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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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「閉じ込められた神が動きだした? その6」の追記


今度は近畿や東海・関東甲信、東北地方で雷雨予想が出ました。
やはりUターンしてますね。お気をつけください。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200907/27/62/b0086362_1353918.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>



楢崎皐月を検索すると山口県東萩生まれでした。
1899年(明治32年)-1974年(昭和49年)7月31日 

山口県東萩
緯度:34度25分1.55秒(34.417098)

萩市内の神社は68件。
意外と少ない。

先に書いたように、
元大本、後に大本批判をし「神道天行居」を創設した「友清歓真」も山口県。
岡本天明は岡山県生まれ、隣の県で年齢も近い。
1897年(明治30年)12月4日1963年(昭和38年)4月7日

そしてこれがちょっと面白い。

岡本天明は1944年(昭和19年)6月10日に麻賀多神社の末社「天之日津久神社」で自動書記。
楢崎皐月は1944年に満州で老師教道志の盧有三老師と出会い古伝(日本の超古代文明)を知る。
同じ1944年だ。

楢崎皐月はその後1949年に六甲山系の金鳥山で穴居調査中にカタカムナの巻物と出会う。
(岡本天明は17歳のときに神戸三宮で絵の個展を開いている。神戸つながり。)

金鳥山
34度44分24.24秒(34.740067)

マヨさんがいう太陽の道だ。
これに関しては後の記事で書きます。

ちょっと大本も調べてみよう。

1944年(昭和19年)は大本の全活動の停止期間中。
王仁三郎:1871年8月27日(明治4年7月12日) - 1948年(昭和23年)1月19日
ということは、王仁三郎の亡くなった翌年1949年に楢崎皐月はカタカムナの巻物と出会っているんだ。

その1949年より大本(愛善苑)は世界連邦運動を推進している、とウィキにある。
(1945年~1946年 愛善苑と改称、活動を再開)

Skyさんがカタカムナに関して「エスペラント」のことを言われていたけれど
ウィキの大本にも「エスペラント」が出てきた。
王仁三郎は海外への布教のためにエスペラントに着目し、
大正13年(1924年)にエスペラントでの大本関連の出版活動を開始した、とある。

不思議な偶然。

そういえば六甲と亀岡、綾部は近くない?
(実は私は六甲にも一年ほど住んでいたことがあります。やっぱり放浪の民?)

金鳥山
緯度 34度44分24.24秒(34.740067)
経度 135度16分36.02秒(135.276672)

綾部
緯度 35度17分56.1秒(35.298916)
経度 135度15分31.72秒(135.258812)

亀岡
緯度 35度0分48.27秒(35.013408)
経度 135度34分24.99秒(135.573609)

地図でみると金鳥山は綾部のほぼ真南だ。
ほぼ正三角形にならない?


何度見てもこの亀岡の35度0分48.27秒が気になる。
0分だもの。


カタカムナの鍵は楢崎皐月と盧有三道士との出会いにあると感じています。
そしてカタカムナの元がどこかにあるような気がするのです。


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| 未分類 | 14:17 | comments:21 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

まゆみさん、こんにちは。今調べ物をしていて、道院・世界紅卍字会*ttp://www.asia2020.jp/douin/index.htmlと言うのが出てきたんですが、これと大本教は提携し、さらにこの思想が五族協和につながっていく気がします。この組織はすごい。知ってたらごめんなさい。

| mayo | 2009/07/27 17:02 | URL | ≫ EDIT

知ってました。(ジャン。)最初に知ったのは89年か90年で、大本好きの鍼の先生からです。関東大震災の話は有名ですよね。マヨ博士、詳しいことをまた教えてください。

あっ、umeちゃん、ここにも紅があるじゃないですか。やっぱ、記事にしておこうっと。

今、記事にしました。

| mayufuru | 2009/07/27 17:23 | URL | ≫ EDIT

群馬で竜巻

■突風発生、車十数台横転=スーパー駐車場、13人軽傷-群馬
27日午後2時15分ごろ、「竜巻が起きて屋根が飛んだ」などと、複数の通報が群馬県の館林地区消防組合消防本部(同県館林市)にあった。同本部によると、竜巻とみられる突風が複数の場所で発生し、市内のスーパー駐車場では車十数台が横転、13人がけがをした。いずれも軽傷という。
同本部によると、車が横転したのは「ベルク 館林大街道店」(同市大街道)の駐車場で、10~15台が横転し、運転手らが負傷した。市内ではほかにも数カ所で、計50棟前後の民家のガラスが割れたり、屋根が飛んだりするなどの被害が出たが、けが人の情報はないという。
前橋地方気象台は同日午前、県内ほぼ全域で竜巻注意報を出し、風が急変した際などは屋内に避難するよう呼び掛けていた。 

| mayufuru | 2009/07/27 17:31 | URL | ≫ EDIT

■自殺、半年で1万7千人超 過去最悪のペース
今年1~6月の自殺者が計1万7076人に上っていることが27日、警察庁が毎月公表している暫定値で分かった。統計を取り始めた1978年以降、最悪だった03年の年間3万4427人に近づくペース。1~6月の合計は前年同期比で4・7%増加。男性が1万2222人、女性が4854人。増加の背景には、昨年のリーマン・ショックから続く不況があるとみられるが、警察庁は原因を明らかにしていない。

■東海―東北で大雨の恐れ 竜巻にも警戒必要
九州や中国地方に豪雨をもたらした梅雨前線は27日も活発な状態が続き、東海から東北にかけての各地で局地的な大雨となった。気象庁は東海と関東甲信、東北では南から湿った空気が入り大気の状態が不安定になっており、28日明け方にかけ非常に激しい雷雨の恐れがあるとして、引き続き警戒を呼び掛けた。群馬県館林市では竜巻とみられる突風が発生しており、激しい突風やひょうなどにも注意が必要という。

| mayufuru | 2009/07/27 21:46 | URL | ≫ EDIT

どんどん、話が繋がっていますね。

楢崎と蘆有三との出会いのなかで
「上古代の日本の地にアシア族という、高度の文明を持つ種族が存在し、「八鏡の文字」を創り、特殊の鉄をはじめ、さまざまの生活技法を開発していたこと、そして後代の哲学、医薬(易の思想や素文霊枢、漢方等)は、その文化の流れの中に展開したものである」
蘆有三を師と仰ぎ、その後のカタカムナに繋がったようです。

| Sky | 2009/07/27 22:55 | URL | ≫ EDIT

亀岡 やはりキーワードなのかな?

(大本HPより転載)
亀岡天恩郷は、教祖出口王仁三郎ゆかりの地で、京都市から西方20キロメートルの亀岡市の中央部にあり、緑にかこまれた大本の聖場。

1919(大正8)年、本丸、二の丸付近を大本(出口王仁三郎聖師)が入手。城内に残った石を掘り起こし、積み直し整備しました。翌年には大道場を開設し、建造物を建て、やがて「天恩郷」と命名しました。1935(昭和10)年の「第二次大本事件」での破壊を経て復興し、現在に至っています。

| Sky | 2009/07/28 00:13 | URL | ≫ EDIT

774さん、大本と世界紅卍字会はエスペラント繋がりだと思います。
だとすれば、出口王仁三郎氏と笹川良一氏も、どこかで繋がっている???

わからないというか、わかりたくない事実があるのかも。
なぜ、A級戦犯格の笹川・岸・安部・・・は助かったのか。そのあたりと天皇家に何かがありそうな直感。

今日はこれくらいで・・・。

| Sky | 2009/07/28 00:23 | URL | ≫ EDIT

Skyさん、つながってきましたね。

さて
>上古代の日本の地にアシア族という、高度の文明を持つ種族が存在し、

まずこれなんです。
上古代といえば、カタカムナ文明。
だけど上古代というのがいつの時代なのかわからないのです。
雰囲気的に上古代は数万年前かそれ以上でしょうか。
大陸とつながっていたときではないでしょうか。
そんな前に日本はないですしね。
いつころ大陸から切り離されたかご存知の方がいらっしゃれば教えてください、
そんな前に人が住んでいたのか、それもわからないですよね。

| mayufuru | 2009/07/28 11:44 | URL | ≫ EDIT

カタカムナについて
http://cocorofeel.exblog.jp/9743591

で、umeさん(やじ馬)情報によると王仁三郎と笹川良一は親戚のようです。曽野綾子、鳩山由紀夫も?
umeさんの元情報はかれかな?
http://antikimchi.seesaa.net/article/48126323.html

| mayufuru | 2009/07/28 11:45 | URL | ≫ EDIT

王仁三郎と笹川良一で検索してみると2チャンネルが出てここでも親戚とありますね、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6309/1150541731/71

笹川良一をたどっていくと、今度は出口王仁三郎が出てくる。
…っていうか、親戚じゃん!(叔父と甥の関係)

>  日本の異端史書や言霊を探っていく場合、出口王仁三郎は避けて通れない。
> そして同時に言霊学の中村孝道も巨大な存在である。で、中村孝道がどのようにして言霊学の
> 巨人になったかというと、孝道の奥さんの兄が皇道神秘主義の巨人だったことが理由らしい。
> つまり孝道は義兄から言霊学の本質を学んだのだ。孝道と同じ師の下で言霊を学んだのが
> 上田吉松である。そしてまた中村孝道の妹ウノは上田世祢(よね=上田吉松の妻)の母である。
> 中村孝道は現在に名を残す言霊学の大家だが、上田吉松もまた中村孝道以上に優れた言霊学者だった。
>
>  上田吉松の長男は上田喜一郎(キ一郎)。三男が喜三郎(キ三郎)。長男・喜一郎の子供が
日本財団の笹川良一。そして三男・喜三郎は出口家の養子となり出口王仁三郎となった。

| mayufuru | 2009/07/28 11:46 | URL | ≫ EDIT

大日本皇道立教会(現創価)を作った牧口常三郎(王仁三郎の腹違いの兄弟)には双子の兄弟がいます。落合莞爾氏のレポートの中でX氏として出てきます。彼はこの名前を明らかに出来ません。おそらくそれが・・・・・。私はそのように思いますが。

| mayo | 2009/07/28 12:57 | URL | ≫ EDIT

マヨさん、そうか、X氏かもですね。

| mayufuru | 2009/07/28 14:31 | URL | ≫ EDIT

岡本天明

昭和19年
4月18日:フーチ(扶)[2]の実演会の審神者兼司会役を務める。この際出てきた神名が「天之日月神」。後日、麻賀多神社の末社の神と判明。
6月10日:天之日津久神社に参拝した折に自動書記現象がおきる。(日月神示「上つ巻」第一帖・第二帖を書記する)
昭和21年:千葉県印旛郡公津村台方に移り住む。
昭和22年:日月神示に共鳴した人々により宗教法人「ひかり教会」設立。
昭和24年:ひかり教会会長となる。天明の先妻である佳代子が死去。
昭和25年:三典と再婚。
昭和28年:岐阜に移る。
昭和30年:至恩郷(三重県菰野町)に移る。
昭和34年:初めてのクレパス画展を開く 東京(7月)・大阪(8月)・ニューヨーク(11月)[3]
昭和36年:最後の自動書記現象。
昭和38年4月7日:死去。

| mayufuru | 2009/07/28 14:31 | URL | ≫ EDIT

岡本天明のフーチ(扶)は道院・世界紅卍字会のフーチなんでしょうか。
協会の新受信者のブログ名、HNはこの「ひかり教会」のひかりをとっているんでしょうね。
天明の先妻は何故、早死にしたのでしょう?
翌年三典と再婚とありますが、早すぎますね。
このあと岐阜に移り、岐阜での大病とは?
三典さんの影響が強そうに感じます。
天明のテンとくっつけて三を意識してつけた名前なんでしょう。

三典さんってどんな人なんだろうと検索したら先月6月23日に亡くなられていました。
太田龍さんは5月19日に亡くなられているし、変わり目なのかもですね。

| mayufuru | 2009/07/28 14:35 | URL | ≫ EDIT

>道院が正式に設立されたのは1920年だが、すでに1916年頃から、山東省北部の浜県の県知事・呉福林が、同志達とともに役所に神壇を設け、中国に数千年の古来から伝わる自動書記法「フーチ」を用いて、神示を受けていた。

「フーチ」も自動書記になるんですね。

道院が正式に設立された翌年の1921年に第一次大本事件。

| mayufuru | 2009/07/28 14:37 | URL | ≫ EDIT

Skyさん

>「上古代の日本の地にアシア族という、高度の文明を持つ種族が存在し、「八鏡の文字」を創り、特殊の鉄をはじめ、さまざまの生活技法を開発していたこと、そして後代の哲学、医薬(易の思想や素文霊枢、漢方等)は、その文化の流れの中に展開したものである」

これはどこかのサイトにありますか?

| mayufuru | 2009/07/28 20:42 | URL | ≫ EDIT

>「上古代の日本の地にアシア族という、高度の文明を持つ種族が存在し、「八鏡の文字」を創り、特殊の鉄をはじめ、さまざまの生活技法を開発していたこと、そして後代の哲学、医薬(易の思想や素文霊枢、漢方等)は、その文化の流れの中に展開したものである」

これはどこかのサイトにありますか?

まゆみさん、うかつでした。URL貼りませんでしたね。申し訳ありません。
お気に入りに登録しておいたはずなのですが、該当ページが見当たらないのです。消えてしまった。探しておきます。



| Sky | 2009/07/28 23:47 | URL | ≫ EDIT

>古代といえば、カタカムナ文明。
だけど上古代というのがいつの時代なのかわからないのです。
雰囲気的に上古代は数万年前かそれ以上でしょうか。
大陸とつながっていたときではないでしょうか。

上記URLの中で、蘆有三は、中国の古書の話からカタカムナ文明の話をした・・・そんな流れだったはずです。
始皇帝がいわゆる「不老不死の薬」を求めて日本へ大量に人を送り込んだのも、カタカムナ文明の医薬を求めたのではないか・・・という考えが書かれていたはずです。

上記URLとは違いますが、参考まで。(以下転載)
中国文献においては『論衡』異虚篇第18・恢国篇第58の記事に「倭人」が見えている。同書では倭人が周王へ暢草(薬草)を献上したと記述しており、これは紀元前11世紀頃のことと考えられている。当時、日本列島は縄文時代後期であり、この頃から日本列島と中国との通交が始まったとする見解もあるが、『論衡』の成立が1世紀であるため、同書に依拠することに慎重な見解もある。
http://search.searchina.ne.jp/wiki/?%E5%80%AD

| Sky | 2009/07/29 00:00 | URL | ≫ EDIT

おはようございます。
スペラントといえばラテン語をベースに新たな共通言語を作る試みだったと認識しています。

この考え方(共通言語を作る)でいくと日本語もエスペラントみたいなものじゃないですか?
だって音読みと訓読みがあって古代中国語とアイヌのような縄文人の言葉を融合させたものと考えると腑に落ちます。
これを発展させて話し言葉(ひらがな)と書き言葉(漢字+カタカナ)を使い分けたのも多民族国家ならではの知恵だと思います。

| 774 | 2009/07/29 08:49 | URL | ≫ EDIT

Skyさん

>上記URLの中で、蘆有三は、中国の古書の話からカタカムナ文明の話をした・・・そんな流れだったはずです。

ということは楢崎さんは蘆有三からすでにカタカムナ文明の話を聞いていたことになるんですね。ふ~む。

>始皇帝がいわゆる「不老不死の薬」を求めて日本へ大量に人を送り込んだのも、カタカムナ文明の医薬を求めたのではないか・・・という考えが書かれていたはずです。

えっ、そうなんですか。

これ、後ほど記事にしてみましょう。

| mayufuru | 2009/07/29 13:36 | URL | ≫ EDIT

774さん、確かにそうともいえますよね。ヘブライ語も混じってますしね。
エスペラントってエンペラーと似てますね。

| mayufuru | 2009/07/29 13:37 | URL | ≫ EDIT















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