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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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激動の本作り 1


長いので二回に分けます。
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これから書くことはすべてyasuさんもhiroもよく知っていることです。

まず手作り本はヒオキさんご自身が書かれたものを発行するために始められたのです。
一番最初に本作りの話が出たのは2006年の春前後だったと思います。
ヒオキさんとは実際にお会いする前のネット上(ヒオキさんのブログ)で
本を出したいから手伝ってくれないかと言われたのが最初です。

そして同年9月にヒオキさんはご自身の手作り本を出版されブログで告知されました。
私は支援としてメール配信でヒオキさんの本『別冊アイン・ソフvol.1』を紹介しました。
ところが発売したものの全く売れませんでした。(数冊、ヒオキさんの読者でたぶん2冊?)
音楽のCDも出されましたがまったく同じ内容でした。(これも配信で紹介)
事業として本でかなりの収入になるとの見込みは一瞬で絶たれることになったのです。
(*読者からの信頼があるならもっと売れたのではないでしょうか)

そこで私に目が向けられました。
私の本のほうが売れるということで私の本作りが始まりました。

本作りといっても
制作を共にしていたわけじゃなく運営も含めて一切はヒオキさんが行っていました。
すべてヒオキさんが決定し運営されていきました。
私が任せたとかそういったレベルの内容ではありません。
権限はすべて彼にあったのです。

編集に関しても
どの詩にどの写真を選ぶかということにも一切私は口出ししませんでした。
ヒオキさんは横から口出されるのを嫌うタイプだからです。
編集を任せる任せない以前の話です。
ヒオキさん自身、私が編集に参加すること自体考えてもいなかったでしょう。
実際そういった話も皆無でした。

DVDや写真詩集の出来上がりをみたときに
この詩にこの写真は合わないでしょうとか、他にもっといい写真があるのにとか
そういう思いはよくありました。

私は原稿をヒオキさんに送り出来上がったものをチェックし感想を述べる立場でした。
私のメインは受注と発送、購入された方とのメールのやり取りです。

最初は私のショップ(Earth Blue & Moon Cafe)をオフィスとしてはじめました。
当初はyasuさん、hiroも参加し制作にも携わっていました。
私はyasuさんとhiroを含めた4人でやりたかったのですが、
気まずい雰囲気の中、hiroは遠慮するようになりました。
(ここで最初の揉め事の芽がでてました)

結局ヒオキさんと私とでやることになりました。
ヒオキさんはこれを望んでいたと思います。
たまに手が足りないときはyasuさんにも制作の一部を手伝ってもらったりしました。

12月に入ってすぐ私の最初の本とウタヒCDが発売になりました。
最初に出来上がったイラスト・エッセイ集は本当に感動ものでした。
手作り本というものを初めて手にする感動と作品になった感動でした。
友人共々、ヒオキさんに感謝しました。
何かが形になるということは本当に嬉しいものです。

2007年に入り
次に出版物はチャネリング詩集へと移っていきました。
ここから雲行きがおかしくなり始めます。

本作りで、もめだしたのは本当にすぐです。
まず在庫のことです。
余裕をもって作ってもえらないのでいつも在庫がほとんどない状態で不安で
受注担当の私としては、注文来ないでと思っちゃうからです。
こんなの事業じゃないと思いましたし、そう伝えました。
(ヒオキさんは本作りを事業として考えられていたので)

方針も二転三転、四転五転、しかも短い期間で変わるので
私としては振り回されているような気持ちでした。
ヒオキさんの気分で全部変わっていくのです。
アドレスをしょっちゅう変えることも何度も反対しましたがいつも押し切られます。
アドレスを変えるということは会社の住所が変わることと同じなので
信用に関係してくると思ったから嫌だったのです。
いつもそばでみていたyasuさんもヒオキさんに提言していましたが駄目でした。

ヒオキさんは自分の思うようにやりたい人なのです。
これはこれでよくわかります。
一人でやるならこれで何の問題もないでしょう。
しかし、共に何かを続けていくにはこれでは困ります。
仕事としてやっていくなら責任が生じてきます。

何かあったときにブログで告知をするのは私です。
本当の理由が書けず多忙の理由にすることが嘘をついてるようでとても嫌でした。


夏前に最悪の大喧嘩になり(体調も最悪でした)
ヒオキさんから本とCDの一切を私とyasuさんに譲渡するとの話が出ました。
そのヒオキさんは今後、音と映像を中心にやって行くといわれました。
本作りはもうしたくないと言われました。
この頃には本作りに飽きられていたようです。
気の変わりやすさ、多さは本人も認めていらっしゃるはずです。

yasuさんと二人で何度も何度もそれでいいのかと確認をし、念を押し
(ヒオキさんはコロッと気が変わりやすいからです。)
そして7月15日に「e-water」を立ち上げました。
長年の親友ということもあってとにかく順調でした。
すべてにおいて順調でした。

そして二ヵ月後、突然、ヒオキさんから
私とyasuさんに話があると言われ集まりを持ちました。
数回もちました。(hiroも同席)

内容は、アインソフの名前が刊行物に入っていないのはおかしいということです。
この名前に関してもヒオキさんから「e-water」に変更してくれと言われ、したものです。
アインソフの名前くらい残したほうがいいんじゃないかと何度も言いましたが
それでも残さなくていいといわれ「e-water」に変更したのです。

要は、ヒオキさんはよく考えたら自分が始めた本作りなんだから
その一切を譲渡するのは間違っていたということに気づいたそうなのです。
また本作りを自分がするべきだというのです。
「e-water」をアインソフに統合すると。

ガツーン!でした。
またか!という思いでした。
延々とこれの繰り返しでしたからね。
せっかく順調だったのに急ブレーキを掛けられたようで大ショックでした。

これでもめてもめて大もめになりました。
凄かったです!
ヒオキさんの書き込みで少しは想像できるでしょうか。
会話が成立しないのです、進まないのです。
hiroとヒオキさんは大喧嘩になりました。
この4人の喧嘩は本当に凄まじかったです。

つづく
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