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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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ニューエイジ、ニュー・ワールド・オーダー、 新生活様式


まゆみ写真IMG_6754

ニューエイジ、ニュー・ワールド・オーダー、
新生活様式、すべてつながっている。
ニュー、ニュー、ニュー。

newの語源はギリシャ語のneos(新しい)。

人々は「新しい」の言葉に弱い。
「新」とあるだけで、
生まれ変わったような錯覚を覚え、
新商品には人々が殺到する。
価格も一気にアップする。

newsもnewから派生しているんだろうけど
今のnewsを見ていると新しいどころか、
権力側の意向に沿った報道が多い。
捏造もね。

新しいものってこの世にあるんだろうか。
ただ変化するだけで、発見されるだけで、
新しいものなんて何もないんじゃないだろうか。

p@OdNezu

「80年代にラッツィンガー枢機卿はサタニズムがかつてないほど蔓延したと発言し(…)アメリカでもサタニズムの支配をプレスが警告していた。同じ時期にイタリアのジャーナリストは”サタニズムはすべてに蔓延し、我々の文明の基盤すら脅かし始めている”と書いている。」(コッラド・バルドゥッチ司教)

「サタニズムを牽引する勢力にはサタニックロックとニューエイジ(スピリチュアリズム)のほか、フリーメイソンが挙げられる。メイソンは表向きサタニズムとの関係を否定しているが、『サタン賛歌』の作曲者はイタリアメイソンの大師匠ジョズエ・カルドゥッチである。」(コッラド・バルドゥッチ司教)

「ニューエイジとはグノーシス崇拝やスピリチスムを中心とした東洋宗教を”霊媒力”を利用して総括したものである(…)1975年まで秘密裏に培われたが、新世界秩序計画への着手と共にその”新時代”が待ち受ける救世主として世界中のマスコミによって公表された。」(コッラド・バルドゥッチ司教)

「ニューエイジの源泉は1875年まで遡り、ロシアのヘレナ・ブラヴァトスキーによって創設された神智学である。」←霊媒者ブラヴァトスキーとメイソンの密接な関係についてはルドルフ・シュタイナーが詳述しているが、シュタイナーの人智学もまた神智学から(ケンカ別れして)分岐したもの。




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| ニュース  | 13:43 | comments:5 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

ブラバッキー夫人は

ブラバッキー夫人(この表記はもう古いようですね)とその神智学あるいは後継者のアリス・ベイリーなどは、闇の勢力に通じるのでしょうか?

「新しい」というのは、成長の前後で加わった知識のことだと思います。一回り大きくなると、その一周り分が、「新しい」というわけです。つまり、革命のように、椅子取りゲーム式に、奪って置き換えるというのは、何も新しくはないわけです。成長したのではないですから。

| Takashi | 2020/09/26 06:32 | URL | ≫ EDIT

神智学と言うと

記事での神父さんの意見は、ブラバッキ―夫人に対してどう見てるのか、いまいちわかりずらい部分がありました。
いずれにしても、クリシュナムルティも、神智学協会の設立者の関係者によって見出された、町で見かけたインドの少年だったわけで、もし神智学協会が悪魔の団体なら、クリシュナムルティも悪魔の団体に見出された者、ということになってしまいますが、ありえないですよね。

| Takashi | 2020/09/27 01:28 | URL | ≫ EDIT

Re: 神智学と言うと

神智学協会が悪魔の団体かどうか判断はできませんね。神と悪魔は表裏一体でしょう。仮に悪魔の団体だとしても神的な人間を彼らは欲しいはずです。クリシュナムルティは見出されただけで自らの意思で星の教団を解散していますしね。

龍さんがクリシュナムルティの本の書き写しをされているのでよかったら覗いてみてください。

はじめに
http://ryuchan60.seesaa.net/article/470573222.html
星の教団
http://ryuchan60.seesaa.net/article/470591249.html
解散宣言
http://ryuchan60.seesaa.net/article/470632533.html

| まゆみ | 2020/09/27 20:14 | URL |

Re:Re:神智学と言うと

リンクありがとうございます。
今日はもう遅いので明日読ませていただきますね。

神と悪魔は表裏一体でしたね。まあそれは、神智学は悪魔の団体だという発言をする人たちがいるということで、それに対して、それが正しければこういう話になりませんか、という話です。向こうの発言に合わせて言っただけで、僕に神と悪魔の戦いというような考えはありません。むしろ、神智学で言っている、悪魔、ルシファーというのは、人間が恐怖心と想像で作り出したものだという考えに、それが正しいのかも、と思っているくらいです。

| Takashi | 2020/09/28 03:33 | URL | ≫ EDIT

リンク先の記事、読みました

長文のコピペで投稿させていただきます。


確かに、教団のような集団に加わり依存するという考えでしたら、真理の追求などあるはずがないし、その意味での成長もないのは、当然だと思います。
そのことは、
1)真理を求めるから、教団に入ることがあったとしても、
2)教団に入るから、真理を求めるようになる
のではないことから明らかです。

このことは、別の言い方をすれば、

1)英語を学びたいから、英語の学べる本を買う
のであって
2)英語の学べる本を買ったから、英語を学ぶようになる
のではない
ということと、本質はまったく同じだと思うんです。
むしろ、2)では、まったく英語を学ぶようにはなることはないでしょう。英語を勉強したけど、挫折した、という人は例外なくこの2)の方をやっている人です。

そこにある事実、絶対の理、の本質は、

1)自分の意思から、活動が始まるのであって、
続いて、折り返して、自分の活動から、自分の意思の洗練がなされる。
のであって、

2)行動から、自分の意思が生じて、
折り返して、その生じた自分の意思からさらに同じ行動が繰り返される。
のではない。

ということだと思います。
もし、偉い誰かが言ったから、こうする、という人がいるならば、その人は、やはり上の2)の意味での他力本願に何ら変わりはないと思います。
聖者が言ったから、それを信じる、というのは、単に頼る他人、責任を負わせる他人を、教団という団体から、「聖者」という個人に、取り換えただけのことです。


思うに、神智学協会は、本質としては、真理を伝える役目を果たそうとして設立されたのであり、その意味では、その教えは、金もうけのために役に立つ方法を教える団体があったとして、それよりは、よっぽど真理として、純粋な形で、教えていた団体だということが言えると思います。
しかし、むしろ会員が、他力本願の心性で、協会の真の設立の意義を理解せず、依存の依り代としたことで、協会が、信者に汚されて、他力本願の城のようになってしまったというのが、事実なのではないでしょうか。
だから、その現状を見て、クリシュナムルティは解体の絶対必要をさとり、決意し、実行した、のだと思います。もし、真に、真理を求める人だけが、教団にいたのなら、決してそれは、他力本願の城のようにはなることはなく、むしろ、教団という形態をとることもなく、他人との協力関係、共有関係が、最大限に生かされていた関係をもつことができていただろうと思います。そういう関係は、大規模にはなり得ず、結局、不純なものも受け入れる門戸を大きく開いたために、教団は大規模な集団形態をとるという結果になったと思います。

直居あきら氏の出された本の中に、アグニ・ヨガの教えがあり、それには、いかなる集団も集団に属することも偽であって本物ではない、というような内容の教えが書かれています。なぜ本物でないかと言うと、それは、数を揃えることを必要とするようなこと、規模を拡大しようとの欲を持つこと、などが、(理から外れたことがらであり)、魔界の影響が入っている、から、というようなことが書かれています。
(この部分は3つ目のリンクに書いてあったことと同じでした。)


クリシュナムルティが確信していたことのリンク先からの引用
「〈真理〉はそこへ通ずるいかなる道も持たない領域である、と。いかなる道をたどろうとも、いかなる宗教、いかなる教派によろうとも、諸君はその領域へ近づくことはできない。」
これについては、もし、「道」というのが、出来た道のことなら、それは、誰かが通ったものであり、誰かが使ったものであり、「使用済み」である。そういうものを使って、真理に辿り着く、というのは、やはり、ありえないと思う。
でも、真理に到達することを、道、という言葉で表現して、何ら不自然さはないとも思う。道とは、出来た道がすべてではない。自分が切り拓く「道なき道」も、道の内に入る。そしてその道は、自分にとって必要だった道であり、他人にとっては使用済みの必要ない道である。ある人が言った「自分の歩いた後に道が出来る」という言葉がある。それは、もし「自分が道をつけてやったからみんなはこの道を使いなさい」という意味だとしたら、心から、反対する。


前回の投稿について、かなり誤解されやすいいい加減な書き方をしてしまったので、あらためてその趣旨だけを書き直したいと思います。

1)神智学協会を、悪魔の団体だという人、集団がある
2)彼らは、その活動をホームページなどを作ってネット上で展開している。
3)彼らの言い分は、神智学の教えを学んだことのない、表面上の宣伝文句的な所を拾い読み、つまみ食いして、その雑学的知識で反発し、行っているようなエセ批判であると思う。
4)つまり、僕は、神智学の教えに、基本的に問題があるとは思わない。
5)もし、彼等神智学を攻撃する者の主張が正しければ、神智学協会がクリシュナムルティを見出したことは、悪魔の団体がクリシュナムルティという「マイトレーヤ?(あまりよく知りません)」を見出したということになる。

ここから先は、リンクして頂いた記事を読んで分かったことを交えた内容です。
6)そうなると、クリシュナムルティは、「悪魔の申し子」だということか、「光の使者」を悪魔の団体が利用しようとしているか、ということになる。
7)僕の考えでは、後者は、ありえないような気がする。どうしてかというと、真の「光の使者」なら、悪魔の団体に擁されても、決して、その人が行うことは、真理にかなうことしかしないはずだからである。悪魔が利用できるような、「光の使者」
などない。もしあったらそれこそ偽預言者である。それが僕の思いです。
8)クリシュナムルティが反対したのは、神智学の教えにではなく、人間の集まりである教団の現状、教団の組織形態への依存体質が信者の間にはびこっている堕落の事実とその原因が真理を求めるという目的のために教団という集団組織を持つという形態にあること、に対してである。


3つめのリンクの記事、これを読んで、クリシュナムルティという人についての、知識に不足が完全に補われた感がありました。無知だったための疑いはすべて消え去りました。以下の引用部分についてコメントします。

「〈真理〉は諸君のところまで引きずりおろせるものではない。そうではなくて、各人ひとりひとりがそこまでたどりつくよう精進しなければならないものなのだ。」

この言葉には、心から、共感、同意します。単に心理のことだけでなく、実践的な分野、例えば、音楽などの芸術も、やはり同じだと思います。
実は、最近歌を録音しましたが、まさに歌が、というより歌も、こういう精神からだけ実現されるものであることと知りました。自分の方が動いて変わっていく努力をして初めて、歌は何らかの意義あるものに辿り着く。これを逆に、歌を自分の方に引き付けて自分はあぐらをかいていると、まったく歌として、成り立ってない、ということになる。ということが実感されました。歌の上手い人と、下手くそとの違いは、そこにある、ということです。

| Takashi | 2020/09/29 01:08 | URL | ≫ EDIT















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