慰霊の日

星田英利@hosshiyan
おはようさん。
「ありったけの地獄を集めた」。米軍の戦史にそう刻まれた地上戦。死者20万人、沖縄県民の4人に1人の方の命が奪われた沖縄の地上戦から77年。沖縄のことは日本のこと。黙祷と不戦の誓い、そして、戦争への憎しみと軽蔑を。
#慰霊の日
zooparadise@zackys
毎年書こうと思いますが、6月23日は沖縄戦が終了した日ではなくて牛島中将が降伏するな死ぬまで戦えと沖縄に呪いをかけて自分はとっとと自決した日です。なので旧日本軍の継承を自負するような自衛官の人達が慰霊碑を参拝するのは合理的なのです。
沖縄戦が終結したのは1945年9月7日です。
実際、この6月23日より後の犠牲者がものすごい。
司令官が戦闘を継続しろという指令だけ残して先に死んだのですから沖縄戦は終わらせるのが難しい状態に悪化したのです。誰も降伏を決められない。
牛島中将が自決する前に降伏をしていれば死傷者は半分以下に抑えられたかもしれない。
「沖縄は捨て石にされてない」「軍は沖縄を守るために戦った」という言説をいう人もいますが、歴史上の事実はそれをはっきりと否定しています。
玉音放送を聞いた日本人たちは泣いた人も多かったでしょう。でも玉音放送すら聞けない沖縄では生きるか死ぬかの戦闘が続いていたのです。
おでかけおばけ@mach1map
返信先: @zackysさん
それを象徴するように、6月23日に沖縄慰霊式典のある摩文仁の丘には、以前まで軍人の慰霊碑しかありませんでした。民間人の名も刻まれた、「平和の礎」がつくられたのは1995年、沖縄戦から50年も経ってからのことです。
Izuru.Iizuka.@AMWmHinszqbJBx8
返信先: @zackysさん
少女達が道で米兵に出遭う。「民間人か」と背を向けた米兵に日本兵が少女の後から手榴弾投げ「ゲリラかよ」と射殺された悲劇の原因も
司令官「逃亡」で日本兵が民間人に紛れ込んだせい
そんな経緯から当初兵隊だけを悼む違和感ある沖縄慰霊の日だった。起源はともかく平和の契機となるならよいのだが
| 沖縄 | 21:52 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑
戦争は絶対悪
戦争が絶対悪なのです。
何処の国だとかは、全く関係有りません。
「矢を射る時、自分は相手と同じになっている」等の言葉は有りますが、そんなのは、兵士同士の話にしかなりません。
公然と人と人とが殺し合いをする事が許されないという事は有りますが、戦争はその事の比にならないはずです。
武器を持たない反対する市民を、子供を、赤ん坊を「一方的に、勝手に殺す」のですから。
許されるはずが有りません、そんな事が。
※「運良く生き残れた者」が内輪でどう釈明しようが、何を主張しようが。仲良く和解しようが(そこからの都合に合わせて、犠牲者を無視して)。
それは、生き残れた人間同士の勝手な言い分にしかならない。
犠牲者は何と言っているか、どう考えているかは分かりません。
閻魔大王は、全てを厳密に裁きます。人間同士の茶番など、何の役にも立ちません。
必ずそこへ赴く日は来ます、万人に。
先に殺された者にだけではありません。
在るのは、事実のみ。真実のみとなります。
思った事さえも、全てアカシックレコードに記録されています。
それを一番詳しく知っているのが、閻魔大王になります。
妥協はしません。容赦はしません。
| L.F.B | 2022/06/23 22:49 | URL | ≫ EDIT