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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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失われた言葉の復活 「健康」



私にはボームが失われた言葉を復活させているような気がしてならない。
ボームの本をしっかり読むほど、言葉がいかに大切かわかります。
私が言葉にやけにこだわる理由もここにあるような気がしてきました。

先日も書いたように、例のこの夢の意味がようやくわかってきたような気がします。

1994年4月6日の夢日記より

「神が人間に最初に与えたものは言葉。
その言葉を身体のある場所に隠してある。」

夢で言葉をしまい込み扉を閉めている映像をみていた。



この夢のあと
「本当の言葉はまだ出ていない、隠されたまま。」と解釈したけれど
まさしくボームがやってきたことかも知れない。




ボーム「英語の「健康(health)」という単語の語源が、「全体」を意味する「hale」というアングロ・サクソン語である、ということは示唆的である。健康であるということは、全体であるということなのである。また、このことは、ヘブライ語の「shalem」という語にも当てはまると思われる。さらに、「神聖な(holy)」という英語の語源も同じである。

人生を生きがいのあるものにするためには、全体性や統一性が不可欠であるということに人びとは気づいていたことが、こうした例にも示されている。それにもかかわらず、おおむね人びとは長年にわたって断片化の中を生きてきたのである。」
 (断片と全体より)

感想を書く前に一箇所、指摘しておきますが、
神聖なというのは誤訳じゃないでしょうか。

前にアップした
「空像としての世界」の書き写しにはこうあります。

ボーム「ええ、それは神聖なるものと呼ばれてきました。ご存知のように「聖なるもの」(ホーリー)という言葉は全体(ホール)という言葉に基づいています。だからそれは全体(ホール)、全体性(ホールネス)と呼んでもいいでしょう。「神聖なるもの」(セイクリッド)という言葉は不幸にもその語源とは違うもの、つまり犠牲(サクリファイス)を意味するようになっています。一つの組織としての宗教での犠牲といったものの発想と強く結びついているし、不幸な意味合いを非常に多く含みます。」


なので神聖ではなく聖なるものでしょう。

しめすへん」でもそうですが
神の文字が入ると犠牲を意味するようです
なのでこう変えてみます。

健康であるということは全体であり、平和であり、聖なるものである。

shalemを平和にしましたが扱いをどうするか少し考えます。
シャーローム 名詞   平和・平安 shalom
シャーレーム 動詞  完全にする (神に)満たされた状態 shalem



非常に明快で分かりやすく感動です。
ぐっと身体に染み込みます。

戦争が絶えないのは、病気になるのは、
断片化されているから、ということになりますね。

断片化のある段階を超えてしまうと精神も病むのではないでしょうか。
社会の断片化に本人が耐えれなくなるからなのか?
本人の中で断片化が進んでそうなるのか?

健康であるということは全体である。
これは心を含め身体全体で診断し治療する東洋医学的ですね。
一物全体、身土不二の考えにも当てはまります。

西洋と東洋が断絶するまでの世界は、もしかして東洋的だったのではないでしょうか。
ふとそんなことを想いました。

そして

善は全、全体性につながると直感しました。


つづく
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