資料:「過去千年にわたる人々とユダヤ人の関係に関する短い歴史の流れ」
「古代史のマトリックス」から考えれば、
ヘブライ語だって新しい言語。
それで考えれば、ユダヤの歴史だって
全然違ってくるかもしれない。
それでも聖書は物語として面白い。
一応資料としてね。
J Sato@j_sato
アシュケナージ系ユダヤ人って、ヨーロッパ中で追放されてきたんだね…
https://en.wikipedia.org/wiki/Expulsion
猫月🐈@mika7_1
https://twitter.com/mika7_1/status/1724377628713587053
【和訳】過去千年にわたるユダヤ人の歴史的旅
*過去千年にわたる人々とユダヤ人の関係に関する短い歴史の流れ*
1080 – フランスから追放。
1098 – チェコ共和国から追放。
1113年 - キエフ大公国(ウラジーミル・モノマフ)から追放。
1113 – キエフでのユダヤ人の虐殺。
1147 – フランスから追放。
1171 – イタリアから追放。
1188 – イングランドから追放。
1198 – イングランドから追放。
1290 – イングランドから追放。
1298年 - スイスから追放(ユダヤ人100名が絞首刑)。
1306年 – フランスから追放(3,000人が生きたまま焼かれる)。
1360 – ハンガリーから追放。
1391年 - スペインから追放(3万人が処刑、5,000人が生きたまま焼かれる)。
1394 – フランスから追放。
1407 – ポーランドから追放。
1492 – スペインから追放(ユダヤ人の入国を永久に禁止する法律)。
1492 – シチリアから追放。
1495年 - リトアニアとキエフから追放。
1496年 – ポルトガルから追放。
1510 – イングランドから追放。
1516 – ポルトガルから追放。
1516年 - シチリアの法律により、ユダヤ人はゲットーにのみ住むことが許可されました。
1541年 – オーストリアから追放。
1555 – ポルトガルから追放。
1555年 - ユダヤ人がゲットーにのみ住むことを許可する法律がローマで公布された。
1567 – イタリアから追放。
1570年 – ドイツ(ブランデンブルク)から追放。
1580 – ノヴゴロドから追放(イワン雷帝)。
1592 – フランスから追放。
1616 – スイスから追放。
1629年 – スペインとポルトガルから追放(フェリペ4世)。
1634 – スイスから追放。
1655 – スイスから追放。
1660 – キエフから追放。
1701年 – スイスからの完全追放(フェリペ5世勅令)。
1806年 - ナポレオンの最後通牒。バダルジャ。
1828 – キエフから追放。
1933 – ドイツからの追放と大量虐殺。
*この短い歴史の流れ👆は、過去千年間の民族とユダヤ人の関係に関連しており、その中で、ユダヤ人を容認したイスラム民族を除いて、世界のすべての民族がユダヤ人を容認し、彼らの悪を許容していたわけではないことがわかります。そして彼らは決して追放されませんでした*
*それはイスラムの人々からの報酬でした*
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*1948 年 5 月 14 日、イスラム教徒のパレスチナの土地にイスラエル国家が設立されました。
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| 歴史/古代史 | 23:25 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑
こんにちは。
ユダヤ人は全員、カインの血脈の人達なのかも、と漠然と昔から考えていました。
神に、流浪する様に印を付けられた訳だから、嫌われて、何処に行っても追い出される様に運命付けられてるんだ、と。
まともに旧約を読まなかったので、イブの産んだ子はカインと、殺されたアベルだけとずっと思っていたので、三人目(ノアに繋がる血脈)がいた事を最近まで知らず。
それまでノアは、頭の中にハテナが浮かびながらもぼんやりとアベルの血脈だと思い込んでいましたよ。トホホ。
イブの産んだ子の気質が、人種の違いの元になったのか、とようやく氣付いた次第です。
それにしても、彼らは3や3の倍数大好きですね。
| いちる | 2023/11/19 10:49 | URL | ≫ EDIT