ぶっ飛び考察:奈良から京都への遷都=朝鮮半島から中国への政権移譲?
歴史は嘘だらけなので、真実は絶対わからない、
それをあれやこれやと細かく考えても泥沼にハマるだけ。
時間の無駄。限りある時間に申し訳ない。
荒っぽいかもしれないけれどシンプルにこう考えます。
廃れた中国の伝統が日本で受け継がれている。着物は中国が原型だし、京都も長安の街を真似て更地に作った街。皇室行事だって明治からの新設で、即位式や大嘗祭で使用された装束も平安時代以来の伝統的な衣装だと言われているけれど、これは嘘。幕末までは唐服が大きな位置を占めていた。日本の元号は中国の元号制度を真似たもの。印鑑制度も同じく。
日本の伝統と思われていたものはことごとく中国そのものだった。
これをシンプルに考えれば、日本は古来より中国の影響を受けてきたというより、中国そのものだったと考えるほうが妥当じゃないだろうか。日本列島がまだ小さな部族の集まりだった頃、朝鮮半島から「首露」一行が大量の馬と共に日本列島に渡ってきて、東進・南進し、奈良に都を定め、故郷の朝鮮半島とそっくりの街を作り、王の呼び名を天皇に変えた。(ヤマトの最初の王「首露」は崇神天皇と名を変える)
当時の特徴である古墳。九州から北海道まで古墳のある地はすべて渡来人の地。古墳時代後期には百済人が大量渡来している。その数はなんと約270万人ほど。人口の半分強です。その前も、その後も大陸からやって来ているんです。
謎の人物「天武天皇」の頃から中国に移行したと考えます。天武天皇没後に、実在の人間を神様と置き換え、神話としての古事記が編纂される。奈良(韓国語では国の意味)の藤原京から平城京へと都を遷し、そして京都の平安京に遷す。奈良から京都への遷都はそのまんま、朝鮮半島から中国に変わったことを意味すると、ぶっ飛び考察します。
嫌中、嫌韓というのは、当時の政権争いが記憶に残っているからか、あるいはヤマト政権に騙され、奴隷扱いされたエミシの記憶じゃないだろうか。
アルトゥル📛日本推しラトビア人@ArturGalata
https://twitter.com/ArturGalata/status/1720620831615627460
日本で暮らす外国人が「行政書類の年号は『元号』中心なのでわかりにくい」と熊本市長へ伝えたようですが日本は外国人にあわせる必要ありません。『郷に入りては郷に従え』です。645年の『大化』から続く元号は日本の歴史ある文化の一つ。私ぐらいになれば元号に萌える。朱鳥とか嘉慶とかめちゃいい。
ケン@kenchan_198002
日本の元号は中国の元号制度を真似たものだけど、大元の中国は紀元前160年から二千年以上続いた元号制度をすっぱりやめていますね。印鑑制度もそうですが、日本人は中国を馬鹿にしながら、中国から取り入れた制度を日本の文化として頑なに続けるところが不思議です。
ital inouye@ital_inouye
明治「M1.9.8〜M45.7.30」(1968.10.23〜1912.7.30)
大正「T1.7.30〜T15.12.25」(1912.7.30〜1926.12.25)
昭和「S1.12.25〜S64.1.7」(1926.12.25〜1989.1.7)
平成「H1.1.8〜H31.4.30」(1989.1.8〜2019.4.30)
令和「R1.5.1〜」(2019.5.1〜)
止めようよ(*´-`)
大正元年7月30日が明治45年でもあり、昭和元年12月25日が大正12年でもあるって、どうゆうこと? よくそれで今までやってこれたよ。略として使えるアルファベットもひとつずつ減ってくし、止めるなら早い方がいいと思うな。
| ぶっ飛び考察 | 23:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑