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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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世界の不条理の雛型、沖縄


23時09分最終更新

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今から外出のため最終更新は夜遅くになります。
急いで書き写ししたので間違ってなければいいけれど。

言葉がたりなくてごめんなさい。完全には書き写ししてなくて
一部、あえて省いてある箇所もあります。誤字の部分だけ訂正しました。


沖縄戦後新聞より(昨日の続き)

米軍による土地の強制収容は1953年4月11日の真和志村(現・那覇市)安謝・銘苅を皮切りに沖縄の各地で行われた。戦後、米軍は住民が収容所にいる間に多くの土地を奪っていたにもかかわらず、住民が生活の糧としていたわずかな土地も、土地収用令という布令一つで奪っていった。土地を守ろうとする住民を銃剣で脅して排除し、ブルドーザーで家や畑を破壊する強引な手法は「銃剣とブルドーザー」という象徴的な言葉で言い表された。当時、闘争の現場となった土地は、その後、返還されて商業施設や住宅地に発展した場所もあれば、今なお米軍が支配を続ける土地もある。多くの県民が米軍基地の返還を求めている背景には、土地を守り平和な沖縄を取り戻そうとした先達の苦難の歴史が刻みこまれている。


宜野湾村伊佐浜 1955年3月・7月 「沖縄一の美田」失う
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3月11日、米軍は伊佐浜の土地約3万坪を強制接収。7月にはさらに10万坪を接収すると通告。住民らは「金は一年土地は万年」などと書かれたのぼりを掲げて農耕を続けた。米軍は周囲にバリケードを張り、ブルドーザーなどで家屋を取り壊した。軍作業に従事していた沖縄の人たちが仕事内容を知らずに動員された。家を失った32戸136人は大山小に設けられた仮設住宅で過ごし、大部分が後に美里村(現・沖縄市)高原へ移動した。貧困状態に陥り、10世帯が出稼ぎのため南米へ向かった。家屋は残ったが、生活の糧となる土地を失った人々も多かった。「沖縄一の美田」とも称された宜野湾村(現・宜野湾市)伊佐浜の土地は現在、在沖海兵隊基地キャンプ瑞慶覧として使用されている。』


真和志村安謝・銘苅 1953年4月 ブルドーザーで畑を敷きならす
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小禄村具志 1953年12月 座り込み住民に武装兵士が暴行
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(強制収容された土地は全面返還されたが、一部は、航空自衛隊那覇基地として使用されている)


伊江島 1955年3月 住宅破壊・火を付ける
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3月11日、武装した米兵約300人が大型上陸用舟艇で伊江島に上陸し、住民に立ち退きを迫った。13戸の住民を追い出した上、家をブルドーザーで破壊し、火を付けた。・・・住民の反対運動で部分的な返還があり、現在、島の面積に占める米軍基地の割合は約35%となっている。今もパラシュート降下訓練は日常的に行われ、オスプレイの訓練も増えている。』


伊江島 1956年7月28日 伊江島では大会(四原則貫徹県民大会)直前の12、14、15日に米兵が畑や山林にガソリンを散布して焼き払う事件が発生した。
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写真は武装米兵の監視下で強制立ち退きをうける農家(1955年5月、伊江村)


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Osamu Tomori

米人とくに元米兵で、沖縄の米軍基地建設に反対の人たちいるけど、その方たちに「基地はアメリカにもってけ」と言って、「いや自分は平和主義者、今さら故郷にと言われても困る」、「俺達に加害者の立場を押しつけるのか」、「どこにも基地はいらない…」などと返されたら「?」と思わないですか…

すごく基本的なことなんだけど、沖縄にある基地の今の法的根拠は沖縄の人間が預り知らない間に結ばれた日米安保条約。いわば日本とアメリカの合作のシステムによってそこにあるわけですよ。アメリカが日本に押し付けているものではない。

本日の琉球新報、今からちょうど60年前、1956年(昭和31年)の紙面を復刻。 もう半世紀を優に越え同じことをやっているわけだ。 そしてこのとき誰も60年たち、そして国が日本になって日本を相手に同じことをやるとは思わなかったのでは。

CodHjiNUkAEEnQ2本日の琉球新報

CodHk4IVUAA4Z本日の琉球新報、今からちょうど60年前

日本から海兵隊を沖縄に移設、移設先の沖縄の住民はというと…「土地を接収された者は、海外、殊に南洋方面への移住を考慮するよう米側と折衝する要あるべし」(岸信介、1956年6月20日) 。

CodLYqxUMAAv日本から海兵隊を沖縄に移設、



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<社説>オスプレイ隠蔽 米軍基地が障害だ ヘリパッド止め世界遺産に(琉球新報)
『ヘリパッド建設を巡る国のまやかしが、また明らかになった。那覇防衛施設局(当時)が2007年に作成した環境影響評価図書によると、県がオスプレイの運用をただしたのに対し「使用機種の変更はない」と回答していた。政府は早くから米軍のオスプレイ配備計画を知りながら、その事実を隠蔽(いんぺい)し辺野古新基地建設、米軍北部訓練場内へのヘリパッド建設を進めてきた。06年には在沖米軍のトップが普天間飛行場へのオスプレイ配備を明言。ヘリパッドでのオスプレイ運用が疑われたが防衛施設局は否定し、うそにうそを重ねたのだ。うその始まりは1996年。・・・・・北部の国頭、東、大宜味の3村にまたがる陸・海域が近く「やんばる国立公園」に指定される。しかし米軍北部訓練場は指定区域から除外される。豊かな自然がないからではない。国の管理が及ばない米軍施設だからだ。ヘリパッド建設を条件とする北部訓練場の返還予定地も指定区域から外されている。・・・』

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CoeqDcxUkAAgH46国、法軽視重ねる 
国、法軽視重ねる 県道に金網/テント撤去/協議せず伐採 北部訓練場着陸帯工事(琉球新報)
http://j.mp/2aAwPSL

日本とはそういう国です。
政府が何をしても国民が許してくれるからです。

CofuVhaUsAAjHSJトラックが
トラックが土砂搬入繰り返す 北部ヘリパッド建設(琉球新報)
http://j.mp/2aB43Sa

「沖縄で集会の自由保障している?」 人権団体、日本に質問 高江ヘリパッド工事強行 政府「国内法を遵守」(琉球新報)
http://j.mp/2adQpkf
『米ニューヨークの国連本部で現地時間22日午後(日本時間23日午前)に開かれた国連人権理事会の理事国選挙を巡る公開討論会で、理事国に立候補する日本政府に対し、国際人権団体が東村高江周辺でのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事に抗議する市民への対応を問いただした。国際的な場で先進国が人権意識についてただされる異例の事態となっている。・・・討論会でアムネスティは「日本は特に沖縄で、平和集会の自由をどのように保障するのか」と質問。これに対し、在ジュネーブ日本政府代表部の嘉治美佐子大使は「日本の警察と抗議者が衝突しているが詳細は把握していない」とした上で、「一般的に警察を含め日本政府は、国内法に従い行動している。日本の法制度は人権を保護し、憲法で平和集会の自由を保障している」と強調した。討論会前日、日本政府は、高江で多くの市民らが抗議する中、全国からの機動隊員を投入しヘリパッド建設工事を強行した。・・・』

Cof8ulNWAAA4nDd「沖縄基地問題共有を」
「沖縄基地問題共有を」 全国知事会が研究会設置 沖縄県が要望(琉球新報)
http://j.mp/2adT2Tn

爆音2分間に4回 コンビニガラス窓激しく揺れ 米軍シュワブ(琉球新報)
『28日、米軍キャンプ・シュワブの廃弾処理場から爆発音が繰り返し鳴り響き、名護市の豊原区で午後2時39分から同41分までの約2分間で100デシベル前後の騒音が4回続いた。住民から市への苦情が相次いだ。周辺のコンビニではガラス窓が激しく揺れ、利用客や店員が驚いていた。・・・』

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南城市大里古堅 あす不発弾処理(琉球新報)
http://j.mp/2aBmXrS

沖縄戦体験談をネット無料公開 8月から「オーディブル」 (琉球新報)
http://j.mp/2aBjtWw

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乱調

沖縄県民弾圧のために派遣された大阪府警機動隊の面々。 /海鳴りの島から(目取真俊さんブログ)http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ead78c4a4c5dde1c625d77115b392883 … 弾圧するために前面に立っているのが大阪府警の機動隊の面々

機動隊の配置は、N1ゲートの表・裏側が警視庁と大阪府警、北部訓練場のメインゲートが愛知県警、新川ダム入り口が福岡県警、国場組採石場が神奈川県警。大阪に行くたびに、ここには米軍基地がないんだな、と実感する
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ead78c4a4c5dde1c625d77115b392883 … …

沖縄県民の安全を守ると言いながら、危険な米軍基地を押しつける。それに対して沖縄県民は拒否の意思を何度も選挙で示している。早く大阪に帰って、大阪府民の生活と命を守れ。大阪からわざわざ来て、沖縄県民の生活と自然を破壊するな!http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ead78c4a4c5dde1c625d77115b392883 … …



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県外大進学の「給付型奨学金」 来月12日受け付け開始(琉球新報)
http://j.mp/2aBjIkc

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那覇空港乗降1854万人 過去最高、国際線は4年で4倍 15年度(琉球新報)
http://j.mp/2aAwzD9

県内求人1・01倍 沖縄労働局発表 「新たなステージに」 (琉球新報)
http://j.mp/2aBgw8c

金融機関が創業支援 沖縄市、3機関と協定(琉球新報)
http://j.mp/2adWUU8

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CogElcIUMAAvD7Jラオス
地域と共に予防策立案 ラオスのマラリア激減 琉大・国際地域保健学教室(琉球新報)
http://j.mp/2adWMEn

「貧婚」さんいらっしゃ~い!住居費を補助 少子化対策で 沖縄・南城市(琉球新報)
http://j.mp/2aBkgq6

Coep_8oVMAAISRqシラヒゲウニ300匹放流
シラヒゲウニ300匹放流 完全養殖化目指す(琉球新報)
http://j.mp/2aAwpM2






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| | 2016/07/29 21:52 | |

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| | 2016/07/29 22:00 | |

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| | 2016/07/29 22:02 | |

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| | 2016/07/29 22:07 | |

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| | 2016/07/29 22:25 | |

Re: タイトルなし

ありがとうございます。すみません、あえて省いてある箇所があります。

> 脱字、誤字のところに色をつけました。うまく色がついているといいんですが。
>
>
> 1955年3月11日、米軍は伊佐浜の土地約3万坪を強制収容7月にはさらに10万坪を接収すると通告。住民らは「金は一年土地は万年」などと書かれたのぼりを掲げて農耕を続けた。米軍は周囲にバリケードを張り、ブルドーザーなどで家屋を取り壊した。軍作業に従事していた沖縄の人たちが仕事内容を知らずに動員された。家を失った32136人は大山小に設けられた仮設住宅で凄し、大部分が後に美里村(現・沖縄市)高原へ移動した。貧困状態に陥り、10帯が出稼ぎのため南米へ向かった。家屋は残ったが、生活の糧となる土地を失った人々も多かった。

あえて脱字してある箇所もあります。「1155年」はタイトルに入っているのであえて入れませんでした。「収容」は入っていますが?「同」もあえて省きました。「10所帯」も入ってますが?

| まゆみ | 2016/07/29 22:27 | URL |

Re: タイトルなし

> 「沖縄一の美田」とも称された宜野湾村(現・宜野湾市)伊佐浜の土地は現在、在沖海兵隊基地司令部が管理するキャンプ瑞慶覧として使用されている。

ここもあえて省きました。

| まゆみ | 2016/07/29 22:28 | URL |

Re: タイトルなし

> ちょうどわたしの手元にもありますので、照らし合わせました。赤字部分は違っているところです。
> 非公開コメントで入れます。
>
>
> 『米軍による土地の強制接収は1953年4月11日の真和志村(現・那覇市)安謝・銘苅を皮切りにおっきなわの各地で行われた。戦後、米軍は住民が収容所にいる間に多くの土地を奪っていたにもかかわらず、住民が生活の糧としていたわずかな土地も、土地接収という布令一つで奪っていった。土地を守ろうとする住民を銃剣で脅して排除し、ブルドーザーで家や畑を破壊する合意安和手法は「銃剣とブルドーザー」という象徴的な言葉で言い表された。当時、闘争の現場となった土地は、その後、返還されて商業施設や住宅地に発展した場所もあれば、今なお米軍が支配を続ける土地もある。多くの県民が米軍基地の返還を求めている背景には、土地を守り平和な沖縄を取り戻そうとした先達の苦難の歴史が刻みこまれている。』

ありがとうございます。誤字の部分を修正しました。

| まゆみ | 2016/07/29 22:34 | URL |

Re: タイトルなし

> 脱字、誤字のところに色をつけました。うまく色がついているといいんですが。
>
>
> 1955年3月11日、米軍は伊佐浜の土地約3万坪を強制収容7月にはさらに10万坪を接収すると通告。住民らは「金は一年土地は万年」などと書かれたのぼりを掲げて農耕を続けた。米軍は周囲にバリケードを張り、ブルドーザーなどで家屋を取り壊した。軍作業に従事していた沖縄の人たちが仕事内容を知らずに動員された。家を失った32136人は大山小に設けられた仮設住宅で凄し、大部分が後に美里村(現・沖縄市)高原へ移動した。貧困状態に陥り、10帯が出稼ぎのため南米へ向かった。家屋は残ったが、生活の糧となる土地を失った人々も多かった。

収容じゃなく接収ですね。収容だったり接収だったりするので間違えました。

| まゆみ | 2016/07/29 22:39 | URL |

>あえて脱字してある箇所もあります。「1155年」はタイトルに入っているのであえて入れませんでした。「収容」は入っていますが?「同」もあえて省きました。「10所帯」も入ってますが?

・・・・・

まゆみさん こんばんは。
あえて脱字してあること、了解です。
失礼しました。
「収容」は「接収」ってなっています。


10所帯は10世帯ってなってます。
意味は同じですね。
細かかったかな。すみませんでした。
公開でコメントいれます。

| えり | 2016/07/29 22:43 | URL | ≫ EDIT

Re: タイトルなし

えりさん、ありがとうございます。

追加で訂正しました。もう大丈夫かな?時間のないときに書き写ししては駄目ですね。
細かくないですよ、

| まゆみ | 2016/07/29 23:05 | URL |

Re: Re: タイトルなし

コメントの「1155年」は1955の間違いです。

| まゆみ | 2016/07/29 23:25 | URL |

今朝の通勤電車で読んだ本の部分です。
宜野湾村伊佐浜に米軍が土地接収の最後通告をした時の住民の手記です。

「<【土地接収の最後】通告を受けた1955年7月18日は朝から伊佐浜の全住民が集まり、又数千人とも言われる各地域からの支援者が集まったので、その日は(米軍は)強硬はできなかった。軍は明一九日早朝から強行するとの情報があり、区民百二十~百三十人位が徹夜警戒に入った。午前四時頃、(中略)武装兵を前面にして、その後に重機や大型車輌が続き、一号線道路一杯に広がり、ライトを消して静かに近づくのに(我々が)気がついたのは、軍が目前に迫った時であった。それに立ち向かった我々は大男達に押し返された。そのあとすぐ、金網を張り巡らされ中に押し込められた。夜が明けるとブルドーザーが唸り、土を掘り起こしている。北前海岸に居った大型の浚堞船からリーフを打ち砕いた土砂を大きいパイプからあの美田に流し込んで埋め立てを始めた。(中略)土地が殺されたのだ、あれだけ多くの利益を上げた農地はもう永久に失われたのだという悲嘆が心の奥深くしみ通ってい>った(澤岻安一さんの手記)。」

(基地はなぜ沖縄に集中しているのか/NHK取材班、2011年9月発行 より)

今、高江で起きている事と重なります。
当時の辺野古の空撮写真に、マーカーで接収する範囲の線が引かれいるのですが、集落だけ残して緑地と全ての田畑は接収。家しか残らない。ほんとうに冷酷で惨いです。

| saori | 2016/07/29 23:37 | URL |

Re:

saoriさん、ありがとうございます。明日は一日出っ放しなので、ニュースをアップできないかも知れないので明後日中にはブログで紹介させていただきますね。

| まゆみ | 2016/07/30 00:26 | URL |















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