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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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「ニューエイジ、ニュー・ワールド・オーダー、 新生活様式」でのコメントのやり取り


ニューエイジ、ニュー・ワールド・オーダー、 新生活様式
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-21630.html

私は一回しかコメントしてないので
やりとりというほどではないんですが、
Takashiさんとのコメントのやり取りです。

ブラバッキー夫人は

ブラバッキー夫人(この表記はもう古いようですね)とその神智学あるいは後継者のアリス・ベイリーなどは、闇の勢力に通じるのでしょうか?

「新しい」というのは、成長の前後で加わった知識のことだと思います。一回り大きくなると、その一周り分が、「新しい」というわけです。つまり、革命のように、椅子取りゲーム式に、奪って置き換えるというのは、何も新しくはないわけです。成長したのではないですから。

| Takashi | 2020/09/26 06:32 | URL | ≫ EDIT

神智学と言うと

記事での神父さんの意見は、ブラバッキ―夫人に対してどう見てるのか、いまいちわかりずらい部分がありました。
いずれにしても、クリシュナムルティも、神智学協会の設立者の関係者によって見出された、町で見かけたインドの少年だったわけで、もし神智学協会が悪魔の団体なら、クリシュナムルティも悪魔の団体に見出された者、ということになってしまいますが、ありえないですよね。

| Takashi | 2020/09/27 01:28 | URL | ≫ EDIT

Re: 神智学と言うと

神智学協会が悪魔の団体かどうか判断はできませんね。神と悪魔は表裏一体でしょう。仮に悪魔の団体だとしても神的な人間を彼らは欲しいはずです。クリシュナムルティは見出されただけで自らの意思で星の教団を解散していますしね。

龍さんがクリシュナムルティの本の書き写しをされているのでよかったら覗いてみてください。

はじめに
http://ryuchan60.seesaa.net/article/470573222.html
星の教団
http://ryuchan60.seesaa.net/article/470591249.html
解散宣言
http://ryuchan60.seesaa.net/article/470632533.html

| まゆみ | 2020/09/27 20:14 | URL |

Re:Re:神智学と言うと

リンクありがとうございます。
今日はもう遅いので明日読ませていただきますね。

神と悪魔は表裏一体でしたね。まあそれは、神智学は悪魔の団体だという発言をする人たちがいるということで、それに対して、それが正しければこういう話になりませんか、という話です。向こうの発言に合わせて言っただけで、僕に神と悪魔の戦いというような考えはありません。むしろ、神智学で言っている、悪魔、ルシファーというのは、人間が恐怖心と想像で作り出したものだという考えに、それが正しいのかも、と思っているくらいです。

| Takashi | 2020/09/28 03:33 | URL | ≫ EDIT

リンク先の記事、読みました

長文のコピペで投稿させていただきます。


確かに、教団のような集団に加わり依存するという考えでしたら、真理の追求などあるはずがないし、その意味での成長もないのは、当然だと思います。
そのことは、
1)真理を求めるから、教団に入ることがあったとしても、
2)教団に入るから、真理を求めるようになる
のではないことから明らかです。

このことは、別の言い方をすれば、

1)英語を学びたいから、英語の学べる本を買う
のであって
2)英語の学べる本を買ったから、英語を学ぶようになる
のではない
ということと、本質はまったく同じだと思うんです。
むしろ、2)では、まったく英語を学ぶようにはなることはないでしょう。英語を勉強したけど、挫折した、という人は例外なくこの2)の方をやっている人です。

そこにある事実、絶対の理、の本質は、

1)自分の意思から、活動が始まるのであって、
続いて、折り返して、自分の活動から、自分の意思の洗練がなされる。
のであって、

2)行動から、自分の意思が生じて、
折り返して、その生じた自分の意思からさらに同じ行動が繰り返される。
のではない。

ということだと思います。
もし、偉い誰かが言ったから、こうする、という人がいるならば、その人は、やはり上の2)の意味での他力本願に何ら変わりはないと思います。
聖者が言ったから、それを信じる、というのは、単に頼る他人、責任を負わせる他人を、教団という団体から、「聖者」という個人に、取り換えただけのことです。


思うに、神智学協会は、本質としては、真理を伝える役目を果たそうとして設立されたのであり、その意味では、その教えは、金もうけのために役に立つ方法を教える団体があったとして、それよりは、よっぽど真理として、純粋な形で、教えていた団体だということが言えると思います。
しかし、むしろ会員が、他力本願の心性で、協会の真の設立の意義を理解せず、依存の依り代としたことで、協会が、信者に汚されて、他力本願の城のようになってしまったというのが、事実なのではないでしょうか。
だから、その現状を見て、クリシュナムルティは解体の絶対必要をさとり、決意し、実行した、のだと思います。もし、真に、真理を求める人だけが、教団にいたのなら、決してそれは、他力本願の城のようにはなることはなく、むしろ、教団という形態をとることもなく、他人との協力関係、共有関係が、最大限に生かされていた関係をもつことができていただろうと思います。そういう関係は、大規模にはなり得ず、結局、不純なものも受け入れる門戸を大きく開いたために、教団は大規模な集団形態をとるという結果になったと思います。

直居あきら氏の出された本の中に、アグニ・ヨガの教えがあり、それには、いかなる集団も集団に属することも偽であって本物ではない、というような内容の教えが書かれています。なぜ本物でないかと言うと、それは、数を揃えることを必要とするようなこと、規模を拡大しようとの欲を持つこと、などが、(理から外れたことがらであり)、魔界の影響が入っている、から、というようなことが書かれています。
(この部分は3つ目のリンクに書いてあったことと同じでした。)


クリシュナムルティが確信していたことのリンク先からの引用
「〈真理〉はそこへ通ずるいかなる道も持たない領域である、と。いかなる道をたどろうとも、いかなる宗教、いかなる教派によろうとも、諸君はその領域へ近づくことはできない。」
これについては、もし、「道」というのが、出来た道のことなら、それは、誰かが通ったものであり、誰かが使ったものであり、「使用済み」である。そういうものを使って、真理に辿り着く、というのは、やはり、ありえないと思う。
でも、真理に到達することを、道、という言葉で表現して、何ら不自然さはないとも思う。道とは、出来た道がすべてではない。自分が切り拓く「道なき道」も、道の内に入る。そしてその道は、自分にとって必要だった道であり、他人にとっては使用済みの必要ない道である。ある人が言った「自分の歩いた後に道が出来る」という言葉がある。それは、もし「自分が道をつけてやったからみんなはこの道を使いなさい」という意味だとしたら、心から、反対する。


前回の投稿について、かなり誤解されやすいいい加減な書き方をしてしまったので、あらためてその趣旨だけを書き直したいと思います。

1)神智学協会を、悪魔の団体だという人、集団がある
2)彼らは、その活動をホームページなどを作ってネット上で展開している。
3)彼らの言い分は、神智学の教えを学んだことのない、表面上の宣伝文句的な所を拾い読み、つまみ食いして、その雑学的知識で反発し、行っているようなエセ批判であると思う。
4)つまり、僕は、神智学の教えに、基本的に問題があるとは思わない。
5)もし、彼等神智学を攻撃する者の主張が正しければ、神智学協会がクリシュナムルティを見出したことは、悪魔の団体がクリシュナムルティという「マイトレーヤ?(あまりよく知りません)」を見出したということになる。

ここから先は、リンクして頂いた記事を読んで分かったことを交えた内容です。
6)そうなると、クリシュナムルティは、「悪魔の申し子」だということか、「光の使者」を悪魔の団体が利用しようとしているか、ということになる。
7)僕の考えでは、後者は、ありえないような気がする。どうしてかというと、真の「光の使者」なら、悪魔の団体に擁されても、決して、その人が行うことは、真理にかなうことしかしないはずだからである。悪魔が利用できるような、「光の使者」
などない。もしあったらそれこそ偽預言者である。それが僕の思いです。
8)クリシュナムルティが反対したのは、神智学の教えにではなく、人間の集まりである教団の現状、教団の組織形態への依存体質が信者の間にはびこっている堕落の事実とその原因が真理を求めるという目的のために教団という集団組織を持つという形態にあること、に対してである。


3つめのリンクの記事、これを読んで、クリシュナムルティという人についての、知識に不足が完全に補われた感がありました。無知だったための疑いはすべて消え去りました。以下の引用部分についてコメントします。

「〈真理〉は諸君のところまで引きずりおろせるものではない。そうではなくて、各人ひとりひとりがそこまでたどりつくよう精進しなければならないものなのだ。」

この言葉には、心から、共感、同意します。単に心理のことだけでなく、実践的な分野、例えば、音楽などの芸術も、やはり同じだと思います。
実は、最近歌を録音しましたが、まさに歌が、というより歌も、こういう精神からだけ実現されるものであることと知りました。自分の方が動いて変わっていく努力をして初めて、歌は何らかの意義あるものに辿り着く。これを逆に、歌を自分の方に引き付けて自分はあぐらをかいていると、まったく歌として、成り立ってない、ということになる。ということが実感されました。歌の上手い人と、下手くそとの違いは、そこにある、ということです。

| Takashi | 2020/09/29 01:08 | URL | ≫ EDIT


<追記>

誤字がありました

>この言葉には、心から、共感、同意します。単に心理のことだけでなく、実践的な分野、例えば、音楽などの芸術も、やはり同じだと思います。

単に、真理のことだけでなく

が、正しいです。
パソコンの漢字変換は、しょっちゅうこの「真理」を「心理」にしてくれたり、「~なもの」を「~な者」にしてくれて、困ってるというか、漢字変換は、文章書きの敵というか、文章を書くことが、漢字変換との闘い、と感じるように、最近なりました。

昔は、自分の意識や観念がソフトウェアに感応して、考えていた通りの漢字が出る、ということだけに注意が向いていました。しかし、いまでも、そういうのはありますが、それよりも、あまりに書くことに対して、誤変換で邪魔されて、闘いのようになる部分の方が強く意識されてきました。
なんか、わざと、出したい漢字と違う漢字を出すような、仕組みが漢字変換のプログラムに組み込まれているんではないかと、疑ってきているような状況です。(笑)
ちなみにこの文章では、「漢字」がひたすら「感じ」に変換されて、泣かされました。(笑)
単語単位で入力すると、こういうことは防げるのかもしれませんが、一気に文を書いて、一気に変換するのが、なんか文章を書きやすくて、最近はそうやってました。ちょっと単語単位で入力する方法にいったん戻して見ようかと思います。

あと、今回引用して頂いた文章の続きが書きかけでありますので、それも書け次第、投稿させていただきますね。

| Takashi | 2020/09/30 00:46 | URL | ≫ EDIT




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COMMENT

誤字がありました

>この言葉には、心から、共感、同意します。単に心理のことだけでなく、実践的な分野、例えば、音楽などの芸術も、やはり同じだと思います。

単に、真理のことだけでなく

が、正しいです。
パソコンの漢字変換は、しょっちゅうこの「真理」を「心理」にしてくれたり、「~なもの」を「~な者」にしてくれて、困ってるというか、漢字変換は、文章書きの敵というか、文章を書くことが、漢字変換との闘い、と感じるように、最近なりました。

昔は、自分の意識や観念がソフトウェアに感応して、考えていた通りの漢字が出る、ということだけに注意が向いていました。しかし、いまでも、そういうのはありますが、それよりも、あまりに書くことに対して、誤変換で邪魔されて、闘いのようになる部分の方が強く意識されてきました。
なんか、わざと、出したい漢字と違う漢字を出すような、仕組みが漢字変換のプログラムに組み込まれているんではないかと、疑ってきているような状況です。(笑)
ちなみにこの文章では、「漢字」がひたすら「感じ」に変換されて、泣かされました。(笑)
単語単位で入力すると、こういうことは防げるのかもしれませんが、一気に文を書いて、一気に変換するのが、なんか文章を書きやすくて、最近はそうやってました。ちょっと単語単位で入力する方法にいったん戻して見ようかと思います。

あと、今回引用して頂いた文章の続きが書きかけでありますので、それも書け次第、投稿させていただきますね。

| Takashi | 2020/09/30 00:46 | URL | ≫ EDIT

(コッラド・バルドゥッチ司教)
「ニューエイジの源泉は1875年まで遡り、ロシアのヘレナ・ブラヴァトスキーによって創設された神智学である。」←霊媒者ブラヴァトスキーとメイソンの密接な関係についてはルドルフ・シュタイナーが詳述しているが、シュタイナーの人智学もまた神智学から(ケンカ別れして)分岐したもの。

ーーー
私は2歳の息子を3歳からシュタイナー幼稚園へ転園させようかと
計画しているので、シュタイナー育児関係の本を数冊読んでいるところです。
予防接種を受けたくないことや、医療、食事への考えが
私の子育ての姿勢と近いからです。他園よりは。

神智学、知識はないのですが、
このシュタイナーが詳述してるという本も
いつか読んでみたいと思います。
人智学の元が神智学なら、
これも知っておかないといけないなと思いました。

| Chikase | 2020/09/30 09:21 | URL | ≫ EDIT

続きを書きました

続きの部分を書いたのですが、あまりに長いので、要点だけに絞って、投稿します。日も経っていて、集中力が続かず、やや中途半端になってしまった感があります。

動機

クリシュナムルティは、次のようなことを語っています。

人に教えるのも教えられるのも、真のものではない

この言葉が言っていることは、嘘ではない真実ですが、誤解を生む余地も、ないわけではないと思います。

例えば、人のいうことには、耳を傾けなくていい、無視していい、と解釈する人が現れたり、
あるいは無視しなければならない、という極論に解釈してしまうという恐れが、
現実になっているような状況を、目にすることがあるということです。

人が言うこと(言えること)は、次の二つに分かれます。これ以外の物や、2つの中間というものはありえません。
それは、下の2つをよく考えてみると分かると思います。

1)半面(半分)は、事実を見て知った「知識」の伝達である。
2)半面(半分)は、その事実に関係づける自分の作り出した主観部分である。

この2)はさらに二つの部分に分かれます。

3)主観部分のうちの半分は、1)の事実に基づいた、自己を通し消化・昇華した内容部分である。
4)主観部分のうちの半分は、全く自分中心・自分基準で、自らが無から作り出した観念であり、
  なんら現実の事実に根差さない、事実から分離浮遊した空想の観念ある。


1)について補足すると、事実としてあるもの、というのは、部分というものに分かれていない、
抽象性としてのあり方、未分化の「一」というものです。
それは、2)のようにそこからさらに3)と4)に分かれるように、二つに分かれたりすることはありません。

4)について補足すると、それは虚無であり無明といわれるものです。
いわゆる、「色」と「空」のことであり、光と影のことです。
それは、人間が現実の事実の存在に対して付けた、一種の名前であり、言葉であり、意味付け、ラベル貼り、レッテル貼りといった
決めつけの独断、人間が一方的にする決定、自己選択した偶然の中の一つの選択行為に過ぎず、
自己の生み出した価値観との一致するか不一致かの判定の結果に過ぎないところの、主観内容部分です。

クリシュナムルティが言っているのは、人が知らねばならないのは1)のような事実であって、3)の主観部分は、単なる偶然生じたぜい肉のような者で本質ではないということ、4)に至っては、有害な事実に反する部分、事実を隠してしまう部分、だ、ということだと思います。

人がする説明は、基本は1)であって、それに3)が多少は生じるが誤差の範囲ですが、1)がなく4)だけがあるという説明がされることがあります。これが虚偽であり、エセ理論であり、もっとも避けるべき虚妄の言葉である、現代思想です。

実際には1)→3)の形で、いわば主語の事実→述語の、事実に対する説明、の展開の形を取って、言葉になり、説明になります。
それが、現代思想では4)→1’)という展開の形になります。これは、はじめに人間が作ったことが、いわば一種の命令としてあり、それを事実として扱い、真理と見なし、というように、人間が空想でつくり出したことを、この宇宙の真理だという風にしてしまおうとする、という真理体系のひっくり返しです。そこでは、いわば神から与えられている真理の体系を、人間が作り出したそれに置き換えようとしているという、神への反逆に等しい行為です。


(中間部分省略)

この2)→1)という始まりと終わりの関係の逆転された解釈は、主と従の統一ということも起こらず、始めから2)が統一されたそれ以上分けられない全体、だということにされていて、1)は2)が発作させ発生させる”機能”およびその作用だと、解釈すればいい、という人間の押し付け、に過ぎない、エセ理論です。
つまり、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」という類の主張がそれであり、現代になって登場してくるようになった、従来の誰もが事実だと認めていることをあからさまにわざとひっくり返した主張であり、そこでは、「悲しいから泣くのではなく、泣く者が、いま、ここで、悲しいという”機能”を選択したのだ」と説明されます。これは完全な、事実に基づくことのない(4)の不純にして矛盾の主観に他ならないのです。



もう少し、具体的に説明しましょう。

1)のない2)とは、次のような考え方です。
それは、2)から物事は出発する、という考え方です。つまり、水がコップの中にあってすでに器に内容が入っている状態が、いわば「宇宙の始まり」であり、その起源などない、あるいは、あったとしても扱わない、そんなものは扱っても自分の得にはならない、という自己中心主義、人間中心主義の考え方です。

これは、宇宙に、全ての星と、全ての生命が出そろっているその状態が、宇宙の始まりで、それ以上の部分に分けることは出来ない”統一された全体”であり、その”全体”だけが、唯一の実在であり、原因などという「部分」はなく、原因とか部分とかいわれていたものは、実は、”全体”が選択している”機能”なのだ、という解釈によって、説明される、という考え方です。

例えば、アドラー心理学では、その解説本「嫌われる勇気」という本の中に「心が怒りを感じたから、怒鳴るのではない。それ以上部分に分けられない統一された全体である”わたし”が、いま、ここで、怒鳴ることを選択したのだ。決して心という部分が、怒りを感じたのではない」というような説明がされている部分があります。これも、同じ自己中心主義、人間中心主義の考え方そのものです。これらは、一つの同じ根から出た、「多」の部分の中の一つの実現の形だといえます。これらの考え方は、”全体論”とか、フロイトの”原因論”を否定する”目的論”というと、その本には書かれています。

”全体論”の考え方を建物で例えれば、2階を建てた時点が建物の始まりであり、では1階はどうなるのかというと、2階以前に存在するような”部分”などなく、1階部分だと思われているものは、2階という”全体”が選択して今表している機能に過ぎない、という発想になります。これは、突き詰めれば、1階のない2階部分を建てようとするという発想につながる思想です。このような考え方が教育の名で啓蒙の名で教えられることこそが、クリシュナムルティが言った、他人に教えられることの有害さ、なのだと思います。

| Takashi | 2020/10/06 02:34 | URL | ≫ EDIT

わたしはあまり詳しくありませんが、わたしの理解を書いてみます。

ブラバツキーが近代神智学の創始者というかニューエイジの祖になってますよね。
ハイラーキーのてっぺんにシャンバラのサナトクメラを中心にブッダ、イエス、モリヤ、クートフーミなど幾人かのマスター大師がいると。
そこでいわば大計画が練られており、それが地上に展開してくると。
こういうそれまでになかった思想を世に現したのがブラバツキーで、それを継承したのがアリスベイリーであり、さらにはベンジャミンクレームであると理解できるのかなと思えます。
クレームは、マイトレーヤ降臨運動をやってるが、このマイトレーヤというのはイスラエルに生まれたイエスではないということですよね。

このニューエイジの思想では、ルシファーが高く評価されてますよね。
ルシファーを悪魔としたのはキリスト教神学の誤りであるとなってますよね。

しかし、キリスト教の側からするとルシファーを高く評価しているニューエイジはルシフェリアンであり邪悪ということになる
んだと思います。
また、キリスト教からすれば、救い主はイエスだけなので、シャンバラのマスターとかいうのは悪魔の教えになるんだろうと思います。

ですからマイトレーヤ降臨運動も悪魔の運動と見てるだろうと思います。

ニューエイジのほうが新しい光の運動なわけだが、キリスト教からすれば悪魔のわざに見えてしまうと思えます。

なので、ニューエイジがルシファーを高く評価したのは失敗だったのではと思えるのですがね。

| あじさいれもん | 2020/11/20 12:02 | URL | ≫ EDIT

あじさいれもんさんに返信

>あじさいれもんさん
まず、僕の書いたものを読んでくださり、それから思われたご意見を書きこんでくださったことに、感謝いたします。
意見を聞かせていただけるだけで、とてもありがたいことです。

神智学協会のことに関しては、だいたいお書きになった通りのことが、伝えられているようです。

キリスト教の立場からすれば、まさに、一神教にして、他宗教は邪教、の立場を取りますから、ニューエイジであっても、邪教、正しいのは唯一、キリスト教の門をくぐることだけ、と教えます。

しかし、真理の泉に到達する道のりやくぐらなければいけない門はいくつあれど、その中心の真理の泉はひとつ、それが、基本的に神智学が教えている内容の神髄であり確信の部分です。

その意味では、ニューエイジもキリスト教と同じく、自らの門の外に対して邪教認定する集団ということに、本質としてほとんどかわりは無いと思います。おそらくニューエイジはキリスト教など既成宗教、過去の教えを(その部分が)真理でも全否定するようなところがあるでしょう。だから「ニュー」の名を名乗っている、という訳です。


神智学がルシファーを高く評価すると理解されているのであればそれは、誤解だと思います。
それは、神智学は、ルシファー=悪魔、サタン、という迷妄に対して、それは恐怖心が作り出した産物であり、宇宙をつかさどっている、いわゆる陰と陽の結びつきは、それ自体善であって、互いに切り離された神と悪魔、のような、引用の結びつき=神に対して第二(あるいは、陰、陽に続いて第三)の”悪魔”なる存在を作り出したこと、その嘘を、説いているというのが、その教えの本義です。

それを、心無い弟子まがいや、低俗協会員などが、ルシファーこそ至高の存在、というようなブラバッキー夫人や、その大師方の一切言われていないことを、吹聴し、主張し、普及させようとしたのではないでしょうか。
少なくとも、僕が本を読んだ限り、ブラバッキー夫人が、ルシファーこそ至高の神、のようなことを書いている部分は、目にしたことがありません。

また、キリスト教以外に、神智学を邪教として非難している集団・団体あるいは思想があるようですが、それが、全くの新興宗教の形態以外の何物でもないことは、まったく、他門を排斥するところの一神教と変わるところがないでしょう。

最後に、ニューエイジが、ルシファー思想を受け入れたのが失敗だったのでは、というようなことを書かれていますが、上に書いてきたように、存在しない”真理”を受け入れたのだから、それは失敗に間違いがありませんが、それはそもそも、他人の言説を借りてきて自らの旗印にして運動を起こそうというような考え方が、真理を求める者として、その根本から間違っているのだと思います。自らが、心の内に、真理を体得しなければならない、というのが真理を求める道の唯一のあり方です。むかしから、はじめから、そう言われています。

| Takashi | 2020/11/21 13:53 | URL | ≫ EDIT















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