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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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まだ続く闇と光、どうしても納得いかない闇の位置


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いま内輪でも、闇と光について会話をしているけれど
世間で使われる「闇と光」の言葉、どうやっても違和感を感じ使えない。
善悪や光と影なら理解できるのに、どうしてこれほど違和感を感じるのか?
この違和感を大切にしたいと思う。

メールにも書いたことだけど
光と闇の中心には一神教の神が座している、と私にはみえる。
闇より光が偉いわけじゃなく要は神が偉いといいたいわけでしょ。
その神を中心にして考えるから光と闇の言葉になるんだと思う。
西洋的思考といってもいい。

本来は言葉にならないものを闇と言語化しているんじゃないだろうか。
わからないことを闇といってるんじゃないだろうか。
そのわからないことがいつの間にかネガ、悪にすりかえられているんじゃないかな。

何度も言うけれど私が感知する闇は悪ではない。
宇宙の闇が悪ならその闇から生まれる生命全てが悪になってしまう。
闇から生まれる光も悪になってしまう。
どうして全ての大元が闇、悪になってしまうのか?


これを書きながらブラックホールを考えた。

ブラックホールだって世間から言えばきっと闇になるんでしょう。
全てを飲みつくし何も生まれないといわれているけれど私は生まれると思っている。
ブラックホールの実態がもっと解明されれば一転するかも知れない。
決して完全には解明されることのないブラックホールが闇だとしたら
そこに科学という名の光を当てようとしている人類の光は一体なんだろう。
西洋の一神教的思考?

ここで連載のボームを思い出してください。

まず、私たちが住むこの銀河を回転させているものは何なのか?
理由はわからないですよね。

銀河系の全ての惑星の質量を足しても回転させるにはエネルギーが足りなくて
なにか見えないもの、質量があるんじゃなかいということで、
その仮定物質をダークマター(暗黒物質)と言っています。
そしてダークマターの約三倍以上の質量73%といわれるダークエネルギーの存在がある。
このダークエネルギーは宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるそうだけど、
でも正体がわからない。
近い見方では、この存在があるからこそ私たちは存在しているわけともいえる。
もっと大きな見方はとりあえず横に置いておきます。


この銀河を回転させている話、
連載しているボームの全体運動によく似ていませんか。
粘着質がある液体に一滴、二滴とインクを落とし回転させる話、覚えてますか?
あのインクを銀河に置き換えてみてください。そっくりでしょ。
粘着質がある液体をダークマター、ダークエネルギーと考えました。

しかし、どうして皆、ブラックとかダークににするんだろう?
ブラックやダークは悪や灰色のイメージが強いのに、どうして?
納得いかないな。

宇宙の闇=全ての発生の元 → 宇宙の分からないこと、神秘
人間のわからない部分 → 闇=悪
このすり替えは何?


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いま少しずつ読んでいる
河合隼雄さんと茂木健一郎さんの対談本「こころと脳の対話」にも
昨日、闇と光がチラッと出てきた。

この本の中で河合さんは死後の世界を闇といわれていてこれなら分かりやすい。
”「わからない」ことを大事にする”の章で茂木さんが作った箱庭をみて河合さんはこういう。
河合「うん、ものすごく単純にいってしまえば、この箱には、近代文明の光がある側の世界と、
反対側のいわば闇の世界とがあるわけです。でも、この闇の世界のほうに、むしろ光がある
んですね。温かくて、おもしろくて、守られている気がしますね。」


河合さんの死後の闇と相反するけれど
昨夜コメントで、人が亡くなったときの顔がきれいだと書いた。
本当に皆さん、きれいな顔で、どうして生きているときに
こんなきれいな顔にならないのかと不思議に思うほど。
死後が闇なら、顔がきれいなのは何故だろう?
もしかして死後の闇は光なんじゃないだろうか。
ふとそう思った。

死後の世界が光なら、この世は闇ということになる、
闇の世界に人間は光として生まれてきてまた光の世界に帰るということになる。
世界はひっくり返る。
いつも以上に、凄いぶっ飛び。

ということは
光になったり闇になったりの太極図に似ている?

おまけ
闇と光の相互関係が太極図に似ていると前に書いたけれど
もう少し踏み込んで考えたら
光に抱かれる闇の世界と、闇に抱かれる光の二つの世界が
並行してるとも考えられる。並行宇宙ね。


最後に
闇が宇宙を生命を存在するあらゆるものを発動させているなら
人間の闇だって、闇があるからこそ生命や色んなものを発動させているんじゃないだろうか。
ダークマター、ダークエネルギーを人間の闇と考えれば、どうですか。


河合さんや私のような闇の考え方は幅も奥行もあって東洋的、
闇=悪、闇は消去しなくてはいけない存在と考えるのは西洋的。そう思う。
みんな知らないうちに、西洋的思考が染み込んでるんだよ、きっと。
そう思いませんか。



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| 未分類 | 11:25 | comments:14 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

既出だったらごめんなさい。親しんでいたスペイン語で悪魔はdiabloなのですが、diaは日だし、私の中には字面だけだと悪いイメージはなかったので、ラテン語ではどうだったのかと調べてみると、悪魔はdiabolosで、dia(die)が日を意味し、bolosは矢を意味するみたいです。スペイン語でboloは柱です。ラテン語で神はDeusですが、私は神が暦を支配するという意味で、神と日が似ているんだという気がします。デーモンも精霊という意味らしいし、サタンは反逆者、ルシファーに至っては、明けの明星という意味があるそうですね(むし返しみたいですみません)。スペイン語でlucは光luzを表しますし、悪魔の類全て、もともと暗黒や闇のイメージなんてなかったのではないかと思いました。統制としての宗教的運営において便宜上付け加えて行った政治的イメージでしかないのではないかと。単語の語源がそのものの初源的イメージを表すのであれば、そんな風に思えます。

| 中嶋森 | 2009/03/19 16:22 | URL | ≫ EDIT

悪魔を意味するマークは逆三角形や逆五角形だそうですが、ヒエラルキーが上下逆転した表現なのかな、と考えていたら建築様式についての本を思い出しました。アジアは近世になっても一般市民の住宅は平屋が中心(日本においては武家屋敷さえが平屋)なのは、東洋の意識が水平方向で、西洋の意識が垂直方向だから、という説を読んだことがあります。なので日本庭園の枯山水が海の情景を表しているのは、水平方向の海の彼方から神様がやってくるからだそうです(その本によると)。垂直方向が当たり前のヨーロッパのデパートなんかは入ってすぐに大きなきらびやかな階段がありますが、日本のデパートの階段は建物の一番奥に隠れてあることも、そういった意識の表れだとかです。垂直方向は上から陽があたった場合、先端だけが強く当たって下の方は影になってくる。水平方向は影にならない。ローマはなぜ栄えたか?それは人が人の上に住む事(階層住宅)が可能だったからだ、と言いますが、何かそんな所、地面と自分の間に人を挟んでしまうこと、の意識は人類の歴史においてとてつもない分岐点であったのではないかとも思えてきました。

| 中嶋森 | 2009/03/19 16:22 | URL | ≫ EDIT

森さん、言葉の語源、教えていただいて非常に助かります。
私は語源に答えがあると思ってます。ボームもそれにこだわっていました。

>dia(die)が日を意味し、

カッコ内は英語のdieですか?

>ラテン語ではどうだったのかと調べてみると、悪魔はdiabolosで、dia(die)が日を意味し、bolosは矢を意味するみたいです。

そうすれば、ラテン語では悪魔は日(光)の矢になりますね。
スペイン語では光の柱。

| mayufuru | 2009/03/19 19:20 | URL | ≫ EDIT

建築の話で縦と横で思い出したのが91年の夢です。この夢が森さんが書かれた西洋と東洋の建築様式をあわせたものを象徴してるような気がします。よくいうところの、縦糸と横糸の関係に似ているようで違うような。

この夢で教えられたものはやはり正解なんじゃないかと思います。

四方向から考えがやってくる
http://cocorofeel.exblog.jp/7229994

1991年10月3日の夢日記より

『私と当時大学で哲学の講師をしていた友人のMと二人で
ビルの(四角柱)一階の真ん中に立っていた。
(ちょうど十字の真ん中に立っていると思えばいい。)
立っている真ん中の場所から見上げると吹き抜けになっている。
四方向に廊下が伸びていてそのまま上に持ち上がる感じ。

二人で見上げていると、四方向から「考え」がやってきた。
考えが合流する。
四方向からやってくる考えが合流、重なり合うのを下から見上げている。
(見上げるというのがまた意味があると思う。)

こうやってみると、
物、モノの本質、真理がわかるのだと二人で大感動する。』

こんな夢です。

| mayufuru | 2009/03/19 19:20 | URL | ≫ EDIT

dieはラテン語で日、英語でいうところのdayだそうです(スペイン語ではdiaが日です)。悪魔diaboloのdiaの語をウィキペディアで検索すると、「日」を意味するとありまして、手元のスペイン語の辞書は単語の語源が付されている丁寧なものなのですが、それによると、スペイン語のdia「日」は、俗ラテン語(ラテン語の口語)のdia、ラテン語のdiesから来ていると載っています。ちなみにスペイン語のdiaは接頭語として「分離、区別」だそうです。スペイン語の神diosのところに、関連語としてdiaが載っていました。
自分のブログで節句のことを書いたときに、重陽のように、陽が重なる・吉が過ぎると凶になるという東洋の感覚は、吉と凶が決して対立しているんではなくて、延長線上で両者がつながっているような、そういう感覚があるのかなと思いました。
関係ないのですが、スペイン語では朝食はdesayunoなのですが、des非・ayuno断食=断食しないこと、が朝食ということなんです。中世にヨーロッパの中心だったスペインには、何だかそういう言葉がそのまま現代に残っているので面白いなって思っています。

| 中嶋森 | 2009/03/19 22:00 | URL | ≫ EDIT

闇を消去しなくちゃって思ってる人たちは、
本当は循環してることを、知っているのに、
わざと近視眼的になって、楽しんでいるのかなって
いつも思います。

何か自分から発信すると、やっぱり自分に戻ってくる。
そういうときの流れの横糸が
闇から光へ、光から闇への循環と絡まって
出来る織物って、どんなだろう。
ドーナツの多次元版みたいな形かな?笑

| momonga | 2009/03/20 01:54 | URL | ≫ EDIT

ぶっとび解釈、むっちゃ面白かったです。
あの世が光で、この世が闇で、人が光からやってくるときたら、まさに人はウルトラマン!
歌詞にもありますよね。《光の国から僕らの為に、来たぞ我らのウルトラマン》
ということは、人の一生は3分間!

| てるてる | 2009/03/20 02:17 | URL | ≫ EDIT

そういえば、英語のbreakfast(朝食)も、「断食(fast)を破る(break)」という意味だったと聞いたことがあります。

| ふう | 2009/03/20 07:31 | URL | ≫ EDIT

太極図! 私も光と闇というとこれを思い出します。一方の極が極まったかと思うと、決してその状態は続かず、流れる水の如くもう一方の極に向かって運動していきますよね。現象世界は、常に変化する太極図に照らし合わせるのが、個人的にはしっくりきます。
光と闇といえば、少し前マヨさんとこのコメント欄でも書きましたが、「光と闇」が常に移り変わり、永遠に雌雄を決する事なく続いて行く(聖獣バロンと魔女ランダの永遠の戦い等)というバリ島の宇宙観が思い浮かびます。
光が闇を打ち負かす、またはその逆というのは、作られたお話に過ぎない気がします。また、前に影の事を書かれてたかと思いますが、光と闇ではなく光と影の戦いなら、光を当てる事によって影が無くなるというのは分かります。でも闇は違いますよね。永遠に吸い込まれていくイメージ。まさにブラックホールですね。(...ウーむ、考え中です^^;;)
でもいずれにしても、まゆみさんが書かれているように、光=闇、死後=闇であり光である、そんなぶっとび思考が一番しっくり来ています。

| 月のひつじ | 2009/03/20 17:04 | URL | ≫ EDIT

森さん

>dieはラテン語で日、英語でいうところのdayだそうです(スペイン語ではdiaが日です)。

ラテン語でしたか。英語でそのままdieで死ぬことを意味するので、そうなれば、死後の闇は光なんじゃないかと書いた私の考えとも似てるなと思いました。dayはオーストラリアではダイと発音しますが、ダイだとdieになりますね。


>スペイン語の神diosのところに、関連語としてdiaが載っていました。

神、闇、光はやはり同じもののように感じます。


>スペイン語では朝食はdesayunoなのですが、des非・ayuno断食=断食しないこと、が朝食ということなんです。

前の日からつながっているんですね。

| mayufuru | 2009/03/20 18:20 | URL | ≫ EDIT

momongaさん

>闇を消去しなくちゃって思ってる人たちは、本当は循環してることを、知っているのに、わざと近視眼的になって、楽しんでいるのかなっていつも思います。

知っている人がいるとしたら大変悪質だと思います。ほとんどの人が知らないで鵜呑みでそう思っていると思うのです。仮に知っている人がいるとしたら本当のことをそ隠し、歪め、大衆をコントロールしてるのではないでしょうか。

| mayufuru | 2009/03/20 18:24 | URL | ≫ EDIT

てるてるさん、いつも言いますが、答えは出なくても、こうやって共有して考えることがいいなと思います。

| mayufuru | 2009/03/20 18:25 | URL | ≫ EDIT

ふうさん、ありがとうございます。

| mayufuru | 2009/03/20 18:26 | URL | ≫ EDIT

月のひつじさんも太極図仲間ですね。

太極図って回転してるような動きがありますよね。止まっていないのがいいですよね。太極図を闇と光としてスピードを上げたり落したりしながら回転する絵を想像したら楽しいですね。


>光が闇を打ち負かす、またはその逆というのは、作られたお話に過ぎない気がします。

同感です。
しかし、どうしてこんなことになったのでしょうね。

こうやって意見を出し合い、固定した視点を変え、考え、直感も思考も自由に拡がっていくのが楽しいですね。

| mayufuru | 2009/03/20 18:33 | URL | ≫ EDIT















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