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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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動物の数え方は「死んだ後に残るもの」(コメントが入ったので追記あり)


この発想とても面白い。

山口慶明🇺🇸アメリカでなんとか生きてる@girlmeetsNG
https://twitter.com/girlmeetsNG/status/1295704338191589377

動物の数え方は「死んだ後に残るもの」で決まっている。牛や豚は一頭、鳥は一羽、魚は一尾…そして人の数え方は「一名」人が死んだ時に残るものは「名前」だということ。“名前”って、定義としては個体を識別する記号に過ぎないけど、実際はその存在を象徴するような哲学的で不思議なものだと思う。

この話は「そういう説もある」というだけで、エビデンスなどがあるわけではありません。「そう考えると面白いよね」くらいに捉えていただければと思います。

でも名前を書かれると死ぬ「デスノート」、名前を奪われ元の世界に帰れなくなる「千と千尋の神隠し」、名前を呼ばれ返事をすると吸い込まれる瓢箪が登場する「西遊記」など、名前をテーマにした話は多いですよね。神の名は妄りに呼ぶべきでないという教えもあったりしますし↓
https://twitter.com/girlmeetsNG/status/1271809357408321538

名前って不思議ですよね。子供に名前を付ける時なんて、哲学的なことを色々考えちゃいました。



///////

山口慶明アメリカでなんとか生きてる@girlmeetsNG

円周率に3を使うことを「ゆとり」とバカにする人がいるが、3だろうが3.14だろうがそこはどうでもよくて「そもそも円周率とは何なのか」を理解してないなら何の意味もないし、理解している人が少ない事こそが数学教育の最大の問題だと思う なお円周率3は円ではなく6角形だし、円周率3.14は57角形ですね


台湾にゃも@台湾留学・オンライン中国語@Shohei192

ホントこれ。インターナショナルスクールで電卓使う事に文句を言う人がいるけれども、そもそも計算は電卓にやってもらえば良くて、大事なのはどうやって答えを導き出すかの手順。大人になって使うのは論理的思考である。


岡山のおまつ@MatsunagaTaka

「円周率が3.05より大きいことを証明しなさい」という問題が東大の入試で出たことがある。物事を暗記してるだけなのか、理解してるのかが分かる、超良問と言われるらしい。ちなみに…入試問題は八角形か十二角形で考えれば解けるらしい。



<追記>Takashi さんからです。
一番下のURLをクリックすると飛びます。

興味深い話ですが厳密に言うと

生き物の数えの単位は死んで残るもの、という考えを紹介されていますね。
なかなか面白いですが、この考え方に対して厳密に言うと、食べるために狩猟をして、しとめた後に、その獲物の亡骸に対して、他と区別する特徴を取り出しているということじゃないかと思います。つまり、他の獲物の話と間違わないためです。おおかたの意味は、生死にかかわるコミュニケーションのための智恵なのではないかと思います。なんか、その獲物を食べた後に、食べられずに残って捨てられる部分、みたいな考えと、混ざってしまって混乱しているような部分があると、元々の考えに対して思いました。いわゆる思考のコンプレックス(複合)というやつです。

円周率、僕らの時代は3.14159・・・・・と説明され、テストの時は計算に使うのは3.14でいいよ、ということでした。これと同じ発想で、3.14159・・・と説明し、計算問題の時だけは、3でいいよ、とすることは出来なかったのかと、疑問に思います。
URLのほうに詳しく書いています。飛び先はツイッターです。

| Takashi | 2020/08/20 09:19 | URL | ≫ EDIT




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COMMENT

興味深い話ですが厳密に言うと

生き物の数えの単位は死んで残るもの、という考えを紹介されていますね。
なかなか面白いですが、この考え方に対して厳密に言うと、食べるために狩猟をして、しとめた後に、その獲物の亡骸に対して、他と区別する特徴を取り出しているということじゃないかと思います。つまり、他の獲物の話と間違わないためです。おおかたの意味は、生死にかかわるコミュニケーションのための智恵なのではないかと思います。なんか、その獲物を食べた後に、食べられずに残って捨てられる部分、みたいな考えと、混ざってしまって混乱しているような部分があると、元々の考えに対して思いました。いわゆる思考のコンプレックス(複合)というやつです。

円周率、僕らの時代は3.14159・・・・・と説明され、テストの時は計算に使うのは3.14でいいよ、ということでした。これと同じ発想で、3.14159・・・と説明し、計算問題の時だけは、3でいいよ、とすることは出来なかったのかと、疑問に思います。
URLのほうに詳しく書いています。飛び先はツイッターです。

| Takashi | 2020/08/20 09:19 | URL | ≫ EDIT

Re: 興味深い話ですが厳密に言うと

Takashiさんのコメントを追記でブログアップしました。

| まゆみ | 2020/08/20 13:37 | URL |

名前って色々な情報を瞬時に思い出せますね

特に写真や映像の無かった、口伝や文字だけの時代は
その人を特定する為の重要な核になっていたと思います。

三国志を例に「于禁(うきん)」・「龐 徳(ほうとく)」
と2人の名前を思い浮かべると(&検索ですねコレ)

樊城の戦い
曹仁が守っている城に関羽が攻め込んだ戦い
于禁は城の救援に向かい、龐 徳は城を守るために遊軍として出撃
2人とも洪水の影響で敗れるが経緯と末路が対照的で…(以下略)

こんな感じで、詳しい方はもっと沢山の情報が出てくるでしょう。

写真と名前のセットか、他に同姓同名の人を知らない名前なら
その名前について紐づけされている膨大な情報が瞬時に思い出される印象です。

長い物語で同性かつ同名の人が出ると、注釈が無い限りかなり混乱してしまいますし。
さっき〇〇の王って言ってたのに、別の国の商人って書かれてるけど…とか。

職場でも多い「伊藤さん」とか思い浮かべると、自分に突っ込まれますね。
「どの伊藤さん?」って。
部署かフルネームか、あるいは顔のイメージか。
今の職場に居ない名前の人だと、過去に会ったその苗字の人が列挙されちゃったりとか。

逆に名前だけを忘れてしまうと、他の人に説明できなくて悶えますね。
「こういう人で、こんな顔でってイメージできるのに、
あーっなんて名前だったっけ!」って。

自分だけの考え事なら、容姿だけ覚えていて、名前を思い出せなくてもなんとかなる気はします。

| xiangwu | 2020/08/20 19:51 | URL | ≫ EDIT















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