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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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資料(トクヴィル『アメリカの民主主義』1835年)


p@OdNezu

「新たな民主主義世界は極度な専制政治を生むだろう(…)互いにそっくりな平等な大衆は取るに足らない卑しい享楽に満足してぐるぐる一点を回るだけの人生を送り、一人一人の人間は産業化したびくびくした生き物でしかなくなるからだ。」(トクヴィル『アメリカの民主主義』1835年)

「民主主義が謳う平等は人間の均一化を招き、自ずと自由を圧搾する。人々は熱狂的に平等を求める。あらゆる自由の中での平等を叫び、それが手に入らないとなると、奴隷生活の中での自由に満足する。」(トクヴィル『アメリカの民主主義』1835年)

「民主主義においては大衆と一線を画す層が一人歩きを始め、行政は一極集中し、少数による強大な権力が生まれる。この権力は大衆の安全を保障し、娯楽を与え、事業を監督し、つまりはすべての面倒を見る。大衆の全生活は彼らの手の内にあり、彼らの好きなように整形することができる。」(トクヴィル)

「民主主義という専制権力は人々の意志を圧殺しようとはしない。軟化、懐柔することで都合よく導く。目に見える破壊は行わないが、反対勢力の誕生を妨害する。自由は無数の細かな規則によって何食わぬうちに抑制される。そして大衆が自らが異分子を排除すべく自由の範疇を監視する。」(トクヴィル)

「民主主義という圧政者は目に見える武器や鎖は用いない。人々の命や財産に直接手をつけることはない。人々の肉体は生かしておいて、魂だけに狙いを定め、これを殺す。」(トクヴィル『アメリカの民主主義』1835年)

「このようにして平等をキャッチフレーズに掲げる民主主義は、ついには人々の自由を完全に奪う。しかし人々はそれでも ”これは我々のために行なわれているのだ”とそれをありがたがる。」(トクヴィル『アメリカの民主主義』1835年)



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COMMENT

民主主義の平等とは、最小単位のこと

こんばんは。

民主主義で言う平等で、均一な”民”というのは、
いわば、既製品を分解(破壊)して作った部品(断片)ですね。
それは、それらを組み立てれば、出来るものは、もう決まっているわけです。
なぜなら、既製品を分解したのが、その最小単位ですから。
そのどう組み立てても元々の既製品にしかならないという部品に、一人一人の人間のそのあるがままの「個性」を否定して同じ規格の”機能”を演じさせるように仕組んだ、というのが、民主主義の”民”の概念というわけです。

| Takashi | 2020/11/29 00:56 | URL | ≫ EDIT

最小単位について、書いてみました

上の投稿で紹介した記事の補足として、最小単位について、短く、書いてみました。分かりにくいかもしれませんが、前回紹介の文章の、補足になると思います。

https://tomedonakunamida.seesaa.net/article/478751353.html?1606709101

| Takashi | 2020/11/30 13:08 | URL | ≫ EDIT















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