「ダイマクション」

マウス画
梶川泰司さんの「犬のしっぽブログ」より転載します。
無為自然ーーダイマクション・デザイン(続1)
<無から有を作る>人々は
ロンドンかウォール街に住んでいる。
生命はデジタル貨幣のように
どこからも湧いてこなかった。
<無から有を作る>哲学的飛躍は
科学的思考ではなかったからだ。
ーーーーーーーーdoing more with less
の物質的極限が
ーーーーーーーーdoing everything with nothing
ならば、
人為的な行為を排し
宇宙の原理に従って
自然のままである
<無為自然>こそが
テクノロジーの極限である。
「宇宙はテクノロジーである」
この言葉と共に、
R.B.フラーの「ダイマクション」は
今もひろく誤解されている。
無為自然ーーダイマクション・デザイン(続2)
彼が定義するダイマクションとは、
Dymaxion(=Dynamic and Maximum output with Minimum input)
であり、
doing more with less
を言い換えた概念である。
ダイマクション・デザインは、
酸素との燃焼作用がまったく関与しない方法を発明しないで
二酸化炭素増加に反対するエコロジーや
より少ない排ガスや燃費を劇的に改善する
炭素ビジネス用エコロジーとは無縁である。
ーーーーーー煙突のない原子力エコロジーも
地下資源という有限な資源に左右される。
しかも核廃棄物は再生利用できないから、
再び地下に戻しているのは太陽とは異なる。
転載終わり
私が思うダイマクションとは、
一言でいえば、夢のような生活を送れることだと思ってます。
自由度の高い生活。
自然災害が多発する今の世界ですぐに役に立つもの。
ホームレスは存在しなくなります。
誰も犠牲にならない。
大きな問題が解決します。
いま「新燃岳」が噴火していますがこういうときに
ダイマクション・ハウスがあればいいのにな、とよく考えます。
最近ある事例を知る機会があって
フラーの「ダイマクション」はまったく誤解されていると思いました。
ほとんど立ち止まりながら少しずつ「宇宙エコロジー」を読んでいますが
フラーが人類の宝物を提示してくれているのに
誰もそれを受け取ろうとしないようで、悲しくなってしまいます。
これこそ目の前の贈りものです。
『最少のエネルギーで最大の効率を引き出す』
人として生まれたならこんな生き方をしたいですね。
というか、誰もができるはずです。
これは誰も犠牲にならず、環境を損なわず、再生・持続可能な世界につながります。
「宇宙エコロジー」を読んでそう思いました。
エコロジーとは昔の生活に戻ることではないですよね。
皆さんはエコロジーをどう考えますか?
私は「配慮」じゃないかと思います。
自然の配慮、人間の配慮、神の配慮というふうに考えます。
「人間をある程度犠牲にしてでも環境を守る」という
ディープエコロジーという言葉があるようですが
宇宙エコロジーを読んでいるので、犠牲にならずに環境を守れます、と言いたい。
(本当は守るという言葉は好きではありませんが、文面上そうしました。)
「宇宙はテクノロジーである」そして「物理的宇宙は、それ自体がすべてのテクノロジーを生み出している。」このフラーの確信によって、あらゆるエネルギーの無料化を達成できるテクノロジーを支配する世界権力機構が科学者フラーを徹底的に孤立させた。なぜなら、すでに発見された宇宙のテクノロジーに依存すれば、「個人が必要とする(もの)はすべて、すでに支給されている」という事実が露わになるからである。 (宇宙エコロジー バックミンスター・フラー+梶川泰司=著 18、19ページ 平均的な革命 梶川泰司)
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| | 2011/01/30 00:19 | |