世界を支配する王 その24

『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm
yasuさん翻訳による6章の続きです。
6. KALACHAKRA: THE PUBLIC AND THE SECRET INITIATIONS
「Ganachakra」と4つの「最も高い」入会
カーラチャクラタントラのイニシエーションへの道は、我々を4つの最も高いイニシエーション、第12~15のステージに導く。読者は、それらが4つの「より高い入会」(8-11)の延長上にあるコピーに対応しているのに気づくだろう。それらには同じ名前がつけられている:(12)花瓶のイニシエーション;(13)秘密のイニシエーション; (14) 知恵のイニシエーション;(15)言葉のイニシエーション。主な違いは、1人のムドラーではなく、10人の知恵の配偶者が儀式に参加するという事実にある。そして10人全員が生徒によってマスターに提供されなければならない。修行僧と一般信徒に対しては異なる規則があって、一般信徒にはムドラーが彼自身の家族のメンバーであることが義務づけられている ? 彼の母、彼の姉妹、彼の娘、彼の義理の姉妹など(Naropa、1994、192ページ)。これは、彼がカーラチャクラの儀式を受けることを事実上不可能にしている。修行僧のケースではこの戒律は象徴的に解釈されるので、彼は低いカーストから彼の導師に多数の女の子にを連れてくる。彼女らは儀式の間、名前と一緒に女性に関するさまざまな役割―とりわけ元素―が割り当てられる:「母」は地球、「姉妹」は水、「娘」は火、「姉妹の娘」は風などである(Grunwede、Kalacakra III、125ページ)。
生徒が女性たちを彼の主人に渡したあと、彼は象徴的な儀式の「配偶者」としてその一人を返される (Naropa、1994、193ページ)。10人の女性がこのタントラの儀式のステージに参加し、1人がsadhakaの「妻」として、残りの9人が女性の親類の代役となる。マスター自身がその一人を選び、選ばれた知恵の配偶者にはShabdavajraの名前がつけられる。彼女は12才から20才の間で、すでに月経があることが定められている。最初に導師は若い女性の宝石をなで、彼女の服を脱がせて彼女を抱きしめる。タントラカップルは、生徒とその「配偶者」、そして残り8人の女性によって円形に囲まれる。 すべてのyoginisは特定の宇宙の意味を持って、とりわけコンパスの点に割り当てられる。彼らは裸で、dakiniの野生を呼び起こすため、その手には不快な物質であふれる頭蓋骨と肉切り包丁を持つ(Naropa、1994、193/194ページ)。
導師は円(チャクラ)の中心へ動き、魔法のダンスを行う。その後「彼のバジュラの宝石」(彼の陰茎)を彼女に挿入することで、彼は神のヨガにおいてShabdavajraと結びつく(Naropa、1994、 194ページ)。Naropaはこう言う:「『彼は彼のバジュラ[陰茎]を置き、それは生徒の口を精液で満たす』。その後マスターは生徒に自分自身の抱いたムドラーを与える。」(Naropa、1994、p. 1994,195)。儀式のこの部分は、花瓶のイニシエーションと呼ばれ、第12のレベルを作っている。
そのあとに続く秘密のイニシエーション(13)に、「マスターは生徒の妻の口に彼自身のバジュラ[陰茎]を置かなければならない、そして生徒が目隠しをされ、彼[導師]は知恵の配偶者のNaranasikaを吸わなければならない」(Naropa、1994、195ページ)。 サンスクリット語で、naranasikaは『クリトリス』を意味する。Naropaは続けて、「マスターは、彼自身のムドラーが生徒の妻であると考えて、生徒に彼女を与えなければならない」(Naropa、1994、195ページ)。彼が前の花瓶のイニシエーション(12)で生徒にムドラーを「妻」としてすでに与えているので、この章に関してはややあいまいだ。
以下の知恵のイニシエーション(14)の間、残りの女性によって囲まれるsadhakaは、導師が彼に持たせたムドラーと結びつく。しかしそれは一人だけのことではない。「それは10人のムドラーにかかわるので、マスターは生徒に対して、夜中から太陽が昇るまでの24分ごとの2つの期間?に、生徒が性的に可能な限りこれを命ずる」という(Naropa、1994、195ページ)。彼はこのようにマスターと残りの女性の目の前で10倍の性交をする。
彼の導師とは対照的に、sadhakaは儀式の間、精液をどんなことがあっても出さないだろう;彼はペニスの先端に bodhicittaの一滴だけを出し、女性ヨガ行者の女性の精液を次々に取り込まないといけない。これに成功しないと、彼は地獄へ落ちる。しかし彼が神の審判を逃れる機会がまだ残っている:「精神が弱く、bodhicitta[精液]が陰門でこぼれたなら、舌でハス[膣]の外に残るものを集めることが望まれる」 (Naropa、1994、196ページ)。
第4の言葉のイニシエーション(15)は「完全で最高の状態」を示す。先の3つのイニシエーションで、sadhakaは彼のパートナーの女性エネルギーを取り込み、至福の状態に達し今や彼自身バジュラマスターとなった。これは彼の神秘的な体の内部のエネルギープロセスの結果であり、彼がこの儀式の間に完成させたのだ。
この「規律正しい」乱痴気騒ぎの後、「魔女の集会」に参加した女性には何がおこるのかはよくわからない。Grunwedelは、「儀式の終わりには、ブレスト-ジャケットが祝福された地上の人々に与えられる。神聖なyoginisは、スカートともう一つのブレスト-ジャケットを与えられることになっている」という。そして、以下の章では、タントラはこの独特のランデブーの記念として女の子に香りのする花、果物とスカーフを与えることを勧めている。
第4ステージの儀式は、Ganachakraとして知られている。それはKalachakraタントラで最も深い秘密で、他の最高のタントラでも知られている。どの秘密の場所でこのGanachakrasがおこなわれているのだろう?有名な14世紀のチベット歴史家Bustonは、「その人自身の家、隠されてさびれた気持ちのよい場所、山、洞穴、茂み、大きな湖の岸、墓地、母女神の神殿」を使うことを提案している。対照的に、バラモンまたは貴族の家、王宮や修道院庭園などは推薦されない。Hevajraタントラは、Ganachakraの儀式の場所のよりすくない選択をあげている:「これらの饗宴は、人がほとんど訪れない墓地や、山木立ち、さびれた場所で催されなければならない。「それは、墓地からの死体、トラの皮、ボロ布からなる9つの席がある。Hevajra神を代表するマスターが中央にあって、ヨギーニがそれを取り囲む」(Naropa、1994、46ページ)。グルを中心とした魔法の円、生けるマンダラが作られる。
参加するyoginisの数は、タントラごとに異なる。それは8人から64人にわたり、後者のような数は非現実的に見えるが、過去においてGanachakrasが強力な東洋の統治者によっても実行されたことも心に留めておかなければならない。彼にとって1つの場所にこれだけ多くの女性を組織することも難しいことではなかったにちがいない。しかしこれらのタントラマスターが、一晩に64人のyoginis全員と交接したというのはありそうもない。
いろいろな儀式物が儀式の間、女性に手渡される:肉切り包丁、剣、骨製トランペット、頭蓋骨、串。儀式の食事として神聖なネクターがふるまわれる:排泄物、人間の肉、タブーとされる動物の肉。飲み物としては、月経の血、尿、精液などがある。カーラチャクラタントラの第3章では、「粘液、鼻くそ、涙、脂肪、唾液、汚物、糞便、尿、髄、排泄物、肝臓、胆汁、血、皮膚、肉、精液、内臓」などをあげている(Gr nwedel、Kalacakra III、155ページ)。
「7倍に生まれる」ものの犠牲の肉が、Ganachakra.の神聖な食物として提供されるともいう。タントラを形づくる物語Vajradakinigitiでは、何人かのdakinisが7倍の生まれの王の息子を殺し、その肉と血で聖なる食事を用意する。
tantric な悪魔として、Albert Grunwedelは、導師の女性パートナーはGanachakraで生贄として捧げられ、実際に焼かれ、それからヨーロッパの魔女のように、タントラの悪魔「dakinis」として復活したと考えていた。彼の仮説は、歴史上の証拠に基づいて確かめるのは難しいのにもかかわらず、儀式のシンボリックな重要性に見る限り、犠牲と関係していると仮定することができる。たとえば、Buston(14世紀)は、最も高いKalachakra入会と関連して、Ganachakraも「秘密の犠牲者」のことを語っている。儀式に出席する10人のカルマムドラーは、「犠牲の女神」という名を持つ。Ganachakraにおける1つのイベントは「集合の犠牲」として知られていて、それは出席している女性の犠牲を意味するといえる。タントラ解説者Abhinavaguptaは、Ganachakraを「車輪の犠牲」(チャクラは『車輪』を意味する)、「最も高 い犠牲」としている。
我々が「tantricの女性の犠牲」について語るすべては、Ganachakraにとって疑いない真実だ。このような犠牲が本当にもたらされていたことを証明する文書もある。11世紀に、悪名高い「強盗修道士」の一団が有名だったが、以下はBlue Annalsでそれを読むことができる:「18人の[強盗修道士]の教義は、タントラ実習の不正な形から成りたっている、彼らは女性と男性を誘拐して、タントラの豪華な食事の間、人間の犠牲を実行する習慣をもっていた?(ganacakra - プージャー)」。このような過激さは伝統的なチベットの歴史家によってすでに批判されてきた。(ハーマン-Pfand、1992、418ページ、メモ11)ダライラマ5世は(彼自身はチベットの歴史を書いている)は、強盗僧侶である18人すべての導師の罪の疑いを晴らした。
仏教徒Ganachakraは、明らかに男性によって導かれているが、多くのタントラ教のように、この儀式も女性支配の起源を持っているようだ。インド学者の Marie-Therese de Mallmannは、6世紀からのこのような女性中心の「円豪華な食事」を記述している。それは、強力な東洋の女王によって行われ、ある文書では「彼女[女王]を通して、円になる王が女神の環(チャクラ)の犠牲の役割になる」と言う(Mallmann、1963、172ページ)。こうした王の犠牲をもって、年をとった王が新しい王に取って代わることは、多くの女性支配の古代文化で見つかっている。そこでの人身御供はどうみても男性であるが、仏教タントラ教のGanachakraでは、まさにこの正反対のことが起こる!yoginisが犠牲にされ、導師は彼自身を円の勝利を収めた王に昇華させるのである。
女性中心の儀式は、「女神の歯車」「母の歯車」または「魔女の歯車」の名前でも知られてた。5、6世紀のカシミールへの広い流布は、この期間にインドの古い女性支配のカルトの強力な目覚めがあったという上記の仮説を示している。
現代のフェミニズムは、Ganachakraの女性支配の起源も再発見した。Adelheid Herrmann-Pfandは、Ganachakrasが女性によって指示されたと言及している。彼女は、この儀式が女性支配のカルトの「父権的な強奪」であるという結論に達している。
他方ミランダショーは、「魔女の輪」と、タントラの女性の豪華な食事に言及するGanachakraを明らかにしたと言われているが、彼女は、その手順を完全に逆にしている:「タントラ文学は、ヨガ行者が yoginisの集合へ入っていく多くの例を記録している。 yoginiの豪華な食事へ加わることは、男性修行者の栄誉とみなされる。古典シナリオでは、森、さびれた寺院または火葬地面の奥で、ヨガ行者はyoginisの集会を見つける。彼は彼らとその集会の円と饗宴への参加を求め、彼らからイニシエーションを受け、魔術的伝説とタントラの教えを得る」(ショー、1994、82ページ)。仏教タントラにおいて、女性はまさにすべての力を与えられるが、女性エネルギーのゲーム終了後、女性の力は方法(方便)の完成を通して男性の導師が手にすることになる。
この場合も、Ganachakraが実際のものであるか、ただ象徴的に理解されるかどうかという問題がある。Sapan(13世紀)とBuston(14世紀)のテキストでは、その本当の実行に疑いはない。Alexandra David Neelは、こういった犠牲の豪華な食事は今世紀にもはや行われていないとしている。本当の女性が参加しなくても、花瓶のようなシンボリックな代理はまた別の問題である。現代のラマ僧の声明によれば、このような代用のGanachakras は、中国に占領されるまで広範囲にわたったという。
古代の人々は、グループ内の無差別の性的な乱痴気騒ぎを知っていた。それはまさに混沌とし、歓喜をともない、参加者のコントロールを失った行いが混乱するイベントの進行を決定した。ここでは参加者の間に階層はなく、2-3時間にわたる社会秩序の 「不敬な」状態は、「神聖な」混沌の乱気流へと分離された。これは通常地球の豊かさに訴えるために行われた、これを神聖な儀式として捉える農業と園芸的な社会におけるものだ。対照的に仏教のGanachakraは、最初から最後までが制御されたパフォーマンスとみなされる。それは明らかに、グループ性的関心とyoginisの野生のダンスの騒ぎの要素を作っているが、タントラマスターは常にイベントの完全な 制御を維持している。
カーラチャクラタントラの15のイニシエーションステージの終了すると、タントラ教に関する一般的な重要な特徴全てが、チベット仏教の「最高の」オカルト的な教えとして再び現れていることを確認できる:女性エネルギーの吸収、性的なエネルギーの錬金術による変容、性的な流体による両性具有的な力、中性の創造、ムドラーとsadhakaの犠牲、神の利益のための人々の破壊など。カーラチャクラは本質的に他のタントラシステムの教えと異なることはない。それはとても包括的で、壮大で、論理的で首尾一貫しており、加えて政治的な終末論をもっている。
タントライベントにおけるそのパフォーマンスは、儀式のシステム、性的魔法の実行や現実の認識など、外界に対して繰り広げられてきた。この実際に見える世界のタントラの最終的なゴールは、ヨガ行者が儀式の間に示されるエネルギー(ムドラー、生徒、呼び起こされた神のエネルギー) 全てを吸収するということである。このように彼自身を「多く」に集中することで、男性と女性の原理を超えて「ONE」となるが、あとに続く第二段階の中で、もう一度それのすべてを出すことになる(?)。ここにおいて彼は、完成された形のADI BUDDHA、タントラ教におけるすべてのあらわれの第一の原理である(最高位のブッダ)にはじめて到達する。
以上。
6章はこれで終わりです。次は7章に入ります。
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イルミナティの儀式を描いた映画として、スタンリー・キューブリックの遺作「EYES WIDE SHUT]がありますが、それを彷彿とさせる内容ですね。彼らに指示を与えているのが、ダライ・ラマのチベット密教なのでしょう。
インドに滞在したときに、タントラマスターと偶然的に出会い、「タントラをやらないか」とスカウト?されたことがあります。とっさに「今はいいです」と答えたのですが、彼らにとってこのような儀式を行うのは大胆な外人が都合がよい、ということもあるようです。 YES!と中途半端な知識だけで言っていたら、今頃どうなってただろうと思うと、ちょっとぞっとしますね。
| arnica | 2008/10/12 21:33 | URL | ≫ EDIT