500年前に高度な統一文明が存在した?これが「彼の物語・歴史・his-story」?
過去の歴史を見てもわかるように、
歴史とは権力者の都合の良いように書き換えられていくもの。
それが歴史というもの。
学校が洗脳の場であれば、そこで習う歴史も洗脳。
ウクライナでは歴史の書き換えを現在同時進行で見ることができる。
日本だとわかりやすいのは明治維新。
例えば、皇室行事は明治からの新設。宮中三殿も明治から。
衣服も元は唐服。
即位式や大嘗祭に使用された装束も
平安時代以来の伝統的な衣装だと言われているがこれも嘘。
日本を作ったと言われる神武天皇の墓だって造られたのは明治。
その神武天皇自体が架空。
公式なものに真実が書かれているというのは妄想。
これ、よくわかる。
purplepearl@purplep76858690
国民清算の第一段階は、記録を抹消することだ。書物、文化、歴史を破壊するのだ。次に何者かに、新たな本を書かせ、新たな文化を造らせ、新たな歴史を発明させる。やがてその国は、自分が何者であり、何者であったかを忘れていく。人間の権力への闘争は、記憶と忘却との闘いである。
ミラン・クンデラ
これ、すごく面白い!
夢の体験や子供の頃から考えてきたこととも重なる。
purplepearl@purplep76858690
What do we really know about our past? What if everything was different from what we have always been told?
私たちは歴史について本当は何を知っているのか?もし、何もかもが今まで言われてきた話と違っていたら?
盗まれた歴史 - 偽りのベールを剥ぐ (パート1)より
https://bitchute.com/video/TNmz9r7P
https://twitter.com/purplep76858690/status/1609322039244132352?cxt=HHwWgMDU5cf3utUsAAAA
産業化以前の世界は、高度な建築様式はたった1つだった。中世都市の出現は、今から約300年前に遡ることが判明した。世界の植民地化は、私たちが聞かされていた話よりずっと遅く、1700年代に行われた。
盗まれた歴史 - 偽りのベールを剥ぐ (パート2 - 過去の世界の破壊)より
https://bitchute.com/video/FxXfjcNJ
https://twitter.com/purplep76858690/status/1610923839764197377?cxt=HHwWgsDT1c-sk9ssAAAA
書き起こししました。
盗まれた歴史 - 偽りのベールを剥ぐ (パート1)
私たちは過去について一体、何を知っているのか?もし全てが今まで教えられてきた事と違っていたらどうだろう?高度な統一文明があったのか?それもわずか500年前のこの世界に。
スター・シティのスケールとその緻密さは防衛には不向きなのか?スター・シティは、文明の証の1つなのだろうか?この文明は大規模な淘汰の過程で崩壊したのだろうか?
私たちの過去、知識、文化の大半を破壊するリセットがあったのだろうか?産業化や中央銀行の設立、また、債務貨幣システム、偽民主主義の政治体制はこのリセットの結果だったのだろうか?
なぜ20世紀以前の建築物は世界中で同じ原理で作られているのか?古代世界の建築様式は、現在私たちが古代ギリシア・ローマ世界と呼んでいる原則に基づいている。
「記録はことごとく破棄され、あるいは改ざんされ、書物は一冊残らず書き換えられ、絵画は新たに描き直され、像や建物はみな改名され、年代はすべて変更されてきた。そして、そのプロセスは、日々刻々と続いている。ジョージ・オーウェル 1984」
盗まれた歴史 - 偽りのベールを剥ぐ (パート2 - 過去の世界の破壊)
第一次大戦により、古典建築だけでなく革新的技術も世界から姿を消したと言えるだろう。工業化以前の世界では洗練された建築様式は1つしかなかった。今日、歴史主義、あるいは復興建築として知られているのは、「公式の説明」によると、これらの建築物のほぼ全てが事実上、19世紀に入ってから作られたものであり、いわゆる「古代ギリシャ・ローマ建築の流れをくむもの」とされている。ネオゴシック、ネオルネッサンス、ネオバロックと呼ばれるものである。
これらの建築物の基本となる原理は一貫しており、その完成度は他の追随を許さないものであった。こうした統一された建築様式は、統一文明の痕跡、つまり、近年、王国や国民国家に分裂したひとつの文明の表れなのか?
日本でさえも1900年以前はこうした「古代ギリシア・ローマ様式建築物」があったが、日本はまだ完全に鎖国状態であり、それが1850年頃まで続いていたのである。その後、英国に強制的に征服された後でさえ、西洋に対して、ためらいながらゆっくりと開国していかなかったのである。
ドイツの編年史評論家、クリストフ・フィスターはその著書”The Matrix of Ancient History”(古代史のマトリックス)の中で、欧州建築文化の年号表記について、次のように述べている。
「・・・ところで、今日の西洋建築文化、すなわち中世都市の出現は今から約300年前にさかのぼることが判明した。それ以前、つまり、現在の言い方をすれば、「18世紀初頭の欧州」には、またローマ的というか、後期ローマ的というかそんな文化が残っていたのである。また政治的な意味においても、後期ローマ帝国は存在したようだ。ただし、その中で政治的な中心はガリアからゲルマニアに移っている・・・」
大局的に見れば、2つの大戦は、全く違った角度から見えてくる。世界の植民地化は、伝えられているよりもずっと後のことで1700年代になってから行われた。1900年代初頭までに世界の大部分が欧州エリートの支配によるよる植民地大国の支配下に置かれた。大国は主にイギリス、フランス、オランダ、スペイン、ベルギー、ポルトガル、ロシア、イタリアである。これらの国にはすでに秘密結社が入り込んでいた。
中世都市の出現は今から約300年前なら、
知っているすべての歴史が嘘になる。
古代と思われていたものも新しいものかもしれないし、
昨日アップした1600年代のものと言われている
ドームも新しいものかも知れない。

じゃ、エジプトのピラミッドはどうなる?ってなるでしょ(微笑
| 歴史/古代史 | 23:54 | comments:5 | trackbacks(-) | TOP↑