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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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まぼろしの諏訪王朝 7 (御室の原型は縄文の女神の座)


まぼろしの諏訪王朝」より書き写し

まぼろしの諏訪王朝

御室は縄文式竪穴 303p~

ミムロとはそもそも神の座をいう。女が巫(かんなぎ)であった縄文時代は、竪穴のイロリの奥が神座であった。人びとが穴ぐら生活から脱してからは、竪穴には神座だけが残り、司祭者は男巫(さにわ)へと変わるのである。

前宮におけるモリヤ御室は、その構造までくわしいが、要するに半地下の竪穴構造で、縄文の神座をまっすぐに伝えたものといえる。ところでお室入りもおよそ百日間だが、その内実はタケイ御室とまったく異なり、古代へさかのぼるほど異様をみせるのである。その祈りの本質とはなんであろうか。

御室の主であるモリヤは12月22日、現人神である大祝を御室に迎え入れ、3月の酉の祭りまで神事がつづけられた。半地下のその陰湿な穴ぐらで向かい合うは童男の大祝とモリヤ神長。両者の周りにはカヤ製の五丈五尺(約17メートル)の大蛇がとぐろを巻く。さらに二の御体、三の御体と呼ばれる構造蛇体に囲まれて、モリヤは一子相伝の呪文を唱えつつ神託を伝えていく。それは、「外人に聞かしめず」とある秘事であったのだが、諏訪祭政の大事が、神うつりしたモリヤの口から次々に述べられたことは間違いない。

全氏子にかかわる大事は、春三月の酉祭(とりのまつり)の御頭祭の決定であった。神の告げが下った郷村には早馬がとぶ。村々ではそれを栄誉として村境いにミシャグジをまつり、村内のけがれを払いつつ祭りの準備にかかったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

酉祭りは近世におよんで農耕儀礼の装いをみせているが、この伝承される生々しい風習のなかにこそモリヤ御室の本質がある。それはミシャグジと習合しているものの、北方シャーマンの流れだ。本来的なシャーマニズムは生贄の血を捧げるものであり、この人身御供の祭りごとは、諏訪にのみ残った風習だといわれる。

神と人との誓の場

ところで縄文の神まつりをそのままに、終始秘事の形をとる御室の神事とはいったい何か。それは律令以前にさかのぼる。神の名における租税の宣言(のりごと)であった。要するに神と人との誓の成立である。そのため神使たちは郷村をめぐって御杖の宝鈴を鳴らしつつ神意を伝えた。村々の頭役たちはその清音をかしこみ聞いて、貢税のたしかな誓約をしたのである。

諏訪信仰の奥深さ

年頭の筒粥占いに始まり、春秋の遷座を中心として、秋の御射山祭にいたる下社祭りは、一貫した農耕神事であり、タケイ御室も風鎮めの祭りとしてすでにそのワク内に組み込まれていた。その点前宮御室はきわだつ違いがあるが、その特質は前宮の司祭権をにぎったモリヤ神祇そのもののなかに求められるべきであろう。ともあれ今や各地に御室信仰の影もないなかで、滅びたりとはいえ諏訪のみがこの国の御室祭祀の在りようを伝えている。改めて諏訪信仰の底深さを思うのである。

御射山こそ信仰の本源」につづく



>ミムロとはそもそも神の座をいう。女が巫(かんなぎ)であった縄文時代は、竪穴のイロリの奥が神座であった。人びとが穴ぐら生活から脱してからは、竪穴には神座だけが残り、司祭者は男巫(さにわ)へと変わるのである。

この部分を読んですぐ映像が浮かんで衝撃的でした。
縄文時代のミムロ(神の座)は間違いなく女性でしょう。
女神の時代です。

それがいつの間にか男性に変わってしまった。
平和だった女神の時代、母権から父権へ。
いわゆる乗っ取りでしょうね。

>モリヤは一子相伝の呪文を唱えつつ神託を伝えていく。

読んですぐ、これが祝詞の原型だと直感しました。

大祝(おおほうり)、祝(ほうり)

祝詞の祝です。
祝詞とは本来大祝(おおほうり)の言葉なんじゃないでしょうか。

ほうりをほふり、ほふると発音すれば「フル」です。

私が祝詞と縁があるのはこれも理由の一つでしょうか。

漢字を充てれば「屠り」になります。
まさしく御室。
ハレとケ。

これが大嘗祭の原型じゃないでしょうか。

>春秋の遷座

時間がなくてまだ報告していませんが
秋の遷座が私がみたお舟祭りのことです。
春宮から秋宮へ神さまを遷すお舟祭り。
これが本来の祭りの姿。
また改めて報告します。

御室社のすぐそばに大祝の職に就く時に
極めて重要で神秘な儀式が行なわれた鶏冠社があるそうです。
天皇の鳥につながりそうです。



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| 未分類 | 22:59 | comments:13 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

最後の部分が重複してないですか?

まゆみさん、こんばんは。

以下、重複してるようです。

>また改めて報告します。御室社のすぐそばに大祝の職に就く時に
>極めて重要で神秘な儀式が行なわれた鶏冠社があるそうです。
>天皇とは何ですかの鳥につながりそうです。

>御室社のすぐそばに大祝の職に就く時に
>極めて重要で神秘な儀式が行なわれた鶏冠社があるそうです。
>天皇の鳥につながりそうです。

| 奇兵隊 | 2011/09/24 23:32 | URL | ≫ EDIT

Re: 最後の部分が重複してないですか?

奇兵隊さん、ありがとう。修正しました。最近、ブログの動作が変なんです。

| まゆみ | 2011/09/25 00:40 | URL |

こんばんは。

「フル」で連想したのは、まず「振る」です。

体を振動させて交感神経の働きを高めて、脳の代謝モードを切り替える所作が口伝として伝えられています。

もう一つはフルリです。秦氏の祖先はコーカソイドで、フルリ人の支配階級だったと聞いたことがあります。

秦氏の伝統技法の中には、人間の死体を材料として扱うものがあったそうです。例えば、鍛冶においては鋼の強度を高めるために人骨のカルシウムや血液の鉄分が有効だったと考えられていたそうです。


脳の進化に大きな個体差があった古代において、優れた知見を有して神や王と崇められた彼らの伝統技法を形だけ模倣した一般大衆は、死体を資材として見ることなく人身御供という形骸化した迷信を流行らせた・・・という見方もできます。

「ホフル」(体を切り裂く)→材料獲得のため、人体から臓器などを摘出する外科手術的な作業が、脳進化が遅れた人々の目にどの様に映ったのか、想像するに難くないと思います。

| iwisteria2 | 2022/07/11 19:27 | URL |

Re: こんばんは。

こんにちは。勉強になります。

「体を振動させて交感神経の働きを高めて、脳の代謝モードを切り替える所作」はシャーマンがやっているんじゃないですか?あと霊が取りつくと体が震えることがあるようなのでそれも同じでしょうか。多重人格も似たようなものかもしれません。


「フル」と言えば、「十種祓詞」。「十種祓詞」の「フル」は魂を振って生命を蘇らせるの振動です。私の産土神がニギハヤヒの祝詞です。「十種祓詞」の「フル」は魂を振って生命を蘇らせるの振動です。

「十種祓詞」の布留部由良由良(ふるべゆらゆら)が気になって、私の名前の「フル」はこれじゃないかと直感し、誰の力も借りず、一人旅の結果、朝鮮半島、モンゴルを経由してシュメールに行き着きました。

フルリも私のルーツにつながると思います。

秦氏には興味はないんですが、石渡説だと秦氏は百済系だそうです。百済なら私ともつながります。一時期親しくしていた人に畑(はた)という強烈な人がいましたが、後になって秦氏の縁だったのかもしれないなと思いました。

秦氏の祖先がフルリ人の支配階なら、私はやはりフルリとつながりそうです。新鮮です。

ニギハヤヒ (十種祓詞、フル)
https://cocorofeel.blog.fc2.com/blog-entry-7800.html

謎の?「古市一族」 その2
https://cocorofeel.blog.fc2.com/blog-entry-7782.html

| まゆみ | 2022/07/12 12:13 | URL |

Re: こんばんは。

マヨさんとこで秦氏は古代新羅の民らしいと書かれている方がいらっしゃって、コメント入れようか迷って結局入れなかったのですが、下書きが保存されてあったのでここにメモとして投稿しておきます。

以下、下書きメモより

ヤマト王朝は百済系であり、倭国には王権を左右するほど強力な新羅系氏族は存在しなかったそうです。

石渡説だと秦氏は百済系だそうです。

秦氏の新羅説は、豊前国の香春岳(に新羅神が祭られていることを論拠の一つとしているけれど、香春岳の神は新羅神ではないとのこと。他にも色々根拠を述べられていました。

後期百済系倭国(大東加羅)時代に秦氏の配下の百済人が各地に移住。その移住地には太秦(うづまさ)・秦(はた)・葛原(くずはら)・勝間田(かつまた)・勝田(かつまた)などの地名が残っているとありました。

秦氏は応神(昆支・武)系の波多臣と同一の氏族と推定されると。さらにホムタ(応神)天皇は、藤原不比等が作った後期百済系倭国の初代大王応神の架空の分身であると。

さらに『隋書』倭国伝には、「秦(しん)王国」が書かれてあり、不比等は、この「秦」の字をハタと読み、秦(はた)氏の氏の名としたとみられるとのこと。

崇神(旨・首露・脱解)前期百済系倭国(大加羅)時代は」」
「加羅の城」の意味でカラシマとも呼ばれていたが、後期百済系倭国(大東加羅)

秦氏は応神系氏族である。

後期百済系倭国時代には秦氏の配下の百済人が各地に移住したが、その移住地には太秦(うづまさ)・秦(はた)・葛原(くずはら)・勝間田(かつまた)・勝田(かつまた・勝田で間違いありません)などの地名が残っている。

カツマタ(勝間田・勝田)は、後期百済系倭国の別称カスカラ(大東加羅)からの転訛
ウヅマサ(太秦)は、クスカラ(大東加羅)からの転訛

『隋書』倭国伝には、「秦(しん)王国」がみえる。藤原不比等は、この「秦」の字をハタと読み、秦(はた)氏の氏の名としたとみられる。不平等は、720年に成立した『日本書紀』の「雄略紀」15年条に波多臣本家の祖を「秦造」と書かせ、「天武紀」12年条に「秦連」、同14年条に「秦忌寸」に改姓されたと記録させたと考えられる。

| まゆみ | 2022/07/12 12:18 | URL |

追伸

上の投稿の石渡説は龍さんブログからチョイスしてまとめたものです。

| まゆみ | 2022/07/12 12:34 | URL |

振動

声の振動でも脳の代謝モードを切り替えることができると思います。

| まゆみ | 2022/07/12 12:43 | URL |

こんばんは。

おっしゃる通り、声の振動でも脳の代謝を切り替えることができます。

ただ、素人が行った場合、代謝異常を起こして精神疾患になる恐れがあります。

シャーマンや憑依された人の特徴にてんかん発作のような症状が出ますが、脳の代謝が切り替わって異常興奮を引き起こしていると思われます。

この様な口伝の所作は、日常生活に見られるものを拡張したものにすぎず、あまりにも当たり前に存在しているため、解説を受けないと気付けないものです。

十種祓詞についてはあまり詳しくはないのですが、「ふるべ」を唱えると血流の指向性がへその辺りから骨盤に移り、「ゆらゆら」を唱えると頭部と上腹部を交互に行き来します。

語の音によって血流が指向する箇所は、代謝が活発になります。祝詞や真言は、特定の部位に血流の指向性を集中させるように組み立てた古代人のエクササイズのようなものと考えています。

| iwisteria2 | 2022/07/12 21:48 | URL |

Re: こんばんは。

こんにちは。

次に祝詞を唱える時に気をつけてみます。

随分と昔に、あいうえお、50音がそれぞれ臓器につながっていると神道関連の冊子で読んだ記憶があります。例えば「あ」がうまく発音できないとそれに対応する臓器が弱っているとか問題があるとか、そんな記憶です。

声の感じでその人が元気であるか、どうか、わかりますよね。声がしゃがれてくるとまずいです。

私の声は倍音だと音楽家の方に褒めてもらったことがあります。このCDで体調がよくなったとか不思議なことが起きたとか、色んな感想をいただいていますが、iwisteria2さんの率直な感想を聞かせてください。カタカムナ ウタヒ音読とは違い、祝詞をするときは抑揚をつけます。

カタカムナ ウタヒ音読 ふるいちまゆみ
https://www.youtube.com/watch?v=V2Y8Synqcrg

| まゆみ | 2022/07/13 14:19 | URL |

こんばんは。

今使っているパソコンのスピーカーの性能が低く、高音域がだいぶカットされて、出力される音声が劣化していますが・・・。

それでも、聞いていると脳幹に響いて心地良いです。

これが脳を活性化させる一つの要素だと思います。

もっと良い環境で聞いてみたいところです。

| iwisteria2 | 2022/07/13 22:02 | URL |

Re: こんばんは。

こんにちは。見ていただいてありがとうございます。

今はもう手元にはないのですが、特殊なヴェーダの吟唱が脳にダイレクトに響く体験をしたことがあります。

2008.04.03
マ・ン・ト・ラ
https://cocorofeel.blog.fc2.com/blog-entry-992.html

| まゆみ | 2022/07/14 14:38 | URL |

こんばんは。

私の所見ですが・・・。

マントラは特定の部位に血流を指向させるように語の音を組み立てたものです。

まゆみ様もわかって頂けると思いますが、人は食物以外にも、音や光(電磁波)を食べて生きていると考えています。ただ、不食になれるという意味ではなく、植物が光合成を行うために大量の水を必要とするように、人の生命維持の基本は経口摂取による栄養補給です。

マントラは本来、食物を十分に食べることができなかった古代において、新陳代謝を活発にさせる目的でエネルギー生産効率を上げるために用いられていたと思うのですが、文明が発達して食べ物に困らなくなり、腹腔神経による情報処理よりも大脳優位に傾いた結果、語に様々な意味付けをして紡ぎ出す学術的な物の見方によって、あらぬ方向へ解釈されたものと考えています。

大脳が優位に働くと過剰にエネルギーを消費して、食物摂取だけでは栄養補給が追い付かないので、マントラやその他、宗教や武道に伝わる伝統的な修行法(足りないエネルギーを埋め合わせる目的で行うエクササイズ)、つまり「足るを知る」目的で自制心を養うべきなのですが、これらも現代では本来の目的からかけ離れて形骸化が目立ち、ほとんど失伝してしまっている状況です。

精神的な在り方や姿勢に歪みをもたらすと、エネルギーが欠乏して脳がうまく働かず精神的に不安定になって、最終的には自己の神性を否定し悪に染まる、という教えは西洋カバラの生命の樹と死の樹に示されているはずなのですが、ほとんどの方は理解できていないように見えます。

| iwisteria2 | 2022/07/15 20:43 | URL |

Re: こんばんは。

こんばんは。

マントラの話、想像もしなかった内容なので面白いです。

私の習ったマントラは意味のない言葉ではなく意味がありました。ただ座って目を閉じた瞬間に一気に入るのでマントラを唱えることはほとんどなかったです。最近は瞑想が考え事タイムになってて瞑想にはなってないでしょうね。

瞑想の教師と二人で瞑想したとき、宝石のようなキラキラ輝く見事な美しい樹が見えて、その内容を教師に話すと生命の樹だと言われました。基本的に瞑想中の体験は人に話してはいけなくて、そして忘れるように言われます。

私はお腹が空くということがまずなく、朝起きて夕方近くまで飲み物すら摂るのも忘れることがあります。特にパソコンやるとそうなります。なので人には電磁波を食べていると言ってます。いやしんぼのくせにあまりにも極端なので飲み物くらいは摂るように気をつけています。

| まゆみ | 2022/07/16 23:15 | URL |















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