PREV | PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

善と悪


snap_cocorofeel_20106211575.jpg


絶対的な善、悪は存在しない。
存在するとしたらそれを考えているその人自身の頭の中だけ。
断片的思考。


98年に書いた悪(HPに掲載)
メッセージNo.3(1998年1月5日)

悪?
これもかなり以前に、台所で野菜を煮ているときにパッと浮かんだのですが、普段、皆が
使用している悪という言葉は、野菜を煮る時に出てくるアクのようなもので、本来は同じ
ところから出てきている。料理ではアク抜きということをしますが、アクも摂り方によっ
ては、体にとっていいものだと思います。
"野菜を煮ている時 (火・空気・水) " と "宇宙の源からの顕われのようなもの" の映像
が私には同じようなものに見えるのです。



これで考えると、体にいいもの=健康=善になります。
そうすると偶然にもつい先日、善=全だと思うと書きましたよね。
するとボームの「全体=健康」につながりますね。


直感人間の私にもようやく「善」の意味がくっきりと見えてきたように思います。




関連記事

| ノート | 15:57 | comments:24 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

わたしは、人間には全体をツカメナイと考えて意増す。
(でも、教えとしての部分と全体は、知っています。日蓮の話になるので割愛します。)

全体=健康
コノみかた、おもしろい!
心身の健康
社会の健康
国家の健康
世界の健康
地球の健康
太陽系の健康
銀河系の健康
小宇宙の健康
大宇宙の健康
ソウ宇宙の健康

しかし、何一つも、全体の事は分かっていない。

| あかとんぼ | 2010/07/06 17:06 | URL | ≫ EDIT

善・悪

善は、口が付いて
悪は、心
バラバラにすれば亜心 ??

| ニャンヤス | 2010/07/06 17:47 | URL | ≫ EDIT

細分化の極致である素粒子の世界だって、次々と新たなミチの局面が登場シテクル。
今、LHCで実験が進められていますが、コノ実験に警鐘を鳴らしている科学者グループもいます。

どこまで、実験手段を遂行シテイイのか、ドチラ側も分かってイナイ。実験レベルを上げ過ぎると本当に、地球天体の危機につながる鴨知れない。
わたしは、極小粒子?の観測は不可能だとおもう。
唯一観測出来るためには、観測者が観測対象と同体、同じセカイに同体化出来れば可能だと思うが、アリエナイ。

| あかとんぼ | 2010/07/06 17:53 | URL | ≫ EDIT

全体像は、日々更新されてイル。

人間は、所詮、学習者に過ぎず、学習者にココマデが全体ナンテ決められナイ。

| あかとんぼ | 2010/07/06 18:01 | URL | ≫ EDIT

善と悪ではありませんが、写真を載せた記事でご自身の内面を語られてましたよね。感性の鋭い自身とその反対のにぶい自身のことずーと考えてたんですが、後者の自分がもの凄く前者を支えているんだな~と思えました。そうでなかったら多分まゆみさんの魅力は少ないのではと。善も悪も相対的なものじゃないかな?他の諸々の事です。好き勝手に書いてごめんなさい。

| はんなりと | 2010/07/06 19:09 | URL | ≫ EDIT

『悪』の上側の部分と『王』の違い。

日と目の違い。日→月(一→二)と月→日の違い(二→一) 

目と言う漢字は漢字自体がピラミッド最上部の一つ目を示す。

王=天と地をつなぐ者(十)。 真(芯)の王と偽の王。

スイス国旗 
ja.wikipedia.org/wiki/スイスの国旗 
赤十字の標章
ja.wikipedia.org/wiki/赤十字社

□と・の違い。 悪と『空く』は同じ。 魔(異系)は隙間に忍び込む。

善も悪も相対的などというのは人間レベルで実感できるものではありません。
実感のない概念など説明の為の理屈がどれだけ精緻であったとしてもただの絵空事でしょう。

| procyon | 2010/07/06 21:26 | URL | ≫ EDIT

私の考える善悪をずっと追っていますが、言葉にして伝えるのは大変難しいです。 今、考えているのは、一般的な対義語、反意語としての表裏の、両端ではない同胞・混在などで考えています。 ん~~~~~。

>絶対的な善、悪は存在しない。
>存在するとしたらそれを考えているその人自身の頭の中だけ。
 
そうなんです。 それをちょっと違った切り口で捉えてみたかったのです。

| chaico | 2010/07/06 23:08 | URL | ≫ EDIT

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2010/07/06 23:14 | |

善悪論。




とは関係あるんだけど多分関係なんてわからないものを。

ドクロマン
http://www.kasi-time.com/item-13518.html

私の中の悪に対する具体的イメージの一つを上手く表現した歌だと思う。

カラオケには殆ど行きませんが、これを歌おうとは思わない。

私も塗ろうかな?

| 珪素 | 2010/07/07 00:44 | URL | ≫ EDIT

善と悪は違う。その2つは混じり合うことはない。

善属から悪属あるいは悪属から善属への転換はあっても『善』が『悪』にあるいは『悪』が『善』になることはない。

悪はどこまで行っても悪であり善はどこまで行っても善。
時と場合によって入れ替わることもない。

ただし今の世の中においては私も含めてまっとうな善悪の識別力がある人間はめったに存在しません。

善(全)人は悪(空く)人を理解できても悪(空く)人は善(全)人を理解できない。

人間はまず善悪の相対云々を言う前に善悪の識別力をつけること(つまり善(全)とは何かを知ること)から始めるべきでしょうね。  

| procyon | 2010/07/07 01:04 | URL | ≫ EDIT

>絶対的な善、悪は存在しない。
存在するとしたらそれを考えているその人自身の頭の中だけ。

私もそう思います。
だれもみな同じ人間だと思います。

| ぽぷら | 2010/07/07 07:58 | URL | ≫ EDIT

色付きの文字<絶対的な善、悪は存在しない。

この絶対的と言う所が、要だと思いますね。

| やす | 2010/07/07 08:00 | URL |

皆さん、コメントありがとうございます。

善と悪についてはまた書いてみたいと思います。

あかとんぼさん、私も人間は全体をつかめないと思います。

珪素さん、何故ドクロなんでしょうね。ドクロより生きた人間のほうがよほど悪的でしょうに。塗り心地の報告お願いします。

| まゆみ | 2010/07/07 11:35 | URL |

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2010/07/07 12:54 | |

赤ちゃんのときは全員同じ土台にいるんですよね。
スタート地点から成長して携わる環境とか色んなものに
影響されて人格が出来上がる、
私たちが「悪」と判断しているものは、
生まれて育ち叩き込まれた教養とかで判断しているものが
多いように思います。小さい頃から絵本とか漫画とかでも
同じテーマに辿り着く“悪いやつをやっつける”
という悪は、はっきり区別されていて、
自分たちを脅かすもの=悪で、それを消し去るもの=善
の構図です。これを刷り込まれてきたと思えるのが、よく
『動物の世界でよくライオンに追われるシマウマ』の
映像が流れたりすると子どものシマウマが追いつかれて
首をがっつり噛まれてる時に、「あぁ~…可哀想に」と
シマウマ側に感情移入していて、ライオンは生きていくため
に当たり前の行動をしているのに無意識に偏りが出来ている。
おおかみと七匹の子山羊の話も
外で見てる人間はこの構図にいつの間にか狼が悪いやつで、最後こらしめられた狼に「めでたしめでたし…」と締め括られる。
今にも狼に食べられそうな子山羊、そこへ人間が登場して、その狼を撃ちのめしたら?
人間にとっては子山羊を襲う狼(悪)を消した=善
狼にとっては自然の摂理で食料を確保しに来たところに
突然自分をしとめにきた人間=悪
子山羊にとっては食べられずに済んだ、という現実が
あるだけですが、絵本になれば子山羊も喜んでる姿で
解釈されると思います。

結局は人間のエゴで善悪を区別しているのだと思います。

| 蛍石 | 2010/07/07 13:29 | URL | ≫ EDIT

真の『善』の理解(に近いもの)というのは人間の場合『中道』を貫くことによってのみ得られます。
(別の言い方をすれば美的感覚が研ぎ澄まされると善の理解に近づく。)

>結局は人間のエゴで善悪を区別しているのだと思います。

全体を意識しない己の自己保存を基準にした部分的で偏った判断。 
善(全)に対して盲目な悪(空く→欠け)そのものですね。

そして人間である以上エゴと無縁ではいられませんから人間は『悪』とは決別できないというわけです。

つまり真の『善』(全)を知ることはできない(知ろうとする努力が出来るだけ)。
したがって私が上で述べた善悪の識別力も完全なものとなることはありません。

| procyon | 2010/07/07 17:50 | URL | ≫ EDIT

蛍石さん

子供が輝いているのは全体性を生きているからでしょうね。今日は出先でそんなことを考えていました。これについてはまた書きますね。

| まゆみ | 2010/07/07 18:32 | URL |

まゆみさん、お返事ありがとうございます
子どもの輝きについての考察、楽しみにしてます☆

procyonさん、私も人間から悪を切り離すことは
どんな人間でも出来ないと確信しています。
すべては感情で善悪を認識しているのだから
善のためにある行いが誰かにとっては悪になることと
その逆も永遠にループして終わらないと思います。

| 蛍石 | 2010/07/08 01:06 | URL | ≫ EDIT

外面的な要素の話ですね。
そもそも悪を排除している時点で善なんてものはあり得ませんし。
必要悪やら偽善者と言った分類が無いんでしょうね。
だから善であり悪であるだとか悪が善になると言う現象を認識できずにどう考えても矛盾した善悪感情に基づいて行動する。
善悪基準ではなく好悪基準の方がよっぽどまとも。

そんな内面的な話はともかく、悪人顔が少ないですね。と言うのが歌の話。
私の解釈と歌い手側の解釈が同じだと言う補償はありませんが。

| 珪素 | 2010/07/08 19:09 | URL | ≫ EDIT

善と悪というのは、全体をみる一つの視点に過ぎない。

三大価値に真善美がアリマスが、わたしの場合、アル宗教団体の影響で利善美の価値観で育まれた。わたしがカンじた印象として、真理ソレ自体には動きがナイ、真理を利してコソ価値が生じると。

真理というのは難しい概念デス。未だに、わたしナンカ分かって意真繊。
全体を視る大きな視点として真善美があり、善悪はソノ一つ。

美醜にシタッテ、絶対的なモノって有るのだろうか。上には上がアリ、下には下がアルというものだとおもう。

ここで、まゆみサンが
全体=健康
とした事だ。

今の動きは、二極化を推し進めヨウトして鱒が、全体とは、相反スルものが一体と成りながら、健康でアル、

健康とは、どういう状態をさすのか、ヨク考えよ!というメッセージに受け酉ましたネ。

| あかとんぼ | 2010/07/08 20:06 | URL | ≫ EDIT

あかとんぼさん

全体=健康はボームです。
私が閃いたのは、善=全です。


| まゆみ | 2010/07/08 20:13 | URL |

全体=健康
の方が大きい視野に
感じます

かしこ

| あかとんぼ | 2010/07/08 20:28 | URL | ≫ EDIT

あかとんぼさん

もちろんそうですね。

| まゆみ | 2010/07/08 20:32 | URL |

一般に人間が考えているような善は善ではありません。
ただ悪については善について不完全な認識しか持てない人間の限定された視野ですら
わかるような悪もあります。

例えば命をないがしろにしたりもてあそんだりする行為がそれです。 

必要悪も一皮むけばエゴを基準にしたものがほとんどでしょう。そして己の立ち位置を偽る『偽善』は全体を混乱させますから悪そのものです。

善であり悪であるということはありません。
そのような混乱が表面的にあるとしてもそれは人間の限定された視野では識別できないというだけの話です。
つまり善(全)について認識できないからこそ起こる現象です。

『全体』は『欠け』によって代替されることはなく悪(空く)と善(全)は異なります。
「空く」である悪が善(全)とされたり「全」である善が悪(空く)とされることは
いついかなる時もありません。

ただし全体は常に動いてますので善(全)の細かい具体的な中身は全体が変容した結果、昨日の『善』(善属)が今日の『善』(善属)でないということ(善属→悪属)はあるのでしょう。善(全)の基本的な部分は変わりませんが。

可変的な部分について慣習的外的な基準で杓子定規に善悪を判断するとおかしなことになるのでしょうね。  

| procyon | 2010/07/08 20:49 | URL | ≫ EDIT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT