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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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カタカムナ


コウセンさんがカタカムナをツイートされている。
コウセンさんの表現は私には入ってきやすいので
しばらく転載してみようと思います。

ブログもまだやっていないネットを始めたころに
コウセンさんのHPで自由に遊ばせていただきました。
懐かしい思い出です。

半田広宣

カタカムナ人たちにとって、空間とは〈マ〉のことで、その〈マ〉が凝縮したものが物体だと考えていた。〈マ〉の凝縮は〈マリ〉であり、〈マリ〉の集合体からトキ、トコロのマリが生まれ、そこから〈アマナ〉が生まれると考えていた。〈アマナ〉とは原子核のことだ。ヌーソロジーとほんとそっくり。

大事なことは、こうしたことを知識として知ることではなく、その認識に到達していくことだね。険しい道だとは思うけど、様々な概念が連結してくればそれは可能だと思うよ。

〈マ〉を凝縮させているものが「奥行き」であり、それは持続〈ミチ〉でもあるということ。カタカムナの理解にはこの考え方を根底に置かないとね。

カタカムナでは右旋性はサヌキ、左旋性はアワと呼ばれ、それぞれ男性性と女性性の力の方向とされている。これは単に生物学的セクシャリティーだけでなく、意識のセクシャリティーを意味しているとも考えられる。男性性とは他者性、女性性とは自己性のことだ。

他者を男なるもの、自己を女なるものとしてイメージすることはとても重要。男神と女神のイメージもそこから立ち上がらせなくてはいけない。主観性はアワの力だが、客観性はアワがサヌキを見るところに生まれている。いわゆる他者-構造。奥行きがなぜ幅化してしまったのかについて考えること。

このサヌキ-アワ構造は右巻き物質粒子と左巻き物質粒子に反映されている。左巻きが自己、右巻きが他者。それらが同一化するところにトキとトコロ、そして質量が出現してくる。カタカムナはこうした互換重合性のことをトコタチと呼んでいる。

カタカムナでは、チカラとは〈チ〉と〈カラ〉の結合によって生じているとされる。〈チ〉とは持続の意。〈カラ〉とは外的空間の意。このへんはドゥルーズと同じだね。持続をベースとする差異化の思考こそが物質の本性であり、力の起源と考えなくてはならない。

我国の上古代人は、「唯物」とか「唯心」のような「相対的唯物観」ではなく、現象潜象の一切を、別言すれば、天然自然の存在一切を総て《モノ》として統一したのであり、文字通り絶対の唯物観を持って居た。——『相似象』3号p.23

時間空間量はもとより、物質も生命も《モノ》であり、アマもアメも《モノ》である。又、心という精神現象も《モノ》の特性であり、すべてを、〈モノ〉の現象、潜象として、物理を統一したことが、直観の特徴の一つである。 『相似象』3号p.23

ヌーソロジーの構造論から見ると、カタカムナのいうカム(潜象)とアマ(現象)には自己性と他者性を重ね合わせて思考する必要性がある。これはオカルティズム全般にも言えることなのが、自己意識にばかり焦点を当てる内容が多く、「他者とは誰か」という問題に触れているものが少ない。

ヒフミヨイマワリテメクルムナヤコト。この音列に自己と他者の真の共同性が歌われているという直観がある。おそらく意識はマワリテ、かつメクルものとして自他の間を相互に結んでいる。だから、自分自身をメクリ、メクルものの先に出なくてはいけない、そこにムナヤコトとしての他者世界がある。

マワルものとメクルものは方向が逆。マワリはマをワルことであり、世界を自ら閉ざしている。メクルものは裏へと出ようとする捲り(めくり)であり、この両者は文字通り地球の自転(回り)と公転(巡り)にそれぞれ反映されている。

カタカムナのいうアマとカムとは幅と奥行きの関係に等しいと考えていいと思います。アマウツシとはカム=奥行きからアマ=幅への変換性(移し)、カムウツシとはアマ=幅からカム=奥行きへの射影性(写し)。自他においては両者が逆に構成されているところに、このウツシ性の無限性が反映されてます。

現在の人間の認識は他者-構造に従属することによって、このカムとアマが転倒しているんですね。つまり、幅側にカムが来て(シャレじゃないよ 笑)、奥行き側にアマが来ている。この転倒性が時間と空間というものを出現させています。他者-構造に同一化を強いられているということです。

日本語というのは外国語に比べて圧倒的に擬態語が多いんだよね。ふらふら、ぶらぶら、くるくる、ころころ、さらさら、ちりちり、つるつるetc。これはたぶん見えるものを音として感じる能力が高いということなんだろうと思うよ。一種の霊聴と言っていいんじゃない。その空間を想像すると面白いよ。

日本人の空間認識は平面的で未発達とかよく言われるけど、それは間違いだよ。ほんとうの奥行きで物を見ているんだと思うよ。それは物と一体になってるということでもあると思う。ここに見えるものも、あそこに見えるものも、同じように見るってことは、持続の中でものを見ているってことなんだよね。

カタカムナの言葉でいうと、タバネタチ(収束性)、カサナリタチ(重畳性)、マトマリタチ(結球性)といった「タチ(性)」がまだまだ生きているんだよ。これぞ日本心性というものなんだね。素粒子空間(魂)に方向を持っているということだよ。



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| カタカムナ | 22:04 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

びっくりした〜

こちらで半田さんのツイートが紹介されるとは!
驚いて思わずコメントしたくなりました。

ヌース、難しいけど面白い。大好きです。

| おちばかりんと | 2015/07/31 22:21 | URL |

Re: びっくりした〜

それはよかったです。「シリウス革命」を持っていますが、私が夢で見たことやひらめきなどとよく似ていて驚きました。時間と空間が同じ体験をしたことがありますが、それも書かれてますよね。たしか時間と空間はコインの裏表のようなものだと書かれてあったと思います。90年代にコウセンさんと一度おお会いしたことがあります。夢の内容をいくつか質問したら全部答えてくれました。優しい方ですよね。今は閉鎖されて見れませんが、HPでは本当に自由に遊ばせていただき感謝です。久しぶりにヌースをやってみようかなと思っています。懐かしいです。

| mayufuru | 2015/07/31 22:45 | URL |















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