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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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祝詞考察


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祝詞に関してメールもいただいているのでお伝えしておきます。

祝詞で雨が降ったり台風が小さくなったり、願いが届くのは
この前も書いたように、特技だと思ってます。
詩を書いたり絵を描いたり写真撮ったりしますがそれと同じことです。
誰にでも特技ってありますよね、それと同じです。
変わり者かも知れないけれど自分が特別だなんて思っていないし
思って欲しくもありません。

祝詞が届くことを
ああそうなんだと、淡々と受け止めてくれたら嬉しいです。
私に対して良し悪しに関係なく妄想を抱かないで欲しいなと願います。

自分でも祝詞がなぜ届くのか未だにわからないけれど
なぜか届くと思ってしまうのです。

きっと祝詞に向いた声をしているのでしょう。
利害が発生しないから届くのでしょう。
無邪気にやってるから届くのでしょう。
私と空との、無邪気な契約です。

しかし、本当に祝詞が届いてそうなったのか、
たまたま毎回偶然が重なっただけなのかも知れません。
でも毎回実現すると届いたのかなと思ってしまいます。
本格的に祝詞を始めたのは89年だからもう20年近くになります。
でもこれからも届くという保障はもちろんありません。

しかし、本来届くはずの祝詞がどうして現在は届かないといわれるのか?
これを考えることに意味があるかも知れません。

私の祝詞が物理として天気に作用してるなら
そのシステムが科学的にわかると面白いかな。

科学的に実験して欲しいと思ったことが過去にあります。

あ、今これを書いていて思い出したけれど
確か、ヴェーダで何かの楽器を鳴らせば雨が降ると言ってたような。

以前もコメントで何度も書いたように、私は祝詞の意味を重要視していません。
神道関係者に怒られそうだけど、神さまの名前も内容も一切無視しています。
波動、振動だと思ってます。
音としてやってます。
だから、ヴェーダの楽器の話はうなづけます。
もしかしたら楽器に似たような振動の声なのかも知れないな、ってふと。

波動、振動だと言葉に関係なく、世界中に宇宙にまで届くからです。
波動、振動だとすべてのものに届きます。
だから「あおうえい」の発生練習のときに
銀河系の真ん中に届けるつもりでやってみてくださいと言いました。
この発声練習だけでも体調がよくなったりしますよとも言いました。

仮に私が気でも変になって、私は特別な人間だと言ったとしましょう。
でも突き詰めればすべての人間は皆それぞれ特別なんだと思う。
全部が特別な人間だとしたら、あ!誰も特別でなくなっちゃていいかも。

私がいつもしつこく言ってるのは
皆がそれぞれの力を信じて生きて欲しいということです。
まだまだどこまで伝わっているかわからないけれどこれが一番伝えたいこと。

私は私を表現したい、
私を生きたい、
メッセージを発信していきたい。
だからアーティストとしてやっていきたい。
これはずっと変わりません。

私を表現すること、生きることは
他者・他物を表現し生きることにつながるでしょうね。

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最後に
祝詞のCDを希望される方は多いですが
私自身、なぜか未だに祝詞のCDを出す気に全然なれなくて
親しい周囲のものも母親までもが止めたほうが良いといいます。
母親は祝詞だと宗教のイメージがするといいます。
それを聞いてちょっとびっくりだった。
神道は宗教じゃないと思ってたけどそんなイメージがあるんだ、って。

コンサートでは二回祝詞と詩の朗読をしましたが
こういうのはたまにはいいかなと思います。

また今閃きました。
潜象界で祝詞が届くのを知っているから私の祝詞が届くのかも知れない。
無意識の場で届くことを知っているならこれほどの力はないからです。
この場の記憶があるからかも知れない。

以前にも奇妙なポジティブ信仰の話で書いたけれど
どんなにポジティブなことを思っても願っても言葉を発しても
無意識の場でそれを否定するような思いが少しでもあれば願いは叶わない、
否定の思いが勝つといいましたよね。それかも知れない。

また考察してみます。
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| 未分類 | 14:56 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

あなたの愛が大いなる存在の愛と共鳴する。
あなたの愛は他者を思いやる無償の愛なのですね。
わたしはいつもこのページを読みながら感じていますよ。

| kenshin | 2008/09/29 15:11 | URL | ≫ EDIT

まゆみさん こんにちは!

この2枚の写真、好きです。
何か伝わって来るようです。


| mama@ | 2008/09/29 15:59 | URL | ≫ EDIT

>自分が特別だなんて思っていないし思って欲しくもありません。

私がまゆみさんを好きなのは、まさにそこなのだと思います。「素晴らしいと思うところは」と書きかけましたが、「好きなのは」と言っておきます。賛美はまゆみさんの嫌うところでしょうから。

祝詞で天候を左右できることも、そんなことが出来ても自分を特別だと思わず淡々としていることも、普通にはスゴイことなのですが、自分はスゴイ能力者と自己讃美し、周囲も教祖視して信者グループができる、といった例が精神世界系にあふれる現在、そちらのほうが全くゆがみきっているのでしょう。

誰かが「左脳(科学力)で出来ることは、本来すべて右脳でできる。古代人はそうしていた」といっていました。おおがかりな科学でする天候操作に、祝詞ひとつで対抗できるわけです。

自分は平凡で何も特別なことは出来ない・・・私の心の底にも頑固なその想いがあります。
まゆみさんの幼子のようなとらわれのなさに、学びたいです。

| すず | 2008/09/29 18:12 | URL | ≫ EDIT

kenshinさん、mamaさん、ありがとうございます。

| mayufuru | 2008/09/29 19:00 | URL | ≫ EDIT

すずさん

>自分はスゴイ能力者と自己讃美し、周囲も教祖視して信者グループができる、といった例が精神世界系にあふれる現在、そちらのほうが全くゆがみきっているのでしょう。

私もこれが嫌いなので勘違いされないよう気をつけています。ヒオキさんはかなり用心してみていますね。だから今日あえて書きました。祝詞、本当に淡々とやってるんですよ、だから淡々と受け止めて欲しいなと思いますね。


>誰かが「左脳(科学力)で出来ることは、本来すべて右脳でできる。古代人はそうしていた」といっていました。おおがかりな科学でする天候操作に、祝詞ひとつで対抗できるわけです。

そうなんですよね。これが出来ることの見本になれればと思ってブログで公開してるのですが、自慢してると誤解されてるでしょうね。

| mayufuru | 2008/09/29 19:09 | URL | ≫ EDIT

>まゆみさんの幼子のようなとらわれのなさに、学びたいです。

良いも悪いも私は子供っぽくて。性格はなかなか直りません。
子供と同じことを大人がいうと自惚れ打とか驚かれるじゃないですか。それを私は考えもしないで、まあ、いいかでやってしまいます。

ヴェーダの楽器の話を書いてるときに、以前すずさんが私のウタヒCDの説明をしてくれましたよね。それを思い出しました。

| mayufuru | 2008/09/29 19:09 | URL | ≫ EDIT

>私は私を表現したい、
>私を生きたい、
>メッセージを発信していきたい。
>だからアーティストとしてやっていきたい。

ここに賛同します。
それぞれの才能を開花させ、お互いを尊重して生きていけばいいんです。
才能が無いと思い込んでる人が多すぎますね。
プロに出会えば、みんなすごい才能を簡単に引き出してもらえるし、(うちのボイトレの生徒さんたちは一回のレッスンでも良い声を出してますよ)、自分で自分を認めていないからずっと否定しちゃうんですよね。

わかる人は、まゆみさんが自慢しているわけではないことをちゃんとわかっています。
あなたも素晴らしい、そしてわたしも素晴らしい。という感覚です。
批判する人は、自分を嫌っているだけです。


| Snowy*Heart | 2008/09/29 20:25 | URL | ≫ EDIT

こんばんは。
気を悪くされたらごめんなさい。
簡潔に言って、神には感謝のみ。
お願いをしてはいけない。
生かされていることをひたすら感謝するのみ。
祝詞もその延長線上です。
大祓の祝詞は神の言葉をのるのみ。
安易に祝詞を使うのは危険。
お気を付け下さい。
分かっていらっしると思いますが・・・

| スペーシア | 2008/09/29 21:37 | URL | ≫ EDIT

スペーシアさん、
ちょうどいい機会なので記事にしてみましたのでそちらに意見を書いていただけますか。

| mayufuru | 2008/09/29 22:37 | URL | ≫ EDIT

まゆみさんの祝詞は
波長だし振動だし音だと思ったら、すぐ下に、ご自身がそう思ってらっしゃると書いてあって、やはり!(にやり)
カタカムナのウタヒもそうですよね。
また、祝詞に向いたお声という個性を自覚して発揮されている。きっと楽しみながらと想像させてもらってます。

以前「瀬振りサンカ」という映画を見たのですが、仲間に何かを知らせる手段として声を出すと雪崩が起きた場面がありました。
一種の周波数で雪崩をわざと起こしたんだと思います。そして雪崩は良くない知らせの場合でした。
逆の場合の音もきっとあるはずです。(続く)

| SM | 2008/09/30 00:32 | URL | ≫ EDIT

この様に、声というのは周波数の違いで様々なことを起こせる事が出来るということは
それを純真な思い(念)で天に届けることが出来るなら、天は悪いようにはなさらないだろうと思っています。
また信じて疑わない強い気持ちが、実現の方向へ向かうのだろうと

アボリジニや台湾の原住民やネイティブアメリカン、アイヌや琉球人、その他大勢の少数派民族の太古から脈々と受け継がれし音楽には、そういった天に届く音がまだ残っていると思うのですね。

えー、何だか支離滅裂な意見になったでしょうか?
私は、そんなまゆみさんのカタカムナウタヒやエネルギーに満ちた音を信じ(神事?)、天に届けと念を送っています。

| SM | 2008/09/30 00:32 | URL | ≫ EDIT















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