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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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疑似伝統儀式


10月22日は史上最大の海戦と言われた
レイテ沖海戦の日
なんですね。

ちなみに11月22日はこの国を作った
ニギハヤヒの命日。
その一ヶ月前の今日。

自衛隊の祝砲がなぜ21発なのかのツイートを見かけたけれど、
前日21日の第一回「学徒出陣壮行会」ですか?

///////

「天皇とは何ですか」を訊いたのは
石渡信一郎さんの存在を龍さんブログで知る前。

その後、私も本を読んで、そしてぶっ飛び考察して
小説と思って読んでください。」と題して
明治維新はエミシのクーデターを書きました。

今日再掲するにあたって久しぶりに読み返したら
感慨深いものがありました。
以前とは受け取り方が変わりました。

写真は家の前の階段
aaIMG_6486.jpg

安倍首相による天皇陛下万歳のシーン、
ネットで見ましたが、下品で恥ずかしい。

以前書いた記事のおさらいです。

皇室行事は明治からの新設。

即位式や大嘗祭に使用された装束も
平安時代以来の伝統的な衣装だと言われているが
幕末までは唐服が大きな位置を占めていた。
明治維新後に全面的に排除して衣冠束帯と決めた。

chocolat. @chocolat_psyder

今日は、天皇のために殺されたり、人を殺したり、自ら命を絶ったり、家族をうしなったり、足や腕をうしなったり、被爆したり、人生を奪われたしたすべての人々に対して思いを馳せる日にしたいと思う。


mitra @mitra_maurya

今一度復習しておく。ヒロヒトからアキヒトに代替わりした時、ほぼリアルタイムで書かれた論文で、民俗学を用いた天皇制批判。当時マスコミが無批判に喧伝した「伝統」は、その大半が明治期に創作されたことなど。
阿満利麿「日本の《疑似伝統》」『国際学研究』8、1991年。
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1083&item_no=1&page_id=13&block_id=31


早口は苦手 @WnfMS8ixNs8DHiR

ま、こういう儀式自体、作られた疑似伝統だからなあ。


阿満利麿さんの「日本の疑似伝統」を
久しぶりに覗こうとしたら
PDFが見れなくなっていました。
論文で見るしかないですね。

日本の疑似伝統::阿満利麿 明治学院大学国際学研究
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1668/1/kokusai_8_1-22.pdf

阿満 利麿【論文/Article】
明治学院論叢 国際学研究 (8), p1-22, 1991-03

こちらが過去記事です。

「日本の疑似伝統」その1
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-18096.html
「日本の疑似伝統」その2
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-18098.html
「日本の疑似伝統」その3
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-18124.html
相撲の女人禁制は「疑似伝統」
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-18358.html
日本の疑似伝統「大嘗祭」の予算27億円
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-19098.html
日本が誇れることランキング1位「四季がある」。
その「四季」は中国からの輸入
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-19293.html


<追記>
面白いものに遭遇。これは調べないと。

皇居の方位は無視して作られたようですね。
これも明治から変わったこと、というか
皇居だから大きな出来事ですよ。
あえて無視した理由が何かある。
別の方位を選んだんじゃないかな。

山田邦和 @fzk06736

一番気になるのは、東京の皇居が東々南を向いていること。本来ならば「天子南面す」だと思うのだが、どうしてこんなふうな設計になったのだろう。また改めて調べてみたいと思います。

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いろいろ試みてみるのも面白いかと思い、今度は平安時代と比較。平安時代の即位式の場所は当然のことながら平安宮の朝堂院(八省院)で、天皇はその正殿たる大極殿に出御する。

さっきの東京の皇居の宮殿、京都御所に平安宮朝堂院を加えて並べてみるとこうなったのですが、驚いたというか、今までそんなこと考えたこともなかったのは、平安宮朝堂院の南北長は回廊の心々間距離で465.57mなのだが、京都御所の南北長は443.8mくらいで、だいたい一緒。やっぱり朝堂院は大きいな!

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ミサンザイ 「天皇を旅する本」「まんが東京ご縁起めぐり」11月文学フリマ東京でます @katsunomisanzai

返信先: @fzk06736さん

元宮内庁皇居造営部長・高尾亮一著『宮殿をつくる』(求龍堂)によれば、新宮殿造営に際して「建物の配置計画を変更してまで南面に固執する必要はなかろう」ということで関係者の了解も取り付けたうえで設計者に「この原則は解除してもらった」という経緯があるそうです。

山田邦和 @fzk06736

ご教示感謝します。ということは、建物設計は方位を考慮せずにおこなわれたのですね。興味深いです。

ミサンザイ 「天皇を旅する本」「まんが東京ご縁起めぐり」11月文学フリマ東京でます @katsunomisanzai

そのようですね。むしろ『宮殿造営記録』など読んでみると、皇居外苑との位置関係からあえて東面を選択したのかなと思えるような記述もありました。明治宮殿の設計案に東面のものがひとつあった例を出して必ずしも南面が絶対の条件ではないようなことをほのめかしていたりと、興味深かったです。




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