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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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習近平


資料としてアップしておきます。

NR @中国広州、下町グルメ@NR_Guangzhou

文化大革命では習近平も滅茶苦茶な目に遭っている。1953年生まれの習近平、1966年の文化大革命で中学校が解散、中一で義務教育が強制終了。しかも八代元老だった父親は毛沢東に批判され、反党集団として党内外の全職務を解任され、その後、毛沢東が死去してから2年後の1978年まで、16年間も拘束されていた。

習近平自身も紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、4度も監獄に放り込まれている。その後15歳から7年間、ド田舎である陝西省延安市延川県の農村に下放される。ここで生産大隊に入り、横穴式住居のヤオトンで暮らし、村民と食住を共にし、土手を築き、糞便を運び、道路を建設し、メタンガスを利用する設備を作るなど厳しい仕事を体験したらしい。元々北京の超エリート子女のシティボーイだったのに、凄いトラウマになっただろうな。本心はきっと毛沢東大嫌いなのでは。

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習近平の父親である習仲勲、文化大革命という形で毛沢東が仕掛けた政治闘争の被害者で、1967年にはこの様に引きずり出される場面も。しかし、毛沢東死後2年たった1978年には見事復活、広東省委第二書記として再び仕事を始め、翌1979年には広東省長を兼任とスピード出世。1980年には広州軍区第一政務委員となり、広東省の党、政、軍の中心人物となった。党中央工作会議で税制面で経済特区構想を提起し、その後、深圳市は1980年5月に正式に経済特区として承認された。  

深圳経済特区と言えば当時の最高指導者鄧小平のイメージでしたが、省長だった習仲勲の働きもあったんですね。

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kn1986riao@kn1986riao

習仲勲は、少数民族に対して、穏健な立場をとっていたようだ。新疆ウイグル自治区は最初は、「新疆自治区」となるかもしれなかった。「新疆ウイグル自治区」という名前になったのは、習仲勲の働きかけの結果である。



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