「ミ」 その2

「ミ」
昨夜、就寝前にちょっと考えてみた。
カタカムナのことがよく判っていないなりに
カタカムナに沿いながら感受したことを書いていきますので
そのつもりで読んでみてください。
「身を裂かれる思い」という言葉。
この言葉がふと意識に浮上した直後に、
カムナとアマナが裂かれるイメージを感じました。
次に「身を切られる」という言葉が浮かんだとき、
あ~、これもカムナとアマナが引き裂かれることなんだ、と思ったのです。
まるで、カムナとアマナは
切っても切り離せない永遠のパートナーのようです。
そして今度は「心を裂かれる思い」の言葉が浮上しました。
言葉は違えども、これも身体と心という切り離せない関係だと思う。
そう考えると、「ミ」は身体であり心であり魂であると思うのです。
身体と心と魂で、昨日書いた三つになりましたね。
「実」、「実る」
昨日も書いたように、「ミ」はやっぱり、創造につながる。
果物が実をつける、稲穂が実る、の言葉のように
イノチのハタラキを潜象界から現象界に生み出している
見えない世界のハタラキを見えるようにしてくれている
それがカムナとアマナの存在、ハタラキなんだ、と思いました。
「見る」
見るということは、見るものと見られるものが同時に其処に在る。
いつもそう思っている。
ここにもカムナとアマナの存在を感じます。
そして、見ることは意識と関係がある。
ということは、
意識はカムナとアマナをつなげる
重要な役目、キューピット役をしてるんじゃないだろうか。
見間違いをするということは、
カムナとアマナをつなげる意識がまともなハタラキをしていないから
見間違いが起きるんじゃないだろうか。
カムナとアマナ、
この永遠のパートナーを切り離さないようにするためには
個々の意識を、身体と心と魂の精度を
上げることが大切になってくるんじゃないだろうか。
じゃあ、どうやって精度を高めればいいの?
ここにカタカムナの教えが登場するんでしょうね。
永遠のパートナーであるカムナとアマナが
今の時代、本当にどれだけの人に存在しているのだろう。
不在の人のほうが圧倒的に多いんだろうなぁ…。
「身を裂かれる思い」「身を切られる思い」「心を裂かれる思い」
これらをイメージしていたら、なにか深い痛みのようなものを感じてきました。
この深い痛みはもしかしてカミの痛みなんじゃないだろうか。
それこそカミこそが、世界で一番身を切られる思いで
今の人間や世界をみているのかも知れない。
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| カタカムナ | 20:32 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑
そうだな。アマナの生みの親が日の大神で、カムナの生みの親がみろくの大神で、わたしたちのミの中ので彼らが出会ってるとしたら、人間の中では「近くにいてもはぐれている」という感じだろうね。
| ヒオキ | 2007/11/19 20:46 | URL | ≫ EDIT