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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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資料(ドイツ)


3月のツイートです。

出口治明

なぜドイツ人が払った税金を投入して外国人の学費まで無料にするのか。「天然資源のないドイツにとって、唯一の資源は人の頭脳。その頭脳は多様な意見に触れれば触れるほど革新的なアイデアを生む」外国人に無料で門戸を開くのは実はドイツの競争力を保つ戦略投資(今日の日経、大学欄)刺さりました。


yoshitomo nara

自分が好きな英国ではなくドイツを選んだのも、学費が無料だったからだ。卒業後も収入が乏しいにも関わらず、ギャラリーからの推薦状だけで作家としての労働ビザも簡単に取れた。保険も安かった。 ↓

ドイツでの学生時代は、いろいろと学生特典があった。市内の公共交通や美術館は学生証で全て無料だった。学生保険で、ちょっとした病気や虫歯治療は無料だった。メガネも標準的なものであれば無料だった。そして、学生であるなしに関わらず、文房具は無税だった(はず)。

でも、消費税は高かったな~。今は19%。食料や本は7%。税率が物によって違うんだけども、税込みの値段で表示されているので全然気にならなかった。

ライブやコンサートも7%だったけども、それでも安く感じる。

それでも学生に関しては、保守的な南の州などでは『卒業したらドイツから出る』という誓約書にサインしなければ学生ビザをもらえないところもあった。ま~優秀であれば、なんらかの形で残れるはずとは思うけど。しかし、自分が居た州はオランダ、ベルギーと国境を接するとてもリベラルな州だった。

ドイツには16の州があり、自分が居たとこは州別の人口1で経済的に豊かだった。ドイツには50万人を超える都市が12都市しかないのだけれど、そのうち5都市はこの州にあった。つか、ドイツは連邦共和制で、日本に比べ地方の自立感がある。あ、州の名はNordrhein-Westfalen州!

東西統一後、首都がベルリンに移るまでは人口30万ほどのBonn(ボン)が首都だった。ベートーベンの生まれた町。この小都市が戦後に首都とされたのは、いずれありうる東西統一を考えて、あえて大都市を首都にしなかったと理由。

なんでこんなにドイツに詳しいかというと、僕はドイツ語を現地で習ったのだけれど、その時にドイツの地理や産業、歴史などもドイツ語で習わされたからだ。ドイツ語の教科書は『外国人としてのドイツ語』というタイトルで、外人が暮らしていくために必要なことが盛り込まれていた。

ドイツの公立の小中学校では、放課後に市民講座を行っていて、誰でも参加できて大学の授業みたいにいろんな分野を受講できる(無料)。もちろんドイツ語のクラスもあって、年齢、国籍バラバラの生徒たちが集まっていた。僕がいた町には、日本人が先生の茶道なんかもあったと思う。懐かしいな~~~。

戦後、日本は東アジアで朝鮮戦争、ベトナム戦争があったため産業が発達し、高度経済成長を果たした。父や母の世代は一生懸命働いたのだが、なんだか自力感が少ない。そして、経済成長に対して教育システムの成長が伴わなかった。それ故に、学歴主義、受験戦争が起こり、受験も産業となってしまった。

今ここでつぶやいてるようなことは、日本を離れてわかったことで、自分は留学以前、美大受験専門の予備校で講師をしていたので、まったく笑える・・・。そして、自分はこうしてドイツを賛美しているが、それはある側面(しかし、重要な)であり、日本が好きだから永久ビザ取得とかも捨てて帰ってきた。

では、ドイツと比べて日本のどこが好きかと言われれば、、、やっぱり、食べ物と、思い出す故郷の自然と風景。その次が、土着的な地方文化の面白さとシルクロードのゴールとしての日本文化。当たり前だけど日本の政治にはコンプレックスを持っている。



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