PREV | PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

光と影と闇、そして本当の光


http://pds.exblog.jp/pds/1/200903/15/62/b0086362_2210165.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


太陽の光と人間のお話

影は光の角度によって変化する。
頭上に光があるときは影はほとんどない。
地平に近くなるほど影は長くなる。
光がないと影もない。

暑い日は木陰で命拾い。
木陰のように誰かを何かを命拾いできるような影だといいね。
でも誰かの影にずっと入ったままだと自分の影を自覚できなくなる。

誰かを命拾いさせる影はまるで傘のようだ。
そして傘は貸したり借りたりと。

あ、今、突然思い出した!
エミール・ガレの傘の作品を。
穴の空いたコインに上から光を当てて影で遊んだことも。

影って何だろう?


http://pds.exblog.jp/pds/1/200903/15/62/b0086362_2211973.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


細長い建物の一階に立つ人間の頭上から強力なライトが射しているとき
まぶしくて上をみることはできないけれど、上から下はよくみえる。
でもライトの位置を変えればそれにつれまた変化する。
足元からライトが射していれば今度は上がみえる。
横から射したらどうみえるだろう。
もっと色んな角度から射してみたらどうだろう。
光は決して上から射すだけじゃないよ。

夜、建物の外に出て同じように
色んな角度からライトを照らせばまた別の世界が展開する。
ライトから離れて歩いていったらまた違う世界。
ライトじゃなく太陽だと一変する。
月や星の明りだとまた一変する。
何にもない闇の世界だとまた一変する。
何もみえない闇だともしかして別の目が見えるのかな?

闇になれば中から光が射してくるんだよ。
やっぱり、光は闇から生まれるんだよ。
やっぱり、闇は光だよ。

これがきっと、本当の光に違いない。




関連記事

| 未分類 | 22:12 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

私は光という漢字の中に人という字が見えます。
闇は、やみとしか読まないけど光は、ひかると読めますよね。
ひかるというのは動詞なので光とは動くもので人間なのかなと。
闇という漢字の中には間という字も含まれているし、人間は闇でもあるし光でもあるということ。
今の私にはうまく説明できないですが。
ふと閃いたことを書かせていただきました。

まゆみさんの文章に触れているとなにかホッとします。

| 圭 | 2009/03/15 22:36 | URL | ≫ EDIT

先ほどの例の本の件です。まとめるのがへたなので長くなるとおもいますが、古代の人は神と共にあったというテーマが根底にあるとおもいます。

「闇」という字の中にある、「音」の考察から始まり、「音」は人の誓いに応じて与える神の啓示を示す「音」(オン)の原態で、
「暗示」の「暗」の意味もそこにあるということを挙げながら、「闇」の考察に入ります。
神は「音」を発しながらひとびとのまえにおとずれると、想起され、「闇」こそが神のおとずれる空間で、この場合の門は家の門ではなく、神棚の扉を写す形。
神棚はつねにうす暗く閉ざされる、そのかすかな暗さを示す語で、漆黒の闇をいう語とは考えられない。
神は、いくらかは、ほの明るく、それでいて、幽暗をただよわせる明暗の互いに交わる聖域のみ、その身をひそかに寄せ、自鳴の音に託して、そのかすかな響きを放ちつづけたにちがいない・・・

以上です

| ぷれお | 2009/03/16 00:10 | URL | ≫ EDIT

昔、一か月くらい闇の瞑想というのをしてみましたが・・・・
発狂寸前まで行きました(TT)
でも、闇というのは、実は清々しかったりします。
そのかわり、そんじょそこらの闇など飲み込んでしまう
くらいの徹底的な闇というのを観想しましたが。
しかも闇を物質化して心に取り込むなんて方法もあって、
最近になって「暗黒物質」というのがあると聞いて、
「へえ」って思ったり。

「無」や「空」というものを突き詰めてみても、
そこには光すらないはずなので、
実態としては闇の方が近いと思うんですよね。
でも、光の存在しない「透明」というのも、
あるような気はします。

昔、日暮れに透明度の高い海で泳いでいて、
10メートルくらい下の海底まで何もないように
観えて、宙に浮いているように感じたことがありました。
あのときは、心底怖かったです。

光と影の対比はともかくとして、光を発出している闇、
そしてその闇の向こうにあるもの・・・
まあ、このへんになると頭のなかのお遊びになってしまいますが。

| robert | 2009/03/16 01:12 | URL | ≫ EDIT

おはようございます。

私たちが生きているこの世界には、「光」も「闇」も、混濁した合わせもった世界も、すべて、在ると思っています。

宇宙の「鏡」のような世界で、宇宙が「集まった」世界で、私たちは生きているのだと思うのです。
「受け」ながら生きるのと、「知り、わかり」生きるのでは、大きな違いになりますから、自らが「一隅を照らす」「灯りをともす」光の子として行(い)きたいと思います。

さて、言うは容易く行うは難しであります。光はコト、コトは行い、言・行、みなコトではあります。はてさて、日々間違って生きております。

| 龍 | 2009/03/16 10:50 | URL | ≫ EDIT

姫さんも「光という字が人間がバンザイをして喜んでいるような明るい感じがする」とコメントされていましたが、圭さんも人間を感じられているんですね。

>人間は闇でもあるし光でもあるということ。

そうですね。片方だけの人間はいないでしょうね。要はバランスだと思います。

| mayufuru | 2009/03/16 11:29 | URL | ≫ EDIT

ぷれおさん、お手数取らせてしまってありがとうございます。こういったことが書かれてある本があるんですね。やはり、音なんだ。

| mayufuru | 2009/03/16 11:32 | URL | ≫ EDIT

robertさんも冒険家というか怖いもの知らずというか。無事に戻ってこられて良かったです。これもイメージですが、robertさんの文章からこんな一面があるとは思いませんでした。面白い方ですね。

お話伺ってるとかなりの体験のようです。何だか原初の宇宙近くまで行ってこられたような気がします。

海の中は宇宙のようだと聞きますね。瞑想を始めたころの体験でよく海が出てきました。瞑想を始めるとゆっくりと深い海に沈んで行き、海底にたどり着いて横になって寝ている私がいて、瞑想から出てくるときにまた浮上してきます。浮上するときに少し気圧が変わります。

浮くといえば、前にも書きましたが、畳に座って瞑想していて途中で両足を開いたら、足の間に全宇宙がすっぽり入り、足を閉じると今度は宇宙空間に浮いていました。robertさんは実際の体験だからリアルだったでしょうね。

>光と影の対比はともかくとして、光を発出している闇、
そしてその闇の向こうにあるもの・・・

これが一番興味がありますよね。

| mayufuru | 2009/03/16 11:43 | URL | ≫ EDIT

龍さん、おはようございます。

私もすべて在ると思います。

「灯りをともす」といえば、蛍をすぐ思い浮かべます。蛍をみれば昔の時代にワープします。蛍の灯り、好きです。

| mayufuru | 2009/03/16 11:47 | URL | ≫ EDIT

光があれば影がある・・・「影」は三次元世界的。
だけど、影は光のないという消極的存在で、光を当てれば瞬時に消え去ってしまうモノであるという。
「闇」とは四次元的世界で生きているモノなのでしょうか?・・・

| 姫 | 2009/03/16 15:54 | URL | ≫ EDIT

姫さん、よく分からないのでもう一度説明お願いします。
お手数取らせてごめんなさい。

| mayufuru | 2009/03/16 20:37 | URL | ≫ EDIT

まゆみさん、済みません^^;
あくまでも私が感じた「影」なので、説明と言われても難しいですが・・・
影の存在は闇とは違いますよね。
だから、「光」と「闇」は、どこか三次元的ではなく、別の世界の存在のような感じがする、と考えた訳ですが・・・どうでしょう?

| 姫 | 2009/03/16 21:30 | URL | ≫ EDIT

姫さん、そういうことでしたか。わかりました。私も考えてみますね。

| mayufuru | 2009/03/16 21:38 | URL | ≫ EDIT















非公開コメント

TRACKBACK URL

https://cocorofeel.blog.fc2.com/tb.php/2009-4919f740

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT