
外出先から戻ってきたら
「ガンバレ!カダフィ大佐」に驚くようなコメントが入っていました。
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リビア社会の構成と歴史から深く洞察する
リビア動乱とカダフィ体制への視座が大きく変わるかも・・・
http://togetter.com/li/104873
| リビア | 2011/02/26 15:27 | URL | ≫ EDIT,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
amnkLibyさんによるリビア情報を保存も兼ねて一部転載しますが
凄く良い内容なのでぜひ全文を読んでください。
長いのでツイッターの投稿時間も最初の部分を除いてすべて割愛します。
リビア情勢がだいぶ緊迫してきて、それに伴って情報が錯綜している感があるので、ささやかながら情報を提供したいと思います。amnkLibya
2011-02-22 18:41:43
最初にお断りしておきますが、他の多くのリビア関連のツイートと同様、独断と偏見、不確定な情報にもとづいていることがあります。
あと、この世には「ニュートラル」「客観的」な情報は存在しないと思いますが、恐らく多くの人にとって「親カダフィ」「親リビア政府」のように思える内容も多いと思います。
何から手を付けばいいのか分かりませんが、まずは騒乱の最も激しいベンガジという都市とリビア東部地域について説明します。
ベンガジは、1969年のカダフィによるクーデターの後に首都がトリポリに移されるまで、リビア(当時はリビア王国)の首都でした。当然、当時の王族やリビア東部の大部族、イタリアの植民地政策に抵抗した英雄を輩出したイスラーム教団の政治的・社会的基盤が非常に強かったわけです。
だからこそカダフィとその同志達は、1969年の革命が成功した際に首都をリビア西部沿岸のトリポリに移したわけですが、それ以来ベンガジではリビア政府に対する不満がたまっているといわれています。
2006年2月に起こったムハンマドの風刺画騒動(http://bit.ly/i9I5cI)に対する抗議デモが、最終的には体制批判に転じたように、首都トリポリの発展を前にして、ベンガジには政治的・社会的不満がたまっていたようです。
つまり、ベンガジでの暴動は、単純に独裁的・非民主的な体制に対する抗議と民主化の要求というよりは、発展の集中するトリポリに対する不満、リビア東部を拠点とする部族勢力の政治的台頭の思惑などが、「民主化」の看板を借りて顕在化している状況だと考えた方が適切だと思われます。
ただし、ベンガジの人々も、自身の立場を正当化するためのレトリックとして、「カダフィの独裁に対して立ちあがれ」「この国は腐敗している」「正義と民主化を!」といったメッセージをたくさん流しているわけです。
では、首都トリポリの反政府運動の性格はどのようなものなのか?現時点での動きに関してはリアルタイムに確認してもらうのがベターだと思うので、隣国チュニジアでの反政府運動と同時期の、1月半ばに起こった騒動について概説します。
1月10日 政府、食料品に対する税の撤廃を発表。13日 カダフィ、セブハにおける政府会議に出席し、「リビアには充分な家が建設されており、家がない国民はこれらに住むことが出来る」と発言。
13日~22日、カダフィの発言に関連し、リビア主要都市において、市民が無人の新築住宅を不法占拠する動きが発生。この問題は数日中に解決。 15日、カダフィ指導者のチュニジア国民向けTV演説。17日、カダフィ次男に近いリビア・プレスは、リビア軍を批判する記事を発表。
話が前後しますが、ベンガジ、キレナイカ地域(リビア東部)における反政府運動が旧王制へのノスタルジーを一定の拠り所としているという思いは、暴動の現場にひるがえる旧リビア王国の旗を見て一層強まりました。http://bit.ly/g9m8Yy http://bit.ly/f1TKzS.amnkLibya
ご存知かと思いますが、チュニジアでの暴動の発端は、地方都市での若者の焼身自殺です。その様子を移した動画がFacebookやTwitterによってチュニジア全国に広まり、文字通り革命の着火剤となったわけです。
その背景には、高い失業率、物価の高騰と貧困率の増大などによる国民の不満がありました。翻ってリビアを見てみると、確かにリビアでも高い失業率が問題となっていますが、リビアには国民が600万人程度しかおらず、国民の5分の1に当たる約100万人が公務員として国に雇用されています。
リビアだけでなくアラブの産油国全般で見られることですが、肉体を酷使する重労働はアジアやアフリカからの移民に任せ、英語や専門知識も持たないままにホワイトカラーの仕事を求め、就職もせずに日々を送る若者がほとんどです。日本の糞ニートと同じですね。
つまり リビアの失業率の高さは、「職がない=働けない」のではなく「働きたくない」若者の多に起因していると言えるため、失業率が暴動の引き金となったわけではないことが分かります。
またリビア政府は、豊富なオイルマネーと少ない国民人口、かつての社会主義体制の名残から、各家庭に対し、失業中の成人男性の数に応じて月ごとに手厚い補助金を与えている(いた)と言われています。
リビアは現在でも社会主義的な経済システムを引きずっており、食料品や生活必需品は大抵政府によって価格統制がなされているため、非常に安価で購入できます。ガソリンは1リットル当たり約13円と日本の10分の1ですし、教育費もほぼ無料です。
参考:マーサー社の『2010年世界生計費調査 都市ランキング』によると、リビアのトリポリは中東で最も物価が低い(世界186位)とのこと。http://bit.ly/al0Vj4.amnkLibya
軽く補足情報。チュニジアの国民人口:1030万人、国土:16万平方㎞、人口密度:63人/平方㎞。エジプトの国民人口:8300万人、国土:100万平方㎞、人口密度:83人/平方㎞。リビアの国民人口:640万人、国土:180万平方㎞、人口密度:3人/平方㎞。
この国土の広さと人口の少なさは、全国規模での反体制行動が多くの困難と破壊を伴うことを示しています。1969年にカダフィが同志達とクーデターを起こした時も、トリポリとベンガジの両方で同時に蜂起したことが成功の要因となっています。
カダフィ個人に対する国民の評価はどうでしょうか。オイルマネーのバラ撒きのおかげもあり、ベン・アリやムバーラクのように、国民の貧困を改善しないままカダフィと家族だけが富を私物化しているという批判は、国内ではそれほど聞かれません。
例えばJETROは1981年の報告書で、「カダフィは「北アフリカの空隙地帯」「存在しない国」と言われていたこのリビアから、まさしく存在する国家を作り上げ、リビア人に地域主義や部族主義よりも一国の国民としての感情を優位に立たせることに成功した 」と述べています。
カダフィとリビア政府は弾圧によってリビア国民を苦しめてきただけではありません。カダフィが断行した石油産業の国営化と石油価格のつり上げは、国家収入を劇的に増加させました。革命前の5年間の石油収入合計は約6000億円であったのに、革命後の5年間の合計は2兆円となったのです。
政府は民衆の側からの自発的な組織と発言を厳しく禁じる代りに、オイルマネーによって家、自動車、病院、工場など国民が必要とするものを整備し、民衆の生活は確実に向上しました。教育制度も整備され、授業料は無料となったために識字率は大きく上昇したといわれます。
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王制時代、リビア社会は教育に見放され、独立後数年経っても住民の90%以上は文盲であり、ほんの一握りのリビア人が大学か職業訓練施設で勉学の機会を与えられたに過ぎませんでした。教育制度が真に発展するのは1960年代の石油発見後です。
油田が発見されると、旧王制は国際石油資本と結びつくことで、王政存続の経済的基盤を獲得しましたが、その利益は王族と一部の有力者に独占され、国民は石油利益の恩恵を受けることができませんでした。
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恐らく現在、東部を除いてそれほど情勢の悪化していない地域では、部族や地域的な勢力が、水面下の交渉や駆け引きを繰り返していると思われます。誰と組み、どの関係を強化すれば得策なのか。政府との関係を遮断するのか、維持するのか。どうすれば今後、政治的・経済的な利権を維持・拡大できるのか。.amnkLibya
2011-02-24 05:19:47

amnkLibyさんによるリビア情報を読んで思ったのは
わたしたちは本当に何も知らない、何もみていないということです。
なのに何も知らない人間が他者を裁き、嘘の罪を作り上げ、
間違った道を世界を選び、作り、進んでいくと思うと
気持ちが重くなります。
カダフィ大佐に偏見を持っていない私でさえも、
知らないことばかりで恥ずかしくなります。
カダフィ体制のリビアはある意味、人によっては理想の国家じゃないでしょうか。
これじゃカダフィ体制を潰したくなる理由がよくわかります。
何故こんなことを言うかというと
いわゆる民主主義が自由だとは思っていないからです。
たとえば、発言一つをとってもそうですが、
自分の正直な考えを思いを自由に発言できないですよね。
言論の自由なんて何処にも存在しないと思います。
思いのたけを生きようと思っても
才能がどれほどあっても
実現できない人も多いです。
最近ではこれが本当に日本かと疑うほどの弱者が目立ちます。
可愛そうなお年寄りが多すぎます。
小さな頃から自由だと思い思わされ、
教育の名の下で大人の価値観に閉じ込められ
ちょっと大人になると社会の価値観に閉じ込められ
目立ったことをすると出る杭は打たれ
大人になれと言われ
人によっては嘲笑され
それでも自分に自由だと言い聞かせる。
文句が出ない程度の温度のお風呂に入れられている状態が
今の日本ではないでしょうか。
仮に理想にめぐりあったとしましょう。
でもそれはそれできっと不満が出ると思うのです。
人というものはどんな状態でも満足しないからです。
東ドイツやソ連がそうだったけれど
自由を勝ち取ったと思ったら次はお金の心配がはじまります。
一番やっかいなのは、自由という幻想・幻覚です。
このことについてはまた書きます。