東海村からこの国の倒壊がはじまる。

「伝言」に良く出てくる「トウカイ」。
倒壊と東海のどちらにも考えていましたが
311以降、とくに最近は原子力の本拠地「東海村」を
意味するのではないかと考えています。
日本で最初に出来た商業原子炉「東海発電所」。
最先端科学も東海村。
伝言をヒントに考えると
東海は倒壊に通じる。
実際いま起きていることで考えても
東海村から国の倒壊がはじまっている。
まさしく倒壊村。
次に茨城。
茨城は前期百済系倭国の別称、加羅・大加羅・南加羅に
由来する地名でしょう。
古代史的に考えればヤマト政権の関西の茨木が先に違いない。
石渡信一郎さんによると、キは古代朝鮮語で「城」の意味。
イカラキ(大きな加羅の城)が転訛して
イバラギ(茨城・茨木)になったんじゃないかな。
龍さんのブログで確認すると
茨城県地方は5世紀に加羅系倭国の領域とあります。
『また、『常陸国風土記』逸文の信太郡条にみえる「此の地は本、日高見国なり」は、五世紀に茨城県地方が加羅系倭国の領域であったことを伝えているのである。(何から話そうか~龍の部屋より)』
ついでに頭飛ばします。
茨城と言えば鹿島神宮。
茨城県鹿島町の鹿島神宮と東茨城郡桂村の鹿島神社には「悪路王」の首像があります。
この「悪路王」はエミシの頭領「アテルイ」とみられます。
『そこで、アテルイの本拠があったこのあたりは、律令国家の支配下に入った後、アクロ・ハクロと呼ばれていたと推定される。
以上のように、悪路王のアクロは、カカラ(大加羅)に由来する語で、『陸奥話記』が書かれたころは、日高見国の領域であった「六郡」を指す語であったとみられるし、アテルイの本拠があった地も、律令国家の支配下に入った後アクロ・ハクロと呼ばれていたとみられるから、悪路王は、田村麻呂と戦った日高見国のエミシの総帥アテルイと同一人と考えられるのである。
アテルイは、死後、日本の支配層からアクロすなわち日高見国の王とみなされ、アクロ王と呼ばれるようになったのであろう。彼らは、アテルイを憎悪していたから、「アクロ王」を漢字で表記するときに「悪路王」としたのだと思われる。(何から話そうか~龍の部屋より)』
鹿島神社に「悪路王」の首像があるということは
鹿島神宮の地震を鎮める要石はアテルイの霊を鎮める石。あるいはアテルイ、エミシの霊(神)を封じ込めるためのものでしょう。
茨城は現代風に読むと「茨の城」。
茨で覆われた、茨で武装した城と読める。
「東海発電所」の住所、茨城県那珂郡東海村白方1-1
那珂も加羅の意味です。
ナカラ(南加羅)のラが脱落してナカ(那珂)になったもの。
(中・那賀なども同じく。)
4世紀中ごろに南加羅(南伽耶)から渡来したのが始祖王「崇神」です。
そしてここにも「ナーガ」が潜んでいる。
住所の「白方」をみるといつも「白丁」を思い出します。
『白丁(ペッチョン/ペクチョン、はくちょう、はくてい)とは、中国・日本の律令制や、朝鮮における身分のひとつ。 朝鮮では李朝時代に被差別民を指すようになった。(ウィキ)』
こうやってみてくると、やはり311は、フクイチの事故は、閉じ込められていた神(エミシ)が動き出したと、わたしは考えます。自然に動き出したのか、人為的にそうしたのかはここでは判断しないでおきます。そして茨城(大きな加羅の城)に原子力の本拠地を置いたのもわかるような気がします。「日立」の名前がいつからあるかわかりませんが、”日を立てる”で「日高見国」を思い浮かべます。エミシによるクーデターの明治維新以降の地名なら、この地に「日高見国」を再建したのかも知れません。。。いつものぶっ飛び考察でした。
追記:茨城はいばらきと読むそうです。
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| ぶっ飛び考察 | 23:56 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑
茨城
まゆみさん、
茨城は「いばらき」と読みます。
「き」はそのままなんですよ。
私もずっと濁って読んでましたが、
茨城出身の人が
「きはにごらないんですよ~。知らない人多いけどね(笑)」と言っていましたw
ちなみに茨木の方も濁らないそうです。
今朝、また福島で大きな地震が起きましたね。
福1福2が心配です。
| 瑠奈 | 2016/11/22 08:35 | URL | ≫ EDIT