まだ続く闇と光、どうしても納得いかない闇の位置

いま内輪でも、闇と光について会話をしているけれど
世間で使われる「闇と光」の言葉、どうやっても違和感を感じ使えない。
善悪や光と影なら理解できるのに、どうしてこれほど違和感を感じるのか?
この違和感を大切にしたいと思う。
メールにも書いたことだけど
光と闇の中心には一神教の神が座している、と私にはみえる。
闇より光が偉いわけじゃなく要は神が偉いといいたいわけでしょ。
その神を中心にして考えるから光と闇の言葉になるんだと思う。
西洋的思考といってもいい。
本来は言葉にならないものを闇と言語化しているんじゃないだろうか。
わからないことを闇といってるんじゃないだろうか。
そのわからないことがいつの間にかネガ、悪にすりかえられているんじゃないかな。
何度も言うけれど私が感知する闇は悪ではない。
宇宙の闇が悪ならその闇から生まれる生命全てが悪になってしまう。
闇から生まれる光も悪になってしまう。
どうして全ての大元が闇、悪になってしまうのか?
これを書きながらブラックホールを考えた。
ブラックホールだって世間から言えばきっと闇になるんでしょう。
全てを飲みつくし何も生まれないといわれているけれど私は生まれると思っている。
ブラックホールの実態がもっと解明されれば一転するかも知れない。
決して完全には解明されることのないブラックホールが闇だとしたら
そこに科学という名の光を当てようとしている人類の光は一体なんだろう。
西洋の一神教的思考?
ここで連載のボームを思い出してください。
まず、私たちが住むこの銀河を回転させているものは何なのか?
理由はわからないですよね。
銀河系の全ての惑星の質量を足しても回転させるにはエネルギーが足りなくて
なにか見えないもの、質量があるんじゃなかいということで、
その仮定物質をダークマター(暗黒物質)と言っています。
そしてダークマターの約三倍以上の質量73%といわれるダークエネルギーの存在がある。
このダークエネルギーは宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるそうだけど、
でも正体がわからない。
近い見方では、この存在があるからこそ私たちは存在しているわけともいえる。
もっと大きな見方はとりあえず横に置いておきます。
この銀河を回転させている話、
連載しているボームの全体運動によく似ていませんか。
粘着質がある液体に一滴、二滴とインクを落とし回転させる話、覚えてますか?
あのインクを銀河に置き換えてみてください。そっくりでしょ。
粘着質がある液体をダークマター、ダークエネルギーと考えました。
しかし、どうして皆、ブラックとかダークににするんだろう?
ブラックやダークは悪や灰色のイメージが強いのに、どうして?
納得いかないな。
宇宙の闇=全ての発生の元 → 宇宙の分からないこと、神秘
人間のわからない部分 → 闇=悪
このすり替えは何?

いま少しずつ読んでいる
河合隼雄さんと茂木健一郎さんの対談本「こころと脳の対話」にも
昨日、闇と光がチラッと出てきた。
この本の中で河合さんは死後の世界を闇といわれていてこれなら分かりやすい。
”「わからない」ことを大事にする”の章で茂木さんが作った箱庭をみて河合さんはこういう。
河合「うん、ものすごく単純にいってしまえば、この箱には、近代文明の光がある側の世界と、
反対側のいわば闇の世界とがあるわけです。でも、この闇の世界のほうに、むしろ光がある
んですね。温かくて、おもしろくて、守られている気がしますね。」
河合さんの死後の闇と相反するけれど
昨夜コメントで、人が亡くなったときの顔がきれいだと書いた。
本当に皆さん、きれいな顔で、どうして生きているときに
こんなきれいな顔にならないのかと不思議に思うほど。
死後が闇なら、顔がきれいなのは何故だろう?
もしかして死後の闇は光なんじゃないだろうか。
ふとそう思った。
死後の世界が光なら、この世は闇ということになる、
闇の世界に人間は光として生まれてきてまた光の世界に帰るということになる。
世界はひっくり返る。
いつも以上に、凄いぶっ飛び。
ということは
光になったり闇になったりの太極図に似ている?
おまけ
闇と光の相互関係が太極図に似ていると前に書いたけれど
もう少し踏み込んで考えたら
光に抱かれる闇の世界と、闇に抱かれる光の二つの世界が
並行してるとも考えられる。並行宇宙ね。
最後に
闇が宇宙を生命を存在するあらゆるものを発動させているなら
人間の闇だって、闇があるからこそ生命や色んなものを発動させているんじゃないだろうか。
ダークマター、ダークエネルギーを人間の闇と考えれば、どうですか。
河合さんや私のような闇の考え方は幅も奥行もあって東洋的、
闇=悪、闇は消去しなくてはいけない存在と考えるのは西洋的。そう思う。
みんな知らないうちに、西洋的思考が染み込んでるんだよ、きっと。
そう思いませんか。
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既出だったらごめんなさい。親しんでいたスペイン語で悪魔はdiabloなのですが、diaは日だし、私の中には字面だけだと悪いイメージはなかったので、ラテン語ではどうだったのかと調べてみると、悪魔はdiabolosで、dia(die)が日を意味し、bolosは矢を意味するみたいです。スペイン語でboloは柱です。ラテン語で神はDeusですが、私は神が暦を支配するという意味で、神と日が似ているんだという気がします。デーモンも精霊という意味らしいし、サタンは反逆者、ルシファーに至っては、明けの明星という意味があるそうですね(むし返しみたいですみません)。スペイン語でlucは光luzを表しますし、悪魔の類全て、もともと暗黒や闇のイメージなんてなかったのではないかと思いました。統制としての宗教的運営において便宜上付け加えて行った政治的イメージでしかないのではないかと。単語の語源がそのものの初源的イメージを表すのであれば、そんな風に思えます。
| 中嶋森 | 2009/03/19 16:22 | URL | ≫ EDIT