共有と目的

マウス画
梶川泰司さんの『犬のしっぽブログ』より二つ転載します。
『ネットワーク』
情報を共有しても
情報共有を目的化すると
事実は稀にしか生まれない。
思考と言葉と行動が調和しているとき、
ネットワークは不要だ。
それ自体が外部を形成する
最小限のネットワークだから。
そして、
外部を形成するためには
つねに移動しなければならない。
以上、転載終わり
>情報を共有しても
情報共有を目的化すると
事実は稀にしか生まれない。
これは発信する側も受け取る側も叩き込んでおくべきでしょうね。
話はずれますが、
知り合いの弁護士がよく言っていたことですが
市民運動の本来の目的は無茶な計画を中止させすることなのに
運動好きタイプの人達は運動することが目的なっていると。
だから運動のやり方ばかりに目が行き、内部で揉め事ばかり起きて分裂する。
その間にも相手の計画はどんどん進み、結局、中止させることはできなくなると。
『無為自然』では
『21世紀のエコロジー運動の主要な戦略』が書かれてありますが、
民衆は映画を観させられているのがよくわかります。
この箇所が特に好きなのでここだけ転載しておきます。
『物理的なシナジーによるdoing more with lessの極限が
非物質化するdoing everything with nothingであり、
ついに「無為自然」に到達するならば、
テクノロジーは先験的に自然に内在するだろう。』
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| | 2011/01/23 16:34 | |