日米地位協定の改定を求めている沖縄県、地位協定調査で英国・ベルギーへ
今日も暖かくて過ごしやすい。
Tシャツ姿の人もちらほら。
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沖縄の人ってほんとすごい。
地位協定調査で英国・ベルギーへ 沖縄県、日米と比較
https://goo.gl/tCXEo9
「日米地位協定の改定を求めている沖縄県が米軍基地を抱える国と米国の地位協定を調査・比較する取り組みの一環として、池田竹州知事公室長が近くベルギーとイギリスを訪れ、両国政府関係者らと面談することが3日までに分かった。県はこれまでドイツ、イタリアの地位協定を調査している。・・・」
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きょうもおちゃをのむ(2杯目) @sarahreboned
ハワイと辺野古をつないだ中継、みた。エリック・和田さんやロブさん、シカゴのうちなーんちゅ、県外から進学で来て基地問題に気づいて動いてるヤングたち、うちなーんちゅのみんなの言葉、存在感。あきらめないみが凄い。超元気出た。
せめて36時間欲しい @harunayakanonry
ハワイのウチナーンチュすごいな。戦前から出稼ぎで貧しかった故郷沖縄を助け、戦後は豚さえいなくなった焦土の沖縄に豚を送って沖縄の養豚を復活させ、今、辺野古基地移転問題を署名活動で全世界に知らしめた。 #辺野古嘆願署名 #hawaii #世界のウチナーンチュ

「民意示そう」辺野古で1000人気勢 米ハワイとエール交換
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/367887
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米国防長官にウェッブ氏浮上 過去に沖縄訪問、辺野古見直し提言
https://goo.gl/jwft6o
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極東最大の空軍基地・嘉手納飛行場は
戦時中に地元の人々が動員されて
旧日本軍によって作られた。
日本軍が構築した中飛行場を占拠し、さらに拡張する米軍。後方の滑走路からは飛行機が飛び立っている=1945年5月17日(沖縄県公文書館所蔵、米軍撮影)

現在の嘉手納基地。町面積の82%が米軍基地に占められている。

嘉手納基地に飲み込まれた“生まれジマ” 知念文徳さん
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-517616.html
「野里はウージ(サトウキビ)畑が広がる豊かな土地だった。集落の東西南北にサーターヤー(製糖工場)があった。今、小さな家庭菜園の水やりをしていると、あのころの大きな畑を思い出す」
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玉城沖縄県知事「県庁一丸」呼び掛け 経済施策・新基地阻止・県民投票
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-857270.html
「夢は必ず叶う」 玉城デニー知事の年頭あいさつ全文
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/366723
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やんばるぐらし✨デニーと名護の未来 @yanbarugurashi
辺野古新基地建設絡みの求人。たまに目にするけど軒並み本土の企業がとんでもない高水準で募集している。
〇海上警備…新宿のセントラル警備保障で月給34万円
〇ゲート前ALSOK…基本的に本土採用、月給40万円
〇建設作業員…静岡の会社、月給37万円
この大盤振る舞い、利権の匂いしかしない。
https://twitter.com/ryukyurockstyle/status/1080973872206237697
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消えた「バカ塔」の一部か 那覇市役所とみられる終戦直後の写真
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/366623
「1944年10月の「10・10空襲」で甚大な被害を受けた那覇市中心部で、那覇市役所の塔の一部とみられる柱が写る写真が確認された。写真を収めた封筒には「1945年9月」との記載がある一方、一緒にあった写真の中には「1945年12月」と記されているものがあり、終戦から間もない時期に撮影されたものとみられる。戦後の居住制限により、まだ市中心部に住民が戻れなかった時期の写真で、専門家は「時間と場所が分かる非常に良い写真」と語る。・・・沖縄の近代建築に詳しい京都華頂大学の川島智生教授によると、市役所は沖縄初の鉄筋コンクリートの建物で「コンクリート建築のともしびをつけた画期的な建物」。塔は本体と「バットレス(支え柱)」と呼ばれる柱からできていたという。外間学芸員は、柱の高さなどから、塔の一部の可能性が高いとみる。撮影時期は冬で、一部だけ残っているのは、那覇に駐屯した米軍が見通しをよくするために人為的に撤去した可能性もある、と推測する。」
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「沖縄 やんばるの森」(新日本風土記)
http://www4.nhk.or.jp/fudoki/
「この森は、沖縄の歴史が動くたび、希望を失いかけた人々を、やさしく包み込んできた。明治時代はじめの琉球処分、壮絶な地上戦の舞台となった太平洋戦争、そして焼け野原からの復興…。激動の時代を乗り越えてきた、南の島の森と人の物語です。」
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制服の性差撤廃 那覇高が選択制導入 3学期から LGBTや利便性に配慮
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-857323.html
| 沖縄 | 23:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑