PREV | PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

早川由紀夫さんのツイログより


早川さんまとめ
http://togetter.com/li/509122" target="_blank" title="30人の被ばく事故は珍しい(NHK)">30人の被ばく事故は珍しい(NHK)」
福島市の大波小学校で運動会。児童ひとりでも存続を地域が希望。
http://togetter.com/li/509159" target="_blank" title="ドイツ、ミュンヘン、柏。">ドイツ、ミュンヘン、柏。」

早川由紀夫

「しかし、学校のグラウンドの土を入れ替えるなど除染が進められ放射線量も下がりつつあり、地区の要望もあって学校は存続されることになりました。」福島市の大波小学校。ふむ。Reading:児童1人の小学校 地域参加で運動会 NHKニュース http://nhk.jp/N47f6ENA
posted at 06:32:44

学校のグラウンドの放射線量は、土を入れ替えればすぐ下がる。しかし(都会ではない農村)地域の放射線量を下げるのはむずかしい。老人はそこで生活できるが、子どもにはふさわしくない生活の場だ。
posted at 06:38:35

福島市立大波小学校、私の地図上での位置  http://ow.ly/i/2cUxo 毎時2マイクロシーベルトだ。
posted at 06:44:24

萩原 出羽守 佐知子 @hugujo
(いままで気がつかなかったけど、オーストリアって、あのたいして広くもない国土のかなりの部分を東葛並み以上にやられてたのか。。。
http://www.wien-vienna.at/strahlenbelastng.php図版のソースはオーストリア環境省だって)
Retweeted by 早川由紀夫
retweeted at 09:48:14

え、ミュンヘンてチェルノブイリ事故でそんなに汚染されたのですか?どこ見ればわかりますか?RT @nekoyamax: チェルノブイリ事故当時、ミュンヘンあたりは東葛と同程度の放射能汚染だしね。
posted at 07:54:27

福島の25年後は、いまのベラルーシとウクライナにある。首都圏東部の25年後は、いまの南ドイツ・オーストリア・スウェーデンにある。
posted at 10:06:34

今朝の朝日新聞に掲載された表と私の見積もり。よく似ている。「フクシマとチェルノブイリの比較(放出量)http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-563html" target="_blank" title=" http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-563html"> http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-563html
posted at 10:16:16

私の「住める」発言の変遷 http://togetter.com/li/496596
posted at 15:01:21

「セシウム137だけで比べる。柏は0.5uSv/h。これは69kBq/m2に等しい。ミュンヘンは10kBq/m2程度でしょう」2012.2.9にこんなこと言ってた。  http://ow.ly/i/2d22F

地図をよく見ると、ミュンヘンは20kBq/m2程度のようだ。柏のセシウム137は0.15uSv/hだから70kBq/m2程度。柏はミュンヘンの3.5倍汚染。セシウム134まで含めた2011-2012年は10倍汚染だったでよいだろう。
posted at 16:00:58

柏の汚染を0.40uSv/hとみて下方修正。セシウム137の寄与を0.12uSv/hとすると60kBq/m2(文科省の航空機モニタリングとも合う)。柏はミュンヘンの3倍汚染。セシウム134まで含めた2011-2012年は10倍だった。
posted at 16:32:42

あった。ドイツのリアルタイム放射線量マップ http://odlinfo.bfs.de/
posted at 16:37:30

ミュンヘンのあたりは0.1マイクロかそれを下回る。ドイツ全体を見ると、チェルノブイリ汚染より地質の方が放射線量に効いてるみたいだ。
posted at 16:39:46

ということは、事故から27年後のいま、ミュンヘンに行ってもチェルノブイリを測ることは無理で、地質を測ってしまうということか。平野と違って山の中だから地質の影響を色濃く受けるだろう。これはフィールドワークむずかしいなあ。
posted at 16:50:04

事故後の日本人の内部被ばくが少なかったらしいと私も思うが、それが政府による食品コントロールがうまくいったせいだの見方を私はとりません。だってこの国の政府は、「食べて応援」と言ったし、いまも言ってるんですよ。
posted at 16:59:54

作付制限もほんの少しだった。ほとんど出荷自粛の要請ですませた。悪辣(あくらつ)なやり方だったと思う。
posted at 17:00:39

そして、生産者にプロ意識が欠けていた。見識もなかった。
posted at 17:01:30

@mumindaninoie いわき市の汚染は柏市とほぼ同じです。柏が住めるなら、いわきも住めます。
posted at 17:37:14

ということは、東京駅のセシウム汚染がミュンヘンとほぼ同等。事故最初の1年は、セシウム134のせいで、ミュンヘンの3倍汚染だったとみられる。
posted at 17:43:30

東京駅の25年後を予想しにミュンヘンまで行くのは、元気でないなあ。
posted at 17:44:20

@nekoyamax よく調べたら、柏はミュンヘンの3倍汚染だとわかりました。2011年は10倍汚染。行く気が急速にしぼみました。まとめをみてください。http://togetter.com/li/509159
posted at 17:57:34

事故直後1ヵ月、日本の(野菜の)出荷規制はきわめて不十分だった思います。そのあと、福島中通りで無造作に稲を作付けを許しました。7月には牛肉汚染が発覚しました。まったくほめられたものではなかったと認識しています。@dre_swl
posted at 18:06:09

牛乳についてはよくフォローしていませんが、(福島県内はともかく)栃木県那須や岩手県一関は放置だったと承知します。@dre_swl
posted at 18:08:09

2011年4月に農水の役人が福島市のホテルに泊まって会議してるから何かと思ったら、飯舘牛をいかにして全国に移動させるか、だった。そのあと飯舘村に避難勧告が出た。人間の避難より牛の避難が先だった。
posted at 18:32:29

「3時間半の会議「福島県の計画避難区域等からの家畜の移動について」を終えました。県、市町村、JAなどの担当者なので、帰ってから農家に説明しなくてはならないから、真剣に聞いてもらい質疑応答も活発で予定オーバーでしたが、少しでも前進するしかないです。」2011年4月30日
posted at 18:42:39

「これから福島市内での「家畜移動等にかかる説明会」が始まります。夕方まで離脱します。」 2011年4月30日
posted at 18:43:55

ちょっと訂正。飯舘村に避難勧告は出なかった。2011年4月22日に計画的避難区域に指定された。 http://ow.ly/lqqdq 計画的避難区域とは、「1ヶ月以内に避難を完了していただく」区域のことだ。実際は1ヵ月のあとも一部住民は残ったし、日中の立入は自由だった。
posted at 20:43:37



関連記事

| 未分類 | 20:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT