「京都」の意味がようやくわかった。古代中国では首都のことを「京都」と呼んでいた
長いこと考え中だった
「京都」の意味がようやくわかった。
しかも「呉服」の意味までわかって嬉しい。
2010年に「京・都」という記事を書いた。
日本には京都がある。
そして東の東京都、真ん中の中京。
日本の成り立ちを歴史的に考えれば
京都の名前は中国から来ていると考えるのが普通。
(疑似伝統儀式シリーズでも書いたように、
皇室行事だって明治からの新設。
宮中三殿も明治から。
即位式や大嘗祭に使用された装束も
平安時代以来の伝統的な衣装だと言われているけれど、
これも嘘。
幕末までは唐服だった)
中国には北京、南京、西京がある。
中国の東京は聞かない
中心となる京都は何処にあるのかわからなかった。
この記事を書くにあたって東京を調べるとあった。
東京開封府(とうけいかいほうふ)は現在の河南省開封市で、
現在でも雅称として開封を「東京」と呼ぶことがあるとのこと。
着物の原型も中国だとわかっていたけれど、
「呉服」の意味が「呉の国の服装」だったとは!
ようやく「京都」に出会えた。
宋 文洲@sohbunshu
ここ日本ではない、中国無錫だ
呉国(孫権の国)の服と風景を再現した
日本の呉服とは呉の国の服装なのだ
blue@japanese1119
中国の歴史と文化は素晴らしいと思いますよ。それを否定するつもりはありません。ただ、その素晴らしさを共産党が台無しにしてるのは勿体ないですね。
宋 文洲@sohbunshu
日本が過去の中国文化を保存してくれたところが多いです。日本に感謝するところです
u-d@ud86472030
長安は京都にあり
ってやつでしょうか
でもほとんどの日本人は、それを意識していないかと
私も最近までそんな輩でした
宋 文洲@sohbunshu
古代の中国では、首都のことを「京都」と言っていました
日本の京都は唐の首都だった長安の街を真似て更地に作った新しい街でした。元の名前がないためそのまま京都と呼ぶようにしたのです
中国人には妙な感じですが、それも京都の街の個性になっています
>日本が過去の中国文化を保存してくれたところが多いです。日本に感謝するところです
消滅した文化が他国で生きている。
こういうことってあちこちでみられることだけど、
日本は特に多いような気がする、
古代中国では、首都のことを「京都」と呼んでいた。日本の京都は唐の首都だった長安の街を真似て更地に作った新しい街だった。元の名前がないためそのまま京都と呼ぶようにした。
21時33分追記
宋さんのツイートに新しいコメントが入ってた。
ぽんこつ革命@boke1213
これは本当。
平安京で右京区を長安、左京区を洛陽と呼んでいた。
後に左京区が繁栄し右京区が衰退した為に洛陽が都の代名詞となった。
洛中洛外図などの「洛」とは洛陽のこと。
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| 歴史/古代史 | 13:00 | comments:7 | trackbacks(-) | TOP↑
和服ではなく呉服、時代劇でも「呉服」問屋の悪代官
古文書はほとんど漢文、朝貢政府はさまざまなものを奪っていったが、
やむなく受け入れていただろう。
寛容すぎて絶滅するだろう。
| | 2023/05/12 14:03 | URL |