ノート23
一昨日からボームの言葉に
「思考」が出てきているのでちょうどいい機会なので載せてみます。
下にボームの記事をアップしてます。
20~15年ほど前のノートから

思考
↓
死考・死向
考えすぎることは
死に向かうこと
思考によって
真の実在・真理を
得ることは出来ない
何故ならば
真の実在・真理は
生きているから
生命そのものだから

*ボームの本を読んで「思考」の言葉を考えてみたものです。
思考タイプの文学者などが自殺するのは「死考・死向」なんだと思ったのです。
思考=「死考・死向」の循環にはまったんじゃないかと思った。
考えることは悪いことじゃないけれど、考えすぎるのはよくないなと。
できうるなら
思考が至高へとつながればいいなと。
そのあとまた考えて
思考は歯垢でもあるなと。(笑
歯垢が歯石になって歯を駄目にするように
思考も思石になって人間本体を駄目にするんじゃないかと。
私は普段、思考の言葉を使いません。
考えるを使います。
何故だか、思考と考えるは私の中では違うのです。
理由を考えてみました。
考えるは”勘、感が得る”になりました。
いまこれを書いていて気づいたのは
思考は”思い考える”なんだ。
”思い悩む”が浮かんだ。
考えるとはやっぱり少し違うね。
| ノート | 11:31 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑
そうですネ
思考は分からない世界をアレコレ考える。
わからナイ世界は、
そのママにしてオイテ
もイイン(意in)だと、
わたしも痛く気づかされました。
思考=死向→歯垢
身につまされます。
中学年のコロ見た
『いちご白書』(たぶん)で、歯磨きの後、クチュクチュ、ペッ
が粋で、真似したからカナ(いい加減な歯磨きの上、出鱈目なウガイ)
今では、人前で笑い話が出来ない
| あかとんぼ | 2009/06/10 15:07 | URL | ≫ EDIT