人類全体のためにすること

マウス画
梶川泰司さんの今日の記事『ノウハウ』を
是非、読んでみてください。
梶川さんのブログを読むと感じることが大きくて
というか、完璧さに包まれてしまうので
だから下手なことは書けないし
しばし放心状態になり何か書こうという気がしなくなる。
私には昔から世界を体現している感覚があるので
私という個を離れて自然に任せて行動したり書くことがしばしばです。
もちろん自己表現のためにも書きますが
書かされている感覚のほうが強い。
しかし梶川さんのブログを読むたびに
もうそろそろ別の展開に移るべきなんじゃないかと
日々考えさせられるのです。
余計なことばかり無駄なことばかり
書いているような気がしてならないのです。
言葉をかなり大切にしているつもりなんですが
言葉の力が強いとよく言われるので、
私こそもっと大切にしなければいけないんだと思うのです。
みつめている主体 その9でアップしたボームのこの言葉を覚えてますか?
ボーム「個人の救済は現実にはたいした意味がありません。先に指摘したように、人類の意識は一つであり、本当に分割できるものではありませんからね。個人はそれぞれある責任を持っていますが、それは個人的に”責めを負う能力”(アンソラビリティ)とか罪とかいった意味ではありません。本当は人類全体のためにすること以外は何一つないという意味です。それ以外に出口はないということです。人類全体のためにすること、それこそが絶対にするべきことで、他のことは何の意味もない。」
人類全体のためにすること以外は何一つない、
人類全体のためにすること、
森さんともちらっと話したのですが
梶川さんがされていることはまさしくこれなんですよね。
もちろん、フラーもボームも。
これを意識して行動しなければ
何のためにボーム、フラー、梶川さんとの出会いがあるのか
意味がないと思うのです。
<追伸>
これより先行して考えていることがあって
ボーム、フラー、梶川さんとの出会いを生かして
何か新しいことを展開したいと思ってます。
内地に戻ってからです。
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| | 2010/09/14 19:46 | |