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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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広大な地域のアメリカの大平原を埋め尽くしていたバイソンはアメリカ議会によって絶滅寸前まで滅ぼされた


わ〜、凄い。
これバイソンですよね。

カワケン@vsilene

こんなの走ってきたら、固まるな

https://twitter.com/vsilene/status/1094415687370469376


めちゃくちゃカッコいい。
一頭でもこんなにど迫力あるのに
白人に絶滅寸前まで殺戮される前は
アメリカ全土の大平原を埋め尽くしていたんですよ。
想像するだけで身震いする。

バイソンの姿を見ると神や神話が思い浮かぶ。

アメリカ軍が先住民のゲリラ戦術に負けていた時、代わりにアメリカ軍はバイソを絶滅させ、先住民を餓死に追い込んだ。すべてのネイティブアメリカンの抵抗を終わらせるためのアメリカの計画的犯行。米国って昔も今も変な国で、自分たちが滅ぼしておいて絶滅に近づくと今度は保護っていうんですよね。バイソンが絶滅し、ネイティブアメリカンを餓死させて抵抗できないようにして、それに変わって牛とカウボーイが登場するのです。

Rosehill@Rosehill1999

Throwback to when the american military was losing against the geurilla warfare tactics of the american plains natives, so instead they eradicated the american bison to near extinction to starve them out.

aaEaLSBSYVcAABkX2.jpg

The eradication of the buffalo was a deliberate strategy pursued by the United States as a means of ending all Native American resistance by starving them to death

aaEaLSbSoUMAIPE6J.jpg

The Western History Association
https://history.msu.edu/hst321/files/2010/07/smits-on-bison.pdf



梶川さんが以前「犬のしっぽブログ」で書かれていました。

剥ぎ取られた裏庭

バイソンは草食動物である。
衛星から見れば
北アメリカ大陸のカナダの国境線以南の森林=裏庭は
すっかり剥ぎ取られている。
ネイティブ・アメリカン部族から大地を奪うために、
彼らの主要な食料だった数千万頭のバイソンと裏庭を
計画的に絶滅させる方策を採用したのは
アメリカ議会である。

元型バイソン
animals-locations13-2-1-e1563674124605.jpg

バイソンの腐らない頭蓋

バイソンの腐らない頭蓋だけを
すり潰して畑の肥料にしたのは
森を伐採して雨が少なくても耕作できる小麦畑への
唯一の持続的再生利用だった。
土地資本主義に制御された議会の機能とは、
まさに「犬の散歩を犬のしっぽに任せた」結果である。

北米バイソンの棲息分布;
東部ニューヨークから西のオレゴン,北部カナダから南部メキシコの全平野部を覆い尽くしていた。

BisonSkullPile-e1563676058415.jpeg



日本語でもないか探してみたらありました。
当時の様子がうかがえます。

東はミズーリ川から西はロッキー山脈の麓まで、北はカナダの南側から南はメキシコまで広がる広大な地域のアメリカの大平原を埋め尽くしていたバイソン(バッファロー)。南北戦争直後のバイソンの数は推計で1500万頭。(南北戦争以前は数千万頭居たのでしょうね)しかし1880年代には、生きたバッファローを見かけるのは困難と言われるまでに激減していった。

「何千頭ものバッファローが1つの塊になって、土ぼこりの雲の下で渦を巻くように旋回している。その塊全体が、継続的に動き、鈍く響きわたる低い声を上げながら、遠く離れた雷のような音を立てて数マイル先の所に現れた」

一部転載。

9世紀後半のアメリカ社会と動物— バッファロー乱獲をめぐる議論の分析を中心に
https://core.ac.uk/download/pdf/268068283.pdf

バッファロー絶滅危惧の要因が映し出す大平原の変容 バッファロー(アメリカバイソン)がかつて縦横無尽に駆け巡っていたアメリカの大平原(グレートプレーンズ)は、東はミズーリ川から西はロッキー山脈の麓まで、北はカナダの南側から南はメキシコまで広がる広大な地域である。年間の平均降水量は24インチ未満という半乾燥地帯で、短茎イネ科草本が広がっていた。この大平原の南北戦争直後のバッファローの生息数は、推計で1500万頭という説や600万頭から800万頭とする説などがある4。1830年代に大平原を旅して手記を残したG.カトリン(George Catlin, 1796-1872)によると、バッファローが「あちこちで文字通り何マイルもプレーリーを黒く埋め尽くす程の数で集まっているところを目の当たりにして圧倒された」と言う。「何千頭ものバッファローが1つの塊になって、土ぼこりの雲の下で渦を巻くように旋回している。その塊全体が、継続的に動き、鈍く響きわたる低い声を上げながら、遠く離れた雷のような音を立てて数マイル先の所に現れた」5という記述が残されている。南北戦争前の白人開拓者たちがまだ殆ど入植していない頃の様子を知る重要な手がかりである。

る者を圧倒する程の群れをなしていた大平原のバッファローは、しかし1880年代には、生きたバッファローを見かけるのは困難と言われるまでに激減していった。代わりに残されたのは、毛皮をはがれた死骸や、白い骨だけだった。1885年には、「この20年のうちに、カウボーイたちがインディアンに取って代わり、テキサスロングホーンの子牛がバッファローに取って代わった」6という記述が残っている。バッファローの死骸が悪臭を放ってあちこちに散乱する有様は、フロンティアラインの消滅を目前に控えて大陸横断鉄道も各地で連結が進み「文明化」を実現させていたアメリカ西部開拓の残酷な一面を如実に映し出す光景であったことに注意したい。



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