<追記> 世界のみえかた


今日も暇なので、また三回目の更新
このまえ撮った写真(上)から思い出した世界の見えかた
(26日の写真とはまた別の写真だけど)
当時、高速バスに時々乗る機会があって
そのとき感じた世界の見えかたをノートに書いたものを載せてみます。
【閃きノート1989年から】
車内が内側の世界
車外が外側の世界
・外の世界に光があるとき(太陽がある日中)
ガラスが二つの世界を隔てているけれど
外側の世界はまるでここにあるかのようによく見える
ガラスに内側の世界が映って重複して見える
世界がまるで三つあるかのように
・外の世界に光がないとき(太陽が沈んだ夜)
外の世界は何もみえない
明かりが点いているいる場所だけぼんやりみえる
内側の世界が車内の照明でガラスに映っていて
まるで外側の世界のようにみえる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、
上手く表現できないけどこんな感じです。
世界は重なっている。
内側の世界と外側の世界を
反対にしたり、
あるいは
相対界と絶対界
あの世とこの世
内面と外面
・・・・・・
いろいろに置き換えてみると面白いですよ。
今はどんなふうにみえてるの?って訊かれそう。
またいつか書こうかな。
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- <追記> 世界のみえかた
| ノート | 18:02 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑
私も同じ頃、夜、電車に乗っていて、似たようなことを思いました。
夜走っている電車の中で、人々が向かい合わせになって、いろいろとしゃべっている。
みんな自分のことに夢中で、電車がどこへ向かっているか、とか、外の風景、とかには思いもはせない。
世間というものはそんなものではないかと思いました。
つまり、世間を見るとは、外を見ているようで、実は中を向いているだけ。
世間が中なのであり、心の中こそがむしろ本当の外である、というか。
本当に外を見ている人は、ただ黙って外を見ている。
もううろ覚えなのですが、こんな感じのことをふと思いました。
で、「洞窟の比喩」になぞらえて、「電車の比喩」なんて言ってました。
| ふう | 2007/01/30 20:23 | URL | ≫ EDIT