”大麻とキリスト:イエスは、マリファナを吸っていた”
yasuさんが訳してくれました。
文章が長いため、イエスのところだけ翻訳してもらいました。
聖書は下のサイト訳を参考にしたり引用してあるそうです。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible/720.htmlサイトに出てくる二匹の蛇といい、鳩といい、プラズマが作り出す形そのもの。
こうやって形が変えられ歪まされ後世に受け継がれていくんだね。
ご自分の判断でお読みください。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/29/62/b0086362_10221281.jpg',118,160,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>Cannabis and the Christ: Jesus used Marijuana
http://www.cannabisculture.com/backissues/cc11/christ.html大麻とキリスト:
「あなたが真実を知っているならば、真実はあなた を自由にします。」(ヨハネ8:32)
イエスは、マリファナを吸った
以下の仮説が読者には最初に疑わしく思われるだろうが、私はその事実を大胆に述べることにする:イエスはマリファナを吸っていたか、あるいは彼はキリストではなかったのか。「キリスト」というその言葉は、その起源と本当の意味から、イエス が古代のセム族の先祖と同じハーブを実際に使い、それが教化と癒や死の目的のために世界中の人々によっていまだに使われているという確証を与えている。
ギリシア語の称号「キリスト」はヘブライ語のメシアの翻訳で、英語のそれは「Anointed(聖油を塗られた)」になる。メシアは神聖な油を塗布されることによって認められ、その使用はヘブライ語の聖職者と王に制限されていた。イエスがこの方法で秘技を授けられていないならば彼はキリストでなく、公にその称号でよばれる資格はない。
この油(旧約聖書本 出エジプト記30:22-23に記録されている)の古代の製法は、9ポンドの開花した大麻の若芽-ヘブライ語で「kaneh-bosm」-が含まれ、いろいろな他のハーブとスパイスを加えて、およそ6.5リットルのオリーブ油で抽出された。古代の選ばれしものは、この効能をもつ大麻聖油で文字通りびしょ濡れになった。
モー ゼの時代から、後の予言者サムエルまで、神聖な油は「主の啓示」を受けるために、シャーマン的なレビ人聖職によって使われた。王たちの夜明けの時代には、サムエルは油の使用を「メシア-王」としてのサウル(後のダビデ)に油を塗ることでヘブライ人の君主にまで広げた。これらの王は、「主の精霊をもつ」ために神聖な油を塗り、それによって成し遂げられる洞察によってその民を導いた。
「聖油を塗ることは、イスラエルの王の間で一般的だった。それは王族の合図とシンボルだった。『メシア』という言葉は、『聖油を塗られたもの』を意味し、それを塗られない限り、イスラエルの王はメシアと呼ばれることがなかった。その称号は「上に神の塗油の冠を持っている」ものだけに与えられた。
ユダヤの王国の没落と、法の書(1Kings 23)発掘の後の血の追放の後大麻の聖油は禁止された。それでも特定のセクトが時事的に幻覚剤を保持し、以前の宗教を実践し、ダビデのラインにあるメシア-王の復帰を待ち続けた。
イエスの聖職者?は、ユダヤ人のメシア-王の復帰とこの聖油の再現を表した。イエスは旧約聖書にある大麻油のタブーに反して、イニシエーションのために、そして病人と負傷者を癒やすために自由にそれを配布した。そのためイエスはキリストと呼ばれた。
イエスがユダヤ人の大麻油を使った証拠は新約聖書にあるが、また残存するグノーシス派の文書からも、その重要性をより鮮明にみることができる。グノーシスは「知識」を意味し、いろいろな初期のキリスト教セクトに言及しているが、それらは現代キリスト教徒の持つイエスやその教えとは全く異なる信条を持っていた。
他のキリスト教の源
イエスの出生の後の最初の400年の間、「Christian」は、多種多様なセクトと多くの異なる文書を表していた。キリスト教の中でも禁欲的な宗派の1つをローマの支配階級が受け入れることで、キリスト教は結局その元迫害者の国教になった。
信仰を制御可能な大衆に統一しようと、新しくつくられたローマカトリック教会は、いくつかの議会を開いた。これらの議会は異教徒だけでなく、異なるキリスト教セクトも禁止し、また豊富なキリスト教の文学を編集し現代の新約聖書として残るごく数少ない文書にまで減らした。
ロー マカトリック教会の焚書から彼らの原稿を救おうとして、特定のキリスト教徒(現在グノーシス派異教徒と考えられる)は彼らの巻物のコピーを洞穴に隠した。これらの古代の隠し場所のうちの1つは今世紀に再発見され、初期のキリスト教の文書の大きなコレクションは、見つかった エジプトの地名からNag Hamadi Libraryという名前をつけられた。この発見の前には、グノーシス派については2、3の断片的なテキストからほんのわずかのことしかわかっていなかった。そして多くの反論がカトリック教会の創設者によって書かれていた。
こ れらの古代のグノーシス派文書によるイエスの人生と教えの描写が、新約聖書の説明より正確でないと考える理由はない。Nag Hamadi Libraryの再発見は、歴史上のイエスの復活を、不思議な植物を含む儀式を通して啓蒙を説いた反逆の賢人として表していて、それは新約聖書を通しての信心深い禁欲主義者というより、インドのシバや、ギリシアのディオニュソスに類似している。
油を塗られたもの
新約聖書マタイとルカ福音書の描写に反して、イエスはメシアとして生まれたのではなさそうだ。彼はバプテスマのヨハネによるイニシエーションを通して この称号を授与された。マルコとヨハネの福音書両方には受胎神話はなく、ヨハネによるイエスの短い経歴がそのイニシエーションから始まるのも驚くべきことでもない。
ヨハネが述べるイエスの洗礼-水に沈むことも含め-のバージョンに関わらず、「洗礼」は「イニシーエション」の響きを持ち、グノーシス派の記述によればオリジナルの儀式はkaneh-bosmの聖油を塗ることが一緒に行われ、聖油を塗るのは洗礼の式典の前か後にどちらかに行われた。いくつかのグノーシス派テキストは、聖油を塗ることでイエスはキリストの称号を授かるのであって、洗礼のためではないと述べている。
おそらく油を水で洗い流すことは、儀式と油の効果を消し去るための方法だったに違いない。
儀式の影響の説明は、単に水につかることで受けるもの以上に、イエスが激しい精神的な経験を経験したことを明らかに示している。
0109> そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
0110> そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。
0111> すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
0112> それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。
0113> イエスは四十日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。
(マルコの福音書1:9-13)
「he saw」とあるように、そこに記されているビジョンと言葉が、イエスのみに見えて、聞こえるだけだった点に留意する必要がある。
バプテスマのヨハネによって演じられる聖職者と予言者としての役割は、旧約聖書予言者サムエルのそれと非常に似通っている。サムエルがサウルとダビデに聖油を塗ることで彼らがメシア-王であることを示したように、ヨハネによるイエスへのイニシエーションが彼をキリ ストにした。
イエスのビジョンの後の出来事や砂漠への隠遁と、サウルの予言者サムエルのイニシエーションの物語との明白な類似は、大麻の豊富な神聖な軟膏や、精霊がのりうつってサウルに引き続き起こる狂気や、nabi(殺気立った行動)を作り出すために放浪することだ。
精霊によるサウルの話は、古代文明諸国が大麻と他の幻覚剤の影響をどう解釈したかというひとつの例だ。その人が「ハイ」か「酔っ払って」いるとわれわれが認めている時、古代文明諸国は「主の精霊に取りつかれた」よぶのだ。
「『聖油を塗る』ことの結果として、イエスは精神的に異なった状態になることを期待された;そして実際彼はそうなった。予言は、メシアが神の知恵と洞察、癒す力、悪を征服する力を受けると言っていた。イエスの信仰はたいへん強かったので、これらの能力が授けられことを彼は疑わなかった。」
大麻の聖油の幻覚的作用は、イエスの自身の期待と引き続きヨハネに起こる経験を非常に拡大した。
ルカの福音書に続くの若干のauthorativeなテキストでは、洗礼の後の神の声が宣言する、「今日、私は汝を生じさせた。」 これは、ヨハネとのイエスの出会いが、メシアとしてのイエスの伝導とその認識の本当の始まりであることを明らかにしている。
聖油を塗ることと、イエスの自身の自認の重要性は、ルカの福音書に再び例証されている。
新約聖書によると、イエスはナザレでイザヤ書の以下の一節を読み宣言することによって、彼の聖職を始めた。「今日、この聖書の言葉は、あなたが聞くことで成し遂げられた」(ルーク4:16)
神である主の精霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、(イザヤ61:1-2)
油を塗られたものたち
シャーマニズム的な聖職者と初期の世代の王とは異なり、イエスは神聖な大麻油使用を、ヤハウェに選ばれた者(30:33出エジプト記)に制限した厳しい旧約聖書タブーに従わず、伝統を破って癒しとイニシエーションのために自由に使い始めた。
この開かれた配布を通して、キリスト-「Anointed(聖油を塗られたもの)」-という言葉は、複数の「キリスト教徒」-酔っぱらった、または油を塗られたものたち-という意味に拡大された。「この神の塗油を塗ることで…特定の特別なハーブまたは植物から得られた、神の盛装をまとっていると思って いた。
新約聖書のヨハネが説明するように:
..あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(第1ヨハネの手紙2: 27)。
「…キリスト教徒(『酔っぱらった、または塗られたものたち』)は、『聖なるものに油を塗られた』ことによって『すべてのものについての知識』を受けた(第1ヨハネの手紙2:20)。その後、彼は他のいかなる教師を必要とせず、す べての知識を今後永久に授けられた。(v. 27)
「キリスト教徒の塗油のすべての成分が何であったにせよ、それは伝統的なイスラエルの塗油に含まれる芳香の樹脂とスパイスが入っていたに違いない:没薬、芳しいcane?、シナモンと桂皮...特別な囲み込まれた状況の下で、これらの混合物を皮膚に塗り込むことは、新約聖書にあるような自己全知の酔っぱらったような信念を作り出した。
不完全な洗礼
紀元後の数世紀の間、Archontics、ValentiansやSethiansのようなキリスト教グノーシス派グループは水による洗礼を「不完全な洗礼」とし、無用なものであると拒絶していた。論文(真実の証明)では、水の洗礼は、イエスがその弟子たちにこうした洗礼を施さなかったという事実から拒絶されていた。
「ひどい油で塗られる」ことは、すなわち封じこめられることだとグノーシス派テキストには書かれている。「水の中には水があるだけだが、聖油の中には火がある。」(フィリップの福音書)。
「油で塗ることは、色あせることない祝福への導きであり、キリストになることだ。」
「精霊の贈り物の印としての油は、セム族の枠組みの範囲内では全く自然なもので...やがて、聖書の意味は不明瞭になっていった。」
残存するグノーシス派の記述は、油を塗る儀式において、聖油が激しい精神状態に効果があったことを明らかにしている。それは儀式を受けるものを、「色あせない幸福」へと導いた。Pistis Sophia と the Books of Jeuのようなグノーシス派テキストでは、「精神的な軟膏」は最も高い啓示の参加への必要条件だった。
フィリポの福音書(ナグ・ハマディ文書)では、洗礼という空しいな儀式の参入者について書かれている:
「水の中に入ってゆき、何も受けとることなくあがってくる...油を塗ること(chrisma)は、洗礼より優れている。油を塗ることから、 我々は『油を塗られたもの』(Christians)と呼ばれていた。そして、キリスト(Christ)も油を塗るためにそう呼ばれるようになった。なぜならば、父は息子に油を塗り、息子は使者に油を塗り、そして使者は我々に油を塗ったからである。したがって、塗られた者は、全てを持っている。復活し、光を持ち...聖霊を持ち...もしもこの塗油を受ければ、この人はもはやキリスト教徒でなくキリストである。」
同様に、真理の福音書(ナグ・ハマディ文書)は、イエスが人々の中に入ってゆき、: 「彼らに軟膏を塗布したに違いない。その軟膏は、父の慈悲であり...彼がそれを塗った者たちは、完璧な者になった。」と記録されている
出所の怪しい本(トーマスの使徒行伝)は、特に特定の植物に由来しながら、軟膏の幻覚的な影響に言及している:
聖油は、聖別することにより、十字架が示す隠された啓示を我々にあたえるので、あなたは隠された部分を開示するものである。あなたは頑固な行為に屈辱を与える人であり、あなたは隠れた宝を示す人であり、あなたは思いやりのある植物である。この塗油によりあなたの力を手に入れますよう。
グノーシス派の秘技
グ ノーシス派にはイニシエーションに多くのレベルがあったが、これらの異なるレベルの啓示について、他の多くの残存する深淵なテキストのようには書き留められていない。しかしこれは特別な儀式における言葉として与えられていた。精神状態に明らかに影響を与える聖油のレシピのような要素は、最も周到な秘密で守られていて、セ クトの最も信用された入会者だけに知られていた。「明らかにされている魔法は、失われた魔法だ」というのが標準的な神秘的教団の方法で、こういった秘密はグループの最も忠実なメンバーに委託されるだけだった。
「グノーシス派論文は、全ての問題を明らかにしたわけではない..最終的な事実は、口伝えとビジョンを通して伝えられた。10
「グノーシス派テキストは儀式的な問題でさえ、比喩的で記号的な話し方を好んでいるのは確かであり、...彼らの『秘技』について正確な詳細を伝えることを明らかに避けていた。3
130 -200ADに、カトリック教会神父イレナエウスは、グノーシス派のメンバーを「秘密のサクラメント」で訴えた。聖油を塗る儀式を扱ったグノーシス派テキストについて、彼は以下のように述べている。それらは古風な方法で書かれていて、「秘技を与えるというより人々を困惑させるものだ。」14
グノーシス派は、Ireneusのような迫害者が聖油の背後に隠された力の源を見つけ出すことを恐れて、「困惑させる」ためにこのような秘密の方法で書いたにちがいない。
信仰の秘技
他の向精神的な植物へのこのような隠れた言及は「5本の木の神秘」にも見ることができ、イエスによって複雑なシャーマニズム的なイニシエーションに使われた。それは最も古いキリスト教のテキスト、トーマスの福音書に記述されている:
「.. 5本の木が、パラダイスのあなたのためにある...それを知っている人は誰もが死ぬことはない。」
グノーシス派の見方では、「死を経験しない」ことは内部の浄化または啓蒙の特定の状態に達することを意味し、その状態では入会者は「死者から上がって」、「決して年をとらず、不滅になった」。彼は無知と盲目から生き返り、精神的な自我の完全な意識 の所有を得て、より大きな宇宙全体の部分であるように理解し、そしてそれは具体的な体の消失の後に続いた。イエスは意識のこの「より高い」状態に達することを「天の王国に入る」と言った。
グノーシス派のいうこのような状態の達成は、ヨガ(それは「結合」を意味する)のゴールと比較することができ、それに成功した帰依者は、「個性化の感覚を消し去る、意識の革命的なスイッチを得る。」15
ヨガの結合という類似したゴール同様に、「天の王国」は即座に到達されるものではなく、長年のトレーニングを必要とした。向精神状態に影響するいろいろな植物が、この「より高い」状態に到達する際の、帰依者を促進する助けとして使われた。
グノーシス派はこういった秘技的なキリスト教の教えの詳細をいくつか我々に与えてくれるが、それらが新約聖書でイエス自身の教えとしても触れられてる点は興味深い:
そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため…」(マルコの福音書4:11)
光の宝と5本の木の神秘
現在の世紀の変わり目に、GRSミード教授は、残っているドイツの翻訳のグノーシス派テキスト-「Ieouの第2の書」-を要約した。テキストは、イエスが男と女の弟子に彼に加わることを命じ、光の宝という偉大な神秘を彼らの前に示した、と述べている。
これを達成するために、候補者たちは3つの洗礼によって手ほどきされる必要がある:水の洗礼、火の洗礼、聖霊の洗礼、「そしてその後、Spiritual Chrism[聖油を塗る]秘技が施される。
イエスは光の宝の主な秘技が、5本の木の秘技と関係していることを付きそうものたちに話しているが、それは儀式で使われた神秘的な植物についての知識を持つことを意味しているのかもしれない。
イエスが主の弟子に与えると約束するこれらすべての秘技は、「全ての秘技で完全になった満ち足りた子供たち(プレーローマ)」と呼ばれる。主は弟子たちを集めて捧げものの場所を明らかにし、1つのワインの容器を右に置き、もう一つを左に置いて、その容れ物のまわりに、ある種類のベリーとスパイスをばらまく;それからある植物を彼らの口に置き、また別の植物を彼らの手に置いて、彼らを捧げものを囲むように配置する。
続く儀式では、イエスは弟子に別のもので満たしたカップを与え、秘技的な図形をもって彼らの額に封をする。それから世界中のシャーマニズム的で不思議な儀式の様に、彼の弟子たちに、足をそろえて祈りの姿勢で世界の4隅に向かわせ、頭をつけて祈りを捧げさせ、いくつもの浄化と火の洗礼が続く。
この儀式では、ぶどうの枝が使われる;いろいろなお香の材料と一緒にばらまかれ、聖餐式は準備される…
祈りを捧げるものは、今度は光の聖母マリアに対して祈りを捧げる。審判者であり火の洗礼に水を与えるもの?である。「この芳香性の香の火」により奇跡が求められ、それはZorokothoraの作用によってもたらされる。その奇跡の種類については何も述べられていない。イエスは弟子に洗礼を施し、彼らに正餐の犠牲を与えて、彼らの額に光の聖母マリアの印で封をする。
次に聖霊の洗礼が続く。この儀式では、ワインの容器とぶどうの枝が使われる。さらなる奇跡が再び起こるが特定されてはいない。この後、精巧な香を捧げることで、悪の支配者を退けるという秘技をおこなう。
ミードを困惑させた香の「奇跡」とは、おそらく言い表すことのできない向精神状態の影響への言及だった。他の定義されていない「奇跡」も、儀式で使われる異なる植物の神秘的な特性を示しているかもしれない。
異なる植物は同じもので、記述されているぶどうとベリーが5本の木の神秘として参加者に確認されたのかもしれない。
この時、我々は他にどんな植物が儀式で使われたか推測することができるだけだ。創世記30のマンドラゴラの記述:14-16とソロモンの 雅歌7:13(それは、神聖な油を塗ることへの付け加えのようにみえる)は、明らかに、ヘブライ人のもっている不思議な植物の天使に対する関心を、文書としたものだ。
このような植物の利用と知識が、グノーシス派のような特定の「異端的な」宗派によって伝えられてきたことは自ずと明らかだ。マンドラゴラ(またはその頃中東で一般的だったベラドンナ)のような強力な幻覚を生じさせるドラッグは、グノーシス派文献で記述される神聖な塗油と洗礼に関連した過激な経験を説明する助けになる。
以上。
長年の間に品種改良(改悪?)しているので
当時に比べれば今はTHCがかなり多くて麻薬的効果は高いはずです。