きましたが、「私は個人的に少なくとも1000回むち打たれました、」と返答しました。「どんな上位クラスのラマ僧もむち打つことを差し控えればそれは既に非常に良いです、上部ラマ僧が一度も空腹の貧しいラマ僧に食物を与えるのを見ませんでした。」

今日、ダライ・ラマは国際的に非物質主義聖人として「包装されます」。しかし実際はダライ・ラマはチベットで最も大きな農奴所有者でした。法律上彼は、国全体と全てを所有しました。実際に彼の家族は直接の27の領地、36の牧草地、6,170人の農奴と102人の奴隷をコントロールしていました。

彼が宮殿から宮殿へ移動する時、ダライ・ラマは数十人の奴隷によって担がれる王座椅子に乗りました。供に進む彼の軍隊「それはティペレアリーへの長い道である」、それらは英国帝国主義者トレーナーから学びました。その間に、ダライ・ラマのすべてのボディガード(身長6.5フィート以上)は、長い鞭で彼の行く手から人々を叩き払いました。この儀式はダライ・ラマの自叙伝に記述されます。

彼がはじめて1950年にインドへ逃れた時に、ダライ・ラマのアドバイザーは、追放中の彼の快適さを保障するために金・銀の延べ棒数百をラバで前もって送りました。2回目に彼が逃れた後、1959年の北京調査では20,331個の宝石と14,676個の衣類に加えて多くの金、銀を彼の家族が残したと報告しました。

酷い貧困、早死に

人々は、寒さと飢えに耐えました。農奴は果てしなく主人のための不足する木を集めました。しかし、彼ら自身の小屋はヤク糞の小さな料理の火によって暖められるだけでした。革命の前にチベットには電気はありませんでした。単にヤクバターのランプを点滅させることで照明されていました。

農奴は栄養不良によってしばしば病気でした。大衆の伝統的な食物はツァンバと呼ばれる紅茶、ヤクバター、大麦から作られた粥です。農奴はめったに肉を食べませんでした。東チベットに関する1940年の研究論文には、38パーセントの家庭が少しのお茶も決して得ることがなく。野生のハーブ、あるいは湯を飲んだとあります。75パーセントは時々、草を食べることを強制されました。人々の半分はバターに利用できるタンパク質の主な源を得ることができませんでした。

その間に主な神殿(Jokka Kangで)は、毎日4トンのヤクバターを燃やしました。チベットで生産されるすべてのバターの3分の1が約3,000の寺院で燃やされたと見積もられました。

古いチベットでは何ら、基礎的な衛生、あるいは細菌が疾病を引き起こしたという事実について知られていませんでした。普通の人々にとっての屋外トイレ、下水道、トイレはありませんでした。ラマ僧は、疾病と死が罪深い「不信仰」によって引き起こされることを教えました。彼らは、お金を僧に支払い、詠唱を口ずさみ、服従を誓い、そして祈祷の巻物を飲み込むことが病気からの唯一の保護だと言いました。

古いチベットの迷信、封建制の慣習および低い生産力は人々を恐ろしく疫病に苦しませました。ほとんどの子どもは最初の年の前に死にました。ほとんどのダライ・ラマさえ18歳までたどりつかず、彼らの戴冠式の前に死にました。人口の3分の1は天然痘を持っていました。1925年の天然痘の流行病はラサで7,000人を殺しました。地方でどのくらいかの人が死んだかは知られていません。ハンセン病、結核、甲状腺腫、破傷風、盲目および潰瘍は非常に一般的でした。封建制の性の慣習は僧院に性病を蔓延させました。革命の前に、人口の約90パーセントは広範囲な不妊と死を引き起こし感染していました。その後、マオ・ツートンのリーダーシップの下では大幅に縮小することができました。僧は、チベット中に広がった狂犬病除去を理由に人民解放軍を非難しました。(まだ今日、毛沢東主義革命に対する「非難」のうちの1つは「犬を殺した」ということです。)

ラマ僧の暴力

古いチベットでは、上流階級は神秘主義的な仏教徒の非暴力を説きました。しかし、歴史のすべての支配階級のように、それらは支配を維持するために反動的な暴力を実行しました。

ラマ教徒の政治制度は、血なまぐさい闘いを通して生まれました。初期のラマ僧は、伝えられるところでは10世紀に最後のチベットの王(ラング・ダルマ)を暗殺しました。そして彼らは、全体の僧院の互いの大虐殺の内戦の世紀を戦いました。20世紀に、13番目のダライ・ラマは、彼の軍隊を近代化するために英国の帝国主義者トレーナーを引き入れました。彼は英国の第一次世界大戦を支援するためにいくつかの軍隊を提供しました。

これらの歴史上の事実だけが、「憐れみ」と「非暴力」のラマ教主義が偽善であると立証します。

元支配階級は、階級闘争が古いチベットにあったことを否定します。Gyaltsen Gyaltag(ヨーロッパのダライ・ラマの代表)による典型的なアカウントは次のように言います:「1950年以前にチベット人は飢饉を経験しませんでした。また、社会的不公正は人々の暴動に結びつきませんでした。」階級闘争の記録がほとんど書かれていないのは真実です。理由は、ラマ教がどんな実際の歴史も書き留められるのを防いだということです。宗教の教義に関する論争だけが記録されました。

しかし、チベットの山は強盗逃亡者で満たされました。また各地所には、それぞれその武装した戦士を持っていました。チベット社会とその勢力関係を証明した証拠です。時々隠されて時々開きます?

革命的な歴史家は、1908年、1918年、1931年と1940年代にチベットの農奴間の暴動を文書化しました。1つの有名な暴動では、北チベットのThridug郡の農奴150の家族が女性(Hor Lhamo)によって導かれ立ち上がり1918年に起きました。それらはスローガンの下で郡の指導者を殺しました。「すべてのulag?強制労働を廃止してください!」

古いチベットでは毎日の暴力は大群衆に向けられました。各々の主人は「彼のもの」農奴を罰して、彼の支配を執行するために暴力団を組織しました。僧のチームは人々にひどい仕打ちをしました。それらは、人々を乱打するために運ばれた大きな金属棒のための「鉄棒」と呼ばれました。

農奴が逃走したとき、主人の暴力団は彼らを探しに行きました。各地所にはそれ自身の土牢と拷問部屋がありました。コショウは眼の上にかけられ指の爪の下にスパイクを押し付けられました。農奴は足を短い鎖でつながれたままの状態で一生涯さまようために開放されました。

グリューンフェルトは書きます:「仏教徒信仰は生命の魅力を排除します。そのため死の淵に人をむち打ち、次に、他の場所で死ぬために農奴を解放することはチベットの政府関係者が「神業」として死を正当化することを可能にしました。他の残忍な罰は、目をえぐり出すために真っ赤に焼けた鉄を使用し、手首の切断、親指による絞首刑を含んでいました。そして犯罪者を不具にして袋に縫い込み川に投げました。」

ラマ僧の力のサインとして、伝統儀式は死んだ人々の身体の部分を使用しました。フルートは人間の大腿骨から、ボウルは頭蓋骨から、ドラムは皮膚から作られました。革命の後、108の異なる頭蓋骨から作られたロザリオがダライ・ラマ宮殿で見つけられました。解放の後、農奴は僧院の起工式のために生きた農奴の子供を埋める儀式人身御供儀式に従事していたと広く報告しています。元農奴は、毛沢東主義の革命勝利を防ぐことを願うために1948年に僧によって少なくとも21人が犠牲にされたと証言しました。

抑圧を正当化するためにカルマを使うこと

「ラマ教主義」の中心的信念は輪廻とカルマです。 各々の生命はしばしば生まれ変わり、不滅の魂によって居住されると言われています。各々の死の後、魂はおそらく新しい体を与えられます。

カルマの教義によれば、魂はそれぞれそれ値する生命を得ます。敬虔な振る舞いは良いカルマに結びつき、次の人生は社会的身分の上昇を得ます。不信心な(罪深い)振る舞いは悪いカルマに結びつき、次の生命は昆虫(あるいは女性)としてあるかもしれません。

注;前世に関しては配信、イラスト・エッセイ集にも書いてありますが
またブログのほうにも改めて書いてみようと思ってます。(まゆみ)


実際には、霊魂再来のようなものはありません。死んだ人々は新しい身体の中に戻りません。しかしチベットでは、霊魂再来に対する確信は恐ろしい実際の結果を持っていました。チベットの神秘主義に好奇心をそそられる人々は、チベット内のこれらのラマ教信条が役立った社会的機能を理解する必要があります。ラマ教仏教は人々に極端な封建制の圧迫を行なうために作成され、課され、永続させられました

今日のラマ教徒は、貧富の差をなくしたかった古代のチベットの王の話を話します。王は、なぜ自分の努力が失敗するのか宗教学者に尋ねました。「賢人は、現在の人生の条件は以前の人生の行動の結果であるので、無理やり力ずくで貧富の差を縮めることができないことを彼に説明したと言われています。したがって事態の過程は自由自在に変えることができません」

Grunfieldは書きます。「純粋に世俗的な視点から見て、この主義は、かつて考案された社会統制の最も精巧で最も有害な形式のうちの1つとみなさなければなりません。」普通のチベット人にとって、この主義の受理は、この人生で常に人々の運命を変更する可能性を排除しました。人が奴隷として生まれるならば、カルマの教義が教えたように、それは奴隷所有者の誤りでなくむしろ彼ら自身が前世で悪行を行ったための奴隷でした。次に、奴隷所有者は単に前世で良い行為に対して報いられているだけでした。奴隷は、つながれた鎖を壊すことを試みることは更に悪い次の生命への自己非難に等しいでしょう。「確かにこれでは革命が為されるものはありません」

チベットの封建主義者僧院長ラマ僧は、トップのラマ僧がただ一つの神の神存在王で、食うか食われるか我勝ちの支配システムが宇宙の自然な作用によって要求されたことを教えました。これらの神話と迷信は、社会変動が全く起きるはずがなく、苦しみが正当化され、それを各人が受けて終了することを、根気よく苦痛を許容しなければならないと教えます。これは同様の封建制度を維持するためにまさに中世ヨーロッパのカトリック教会が人々に教えたものです。

また中世ヨーロッパの様に、チベットの封建主義者は、彼らの「防御」システムを弱体化するかもしれないものを抑えるために戦いました。すべてのオブザーバーは、毛沢東主義革命前に、いかなる雑誌、印刷本、非宗教的文学もチベットになかったことについて同意します。唯一のチベットの言語新聞は改宗したキリスト教系チベット人によってKalimpongで発行されました。外部世界に関するニュースの源は旅行者でした。また、支配階級メンバーが所有する2、3ダースの短波ラジオでした。

多数は民間伝承をつくりました、しかし書き言葉は、宗教上の教義と論争のためにとっておかれました。大衆とおそらく大部分の僧は、完全に無学にされていました。教育、外部のニュースと実験は、疑わしく、有害である、と考えられました。

この宗教がチベットの人々の文化(また存在さえ)の本質であったように「ラマ僧主義」支持者は行動します。これは真実ではありません。社会と自然界におけるすべてのもののように、ラマ教仏教は始めを持ち終わりを持つでしょう。「ラマ僧主義」の前にチベットには文化とイデオロギーがありました。その後、この封建制の文化と宗教は封建的な搾取と共に起こりました。それはラマ教文化がそれらの封建的な関係と共に粉々になるのは回避不能でした。

実際、毛沢東革命が1950年に到来した時、このシステムは既に内部から腐敗していました。ダライ・ラマさえ、チベットの人口が減少していたと認めます。仏教が最初に導入された1,000年前にはおよそ1000万人のチベット人がいたと見積もられます。毛沢東革命までには2~300万だけが残っていました。人口の低下が加速し過去150年間で半分に減少したと見積もります。

ラマ教システムは、人々に大きい搾取で負担をかけました。それは、地域の青年の20パーセント以上およそ20万人に、巨大で寄生的な聖職者を支援する特別な重荷を強化しました。システムは生産力の発達を抑え、鉄の鋤の使用、石炭、燃料の鉱業、魚、獲物の収穫、いかなる種類の医学・衛生上の革新も防ぎました。飢え、性病による不妊、一妻多夫は、出生率を低く維持しました。

「ラマ僧主義」の神秘的な包装紙はその古いチベットの社会を隠すことができません、農奴の上の農奴所有者の独裁政治でした。この社会に関してロマンチックに描くものは何もありません。農奴と奴隷は革命を必要としました。

チベットは、毛沢東主義革命に出会う

1930年代と'40年代を通じて、革命的な民族戦争が中国中部の農夫の間で発生しました。共産党およびその議長マオ・ツートンのリーダーシップの下では、革命は1949年に東中国の人口密度の高いエリアで全面的な国家権力を勝ち取りました。その時までに、米国の陰謀は既に朝鮮と中国の北部国境でスタートしようとしていました。また、フランス帝国主義者は、中国南部国境に沿ったベトナムの植民主義者侵入を始めていました。明白に、毛沢東主義革命家は、解放することを熱望しました、中国のいたる所で圧迫を解放して、中国の国境地帯から外国陰謀者を追い立てることを切望していました。

しかし、チベットは特別の問題を提起しました。1950年にこの巨大な地域は残りの中国を襲った革命旋風からほとんど完全に分離されました。チベットにほとんど共産主義者はいませんでした。チベットの農奴の間で共産主義の地下はありませんでした。実際、チベットの農奴には革命が他の国のほかの場所で起こっていたか、または「革命」のようなものが可能でさえあったという考えが全くありませんでした。

ラマ教システムとその宗教の掌握は、チベットにおいて非常に強かっです。単に大多数の漢国籍革命軍隊を持ち込んで封建制度が廃止された宣言してもそれを壊すことができないかもしれないでしょう。マオ・ツートンは、「大衆の名においててするもの」「commandist」アプローチを拒絶しました。毛沢東主義革命は多数に依存します。

このシリーズのパート2では、我々は毛沢東主義革命がどのようにチベットのその足場を得たか、また、革命が、どのようにしてラマ教圧迫を吹き飛ばした大規模な嵐になったか議論します。

…続く。
-----------------------------------------------

まだまだ大変な量が残っていてあと5~6回くらい続くかも知れません。
せっかくだから頑張って全部翻訳してみたいと思ってますが
なんせ苦手な英語、あ~気が遠くなる。
そんな私が翻訳してること自体間違ってる。

| 未分類 | 15:57 | comments:15 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダライ・ラマの本当の顔


アイク情報で紹介されていた記事を翻訳中です。
途中までyasuさんが翻訳してくれたのでそれを先に載せます。
翻訳ありがとう。
記事の内容は各自で判断して読んで下さい。

The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔

http://www.rense.com/general81/faeeof.htm

『これはチベットでの争乱と、米国が彼らのイデオロギーの戦いを遂行するためにダライラマ像をどう確立してきたかという背景の説明です。米国の無知な人々は、「平和」と「非暴力」という彼の哲学によりダライラマを畏敬してきました。この記事はラマ僧がほんとうの意図するもの、なぜ米国がノーベル賞や多くを彼に与えてきたかといういう事実を暴きだすでしょう。- Kalovski Itim、ダライラマが統治していた頃のチベットでの、毛沢東革命の実話: 生き地獄

革命の労働者#944、1998年2月15日

厳しい気候、無情な社会

チベットは世界一遠く離れた場所の1つです。それはアジアの真ん中奥深くの高山帯に位置します。それは、世界一高い山ヒマラヤにによって南アジアから分断されています。 無数の峡谷と少なくとも6つの異なった山脈が、この地方を孤立した渓谷の合間に造り上げたのです。 1949年の中国の革命の後に引き起こされた変化の前には、車両が通行できる道はチベットにはありませんでした。 危険な曲がりくねった山道を、ラバ、徒歩、または毛むくじゃらの牛のような山の動物であるヤクによって旅するよりなかったのです。貿易、コミュニケーションや中央政府が保持されるのはほとんど不可能でした。

樹木限界線の上にチベットの大部分があります。空気は非常に薄いです。ほとんどの作物や木はそこに生えません。それは食物を栽培して、炎のために燃料を見つけるのさえ戦いでした。

革命時点でチベットの人口はたいへん広範囲に広がっていました。およそ2、300万人のチベット人がおよそ150万平方マイルー合衆国の大きさの半分の地域に住んでいました。 村、修道院や遊牧民の露営地は何日もの厳しい旅で隔絶されていたのです。

毛沢東主義者の革命家は、「3つの大きな欠如」が古い時代のチベットにあるといいます: 燃料の不足、コミュニケーションの不足、および人々の不足。毛沢東主義者の革命家によると、この「3つの大きな欠如」 は物理的な状態によって引き起こされたものではなく、社会システムによって引き起こされたといいます。 毛沢東主義者は、「3つの大きな欠如」がチベットの社会における「3つの豊さ」によって引き起こされたと言いました: 「超自然への豊富な貧困、豊富な抑圧、および豊富な恐怖。」

古いチベットの階級社会

1949年に始まった革命以前のチベットは封建社会でした。2つの主なクラスがありました: 農奴と貴族的な農奴の所有者。人々は米国のヨーロッパの「暗黒時代」の農奴や、アフリカ人の奴隷かアメリカ南部の小作人のようにして暮らしていたのです。

チベット人の農奴は、木製の鋤と鎌で固い大地から大麦収穫をこそぎとっていました。ヤギ、羊、およびヤクはミルク、バター、 チーズ、および肉のために育てられました。貴族的や宗教指導者たちは人々、土地、および動物の大部分を所有していました。彼らは、農奴からほとんどの穀物を取り上げ、あらゆる強制労働(ulagと呼ばれる)を要求しました。男性と女性の両方がこのulagを含む厳しい労働にじゅうじさせられ、 また、チベットの不毛の西高地に点在している遊牧民族は、領主とラマ僧によって所有されていました。

ダライラマの兄のThubten Jigme Norbuは、ラマ教徒社会の階層では、「階級というものは全くないし、階級間の流動性があるからどんな階級の偏見もありえない」と主張します。しかし、この宗教的な秩序の存在は、堅固で残忍な階級制に基づいていました。

農奴は軽蔑され「劣ったもの」として、黒人が黒人差別で南部に扱われたように扱われました。農奴は農奴の所有者として同じ席や、 言葉または食器を使用することができませんでした。主人の所有物に触れただけでも 鞭打ちで罰することができたほどです。主人と農奴の差が非常に離れていたので、チベットの大部分で彼らは異なった言語を話しました。

農奴は彼の主人が馬にまたがるため、四つ足でひざまずいて踏み台になる習慣でした。チベットの学者のA.トム・グリューンフェルトは支配階級の少女がただ怠惰であるという理由で、1人の使用人に階段で彼女をいつも運ばせていたと述べています。主人は小川の向こう側に渡るのに、農奴の背中に乗りました。

チベットの農奴より悪い唯一のものが、自分たちのためにいくつかの作物を作るのさえ権利が全くなかった「家財奴隷」でした。 これらの奴隷は、しばしば飢え、打たれ、死ぬまで酷使されました。 主人は好きな時にいつでも農奴をこの奴隷に落とすことができだのです。チベットの首都ラサでは、常に子供の売り買いが行われていました。チベットの人々のおよそ5パーセントは家財奴隷にみなされ、他のすくなくとも10パーセントが、実際は「ローブの奴隷」とでもいうべき、貧しい僧達でした。

ラマ教徒のシステムはどんな種類の逃亡も妨げるようになっていました。脱走した奴隷は、広大な空き地にあっても自由に農場を営むことはできませんでした。革命作家アンナルイーズによれば、革命以前の農奴は次のように説明されています。「あなたはチベットに主人なしで住むことはできません。もしあなたに法的所有者がいない場合、だれもがあなたを無法者としてみなすにちがいないのです。」

過去の罪の生まれる女性の証拠?
*前世の悪いカルマで女性に生まれたという意味だと思う。(まゆみ解釈)

ダライラマは、「チベットには、どんな特別な女性差別もありませんでした。」と書きます。ダライラマの認可された自伝作家RobertHicksは、チベット人の女性が彼女らの状態に満足していて、「彼女らの夫に影響を与えていた」と主張します。しかし、チベットでは、女性に生まれるのが前世の「神を敬わない」(罪深い)振舞いのための罰であると考えられました。古いチベットで「女性」意味するkiemenは「劣った出生」を意味しました。女性は「私は、女性の体を捨て、男性に生まれかわれますように」にと祈るように言われました。

ラマ教徒の迷信は女性を悪と罪に関連づけました。それは「あなたは10人の女性の中に9人の悪魔を見つける」と言われました。女性が触れた何でも汚れると考えられたので、あらゆる種類のタブーが女性に課せられたのです。女性が薬を扱うのが禁じられました。Han Suyinの報告しています。「どんな女性もラマ僧の所有物に触れることができませんでした、そして、女性は、 壁が崩れ落ちるからと、壁を築き上げることもできませんでした。未亡人は卑劣な存在、既に悪魔でした。どんな女性も鉄の器具煮触ったり、使ったりすることもできませんでした。「農奴と奴隷に貴族や偉大なラマ僧の顔を見ることが許されなかった頃、宗教は女性が男性のひざから上へ視線を上げるのを禁じました。」

チベットの仏教の主要な宗派の僧は女性との性的な親密さ(または、接触さえ)を、聖なる計画の一部としてこれを禁じました。革命の前に、どんな女性も寺院やダライラマの宮殿に足を踏み入れたことはありませんでした。

双子を生んだり、前仏教的な伝統的な宗教(ボンと呼ばれる)を習慣としていたために焼かれてしまう女性の話もあります。このころ双子は女性が悪霊と結婚したという証拠であると考えられました。 またボンの儀式と民間療法は「魔法」であると考えられていました。 他の封建社会などのように、上流階級の女性でも見合い結婚として売買されていました。また 妻が誰かと一緒に寝たところを見つけた時には、夫が妻の鼻の先を切り落とすことが習慣とされていたのです。家長的習慣は一夫多妻制を含み、資産家が多くの妻を持つことができ; そして、貧しい地方の貴族は、 1人の女性が数人の兄弟の妻であることを強制されました。

下級層においては、家族の生活は米国の南部の奴隷制度とほとんど同様でした。("チベット奴隷の人生"を参照) 農奴は結婚することができなかったし、主人の許可なしにその地を離れることができませんでした。 その主人は農奴をある地所から別の地所へ、思うがままに永遠に家族から引き離しました。女性農奴のレイプはulagシステムの下では一般的であり、支配者は「一時的な妻」を要求することができました。

3つのマスター

チベットの人々は、彼らの統治者を、農奴の所有者が3つの団体に組織化されていたので、「3人の偉大な主人たち」と呼びました: 古いチベットにおいては、ラマ僧寺院が耕作地と牧草の37パーセントを、世俗的な貴族が25パーセント、そして、残りの38パーセントがダライラマのアドバイザーによって任命された役人の手にありました。

チベットの人口のおよそ2パーセントがこの上流階級にあたり、 加えて3パーセントが彼らのエージェント、監督者、執事、マネージャや地所と私設の軍隊でした。ger-Ba(およそ200家族の小さいエリート)が一番上で統治していました。 HanSuyinは書きます: 「たった626人の人間がチベットのすべて土地と財産のうち93パーセントと70パーセントのヤクを持っているのです。」 「これらの626は333人の寺院の代表と宗教家、そして、287で、当局(チベットの軍隊の貴族を含んでいる)と6人の閣僚が含まれていいます。」

また、商人と職人は領主のものでした。拉薩の首都の人口の4分の1は信心深い巡礼者からの施しで生きながらえていました。どんな近代産業も賃金労働者階級も存在していませんでした。マッチや釘さえ輸入しなければなりませんでした。革命の前には、チベットにおいては仕事に対して賃金が払われることは決してなかったのです。

このシステムの中心は搾取でした。農奴は、彼らが生み出した食物の4分の1だけを手元に残し、あとは彼らの主人を豊かにするために16か18時間の数日を扱いました。

トム・グリューンフェルトは書きます: 「これらの地所は非常に儲かりました。」 1人の元貴族が、'小さい'地所は、数1,000頭の羊、1,000頭のヤク、不特定数の遊牧民と200人の農業農奴から通常はなりたっていると書いています。年間の生産量はが3万6000kg(8万lb)以上の穀物、 1,800kg(4,000lb)以上の羊毛とおよそ500kg(1,200lb)のバターとなります。役人は、'無制限の強奪をおこなう力をもち、人々を投獄して罰する代わりに、その権力をもって賄賂を要求し財産をなしていたのです。小作人から絞り上げたお金は税金のために必要な金額を超えていたほどでした。」

支配的な農奴の所有者は寄生体でした。1人の観察者(チャールズ・ベル卿)が典型的な職員について説明していますが、彼は公務として1日あたり1時間を過ごしただけでした。上流パーティーは、食べる、ギャンブルと何日も続きました。また、貴族的なラマ僧は決して働きません。彼らは読経し、宗教上の教義を暗記するだけであとは何もしません。

修道院: 封建制度の本拠

古いチベットの擁護者はチベットの人々の文化の本質としてラマ教を描いています。しかし、それはまさに特定の圧倒的な社会システムのイデオロギーそのものなのです。 ラマ教自体は封建的な階級社会とちょうど同じくらい古く、最初のチベットの王(Songsten-gampo)は統一された封建的なシステムを、西暦およそ650年頃にチベットに確立しました。彼は、封建制度を実行するために国外で使用されている習慣を学ぶために、中国とネパールからの女王と結婚しました。彼女らは、チベットへ密教をもたらし、初期の原始宗教と結びつき新しい宗教であるラマ教が作られました。

この新興宗教は支配階級によって次の一世紀半にわたって、暴力を持って強制的に人民に課せられました。 Trosong Detsen王は命じました: 「僧に指をみせる者は指を切り落とされ、 僧と王の仏教徒の方針をそしる者は唇を切り落とされ、それらを疑って見る者はその目をえぐられる」と。

1400年代年と数1600年の間に、権力は血だらけのうちに強化され、最も大きい寺院の指導者は全権的な権力をてにしました。彼らは独身を慣習としたので、彼らの新しい政治システムは父から息子に対する遺伝的継承によっては成り立ちませんでした。したがって、ラマ僧は彼らの宗教のために新しい主義を作成しました: 彼らは、死んでしまった指導的なラマ僧の生まれ変わりであった新生な子供を探し出すだろうと発表したのです。何百人もの一流のラマ僧が、時に応じて古い体を脱ぎ捨て新しい体に入れ替わる、何世紀もの間他のものを支配していた「生仏」(菩薩)であると宣言されました。

このシステムの中心的な象徴であるダライラマと呼ばれる数々の男性は、何世紀にもわたって14の異なったボディーで再現していた初期チベットの自然神Chenrezigであると言われました。14人のダライラマのうち3人だけが実際に統治しました。1751年と1950年の間に、大人のダライラマは王座にいませんでした。最も強力な宗教指導者は子供のダライラマを訓練、操作、 暗殺しさえしながら、「摂政」として統治していたのです。』

・・・続く

| 未分類 | 13:59 | comments:19 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

世界の気象


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/22/62/b0086362_1254598.jpg',245,193,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
オハイオ(ベルヴュー)の奇妙な洪水続報
奇妙な洪水続報は4週間も続いている
数十もの住宅所有者は4週間24時間家の地下の水抜きをしている
水がどこから出ているかまだわからない

中国広東省
3人が強風で死亡、地すべり、7,000ヘクタールの農地が水没、274,000人影響
3つの峡谷で大規模な土砂崩れが発生、200人を救助しようとしている
降り続く雨は6万立方メートルの地滑りの引き金となった
マカオも40年ぶりの春の猛烈な台風

カナダは春の多くの氾濫を予測している

ワシントン州西部に土曜日に降った、1972年4月以来

インド オリッサの厳しい熱波は続き10人死亡、42度
米ペンシルバニア(エリー) 高温記録
ニューヨーク 1977年以来の高温記録

まるで映画のような出来事
地中海を走る豪華ヨット(68万ドル)から姿を消した英国人の1週間に及ぶ捜索
は取りやめられた。 彼は船を造った技術者でした。彼は所有者がフランスから
Estartitのコスタブラバリゾートまでボートに乗るのを助けていた。ヨットが到着し
なかったとき空と海の検索は着手され先週所有者の身体がスペイン沖に浮い
ているのが見つかった。後にヨットがメノルカ島で流されているのが発見された
がヨットの損害をみて高波で二人の男性がほうり流されたと警察は考えている。

| 未分類 | 12:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

エネルギー泥棒


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_20524780.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

                     先日のビーチで落書き



デーヴィッド・アイク公式日本語情報ブログに
先日予告した「吸血鬼の呪文」がアップされました。

エネルギーを散々吸い取られてきた私にはとても実感ある内容でした。
でもレプに関しては未だに実感できません。

ニューエイジや精神世界が好きじゃないと何度も書いてきたけれど
ニューエイジ、精神世界が今でもお好きな方は是非一読を。
チベットのラマ教もマハリシとジョン・レノンの件も出てくる。
ヤモリの言葉も出てきて意外な言葉にびっくり。
サナンダは初めて聞いた。

でもいつも言いますが、内容については各自で判断してくださいね。
自分の直感にフィットする部分だけでいいと思います。
情報は鍛錬です。

David Icke in Japan 吸血鬼の呪文より一部引用
-----------------------------------------------
■吸血鬼の呪文・・・
(第一部)
http://www.davidicke.jp/blog/nl0113/

「ニューエイジ」と聞くと、その名のとおり「新しい」のかと思いきや、ほとんどは「古い」ものの見かけが変わっただけのものだ。

ニューエイジは東洋の宗教、哲学の考え方に基づいており、あなたがヒンドゥー教で言う多くの教義を通過したような深遠に達した経歴があるならば、ヘンリー・キッシンジャーが「ニューエイジ運動」と呼ばれているものの出現に裏で関わっていたことを、かつて政府の精神奴隷から回復しつつある人によって私は教えられたということに、それほど驚いたりしない。

■吸血鬼の呪文 第二部
http://www.davidicke.jp/blog/nl0114/#extended

人間を奴隷化する陰謀において宗教が果たすべき主要な役割がこれである。そして、私はニューエイジもそれに含める。先週述べたように、

「『ニューエイジ』が新しくもなんともないのは明白である。ただの新手の宗教であって、あらゆる宗教がやっているのと同じことをしている。表向きはまったく無秩序に見えるが、その陰には、基盤となる従来型の宗教が隠れている。他の宗教と同様、物か人かを崇拝することが基本であり、信者は自身を崇拝物の一部ではなく、それよりも小さな存在と思っている。

ああ、いろんな宣伝文句が聞こえるね。みんな一つになるだの、パワーを取り戻すだの。でも、そんなものは、ニューエイジ活動の究極の目的には、たいがい究極ともいえない目的だが、存在しない。私が見たものは、教祖と神への崇拝と精神的高揚の中で、自分たちのエネルギーを「献上」している人々である。」

『TMの呪文を活性化するためには、修行者の勤めとして捧げ物とひざまづくことが求められた。呪文は、無意味な音であり、精神的な超越を促し、生命を支える性質を備えたものだと修行者たちには説明された。しかし、TMを脱した者が後に発見したのだが、呪文は実際はヒンズー教の神々(先週私が述べたように爬虫類人の神々である)の名前であった。また、上級の呪文は、「私は服従する」という意味の「ナマー」という言葉を含んでいた。

私が辿り着いた結論は、新入会員が自ら進んでひざまづき、呪文を受け入れたときから、指名された爬虫類人の神が憑依し始めるのだということだった。ひざまづくことと、修行者が持ち込んだ捧げ物は、新入会員としての同意と意思を示す行為として重要なのであり、私たちの中にはそのような本人の同意なくして呪文は機能しないのではないかと疑う者がいた。だから、修行者をプージャ儀式に引き込むという重要性もあった』

東洋のグルと西洋のニューエイジのグルもどきが利用した人心操作の呪文は、神々に対する同意を促し、共振的な結合をさせるために悪用された。
-----------------------------------------------
以上引用終わり


抱擁のことが書いてあったけれどこれが妙に納得。
私は昔からなぜかハグというものが馴染めないせいか苦手で
よほどのことがない限り、相手に完璧に近い信頼があるとき以外はまずしない。
でも夢ではハグのようなことをごくたま~にします。
夢の仕掛けは真に巧妙で
ハグ嫌いな私のことよく知っている存在がエネルギーを盗ろうと
あの手この手でハグのようなことをしたり触れようとしてきます。
気を許してしまってハグされると翌日は必ず体調が悪い。
これは99.9%の確立。
万に一つくらい何ともないことがある。
記憶では一人だけかな。
だから、夢は怖い。

前にも書いたけれど
鍼の先生には、人に体を触らせないようにと強く言われてる。
先生自身の経験で私の体に触れると体調がよくなるそう。
治療する側の人間が逆に治療されてしまう、逆転現象が起きる、
これは昔から誰からでも言われる。
足裏マッサージくらいはいいだろうと思ってても
マッサージ師の体調が良くなっていつも喜ばれる。

横にいるだけでも
エネルギーを吸い取られる感覚は日常的にあるけれど
触れられるとそれが顕著に現れる。

昔、友人の勧めで年配の女性から鍼を受けたことがあり
終わってから、サービスでマッサージをしてくれるというので
嫌だなと思ったけれど、お婆さんだし、まあいいかと思ってしてもらった。
マッサージが終わってその女性の顔をみたらまるでお風呂上りのような
つやつやしたピンク色になって驚いたことがある。
結果は体調が悪くなって次は行かなかった。

アイク氏の記事を読んで思ったのは
今までは単に相手にエネルギーを吸い取られていると思ってたけれど
背後のもの、代理する神々に盗られていたとも言えるんだと納得。
これがまた、思い当たるところが大いにある。

ちょっと「イエス」
子供のころからイエスが出てくる映画に興味があった。
何故興味があったかというと顔がみえない設定だったから。
手や足しか見えなくてだから興味が出た。

興味があるのに何故かイエスの夢は一度も見たことはない。
だから実感が全然ない。
仏陀も同じく実感がない。
だから本当にこの二人は存在したのかなと疑問に思ってる。

イエスの星座、歴史に関する本の考察で
存在すると仮定して一度書いたことがあるけれど
個人的にどう思っているか、存在を信じているかは書いたことはない。

いつかイエスのことも書かなきゃと思ってるけれど
実感がないのでなかなか書けない。

イエスの代わりになる人の夢だったらみたことはあるけれど
知れ渡ったイエスとは全然違う風貌、
アメリカインディアンのような風貌だった。
でも世間では気が狂った人だと言われていた。
でもこの男性が例の「愛」と関係がある人。

「イエス」って「はい」でしょ。
どうしてこんな名前にしたんだろう?

”聖なるK音”興味深い。

| 未分類 | 21:17 | comments:25 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「マ・ン・ト・ラ」へのコメント


4月3日の「マ・ン・ト・ラ」の記事へいただいたコメントを転載します。

-----------------------------------------------
Commented by ふう at 2008-04-03 18:11 x
ちなみに、「南無阿弥陀仏」の「南無」も、元はサンスクリット語で、「~にすがる」という意味です。

般若心経が実は、最後にあるマントラを無上のものとして唱えるように、という内容のお経だということは、あまり知られていません。このマントラは、正式な文法からは外れているので、正確な意味は不明らしいです。

Commented by uzm at 2008-04-03 18:36 x
専門的な中で書くのも気が引けるのですが、自分のブログより抜粋します。
以下はヨガのスワーディシュターナが前世のカルマを噴出するより連想しました。

>憎しみと慈悲の力=地球=マントラ=自己の破壊と他人のカルマの解消
>とも読める。
>何事も表裏一体であり、読む者を局所的に破壊し、
>それ以外に「カルマ解消による抜け出す力」と「堕落への許可」を産む結果になっているとか。
>昔、カルマシステムは借金に似ていると書いたのが、そのまんまな気がする。

Commented by fujinomiya at 2008-04-03 19:25 x
十年以上前に、マントラを使う瞑想を習いました。私がもらったマントラは、英語に同じ単語があるので、もしかしたらマユミさんのものと同じかもしれません。三ヶ月ぐらいしましたが、マントラを使うと、頭痛がして肩が凝り、首が痛くなりました。「身体に合わないなぁ…」と感じて、大金を出して習ったものの、やめてしまったのです。あとから知ったことですが、私と同じような症状をマントラで行なう瞑想術に感じて、途中でやめてしまう人も多くいるそうです。私だけかと思っていましたが、そうではなく、身体に合わない人もいるということは、「これは本当によいものなのか?」と、最初の出発点を考えてみるきっかけにもなりますね。
最近になり、友人が上位のクラスを受けると言ってきましたが、その受講料は並ではありません。止めたのですが、彼女いわく「幸せになりたいから・・・」と、受講する意思は変わりませんでした。これで幸せになれるかどうかを、まず先に考えるべきかもしれませんね。

Commented by みーこ at 2008-04-03 20:50 x
20年以上前に、TM瞑想でマントラをもらいました。5万円くらいだったと記憶しています。マントラは確か「シリング」でした。でも、これは私のマントラじゃないんです。
生まれた年を1年ごまかしたんです。知らない人に霊的にコントロールされるようで自分を守りたかったんです。
そのマントラでも、心のおしゃべりは何とか静まるときもありましたが、どうも瞑想は向いてないようで、長続きしませんでした。

Commented by まか at 2008-04-03 22:55 x
マントラとマヤ暦について、待ってました!

『マインドコントロールの恐怖』という本には、TM瞑想により頭痛がしたり、体の不調に悩まされると書いてありました。TM瞑想関係のマインドコントロールを受けた患者を脱洗脳した事例も紹介されていました。

自分だけのマントラがもらえるとか、マントラがあればすぐに深い瞑想状態にいける。と宣伝されたら、すごいなーと思ってしまいます。高価な値段だけにさぞかしすごいものだろうなーと。少し前まではそう見ていました。マハリシアーユルヴェーダの本も、人を乗せるのがうまいというか、すばらしい!と感動したのですが。ほんとうはどうなのでしょうか。マハリシではないヴェーダの知識とどう違うのか、考えています。

Commented by mayufuru at 2008-04-04 03:53 x
皆さん、コメントありがとうございます。

以前も紹介したものですが、デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報からマントラについての記事を転載します。
マントラの瞑想
http://icke.seesaa.net/article/66339785.html

これによれば
マントラは神々の名前だとあります。
-----------------------------------------------
デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報
マントラの瞑想

マントラの瞑想に隠されたアジェンダ

そして、マハリシは何をもたらそうとしているのか?ヴェーダの神々だ。彼は、われわれの心が表面的な意識を超越するのを導く意味のない言葉を受け入れさせたのだ。後になって、われわれはこれらの意味のない言葉、マントラが、神々の名前であることを知った。マハリシは、彼らの核にある「私は服従する」ということをサンスクリットの言葉“namah”を使って、進んだ技術を教えたのだ。

マントラの瞑想は自分自身を神と呼ぶものたちを崇めるための手順である。「意味のない音」とか「想像的な知識のインパルス」とかいう空想的で誤解を招く説明を削り取るなら、ヒンドゥの神に心から服従して目を閉じた人々が見えてくる。
-----------------------------------------------

デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報で紹介されていた下のサイトでTM瞑想の真の姿がみれます。これが事実だとすれば完璧な新興宗教ですね。新興宗教によくある虚飾と利権と強欲とそして人権を無視した性的被害の訴えもあるようです。ジョン・レノンもマハリシの闇に気づいていたような様子が出てきます。マハリシは2月に亡くなったようです。また権力争いが凄そうです。

TM-Free Blog (英語)
http://tmfree.blogspot.com/2007/11/hidden-agenda-of-mantra-meditation.html

「シリング」は英国の通貨ですね。英国にお金が流れるようにしたのでしょう。凄い。

Commented by robert at 2008-04-05 01:22 x
こんばんわ。TM瞑想が、いわゆる瞑想の主流というわけでもありませんし、瞑想では必ずマントラを使うというわけでもありませんので、ちょっと限定をつけて議論された方がよいかと思います。まさにオウム真理教以来、「瞑想」というものに対して色々な誤解が生じて、「あやしい」とか「危険」と思われる方も多いようです。

まゆみさんの仰られるように、自分の直感に照らして判断しないと、変な方向に行くこともあるみたいですが、同時に、「瞑想」とは何か? ということを、ある程度勉強しておくことも必要だと思います。

で、勉強し始めると、それこそ色々な技法、色々な理論、色々な目的、色々な効用、色々な副作用があるようで、目が回るばかり。まあ、基本的に自分の心を見つめ、受け入れ、そこから脱同一化するというのが、瞑想の基本プロセスなんだろうなあと理解しています。簡単に言うと、自分の動機を見つめる営み。「なぜ、自分は瞑想をするのか?」という動機を見つめるところから始まるのが、瞑想なのでは?

Commented by mayufuru at 2008-04-05 15:21 x
robert さん、こんにちは。
TMって数が多そうなイメージがありますが、最近の世界の瞑想状況はどんな感じなのでしょうね。

マントラを使わない瞑想は座禅と似ているような気がします。無になるための一番は私にとっては今のところ適度な川の水流の音を聞くことです。何かを考えようとしても何も考えられなくなります。まるで水に流されるかのようです。

Commented by mimirin at 2008-04-21 11:21 x
まゆみさん、お久しぶりですmimirinです。
コメントは久しぶりですが、ずっと読ませていただいていました。
貴重な情報や記事を毎日ありがとうございます。そしてほんとにお疲れさまです。

瞑想についてですが…
私はかつて○○瞑想のセンターで働いていた者として、一連の瞑想やマントラについての記事やコメント、デービッド・アイクの記事を読ませていただきながら、つくづく自らのアホさ加減に呆れてしまいました。
まさに当時の私はマインドコントロール状態だったと思います。そして、魔界の瞑想普及のお手伝いをしてしまったことは、まぎれもない事実、これにはショックでした。正直ここまでとは、思っていませんでしたから。

○○瞑想では心身に異常が出てきたり、良くない変化が起きたりした場合、あまりそれらを気にとめず、心身や神経系統のストレス解消として、好転反応のように受けとめるよう指導されるところがあります。
深く考えないように、事の重大さに目を向けないようにさせながら、○○(魔)に対する盲目的な服従へと誘導しやすい心の状態を作っていることになるのではないかと思うのですが。 続く…

そういえば○○瞑想を始めて数ヶ月した頃に、精神がどこかに吹っ飛んでしまいそうな、これ以上いくと私がなくなってしまいそうな、狂ってしまいそうな…ものすごい不安感に襲われた時期が数週間ありました。教師に相談すると「大きなストレス解消だと思います。できるだけ気にせず日常生活を送ってください」と言われ、瞑想の回数を減らし時間もしばらく短時間にするよう指示を受けたと思います。
当時はその教師の言葉を鵜呑みにしてしまいましたけれど、今思えばあの時、魂は悲鳴をあげてマントラを拒否していたのかもしれません。
とっくに○○瞑想はしていませんが、(実習していた頃も不規則でしたけれど)何かしらが無意識の中に傷跡として残っているような、そんな気もするのです。 続く…

○○瞑想は、瞑想中に○○瞑想でいうところの純粋意識を体験しますが、その純粋意識の超越感を求めて、毎日せっせと瞑想しているような瞑想者も多いと思います。その時自らの精神エネルギーを、逆に吸い取られていたとしてもまったく気がつくはずもなく、それどころか瞑想がやめられない、マリファナのように、とてもこわい依存症状態になっているのかもしれません。おまけに最近では統一瞑想時間を決めて、できるだけ同じ時間に瞑想するようすすめていますから、毎日が7月17日のイベントのようです。 
○○瞑想のこと一つとってみても、俗に言う精神世界・スピリチュアルという仕掛けは、一目ではわかりにくく、いつの間にか見間違ってしまいます。そしてほんとうの自分から遠ざかり、どんどん複雑怪奇にさせていくような。 続く…

大切なことは、いつもまゆみさんが言われているように、
まずはありのままの自分を見て、嫌な自分もけっして責めず、ぜんぶ受けとめて認めてあげること、目をそむけずにしっかり考えること、自分をせいいっぱい表現すること、そういったことにこそあると感じます。
そしてそれが、自分の内側からわきあがってくる、深いところからの直感につながっていくように思うのですが。
そうは言いつつ肝心の私は試行錯誤だらけ、もがいてじたばたしているばかりなんですけれどね。
-----------------------------------------------

| 未分類 | 17:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

また洪水の夢


今朝も洪水の夢をみた。
国内か海外かわからないけれど
先日の国内で起きる洪水を再確認した印象の夢だった。

高波に続き地下で起きている変動を強く感じる。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_1524323.jpg',300,225,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
今度は米国で奇妙な洪水

オハイオ(ベルビュー)で奇怪な洪水が続く
素晴らしい天気にもかかわらず、川も湖も流れもないのにもかかわらず、
数百軒が水につかっている。謎の洪水は毎日続き家と 納屋は泥水の島に変化。
だれも、なぜ始まったか、そして、またはそれがいつ終わるかを知らない。
科学者はサンダスキー湾とエリー湖に向かう排水地下噴泉説を信じているとか。
ビデをみると地下から水があふれているようにみえる

ビデオ
http://www.wkyc.com/video/player.aspx?aid=61327&bw=

地下で何か大きなことが起きているのは間違いない。

そして
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15373582.gif',87,110,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
巨大地震予想が出ているニューマドリッドゾーンのイリノイで5.4の地震

18 回の余震そして今日また4.5
この地域での地震の理由については科学者にもわからないとか

インドネシア 6.4の海底地震、東ティモール沿岸の首都を動揺させた

地球温暖化はプレートテクトニクスを止める

■高波・津波
オレゴン 次の大きな津波の準備、
緊急用に高台に食物を保管する120キャッシュバレルの購入を決定
55ガロンは都市の5つの津波避難地区におかれる

ニュージーランド(Rotorua) 異常な波は、道路を持ち上げ破壊、洪水

■台風
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15261854.jpg',100,80,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15263345.jpg',100,67,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
中国 土曜日ににマカオを襲い前の晩中国本土で210,000人が避難。
130万人に影響、550軒に被害、直接的損害は3億3700万元(5125万ドル)
18人の漁師は行方不明のまま

■洪水・大雨・竜巻
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15272614.jpg',320,229,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ドイツ バルト海の壮観な海岸線「白い崖」
現在それらは異常な大雨のため海の中に崩れている。

米国 ジェット気流が北に忍び寄っている

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15394994.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
ミズーリ ルーイスビル トルネード
リンカーン、クリーブランドもトルネード

■寒波・雪
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15283994.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
カナダ 
ブリティッシュ・コロンビア、サスカチェワン 最大50センチの「大規模な」ブリザード

オレゴン 急激な寒波で果樹の開花を守るために霜取りファンとヒーターが稼動
1億1000万ドルの価値がある300トンのチェリー、りんご、洋梨が危機に瀕している

キューバ 奇妙な冷たい春の天気にキューバ人が困惑

■干ばつ
米国中西部の干ばつは更に加熱
コーンと大豆収穫に打撃、価格は更に上昇

■気象操作レポート
中国の当局は現在、50年間天気を操作している。
31の気象改変オフィスが中国にあり5万2998人が働く。
職員は気象改変がオリンピックに晴れをもたらされるか賭けている。
自然をいじるとき、考える価値がある1つはどう自然をいじっているか。
自然な天候の型は北京に優しくない。
砂漠で気まぐれできつい天気。
冬はシベリアからの冷たい風、春は中央アジア
からの砂じん嵐、夏は蒸し暑い季節風…。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_1529292.jpg',170,126,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
初めてわかった海洋の不可解なストライプの流れ


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_15294887.jpg',290,224,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
暗黒物質が地球で見つかったかも知れない。
4月16日水曜日ベニス(イタリア)のワークショップで
見えない「暗黒物質」の粒子がイタリア山中奥深い場所で見つけられたと
イタリアと中国の物理学者が主張した。しかし他の実験のすべてでどんな
暗黒物質でも見つけることができなかったので他の科学者は懐疑的なまま。

| 未分類 | 15:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

月に関する情報二つと


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_13514071.jpg',97,100,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
■満月に奇妙なことが起きる
これは世界各地でよく言われることだけど
満月のとき月は衛星は地球の磁気圏尾によって撹拌され、
その結果静電気と砂塵嵐を放出されることがわかった。
満月のとき月は巨大な「プラズマ・シート」を通り抜け
熱い荷電粒子は後部に閉じ込められる。
昼間日光、光子によってこれがいくらか打ち消され
夜になると逆に電子は蓄積され数千ボルトまで上昇する。

宇宙飛行士が満月の表面を歩くとき
熱いドライヤーソックスを履いたような衝撃がある(英語)
http://www.space.com/scienceastronomy/080418-strange-moon.html

次の月探検では宇宙飛行士を6ヶ月滞在させる話がある。

■NASAが月の上の建築物を修正して消している証拠ビデオ(YouTube)
『このビデオにより
NASAが月面上で異常な物をエアブラシで消していたことが証明された。
記者会見で元NASA職員((ドナ・ヘーラー)は、
NASAがどのようにしてUFOのような例外物を衛星写真から消したか明らかにした。
彼女は女性スライド技術者であり、アメリカ航空宇宙局から1969年のアポロ
Achievement賞を含む多数のスペース賞を受賞している。
1973年のスカイラブ賞、スカイラブ-スエズTestプロジェクトに関する成功の受賞など。
アーティストとしての他の賞、サイコロジー・アソシエーツ諮問委員会の推薦を含む。』
http://jp.youtube.com/watch?v=6rt7mnz4J5E

どうやってもYouTubeの画面が貼れないのでリンクにしました。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/21/62/b0086362_1352497.jpg',320,237,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
■赤ちゃんにマリファナ吸引(米国)
18ヵ月の赤ちゃんにマリファナ吸引を強制しているカップルのショックビデオ

赤ちゃんの前でマリファナを吸っていた大人たちは
赤ちゃんにもマリファナを吸わせようとした。
男性が実行したが赤ちゃんは嫌がり失敗 、次に女性が
赤ちゃんを抱き「いい子ですよ」と言いながら男は再び試みた。
子供が拒絶したため男は赤ちゃんの顔にマリファナの煙を吹きかけた
赤ちゃんは煙を吸い咳をし始めカップルには笑い声が起きる

男性は18才で赤ちゃんのおじ、女性は16才のガールフレンド
ビデオは2年前に製造されオハイオのビデオカメラの質屋で見つかった。
カップルは、幼児過失犯罪の嫌疑をうけ連邦麻薬取締違反で逮捕された。

■イラク戦争で失われた四肢を再び成長させるために幹細胞を
使うことができるとペンタゴンの科学者が語る。負傷した兵士自身の
幹細胞から皮膚、筋肉と四肢を再生させる方法を開発していると。

| 未分類 | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

かごめの歌、ぶっ飛び解読


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/19/62/b0086362_1950372.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


かごめ かごめ
かごの中の 鳥は
いついつ 出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が すべった
後ろの正面 だーれ

まず
解読しやすくするために漢字を止めてひらがなにしてみた。

かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだーれ


かごめの歌を口ずさむと
なんだか日本語じゃないような
特に最後の「めんだーれ」は沖縄の言葉のようでもある。
そして怖いような美しいような雰囲気。


かごめの歌、ぶっ飛び解読その1

籠目、籠目
籠の中のトリ(最後の意味のトリ)は
五、五に出る
夜と朝がひっくり返るとき
千年と万年(古代からの断層)が滑る
後ろからみている人は誰

     ↓

籠の目から垣間見える存在は誰?
籠の中の存在は
最後の審判の時に出るクニトコタチの神
クニトコタチは五月五日に出る
その時、地軸転換が起き
古代からの断層が滑り巨大地震が起きる
それを全部みている人は誰?


かごめの歌、ぶっ飛び解読その2

囲め囲め
囲い込まれた中にいるのは
最後の審判の時に出るクニトコタチの神
クニトコタチの神は五月五日に囲いから出る
世界に夜明けが訪れしばらくして
北極と南極が入れ替わる地軸転換が起きる
そのとき惑星Xが現れる


トリと言うのはよく最後を意味するトリと解釈しました。

うしろのしょうめんだーれ
これは、すべてを見通す眼、すべてをみている眼のようであり
いつのまにか現れた未知の惑星のようにも感じました。
このあたりは映画のように映像がはっきりみえてきます。

子供たちが手をつなぎかごめの歌を歌いながら回る風景。
その風景を遠くから感じると怖いものと美しいもの、二つの映像がみえます。

美しい映像は、隠された未知の惑星の周りをいくつかの惑星が回っている。
怖い映像は、悪い神々が結託し(手をつなぐ)正神を囲い込んでいる。

アンデルセンやグリム童話集の物語は実はとんでもない怖い物語だという。
日本に伝わるものにも実は隠された怖い物語があるのではないでしょうか。
かごめの歌には後者の怖い物語を感じました。

かごめの歌を口ずさみながら今度録音してみたくなったので
そのときはネットで公開することにします。

| ぶっ飛び考察 | 20:03 | comments:16 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

10,000歳の樹


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/19/62/b0086362_1954218.jpg',320,249,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
昨日、ロンドン中が悪臭に包まれた。

変な気象状況に起因する風の影響で
フランスと北ヨーロッパの汚染された雲に乗ってきた。
救急隊は悪臭に驚いたロンドン中からの電話であふれた
専門家は、うろたえないよう数十万人に警告。
3日間ほど続くかも知れないと。

■火山噴火
インドネシア Papandayanwas火山活動レベル上昇、
他の13の火山も集中的にモニター中

■台風・洪水
強力な台風「Neoguri」が中国に接近中
漁師56人が不明

ニュージーランド 
普段ありえないRotoruaで洪水、大きな被害

■低温
米ワシントン州 春なのに氷点下の気温と雪

アラスカ 
水曜日に突然起きた雪崩で1マイル以上の水力発電送路が切断
ジュノーの水力発電のすべてが断ち切られたまま
安全に修理し始めることができる前におよそ2週間かかり
水力が回復するまで、少なくとも3カ月かかる
雪崩の結果、5月の電気料金は3倍になるとの予測

最近の世界の気象変化(人工気象操作も含めて)で
石油、石炭採掘現場で洪水や嵐の異常発生が起き
生産が止まっているところもある。
そして価格上昇と例の二酸化炭素説、
原発に向かわせようとしているとしか思えない。
アラスカの雪崩だって突然起きたことを考えれば人工的にやったとも思えるし


■干ばつ・山火事
メキシコ 
干ばつは2100万の家畜と750万ヘクタールの農地をさらに脅かし始める


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/19/62/b0086362_1963726.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/19/62/b0086362_1962650.jpg',320,130,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
アルゼンチン 
首都ブエノスアイレスの近くで低木地の火事
陸空の通行も中止、燃焼のにおいがいたる所にある
呼吸困難と目に影響があるため人々は室内にとどまっている
政府は、牧草の掃除のために火をつけたのが原因だと農業者を起訴した
農産物輸出増税の議論から注意をそらすためだと言って農業者は料金を拒絶
消防士は、数千ヘクタールの炎を制御するために戦っている


■食糧危機
世界食料危機が火曜日にカザフスタンで激化したとき
世界の最も大きい小麦輸出業者の一つが海外販売を止めたあとに
米価格が史上最高値になり、インドネシアは穀物の輸出を止めた
これらの行動は他の食糧輸出国にも禁止を引き起こす恐れがある
食糧輸出国は現在、輸入国からのはるかに高い要求に直面する

騒ぎの別の兆候では
日本の大きい食品会社は、とうもろこし価格上昇のため
やむを得ずより安い遺伝子組み換えトウモロコシを買った。

*いくつかの国が輸出禁止を決めたり加減したりしているけれど
今後更にどの国が海外販売中止に加わるか?
予想はしてたけれどマネーゲームになってきてる。
そしてついにやっぱり遺伝子組み換えが登場してきた。

■水不足
イエメン 
1年半前、国民は20日間毎の水の供給を受けていたが
水は十分ではなく国民は絶えず怒りを示したが政府からは何の応答もなかった。
代わりにより多くの水を保管するために多くのタンクを入手し始めた。
すると今度は水の価格が突然上がった。
値上がり、失業、貧困の中、人々は私たちの人生にこれから起きるのか?と
何千回も自問自答し困惑している。

イスラエル
イスラエル水の危機、次の5年間すべての水源に「レッド・ライン」の下
脱塩の水の量をかなり増加させる必要がある。

イスラエル政府の新しいレポートでは
人口の1/3が必要な栄養のある食物を買うのを止めた。
電気・ガス料金などの公共料金支払いに余分なお金を全部回しているため
34%の市民はもう野菜と栄養のある食物を買えない。
パレスチナでは言うまでもなくもっと悲惨な状況

■海洋水の塩分の低下証拠
科学者チームはオーストラリアと南極大陸間の海流を測定した。
海洋塩分の低下は南極大陸のまわりの氷がより急速に溶けていることを示すもの。
万一それが継続し南極大陸周囲の水域が新しくなり失速が継続したら、
気候に影響を及ぼすだろうと。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/19/62/b0086362_1985286.jpg',320,306,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
科学者はスウェーデンの山で世界で最も古い木
(10,000年前氷河時代の直後に根づいたトウヒ)を見つけた。
ギネスブックによると最も古いものは4,768歳であると思われている。
(カリフォルニアのホワイト山脈のメトセラという名前のヒッコリーマツ)。
教授クルマンと同僚は8,000才以上の20本のトウヒの集まりを見つけた。
木の年代を示すために遺伝物質を使ったとか。

| 未分類 | 19:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

地震

浅くて大き目の地震が続く
4月18日 22時19分ごろ 父島近海 深さ ごく浅い M5.2 

| 未分類 | 00:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

四国のぶっ飛び考察


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_1821423.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


harunoshinnさんご紹介のサイトを読んだら
私の剣山解釈と同じで「カゴメの歌」と関係あると書いてあった。
そうか、私だけじゃなかったんだね。

カゴメの歌は今まで話題になっていたのは知っていたけれど
興味がなくて解読するつもりはなかったけれど
縁が出来たようなので昨夜にぶっ飛びとも離れて
今度何の情報も入れないでぶっ飛び解読してみます。

その前に
滑るを普通に考えれば断層が滑るでいわゆる地震になるので
もしかしたら、剣山と伊勢神宮を結ぶ線の間で地震が起きるのかな?
ふとこれがよぎりました。

「出やる」って土佐弁じゃないかな。
高知の知り合いがそんな言葉を使ってたような。


harunoshinnさんご紹介のサイトに
契約の箱(アーク)の中には
十戒が書かれた石板2枚とマナ(食べ物)が入った壺と、
モーセの兄のアロンの杖が入れられていたと書いてあったのを読んで

ふと浮かんだのが先日の夢。
(13日の記事、「一昨日の朝の夢」です。)
放射能かケムが撒かれた部屋にいる男性が
何か薬のようなものを口に入れていて細長いステッキを動かすと
白いものがステッキに吸い込まれ元通りの透明な空気に変化した・・・。

人類に一大事が起きたときに
(核戦争とか、宇宙からの未知のエネルギーがやってきたとき)
石板にはそのときの対処の仕方が書かれてるのかなと思った。
マナが放射能を防御する食べ物(薬?)で
アロンの杖が放射能かケムを吸い取る装置かなと思った。

それから
四国と言えば平家
今日読んだサイトにも平家のことが良く出てきた。
「平」の文字には「十字」と「T」がある。
確か「T」も変形十字じゃなかったかな?
「十戒」の言葉にも「十字」があって
このつながりが面白いなと思った。
特に「平」の文字は分解すると面白い。

10や11の数字もよく出てきてこちらも十
10番礼所、十氏族、十津川、八十にも十が
神輿、アークを担ぐ棒も二本で十
二つの金のケルビム、平家の赤旗の二羽のアゲハチョウも十
三木家だけ三、
でも三は干という字になるのでここにも「十字」と「T」がある。

ということでやけに十が目立って十字だらけだったので
四国はキリストと関係ありそうな気がしてきた。

| ぶっ飛び考察 | 18:25 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

巨大地震の前触れ?


四国、淡路島のことを書いたら
昨日の大阪湾震度4に続きまた震度3の地震
淡路島では震度2、香川は震度1(昨日は徳島で震度1)
4月18日 4時11分ごろ 震源地 大阪湾 深さ 10km M3.8 最大震度3

四国の揺れは徳島と香川、
金比羅の香川と剣山の徳島で、ピッタリ!
記事に関係ある場所で確実に何かが発生したのは間違いないと思う。
ぉιょぅさんとharunoshinnさんが紹介してくれた情報の場所でも起きている。
こうやって自然現象で顕現されるとわかりやすいね。

どちらも震源が浅いのがちょっと気になるけれど。。。

沖縄でも大き目が発振
4月18日 14時58分ごろ 沖縄本島近海 深さ 10km M5.1 最大震度1
三つとも深さ10kmつながり。

----

毎日早朝から夕方まで
ショベルカーの音も混じりチェーンソーの音がうるさい。
やっぱり工事みたい。
家が建つのかも知れない。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_1418328.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


以前整形の記事も含めて何度か
牛に与えられる成長ホルモンが人間に及ぼす害や病気症例を書いたけれど
「人間が食べる肉のために失う多くのもの」
http://cocorofeel.exblog.jp/7639095/
デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報でも紹介されていたので
『ダライラマの本当の顔』の記事と一緒に転載します。

『アメリカ牛と人工ホルモン』から引用
牛に使われている成長と性ホルモンが少年の性器異常と少女の思春期を早める原因
となる可能性がある。このような懸念される徴候がある。・・・
John Verall氏は、最近、政府の言論統制命令にに反して、「米国では畜牛の3分の2
がホルモンを目いっぱい与えられて妊娠させられる。その米国では、乳がん、前立腺が
んの率が増加している」ことを示した研究から得た徴候を明らかにした。
http://icke.seesaa.net/article/93722989.html

『ダライラマの本当の顔』
http://icke.seesaa.net/article/93608816.html


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_14185634.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
巨大地震の前触れか!
噴火、地震が続き、世界各地で地下で何かが起きている感じがする。
ヒマラヤの夢のこともあるし、チベット騒動やコンロンの地震のこともあるし…


そんな中、インドで地面がいきなり噴火!
インド、Sendhwa町の工場地帯のそばで噴火、住民はパニックになった
直径8インチ、高さ 5~6フィートまで溶岩が吹き出て1時間半続き
幅1.5フィート、深さ8インチのクレーターが出現、
湧き出る溶岩を住民たちは見物している
平らな場所でしかも町中、非常に珍しい現象
専門家が調査するそう

平地がいきなり噴火すれば誰だって驚くよね。

インドネシア エゴン山噴火、数千メートルまで灰と煙
近くの村から600人避難、23,000人以上が危険地帯の中の3つの小管区にいる
同じくインドネシアのPAPANDAYAN火山警報レベル、近くに450万が住む

ハワイ キラウエア火山も依然活発
コロンビア 首都(ボゴタ)の南西にある火山は噴火レベルが縮小

アラスカでは2月以来大きな群発地震が増加している。
通常はM3クラスなのに最近は4~5クラスレベル
これはかつてない珍しい現象だと専門家もいう


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_1426173.jpg',100,57,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
台風' Neoguri ' は中国に向かう?
北東部タイ 大雨


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_14195155.jpg',100,72,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
カナダ WhitehorseとYellowknifeではこの季節に吹雪

インド ヒマチャルプラデシュでも急激な温度低下、雪が降り続く

同じくインドのオリッサでは熱波、少なくとも5人死亡

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_1419261.jpg',350,166,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
米コロラド州南東部 山火事で3人が死亡、1100人避難


■食料不足レポート(ざっと翻訳、まとめてみました)
食物インフレーション、暴動は世界の指導者の心配を引き起こす。
高騰している物価は過去3年間で世界食料価格を83%押し上げ、いくつかの世
界最貧国の貧しさが更に巨大に膨らむ。ハイチのジャックエドアール・アレックサ
ス首相は暴動後に辞職。

食物不足で暴動が起きているのはエジプト、カメルーン、コートディヴォアール、
セネガル、エチオピア。パキスタンとタイでは食物窃盗防御のために海軍が配
備された。 世界銀行の頭取ロバート・ゾーリックは騰貴する食料品価格で33の
国が危険であると最近のスピーチで警告した。 インドネシア、イエメン、ガーナ、
ウズベキスタン、フィリピンが含まれる。食物購入費用は収入の4分の3~半分。

悪化を大きくしている要因はエタノールなどの生物燃料とエネルギーと電気の
価格上昇。

*このレポートにはなぜか気候変動の言葉が出てこない。

世界銀行は来年アフリカの農業に倍の8億ドルの融資を計画、切羽詰まった国
への救援にかかるようにメンバーに促している。先週、英首相のゴードン・ブラウ
ンは、食糧問題の包括的な戦略を開発するようG7国に促した。

ハイチで世界の最貧国を苦しめる問題のいくつかが強まった。 ハイチには大衆
に食べさせることができるくらいの食物があるが、それを購入するためには以上
に貧しく1日あたり2ドルの稼ぎしかなく食品価格は世界中で上昇している

保護貿易主義の波
フィリピンは世界で米の最も大きい輸入国であり、農地を新興住宅地とゴルフコ
ースに変えたため不足が一層増した。政府は米の半分から一部を提供するよう
にファーストフード・レストランに促している。問題を苛立たせいくつかの国では
食物インフレが保護貿易主義の波をうながした。

通常、国は地場産業を保護して輸出を増やそうとするために輸入に貿易障壁を
課すが食品貿易保護貿易主義は反対。

インド(世界で半分以上が飢えている国)は輸出穀物を制限している。非バスマ
ティ米の輸出への禁止令を含み、食用油、とうもろこし、バターの税金は下げら
れるかまたは排除された。

エジプトは4月1日の時点で6カ月同様に米の輸出を止めた。穀類とパンの価格
は過去12カ月でおよそ50%アップした。 11人がパンに関連する事件で過去2カ
月で死んだ。ホズニ・ムバラク大統領は軍隊出動を命じた。

輸出バリアのグローバル効果はさらに高い食品価格につながる。

ウクライナ大統領はリビアがウクライナで24万7000エーカーの農地で小麦を作
るのに同意した。リビアは交換に工事とガス取引を約束した。

ブラジル、中国、ニュージーランドも豊かな国との自由貿易を模索中。

その間、ウガンダは、より多くのコーヒー、ミルク、バナナをインドに販売するの
を計画している。

世界銀行が選んだおよそ18国も消費者補助金を上げ価格統制を設けている。
世界銀行も世界食料価格上昇を生物燃料ブームのせいにしている。

*参考資料
ハイチでは9歳の少女が奴隷として50ドルで売られている。
現在、人類歴史上で最も奴隷の数が多い時代だとか。
そして奴隷から解放するためにお金を払って買い戻しをして
親元や村に返してもまた再び奴隷として売られたり、
買い戻しのお金が内戦の武器購入に充てられたりして
結局奴隷制が続く原因となっているそう。

21世紀は「奴隷の時代」?
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2008030305108

■ジャガイモが世界を救う?「国際イモ年」で注目
世界の食糧危機は、ジャガイモのおかげで回避できるかもしれない
FAOによると、ジャガイモは栄養が豊富で、途上国の典型である土地が限られ人手
の多い場所での栽培にも適している。このため、食糧安全保障と貧困対策に大きな
役割を果たし得るという。

ペルーでは8000年前からジャガイモが栽培されており、国際ポテトセンターは農家
などを対象に、ジャガイモ栽培量を増やし品質を向上させるための支援を行っている。
品種改良により、少ない水で栽培でき、病気や気候変動にも耐えられる種類の開発
も目指す。

■北朝鮮の食糧危機深刻化 米1キロで月収の3分の1
WFPによると、北朝鮮では現在推定650万人の食糧が不足しており、手を打たなけ
ればこの数字はさらに増える可能性がある。深刻な悲劇を避けるためには外部からの
緊急援助が必要な状況になりつつあるという。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_14224063.jpg',200,160,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
雷雨で稲妻を誘発するのに用いられるレーザー
ヨーロッパの科学者チームは、レーザーで稲妻を誘発する方法を発見した。
雷雨にレーザー光線の強力なパルスの狙いを定めることにより
初めて雷雲で電気的活性を故意に発生させることができた。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/18/62/b0086362_14221869.jpg',320,251,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
実験はニューメキシコの南部ボールデー山頂(10,500フィート)上で行われた。
電気を伝導できるプラズマフィラメントをつくるためにレーザーパルスが使われた。
フィラメントがあまりに短命だったので地対空稲妻は引き起こされなかったが、
レーザーパルスが雷雲の中に稲妻の発生を引き起こした。
「これは、レーザービームで落雷を誘発することへの重要な第一歩でした」と語る。

Laser Used to Trigger Lightning in a Thunderstorm(英語)
http://www.impactlab.com/2008/04/14/laser-used-to-trigger-lightning-in-a-thunderstorm/


・食品価格の急騰で中国の経済が失速
・中国は新しい空港をチベットに建設すると報じた
・カオス理論の提唱者、E・ローレンツ博士死去 

| 未分類 | 14:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

連絡

「インドとマヤとチベットがつながってきた」と「鍛錬のための情報」へ
いただいたコメントすべてをBBSに転載しましたのでまたゆっくり読んで下さい。

ぱぴる文庫のHPをリンクバーに貼りました。

| 未分類 | 11:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

88ヶ所から突然、カゴメの歌に


皆さん、たくさんのコメント、貴重な情報をありがとうございます。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/17/62/b0086362_2304788.jpg',300,225,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
写真は剣山山頂、『ウィキペディア(Wikipedia)』から拝借しました。

いま、harunoshinnさんからの情報で「剣山」は「鶴亀山」とありました。
そして四国はキリスト教的だと。
ということで、思いついたことをメモ代わりに書いておきます。


「剣山」が「鶴亀山」なら、カゴメの歌だ。

籠の中の鳥→剣山に隠された契約の箱(アーク)?
いついつ出やる→契約の箱がいつ出るの?
鶴と亀が滑った→剣山が統べる?剣山はスメル(天皇)?
キリストと関係があるなら、後ろの正面はキリストかな?

夜明けの晩って何だろう?
四国から太陽が昇る方向に伊勢神宮がある。(夜明け?)
伊勢神宮から太陽が沈む方向に剣山がある。(晩?)

時間にして10分くらいのぶっ飛び解読でした。

| ぶっ飛び考察 | 22:38 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

88ヶ所からチベットとインドとエジプトとユダヤがつながってきた。マヤも…あ、カタカムナも?


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/17/62/b0086362_1219294.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


ダキニについてのろさんが調べてくれて
私はダキニ法を調べて、そして今朝はマヨ博士の登場。

で、マヨ博士に
密教は空海が始めたものでユダヤ教につながる、
四国88ヶ所はユダヤ教会(シナゴーク)と言われていると教えられた。
密教といえば最近話題のチベット仏教。

13時35分追記 マヨ博士の追加コメント
----------------------------------------------
Commented by mayo at 2008-04-17 13:13 x
ちょっと申し訳ない。私的には空海はユダヤ教、あるいは原始キリスト教と思います。つまり密教部分を持ったキリスト教です。剣山にはアークの聖櫃がかくされているとか・・・、
----------------------------------------------

昔、古神道を勉強し始めたころに
宮司さんが88ヶ所は神道の聖地でありそれを空海が守ったのだと言われた。
その88ヶ所がユダヤ?
密教がユダヤに関係してるならチベットもインドもユダヤと関係あることになる。
ダキニでマヤもね。

さぁ、ちょっと調べてみよう。

どうしてマヨさんの返事に金比羅は確かヘブライ語って書いたんだろう?
金比羅は朝鮮半島由来の言葉、でもヘブライ語っぽい。
実は四国は前から気になる場所。
前にも書いたけれど私の父方は金比羅の近くで庄屋をしていたし
周辺に味噌の醸造元の親戚もある。

四国には、「讃岐男に阿波女」という言葉がある。
カタカムナのサヌキとアワ。
不思議な国、四国。
四国って四つの国とも書くけれどはじめ死国かなとも思った。
黄泉の国?
黄泉の国と言えばなぜか淡路島を思い出す、
淡路島といえばオノコロ島、イザナギ、イザナミ。
ここにもカタカムナの言葉が三つ。

88の意味は?
俄然、88が気になってきた。

まず「金比羅、ヘブライ語」で検索したら
金比羅はインドの十二神将「クンビーラ」とあった。
またインドが出てきた。すずさんが言ってたエジプトも。
しかも鰐、爬虫類も。
わっ、アッと驚くすごいつながり方だね。

「金比羅船々追い風に帆かけてシュラシュシュシュ、まわれば四国は讃州那珂の郡、象頭山金比羅大権現一度まわれば」

変な歌ーとして余りにも有名な香川県は金比羅参りの民謡であるが、実は大変な内容を含んでいる。まず地名であるが、那珂(ナカ)の郡(こおり)とは、中の一文字で示される上ナイルを意味する。中は、エジプト語で大地を貫くという意味のヌ・アカが縮まったもので、四角の大地を大河が貫いていることを表す文字である。カッバーラの天円地方は、方が方形(四角)で象徴される大地を意味し、これが地方の語源となる。対して、天は円で象徴される。

さて、金比羅の名前の由来は、仏教の十二神将の宮比羅大将(クンビーラ)とされているが、一般には琴平で知られている。クンビーラはワニの神様らしいが、ワニというとエジプトのセベク神がワニの姿である。仏教は、ヨセフの母ラケルの仕え女ビルハの子ダンから出ているから、ワニの神様もエジプト時代の名残と考えられる。
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/cain4.htm


金比羅の祭神はいつものように摩り替えられていて
「事代主」→「コトヒロ」→「琴平」(金比羅)
明治の段階で「事代主」が「大物主神」になったという話がある。

クンピーラ神=鰐の神
これが日本では龍神に変化するらしい。

クンビーラ→官毘羅→金比羅神(こんぴら)
ダーキニー→カドローマー→荼枳尼天→お稲荷さん
だそうです。

そして更に調べていくと

あ、淡路島が出てきた。
淡路島には22ヶ所というものがあってそこで古代ユダヤ人の塚が発見されている。
「古茂江(こもえ)」という場所にはユダヤの古代印の刻まれた石棺があるそう。
”こもえ”はヘブライ語で「秘の上の菰(こも)」、菰は聖なるものの覆いの意味だそう。
戦後、淡路島にユダヤ教の大司教T・ローゼンという人がやってきて
発掘調査にも参加しこれがユダヤの石棺であることを確認しているそう。

カタカムナもユダヤに関係あるのかも知れないね。
ヘブライ語と比べてみればいいかな。

88と22、この関係は?
私は近畿の33ヶ所巡りを両親としたことがある。
33は?
33は、シバ神の部下の数。
イエスが亡くなったのが33歳。

まだよくわからないけれど全部ユダヤにつながりそう。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/17/62/b0086362_12192242.jpg',320,240,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


検索で龍が出てきた。新彊ウイグル地区も。
龍とドラゴンは違うみたいだよ。

…龍とドラゴンの話
まず第一に「竜=ドラゴン」ではないという事実です。
四川省、山東省から新彊ウイグル地区では今なお恐竜の骨が、それも浅い地層でしばしば発見されますが、おそらく大地震や崖崩れによって当時の人目に触れた可能性もあるでしょう。
http://homepage3.nifty.com/duke-box/info_cafe022.htm

すずさんが言ってた三輪山、大物主も出てきた。
大物主とニギハヤヒの議論も出てくる。
(検索中に大物主とニギハヤヒは別神だとあったけれど
見失ってしまって、すずさん、ごめんなさい)

青草掲示板ログ
三輪‥‥MI(へび)WA(窪・一帯)
ミハ‥‥形容詞後置形でHA(XAM)MI(神)
大物……MOR(タジク語;へび)NO(ひと・神)
カモ……XAM(へび) O(神)
http://kamnavi.jp/log/ktba0207.htm


こんなのもあったよ。
ゴンビラ・・・インドの西ベンガル州北部マルホドの仮面芸能。


宮司さんがいうように
古神道の聖地を本当に空海が守ったのだろうか?
聖地を奪ったとは考えられないかな?
反対じゃないかな。

昨日今日と睡眠不測で
考察までいけないけれどこれをヒントに考えてみてください。
何だか想像もしない展開になってきた。

| 未分類 | 12:34 | comments:18 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

地震


http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/17/62/b0086362_12164556.jpg',100,75,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>
揺れが続いている。
昨日に続いてまた震度4。

2008年4月17日 4時19分ごろ
震源地 山形県最上
深さ 160km
規模 マグニチュード 5.7
岩手で最大震度4

もう一つ
昨日の地震雲はこれかな?

2008年4月17日 4時36分ごろ
震源地 沖縄本島近海
深さ 80km
規模 マグニチュード 4.1

| 未分類 | 09:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT