
泊まったホテルの庭で
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機上からの沖縄は曇っていたせいか
私の知る沖縄がみえなかった。
空港に着いた途端、暑い。
曇っているけれど明るい、白い。
木枯らしが生ぬるい。
空港からタクシーで宿泊予定のホテルまで直行。
タクシー内の匂いに久しぶりの沖縄を感じながら
あまり長くは乗れないなと時々息を止める。
運転手さんはこれまた沖縄らしい素朴で優しそうなおじい。
着いたホテルは住んでいるときによくお茶した有名なホテル。
ホテルに入ってすぐに感じたのが狭い、旧い。
え?????
天井も高くあれほど広かったラウンジがとても小さく感じて驚いた。
そして「旧」の言葉が浮かんだ。
この狭さ、旧さは何だろう?
まるでウラシマタロウ状態だった。国際通りもやはり道がとても狭い(感じた)。
相変わらず人が多いけれど
沖縄に引越す前の98年に初めて訪れた国際通りの活気は感じられず
やはりここでも旧さを感じた。
そして観光客のせいだろうか場が荒れている。
沖縄は空気が重いので歩くのが疲れるんですが
これは今回も変わらず。
(沖縄に越す前年に一度海に入ったことがあるのですが
海も重いのです。)
暑いのもあって歩くと汗ばむ。
服を脱いだり着たりで忙しい。
目的の黒砂糖を目的の店で買うために
名前は市場本通だったかな、
歩きなれた通りに入った途端、これまた驚くほど道が狭い。
え???????
あまりの狭さにまるで夢をみているか化かされているかのようだった。
働いている人たちの顔は以前とまったく変わらない。
頭がぐらぐらしてきた。匂いも強い。
さすがに頭のぐらぐらに耐えられなくなって
黒砂糖を手に入れてすぐ逃げるように国際通りに戻った。
(ぐらぐらと匂いは沖縄に住んでる時にもあったけれど
久しぶりだったからかきつかった。)
ウラシマタロウ状態といえば以前ブログでも書いたように
沖縄に住んでる時に羽田空港ですべての人がゾンビにみえて
まるで異次元の世界に居るようだった。
空港の外のレンタカー屋さんの男性一人のみ普通だった。
(普通とは血が通って生きている状態)
那覇空港に戻ると沖縄の人は普通で一安心。
しかし町の建物が古くなったように感じた。
行ったり来たりしていると
見え方がかわるせいか、別なものがみえるようです。
ホテルの接客など書きたいことはあるけれど
これはある意味、沖縄らしさでもあるのでブログではパス。
暑かったのでホテルのエアコンは切り、
Tシャツ、素足の夏仕様で寝た。
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悲しまれると思い引越しの挨拶ができなかった
アイスクリーム屋さんの店長に会いに行ったら閉店になっていた。
泣かれると思って引越しの挨拶ができなかった
おじいに会いに行ったけれど外からみると鍵がかかっていた。
おじい、元気でいてね。
お世話になった鍼の先生に
「引越しの挨拶ができなかったので今日挨拶しにきました」言って挨拶。
内地は寒いと言ったら「また引っ越してくればいいさ」と先生。
偶然なんだけど
最初の日のホテルお茶と最後の日のホテルランチ以外
すべて内地の人の店で食事したりお茶したのが面白い。
三日目の最後の日になってようやく
ウラシマタロウ状態から戻った。
狭い、旧い、場が荒れている。この三つが今回感じた沖縄です。
変わらないのは沖縄の人の素朴さ、親切さ、ゆっくりさ。,,,,,,,,,,,
松本へ降り立った時、どんなに寒いだろうかと思ったら
意外と寒さを感じず、これまた驚いた。
空気がきれいで凛としていると思った。
空気が軽いので体も軽くなる。
家へ戻っても普段よりかなり暖かく感じた。
名古屋人には悪いけれど、中継地点の名古屋は住む気にはなれない。
行くときに飛行機で一緒だった修学旅行の高校生の顔をみたとき、
(別に騒ぐわけでもないし、マナーが悪いわけでもないけれど
顔をみて驚いて空港の人にどこの高校か尋ねたくらい。)
そして国際通りを歩くたくさんの修学旅行の高校生たちをみていると、
日本の未来はない、真っ暗だと思った。たくさんの観光客をみていると
もちろん場が荒れる原因は他にもあるけれど、
これじゃ沖縄の場が荒れるのも仕方ないなと。
沖縄に申し訳ない気持ちになった。最後の朝にようやくホテルで大祓祝詞しました。
<追記>「狭い、旧い、場が荒れている」の三つに関して
突っ込んで書きたい気持ちはあるけれど別の世界(次元)の話だから
まだうまく伝えることができない。