「非常に幼い子どもたちは永続する物体の現実についての観念を持っていないかもしれない」
ボーム「ピアジェなどの心理学者たちは、非常に幼い子どもたちは永続する物体の現実についての観念を持っていないかもしれないーーー物体が見えなくなるとき、それはただ消え失せ、他の何かが出現すると感じているかもしれないーーーと主張しています。例えば彼は、食卓についていた父親とオフィスにいた父親とは別人だと考えた二歳ぐらいの子どもの事例を引き合いに出しています。彼らは二人の人間だったのです。さもなければ、彼らはすべての物体の一致を感じるかもしれません。かくしてそれは事物ーーーそれが一であろうと、多であろうとーーーの一部なのです。それは、表象を形成する際にしっかり整理しておかねばならない、もう一つの抽象概念です。あなたの表象は一定の事物を一つのものとして、一定の事物を多くのものとして、一定の事物を必然的、偶然的、一般的、特殊的なものとして捉えます。それはあらゆるものを組織化します。そしてその意味は、事物がどのように表象されるかに従って非常に異なったものになります。初め、その子は二人の父親を見ていました。それから彼は一人しかいないことを学び、それゆえ彼は一人しか見ないようになったのです。多分彼は、二人を見ることの中に首尾一貫性のなさを発見したのでしょう。ですからわたしたちは、表象はある点までは適切でありうると言わなければなりません。外見はある点までは適切でありうるか、またはそれらは錯覚であるのかもしれません。その区別は非常に重要です。脳は外見を構成するという事実は、一部始終そうであるわけではありません。が、それらのいくつかがある点までは適正であるということがきわめて重要なのです」
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| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑