脳が加速するとき:「恐怖の時」はなぜ遅い?(WIRED NEWS)『・・・「落下するときは、実際にはスローモーションで物事を見ているのではないことがわかった。スローモーションカメラのようなことが起こっているのではないのだ」とDavidは語る。「それよりもっと面白いことが起こっている」Davidによれば、この現象は知覚ではなく記憶の問題なのだという。「通常は、われわれの記憶はふるいのようなものだ。周りで起こることのほとんどは記録していない」。たとえば混雑した通りを歩いているとき、たくさんの顔や信号やさまざまな刺激が溢れているが、それらはほとんどが、記憶の一部にはならない。しかし突然一台の車が自分のところに突進してきたとしよう。突然、記憶のギアが変化する。全てのことを記憶し始めるのだ――雲であれ塵であれ、細ぎれの考えであれ、役に立つかもしれない全てのことを。・・・冒頭のDavid Eagleman氏によるSCADジャンプの実験に戻ろう。おそらくは恐怖の感覚はクリック音のようなもので、われわれの体内時計を高速化するのだ。われわれは時間の速さは一定だと思っているが、実際にはそうではない。絶え間なく流れ行く感覚さえも、全ての時間ペースを変えうるのだ。』時間の流れは一律ではないし、
短くなったり遅くなったりすると昔から思ってます。
時間と空間が同じだという体験(99年)をしたときは
なんとも幸せな気分でした。
恐怖時のスローモーションは記憶の問題なんでしょうか。
スローモーション
確かに似たような状況で私もスローモーション体験があります。
雨の中、片側4車線ほどの広い道路で私は助手席、三人で車に乗っていたときです。
赤信号で止まって青になりスタートし、まもなくスリップ。
100キロ近く出ていたと思う。排気量は2000ccだったかな。
車がゆっくりゆっくり回転し始め「あ~、死ぬんだな」と思った。
スローモーションの中で、心も体も静かですごく落ち着いていた。
シートから体を動かそうとも思わず逆にシートに包み込まれるようだった。
恐怖はまったくなかった。
結局、車の自損も何もなく助かったのですが、
スピードを出していたせいで後続車が追いつかずに衝突を免れたのです。
こうやって死ぬなら、死はまったく怖くないと思いました。
夢でも時々あります。
夢の場合は自分自身の動きがスローモーションになります。
こちらにその夢をアップしてあります。『
目線』
矢を避ける空中に浮いている私の動きがスローモーションなんですよ。
面白いですよね。
危機状態ではないときのスローモーション体験、『
重力的なもの』ではこう書きました。
夢ではその重力的なものから開放されるから、
奇想天外な絶対ありえない経験をするのだと思う。
私なんかリアルで不思議な夢ばかりたくさんみる。
夢ではまるで重力がないかのような完全なる身体の自由を何度も体験した。
どんな形でも自由自在で、もうそれは身体であって身体ではない。
それは身体を超え、人間を超えている。
壁でも天井でも空間を自由自在に移動でき、
しかもゆっくりだから自ら見とれるほど美しい。
意識だけで体を移動することも体験した。
惑星誕生を上空から眺めていたこともある。
数キロも先の山の植物がまるで顕微鏡でみているかのように
その一粒一粒が宝石のように輝いていたり、の経験も多い。以上。
車のスリップと夢に共通するのは「
開放」されていること。
開放されるときにスローモーションになるのかも知れない。
そしてスリップの場合は、恐怖から守ろうとする力、
それを内なる神と言ってもいいし、神的な自分自身と言ってもいいし、
宇宙と直結する本来の個がも持つ力が発動するのかも知れない。
言い方をかえるならある種、火事場の馬鹿力みたいなものかも知れない。
体験的には、
神が神を抱くという感じがぴったりかな。
夢はこれとはまた違う、まったく違う。