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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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ダライ・ラマの本当の顔


アイク情報で紹介されていた記事を翻訳中です。
途中までyasuさんが翻訳してくれたのでそれを先に載せます。
翻訳ありがとう。
記事の内容は各自で判断して読んで下さい。

The True Face OfThe Dalai Lama
ダライ・ラマの本当の顔

http://www.rense.com/general81/faeeof.htm

『これはチベットでの争乱と、米国が彼らのイデオロギーの戦いを遂行するためにダライラマ像をどう確立してきたかという背景の説明です。米国の無知な人々は、「平和」と「非暴力」という彼の哲学によりダライラマを畏敬してきました。この記事はラマ僧がほんとうの意図するもの、なぜ米国がノーベル賞や多くを彼に与えてきたかといういう事実を暴きだすでしょう。- Kalovski Itim、ダライラマが統治していた頃のチベットでの、毛沢東革命の実話: 生き地獄

革命の労働者#944、1998年2月15日

厳しい気候、無情な社会

チベットは世界一遠く離れた場所の1つです。それはアジアの真ん中奥深くの高山帯に位置します。それは、世界一高い山ヒマラヤにによって南アジアから分断されています。 無数の峡谷と少なくとも6つの異なった山脈が、この地方を孤立した渓谷の合間に造り上げたのです。 1949年の中国の革命の後に引き起こされた変化の前には、車両が通行できる道はチベットにはありませんでした。 危険な曲がりくねった山道を、ラバ、徒歩、または毛むくじゃらの牛のような山の動物であるヤクによって旅するよりなかったのです。貿易、コミュニケーションや中央政府が保持されるのはほとんど不可能でした。

樹木限界線の上にチベットの大部分があります。空気は非常に薄いです。ほとんどの作物や木はそこに生えません。それは食物を栽培して、炎のために燃料を見つけるのさえ戦いでした。

革命時点でチベットの人口はたいへん広範囲に広がっていました。およそ2、300万人のチベット人がおよそ150万平方マイルー合衆国の大きさの半分の地域に住んでいました。 村、修道院や遊牧民の露営地は何日もの厳しい旅で隔絶されていたのです。

毛沢東主義者の革命家は、「3つの大きな欠如」が古い時代のチベットにあるといいます: 燃料の不足、コミュニケーションの不足、および人々の不足。毛沢東主義者の革命家によると、この「3つの大きな欠如」 は物理的な状態によって引き起こされたものではなく、社会システムによって引き起こされたといいます。 毛沢東主義者は、「3つの大きな欠如」がチベットの社会における「3つの豊さ」によって引き起こされたと言いました: 「超自然への豊富な貧困、豊富な抑圧、および豊富な恐怖。」

古いチベットの階級社会

1949年に始まった革命以前のチベットは封建社会でした。2つの主なクラスがありました: 農奴と貴族的な農奴の所有者。人々は米国のヨーロッパの「暗黒時代」の農奴や、アフリカ人の奴隷かアメリカ南部の小作人のようにして暮らしていたのです。

チベット人の農奴は、木製の鋤と鎌で固い大地から大麦収穫をこそぎとっていました。ヤギ、羊、およびヤクはミルク、バター、 チーズ、および肉のために育てられました。貴族的や宗教指導者たちは人々、土地、および動物の大部分を所有していました。彼らは、農奴からほとんどの穀物を取り上げ、あらゆる強制労働(ulagと呼ばれる)を要求しました。男性と女性の両方がこのulagを含む厳しい労働にじゅうじさせられ、 また、チベットの不毛の西高地に点在している遊牧民族は、領主とラマ僧によって所有されていました。

ダライラマの兄のThubten Jigme Norbuは、ラマ教徒社会の階層では、「階級というものは全くないし、階級間の流動性があるからどんな階級の偏見もありえない」と主張します。しかし、この宗教的な秩序の存在は、堅固で残忍な階級制に基づいていました。

農奴は軽蔑され「劣ったもの」として、黒人が黒人差別で南部に扱われたように扱われました。農奴は農奴の所有者として同じ席や、 言葉または食器を使用することができませんでした。主人の所有物に触れただけでも 鞭打ちで罰することができたほどです。主人と農奴の差が非常に離れていたので、チベットの大部分で彼らは異なった言語を話しました。

農奴は彼の主人が馬にまたがるため、四つ足でひざまずいて踏み台になる習慣でした。チベットの学者のA.トム・グリューンフェルトは支配階級の少女がただ怠惰であるという理由で、1人の使用人に階段で彼女をいつも運ばせていたと述べています。主人は小川の向こう側に渡るのに、農奴の背中に乗りました。

チベットの農奴より悪い唯一のものが、自分たちのためにいくつかの作物を作るのさえ権利が全くなかった「家財奴隷」でした。 これらの奴隷は、しばしば飢え、打たれ、死ぬまで酷使されました。 主人は好きな時にいつでも農奴をこの奴隷に落とすことができだのです。チベットの首都ラサでは、常に子供の売り買いが行われていました。チベットの人々のおよそ5パーセントは家財奴隷にみなされ、他のすくなくとも10パーセントが、実際は「ローブの奴隷」とでもいうべき、貧しい僧達でした。

ラマ教徒のシステムはどんな種類の逃亡も妨げるようになっていました。脱走した奴隷は、広大な空き地にあっても自由に農場を営むことはできませんでした。革命作家アンナルイーズによれば、革命以前の農奴は次のように説明されています。「あなたはチベットに主人なしで住むことはできません。もしあなたに法的所有者がいない場合、だれもがあなたを無法者としてみなすにちがいないのです。」

過去の罪の生まれる女性の証拠?
*前世の悪いカルマで女性に生まれたという意味だと思う。(まゆみ解釈)

ダライラマは、「チベットには、どんな特別な女性差別もありませんでした。」と書きます。ダライラマの認可された自伝作家RobertHicksは、チベット人の女性が彼女らの状態に満足していて、「彼女らの夫に影響を与えていた」と主張します。しかし、チベットでは、女性に生まれるのが前世の「神を敬わない」(罪深い)振舞いのための罰であると考えられました。古いチベットで「女性」意味するkiemenは「劣った出生」を意味しました。女性は「私は、女性の体を捨て、男性に生まれかわれますように」にと祈るように言われました。

ラマ教徒の迷信は女性を悪と罪に関連づけました。それは「あなたは10人の女性の中に9人の悪魔を見つける」と言われました。女性が触れた何でも汚れると考えられたので、あらゆる種類のタブーが女性に課せられたのです。女性が薬を扱うのが禁じられました。Han Suyinの報告しています。「どんな女性もラマ僧の所有物に触れることができませんでした、そして、女性は、 壁が崩れ落ちるからと、壁を築き上げることもできませんでした。未亡人は卑劣な存在、既に悪魔でした。どんな女性も鉄の器具煮触ったり、使ったりすることもできませんでした。「農奴と奴隷に貴族や偉大なラマ僧の顔を見ることが許されなかった頃、宗教は女性が男性のひざから上へ視線を上げるのを禁じました。」

チベットの仏教の主要な宗派の僧は女性との性的な親密さ(または、接触さえ)を、聖なる計画の一部としてこれを禁じました。革命の前に、どんな女性も寺院やダライラマの宮殿に足を踏み入れたことはありませんでした。

双子を生んだり、前仏教的な伝統的な宗教(ボンと呼ばれる)を習慣としていたために焼かれてしまう女性の話もあります。このころ双子は女性が悪霊と結婚したという証拠であると考えられました。 またボンの儀式と民間療法は「魔法」であると考えられていました。 他の封建社会などのように、上流階級の女性でも見合い結婚として売買されていました。また 妻が誰かと一緒に寝たところを見つけた時には、夫が妻の鼻の先を切り落とすことが習慣とされていたのです。家長的習慣は一夫多妻制を含み、資産家が多くの妻を持つことができ; そして、貧しい地方の貴族は、 1人の女性が数人の兄弟の妻であることを強制されました。

下級層においては、家族の生活は米国の南部の奴隷制度とほとんど同様でした。("チベット奴隷の人生"を参照) 農奴は結婚することができなかったし、主人の許可なしにその地を離れることができませんでした。 その主人は農奴をある地所から別の地所へ、思うがままに永遠に家族から引き離しました。女性農奴のレイプはulagシステムの下では一般的であり、支配者は「一時的な妻」を要求することができました。

3つのマスター

チベットの人々は、彼らの統治者を、農奴の所有者が3つの団体に組織化されていたので、「3人の偉大な主人たち」と呼びました: 古いチベットにおいては、ラマ僧寺院が耕作地と牧草の37パーセントを、世俗的な貴族が25パーセント、そして、残りの38パーセントがダライラマのアドバイザーによって任命された役人の手にありました。

チベットの人口のおよそ2パーセントがこの上流階級にあたり、 加えて3パーセントが彼らのエージェント、監督者、執事、マネージャや地所と私設の軍隊でした。ger-Ba(およそ200家族の小さいエリート)が一番上で統治していました。 HanSuyinは書きます: 「たった626人の人間がチベットのすべて土地と財産のうち93パーセントと70パーセントのヤクを持っているのです。」 「これらの626は333人の寺院の代表と宗教家、そして、287で、当局(チベットの軍隊の貴族を含んでいる)と6人の閣僚が含まれていいます。」

また、商人と職人は領主のものでした。拉薩の首都の人口の4分の1は信心深い巡礼者からの施しで生きながらえていました。どんな近代産業も賃金労働者階級も存在していませんでした。マッチや釘さえ輸入しなければなりませんでした。革命の前には、チベットにおいては仕事に対して賃金が払われることは決してなかったのです。

このシステムの中心は搾取でした。農奴は、彼らが生み出した食物の4分の1だけを手元に残し、あとは彼らの主人を豊かにするために16か18時間の数日を扱いました。

トム・グリューンフェルトは書きます: 「これらの地所は非常に儲かりました。」 1人の元貴族が、'小さい'地所は、数1,000頭の羊、1,000頭のヤク、不特定数の遊牧民と200人の農業農奴から通常はなりたっていると書いています。年間の生産量はが3万6000kg(8万lb)以上の穀物、 1,800kg(4,000lb)以上の羊毛とおよそ500kg(1,200lb)のバターとなります。役人は、'無制限の強奪をおこなう力をもち、人々を投獄して罰する代わりに、その権力をもって賄賂を要求し財産をなしていたのです。小作人から絞り上げたお金は税金のために必要な金額を超えていたほどでした。」

支配的な農奴の所有者は寄生体でした。1人の観察者(チャールズ・ベル卿)が典型的な職員について説明していますが、彼は公務として1日あたり1時間を過ごしただけでした。上流パーティーは、食べる、ギャンブルと何日も続きました。また、貴族的なラマ僧は決して働きません。彼らは読経し、宗教上の教義を暗記するだけであとは何もしません。

修道院: 封建制度の本拠

古いチベットの擁護者はチベットの人々の文化の本質としてラマ教を描いています。しかし、それはまさに特定の圧倒的な社会システムのイデオロギーそのものなのです。 ラマ教自体は封建的な階級社会とちょうど同じくらい古く、最初のチベットの王(Songsten-gampo)は統一された封建的なシステムを、西暦およそ650年頃にチベットに確立しました。彼は、封建制度を実行するために国外で使用されている習慣を学ぶために、中国とネパールからの女王と結婚しました。彼女らは、チベットへ密教をもたらし、初期の原始宗教と結びつき新しい宗教であるラマ教が作られました。

この新興宗教は支配階級によって次の一世紀半にわたって、暴力を持って強制的に人民に課せられました。 Trosong Detsen王は命じました: 「僧に指をみせる者は指を切り落とされ、 僧と王の仏教徒の方針をそしる者は唇を切り落とされ、それらを疑って見る者はその目をえぐられる」と。

1400年代年と数1600年の間に、権力は血だらけのうちに強化され、最も大きい寺院の指導者は全権的な権力をてにしました。彼らは独身を慣習としたので、彼らの新しい政治システムは父から息子に対する遺伝的継承によっては成り立ちませんでした。したがって、ラマ僧は彼らの宗教のために新しい主義を作成しました: 彼らは、死んでしまった指導的なラマ僧の生まれ変わりであった新生な子供を探し出すだろうと発表したのです。何百人もの一流のラマ僧が、時に応じて古い体を脱ぎ捨て新しい体に入れ替わる、何世紀もの間他のものを支配していた「生仏」(菩薩)であると宣言されました。

このシステムの中心的な象徴であるダライラマと呼ばれる数々の男性は、何世紀にもわたって14の異なったボディーで再現していた初期チベットの自然神Chenrezigであると言われました。14人のダライラマのうち3人だけが実際に統治しました。1751年と1950年の間に、大人のダライラマは王座にいませんでした。最も強力な宗教指導者は子供のダライラマを訓練、操作、 暗殺しさえしながら、「摂政」として統治していたのです。』

・・・続く
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| 未分類 | 13:59 | comments:19 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

「あなたは10人の女性の中に9人の悪魔を見つける」
いいこといいますねー。同感です。

| 123 | 2008/04/22 14:56 | URL | ≫ EDIT

私もダライ・ラマには疑問を持っていた人間なので、こういう話は非常に参考になります。

| とし | 2008/04/22 18:22 | URL | ≫ EDIT

昔、中沢新一が教えを受けたというチベット密教の教えを中沢氏が翻訳した、「虹の階梯」という本がありましたが、タイトルから受ける印象とは裏腹に、おどろおどろしい内容で、うげっと思いました。

チベットの闇の側面は、なまじ一般的に知られているスピリチュアルなイメージが強いだけに、際立ちますね。

| ふう | 2008/04/22 19:35 | URL | ≫ EDIT

 ダライのやってきた<シャンバラへの道←カーラ****灌頂>の関連でシャンバラを調べてます。これを書くだけで気持ち悪くなる。
 
 中国は状況を見定めた上で、ダライのやってきたことの暴露を始めたようです。

//専門家「西蔵の信教の自由は新中国になって保護」   「人民網日本語版」2008年4月22日

http://j.peopledaily.com.cn/2008/04/22/jp20080422_87142.html

中央民族大学の喜饒尼瑪(シーラオニーマー)副学長は21日に北京で開催された第1回「北京人権フォーラム」で・・・
「旧西蔵の地方法典では、チベット仏教のみが信仰・普及されるべき宗教であり、他のいかなる種類の宗教も崇拝・信仰されてはならず、宗教信仰の面で著しい強制性を有していた。新中国成立前の西蔵の社会形態は封建農奴制だった。その法制度は人権保障面でもこの世界の普遍的な共通性から抜け出せず、無数の農奴は基本的人権を欠き、従って生存権もなく、ましてやいかなる政治的権利その他の権利も口にすることはできなかった。だが『中華人民共和国憲法』では、宗教信仰の自由は公民の基本的権利の1つとされている」と述べた。

| のろ | 2008/04/22 20:43 | URL | ≫ EDIT

拉薩事件三思    「人民網日本語版」2008年4月22日
http://j.peopledaily.com.cn/2008/04/22/jp20080422_87166.html

今日の拉薩(ラサ)はすでに以前の落ち着きを取り戻している。暗雲は次第に吹き払われ、雪山は今も神聖純潔だ。騒々しく揺れ定まらぬ中、「三思」を試みるのも良かろう。(文:小葉・西蔵文化保護発展協会副会長)

一思、「オリンピックボイコット」は誰に難癖をつけるものなのか?ダライ(ダライ・ラマ14世)集団は「オリンピックはチベット人にとって最後の機会」とわめき立て、拉薩などでの「暴行・破壊・略奪・放火」の暴力事件を入念に組織・画策・煽動・操縦した。さまざまな邪悪な勢力も跋扈し、「オリンピックボイコット」をわめき立て、道を遮り五輪聖火を強奪しようとした。彼らは自分たちが13億中国人民の自己向上と奮い立つ前進をボイコットし、13億中国人民の自尊心と感情を傷つけているのであり、・・・


| のろ | 2008/04/22 20:54 | URL | ≫ EDIT

二思、暴力の煽動は誰を困らせるものなのか?暴力行為とその極端な形であるテロリズムは全人類にとって災厄だ。その大部分が何某かの宗教や民族を旗印を掲げているのは、特定の民族・宗教の中で常に2つの結合が生じるからだ。すなわち、狭隘な民族主義と宗教原理主義の結合、神への崇拝と人への崇拝の結合だ。この2つの結合が産む化け物が、抑え込み難い極端な思想と暴力志向の行為だ。その悪性の発展が、大善の無辜の市民を傷つけることもいとわぬテロリズムなのだ。かつて米国は政治上の必要から、中東の暴力組織を支持・放任し、強大化するに任せ、ついにはテロリズムの化け物を育て上げ、逆にその害を被っている。ダライ集団が現在実際に主張・煽動している「チベット独立」は、すでにこの2つの結合の傾向を備え、その「チベット青年会議」はすでに暴力とテロの傾向を示している。・・・

三思、「己の欲せざる所、人に施すなかれ」。西側のいくつかの国々は、中世の政教一致の暗黒統一を脱した後、ようやく現代国家への苦しい道のりを歩み始めた。

| のろ | 2008/04/22 20:56 | URL | ≫ EDIT

半世紀余り前、ダライ・ラマは政教一致の農奴制社会の最高統治者だった。その「亡命政府」の「憲章」は、今なおそれを「政教一致」の「独立国家」と定めている。今日の中国の西蔵は、政教一致の農奴制を脱した後、現代的社会へと大きく歩みを進めている。経済は飛躍的に発展し、人々の生活水準はみな大幅に向上した。平均寿命はダライ統治時代の35.5歳から現在は67歳に伸びた。この基礎の上に、蔵族(チベット族)の言語と文化も中央政府と地方政府に支援・保護されている。現在、西蔵その他の蔵区には3700余りの寺院があり、12万人の僧尼がいる。大きな寺院には数千人の僧侶がいる。もし宗教信仰の自由がないのなら、どうしてこのような状況が生じるのか?ダライ集団は西蔵の現代化を望まず、農奴制への回帰を企み、西蔵の経済・社会発展の1つ1つの進歩を、さらには青蔵鉄道の建設を大々的に攻撃し、兄弟民族による西蔵への無私の援助を悪意をもって誹謗し、対立を引き起こそうと百方手を尽くしている。まさか西側は歴史に逆行するこうした行為が目に見えないというのか?まさか西側は自分達も政教一致の暗黒の中世に回帰したいというのか?(編集NA) //

 中国を怒らせると怖いぞ。

| のろ | 2008/04/22 20:57 | URL | ≫ EDIT

翻訳お疲れさまです。

既に承知でしたらすいませんがダライラマの専制政治に関連する他の記事がありました。記事とともに写真をみて愕然としました。
http://factandtruth.wordpress.com/human-rights-of-tibet/

楽器となる骨をとる為に腕を切られた男性、仏教の儀式に用いられた成人と子供の皮、生け贄のために飢え死にさせられた子供(心臓、内蔵は捧げものに頭は杯に使用!)、老女のように老け込んだ奴隷の35歳の女性の写真をみるとなんとも....。

ダライの本当の顔を知らぬうちに己のエネルギーを捧げている多くの人々に知って欲しいです。 光と錯覚してるまやかしが晴れることを願います。

| ay | 2008/04/22 21:17 | URL | ≫ EDIT

歴史を大切にしない国民にはわからないかもしれないけども・・・。

// 歴史資料「チベットは古来中国領土の一部」      「人民網日本語版」2008年4月21日

http://j.peopledaily.com.cn/2008/04/21/jp20080421_87101.html

西蔵(チベット)は中国の南西部に位置する。ここに居住する蔵族(チベット族)の先住民と、遥か紀元前に中原に暮らしていた漢族とは密接な関係にある。その後長い歳月を経て、西蔵高原に散在する多くの部落が徐々に統一され、現在の蔵族を形成した。

唐朝(西暦618~907年)に至り、蔵漢双方は王室間の婚姻・会盟を通じて、政治的には団結・友好の友誼関係、経済・文化的には密接な繋がりを構築し、最終的な統一国家の建設に向けた厚い基盤を固めた。・・・

13世紀中葉、西蔵地方は正式に中央政府の行政管轄下に組み込まれた。この後、中国では幾つかの王朝が興亡し、中央政権は繰り返し入れ替わったが、西蔵は常に中央政権の管轄下にあった。・・・

| のろ | 2008/04/22 21:19 | URL | ≫ EDIT

1368年、元朝に替わった明朝は、西蔵の管理権を継承し、西蔵の中部に「烏思蔵行都指揮使司」、東部に「朶甘行都指揮使司」を置き、民政を併せ管理させた。西部の阿里(アリ)には別に「俄力思軍民元帥府」を置いた。これらの担当官はすべて中央が任命した。・・・ダライ・ラマとパンチェン・ラマの2大活仏はチベット仏教ゲルク派に属す。ゲルク派は明代に興り、ダライ・ラマ3世はもともとゲルク派の一寺院の住職だった。明朝中央は特例として彼の入貢を許し、1587年に「朶児隻唱」の名を与えた。

1644年、明朝に替わった清朝は西蔵への統治を一層強化した。清朝皇帝は1653年にダライ・ラマ5世を、1713年にパンチェン・ラマ5世を冊封し、これによってダライ・ラマとパンチェン・ラマの封号とチベットにおけるその政治的・宗教的地位が正式に確立された。・・・1911年の秋、中国内地で辛亥革命が勃発し、中華民国が建国された。・・・「中華民国臨時約法」は、西蔵は中華民国の領土の一部であると明確に定めている。

| のろ | 2008/04/22 21:20 | URL | ≫ EDIT

 1927年に中国国民党は南京国民政府を樹立。1931年の国民会議には、ダライ・ラマ13世とパンチェン・ラマ9世も代表を派遣して正式に参加した。この国民会議で制定された「中華民国訓政時期約法」総綱第1条は西蔵を中華民国の領土と定めている。歴史的制度により、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマ、その他大活仏は中央政府の裁可と冊封を得て初めて、西蔵地方における政治・宗教上の合法的な地位を得る。止まぬ外患と頻発する内乱に中央政府が弱体化していた民国期でも、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは中央政府の冊封を引き続き受けていた。ダライとパンチェンは祖国統一の維持と中央政府への支持を繰り返し表明していた。(編集NA) //

| のろ | 2008/04/22 21:21 | URL | ≫ EDIT

のろさん、ayさん、ありがとうございます。また後ほどまとめてBBSに転載しますね。

| mayufuru | 2008/04/22 23:23 | URL | ≫ EDIT

中国共産党の正体
  毛沢東とか他の共産党が正しいと言う問題ではない。共産主義革命を説いたマルクス自身が、人殺し等の社会悪を実行を説いたのである。これは、更にロスチャイルドのイルミナティ、更にフリーメーソンに所属している悪魔の霊が行なった内容である。予知夢が出て実際に当たっても、其れは悪霊による計画の発表の可能性も否定出来ないのである。十分に警戒心を持ったほうが良い。なぜならば、殺人の中国共産党の歴史を、全て偽りの共産党が行なったという扇動を受け入れているからである。

| 忍 | 2008/04/26 17:32 | URL | ≫ EDIT

忍さん、その話は知っています。
それでもあえて一度翻訳してみたいと思ってやっています。その後、私なりの感想を書いてみたいと思います。

まだ翻訳途中で時期早々ですが、最近のチベットの暴動、毛沢東路線と修正主義路線(資本主義)の戦いの延長のように思います。修正主義路線=ダライ・ラマ=米国

ここにまた複雑な関係が含まれてくるとは思いますが。。。

| mayufuru | 2008/04/26 18:02 | URL | ≫ EDIT

奴隷制度を、今の時代に実行していることは、日本人であることに

涙をながし、仏陀や、ガンジーの真の独立、すべての人間の

自由をうばうことは出来ないのです。あなたがたがこの国を

変えることは出来るのです。Yes we can!ですよ。

                 創造主は、あなたがたを愛しています。

                         愛をこめて、ヒサノリより

| 中川久幾、 | 2009/08/20 17:57 | URL | ≫ EDIT

中川久幾さん、コメントありがとうございます。

| mayufuru | 2009/08/20 20:39 | URL | ≫ EDIT

じゃあ、何故、中国軍と西蔵人は仲が悪いのですか?
個々で過去を暴いたところで過去を変えれる訳ではない、今は今だ!
綿スは邪悪なシナ人と戦う。そして満州国を歳建国する。

| 上村秀介より質問 | 2009/10/24 13:09 | URL | ≫ EDIT

★上村秀介さん

過去の積み重ねが今じゃないですか?
今を生きるということは、過去も未来も同時に生きることです。
もちろんこれは私の自論ですが。

| mayufuru | 2009/10/24 13:54 | URL | ≫ EDIT

表で分かる

何も、こんな専門的な「裏の事実」がバレなくとも、表で分かっているのではないでしょうか?

寺に銃弾薬が隠されていて、部下に銃撃戦をやらせていたのです。完全に終わりでしょ、もうそこで。
テレビで大っぴらに報道されていたのです。

科学大好き(仏教の理解の意味ではなく、新製品)、飛行機/衛星放送乱用、有髪にサングラスに腕時計。
ガリガリでなければならないはずの僧侶が、筋骨隆々。

初めて見た時から反吐が出ていましたが。
(少なくとも「何かおかしいな、何となく嫌だな」という思いは拭い去れませんでした。ただ、世界中の大人(敬虔な信者)が見入っているから、その意思(常識、雰囲気)には逆らえなかっただけでした。)

最もあれも、レプティリアンの疑いが高いのではありますが。
オーラは見えなくても分かるんです。容姿、挙動、言動、等から。

※ふざけではありません。
自分は、サシで「瞳孔が縦長になる瞬間」を見ました。同僚です。
(とりあえず、悪いレプティリアンにはならないはずとは、考えられています。いかなる差別も許されません。)
我々人間にも、瞳孔が縦長になる事が有る(そんな体質の人も居る)のでなければ、それに該当する話となるのでございまして。
事実は事実なのであります。

溢れるネットの情報。フェイクが有っても、本物は有るのです。
証明が難しいにしても、逆の証明も無理です。
「問題定義(気付くきっかけを得られている事)」にこそ、重大な意味が有るのです。

あとそこからは。
きちんと受け止める気が有るのか?
全てから目を抜く逸らして逃げる、しかも知るが(分かる)者を馬鹿にする(数に物を言わせて)のか?
の、違いにしかなりません。

「奴らはいつも、必ず我々を試している」事を、念頭に置いていなければならないのでありまして。

| L. F. B | 2023/06/07 11:53 | URL | ≫ EDIT















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