http://pds.exblog.jp/pds/1/200903/10/62/b0086362_11115148.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>沖縄で水不足の時に雨降り祝詞をすること
台風のときに沖縄の人に人身に被害がないよう祝詞をすること
これは沖縄との約束だからです。
宣言もしました。
内地ではこういったことのために祝詞をしたことはありません。
宮司にいわれ90年代のある時期まで神棚の前で毎日大祓いはしていましたが
沖縄に越すにあたって神棚類はすべてその神社に返却しました。
沖縄では神棚なしでやっています。
なぜ神棚を返却したかというと神棚はもう必要ない、
沖縄にくるには内地の神棚は置いてきたほうがよい、
そう思ったからです。
内地で祝詞をし始めた89年頃からは祝詞が面白くて
人の病気を治したり、人を助けたりするときにしましたが結局やめました。
病気は治っても良い方向にいっても、また元の木阿弥になるだけだからです。
本人が心から変わらないとと駄目です、対処両方と同じです。
祝詞を自分なりに色々試しました。
そして得た答えが、多くの人のために環境のために、祝詞を使おうと決めたのです。
一部の人は知っていますが(詳細は書きませんが)ある方から依頼され
遺伝子組み換えに関しても大祓い祝詞を一度使いました。
一度は祝詞なしで(こちらは時間がかかりました。)
結果、世界的に大きな成功が二度ありました。
祝詞を使ったときはやはりスピードが全然違います。
もちろん報酬は一切受け取ったことはありません。
断っています。
沖縄の方に「なぜ沖縄に越してきたのですか?」と尋ねられれば
「沖縄のために引っ越してきました。」と答えています。
これだけで「ありがとうございます。」と返事が返ってきます。
この短いやりとりで終わるので楽です。
沖縄の過去の悲惨な歴史を振り返ったときに、
内地の人間を代表して沖縄のために
自分のチカラを使いたい、役に立ちたいと思い、
観光でも一度も来たことがない沖縄にいきなり99年に越してきました。
(前年の8月に沖縄の人に招待され一度下見はきました。)
無謀な行動でしょう。
沖縄に越す前に居た場所では、多くの”行かないでコール”がありました。
一緒に沖縄に着いて行きたいという人も多かったです。
実際何人かの友人は着いてきました。
そして反対する人もいました。
反対の声が意外と多く驚きでした。
鍼の先生には少し怖いことも言われました。
何でも自由にさせてくれる母も珍しく反対しました。
沖縄は私の中では外国です。
だから本当は九州に越してそこから沖縄へエネルギーを送ろうと
安易に考えましたが、夢で何度も何度も沖縄から誘われたり、
神社の例大祭で沖縄の方に出会って沖縄にきて欲しいとお願いされたりで、
結局、未知の沖縄に行くように方向づけられました。
水不足と台風以外では沖縄のために祝詞は使用しません。
祝詞しなくても意識で変化、実現化できるからです。
水不足と台風に関しても意識のみでも効果はありますが、
祝詞のほうが効果が大きい、速いです。
*ただ私は本島に住んでいて島の情報が全く入らないため
島に関しては行き届いていないかと思います。
こういった私なりの神事はしても、
沖縄の聖地やそういった場所には立ち入らないように心がけています。
誰に教えられたわけでもなくそうしています。
身近にある拝所のような場所、井戸でさえも遠慮して立ち入りません。
遠くから眺めてそっと通り過ぎます。
それくらい気を使っています。
2000年1月10日(月)の朝の夢で
私は”神に次に佐敷へ行け”と言われました。
こういわれてもいうことをきく私ではありませんが
このとき、ちょうど佐敷に住む友人にこの夢日記をみせたら
夢とそっくりの場所があるので行こうということになり23日(日)に出かけることになりました。
その朝の夢で、富山に震度5の地震の言葉と地震計が出てきて、その後、不思議な夢をみました。
(注:25日に宮崎、鹿児島で震度5、6月7日に富山、金沢で震度5がありました。)
あとで別ページで夢日記を載せてみます。
そのとき、友人の案内で有名な斎場御嶽にも初めていきました。
その後、内地から来た人を案内して3回ほど行きましたが、他の場所は一切行っていません。
そして10年近くになってきて
また流浪の民の血が騒いできたのか、
もうそろそろいいでしょう、内地に戻りたいな、と思うようになりました。
それで、「沖縄の神さま、そろそろ私を手放して」と前に書いたのです。
私にとって一番住みやすい場所は海外だと思うけれど
更に居心地が良さそうな場所は地球外 (微笑