神と悪魔

「私の知るカバラでは世間とは真逆で666は神の数字でした。」
先日の記事でこれを書いたところ批判コメントが入っていました。
返事を書こうかと思ったけれどご自分で削除されたのか見当たりません。
以前も同じようなコメントが入ったことがあります。
きょうはニュースをお休みしてこれを書いてみたいと思います。
私はカバラの本をこれ一冊しか読んでいません。
数秘術―数の神秘と魅惑(ジョン キング 著)
いわゆる本屋さんで呼ばれて買った本です。
ただ読んだといっても内容がややこしくて
何が書いてあったかまったく覚えてないのですが
たった一つ覚えているのが「666」と「555」。
世間では「666」が悪魔の数字と言われていますが
この本では「666」は
「666」に興味がなかったことと
天邪鬼なので疑っていたので
世間と真逆なのが面白いなと思いました。
「666」が何故、悪魔の数字なのか、
誰がこれを決めたのでしょう。
「666」でちょっと閃きました。
世間でいう「666」が悪魔としたら
数秘術のいう666が神なら
それこそ「666」は悪魔にも神にもなりうる。
これは私たち人間のことを表しているんじゃないでしょうか。
数秘術の555=悪魔、666=神
これでみても隣同士です。
悪魔と神の表裏一体を表しているんじゃないでしょうか。
以前書いた記事ですがこれも参考にしてください。
「神聖」の意味を知っていますか?
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みつめている主体 その23
http://cocorofeel.exblog.jp/11276497
ボーム「ええ、それは神聖なるものと呼ばれてきました。ご存知のように「聖なるもの」(ホーリー)という言葉は全体(ホール)という言葉に基づいています。だからそれは全体(ホール)、全体性(ホールネス)と呼んでもいいでしょう。「神聖なるもの」(セイクリッド)という言葉は不幸にもその語源とは違うもの、つまり犠牲(サクリファイス)を意味するようになっています。一つの組織としての宗教での犠牲といったものの発想と強く結びついているし、不幸な意味合いを非常に多く含みます。」
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次は神。
「しめすへん」は何を示すか?
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/simesuhen.htm
ところで「示」という字はなぜ神がかっているのであろうか? この字の形自体がその問に対する答になっている。まず、中央にあるアルファベットのTのような部分は神へのいけにえを置く台の形である。一本の杭の上に平たい板が載っている形を考えればよい。Tの上の「一」はいけにえであり、Tの両脇にある点は、いけにえからしたたり落ちる血を意味している。つまり、神にいけにえを供えて見せることが「示」という字の本来の意味であった。
90年代に、鍋で野菜を似ているときに出てくるアクは
悪なんじゃないかと書きました。
アク(悪)を少し身体に取り入れることで健康(善)が増す。
こう考えたのです。
ボームを知ってからは鍋の中は全体運動だと思うようになりました。
「666」が悪魔でも神でも、私は構いません。
ひたすら嫌なのが固定した考えです。
何故「666」に悪魔という存在を人々が与えてしまうのでしょうか。
わざわざ悪魔という名詞を人類が生み出さなくてもいいのにと思うのです。
誰かが決めた「666」を獣だとか悪魔だとか信じて行動することは
自らを閉じ込めることです。
方向性が一方に決まってしまいます。
これこそ陰謀ではないでしょうか。
最後に数字遊びです。
555を足すと15=6
666を足すと18=9
6+9=15=6
また6
6と9を向い合せると8
横にすると永遠、無限大。
メビウスの帯。

写真はウィキより拝借
555とか666とか
実はまったく違うモノを表しているのかも知れない。
555=五角形、五芒星が三つ
666=六角形、六芒星が三つ
こうするとどうなる?
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